85 最終章《喧嘩》
野営地のテントを出たあと、アルとリラは王都の方角を眺めていた。
「どうするの? 私は歩いてでもいいけど」
「そうだね。馬で行っても馬たちがかわいそうだし」
「うん。それよりも、なんかいい匂いしない?」
「あ、ほんとだ」
その時、ふたりの背後から女の子の声がした。
「よかったらこれを食べて下さい」
「ん?」
ひとりの少女が串に刺さった食べ物をふたりに差し出してきた。アルは礼を言ってからそれにかぶりつく。
「ん〜美味しいな。鶏肉の焼き加減が絶妙だ」
「それにこのタレも香ばしくて美味しいわ」
「よかったです。アルさん好みの味になってましたか?」
「うんうん。俺の好きな味だったよ。……ん?」
名前を呼ばれたことに気がついたアルは、食べるのをやめて少女の顔をよくよく見つめた。
「キャル……ちゃん?」
「ふふ。やっと気がついてくれましたか?」
「びっくりしたよ。大人っぽくなっててわかんなかった」
アルがフォルティカ王国を出てまもなく三年になる。だから今のキャルは少しだけ幼さを残すように成長していた。
「アルさんもなんだか格好良くなりましたね。その服も似合ってますし」
「キャルちゃんもきれいになったしモテるんじゃない?」
「ふふ、照れてしまいますわ(チラリ)」
バチン!
(っ! この子!)
キャルから挑発的な視線を受けたリラはすぐさま戦闘モードに入った。
「あら随分と大きくなったのね? 昔はこんなに小さかったのに」
「はい、おかげさまで。背だけでなくここもちゃんと大きくなってますし」
ピシッ
キャルは胸に手を添えてリラに笑い返した。もっとも十三歳なので胸を張れる程度にはまだないはずなのだが。
「そ、そう。まぁ、見た目だけ大きくなってもね」
「そうですわね。見た目だけでは成長したとは言えませんから。なので安心しました。アルさん好みの味が作れるようになって。まぁ、リラさんも気に入ってくれたようですが」
「くっ」
リラは串に刺さった肉を見つめながらぷるぷると震えた。だがそのせいでタレのいい匂いが鼻孔をくすぐる。それがなおさら悔しかったようだ。
「で、でもね、アルと一緒にいたいなら強くないといけないわ。特別な強さがないと駄目よ」
リラは必死に言い負かそうとする。これは負けられない戦いなのだ。
だがキャルはわざとらしく頬に手を添えながらリラの喧嘩を買った。
「やはりそうですか。アルさんと一緒にいようと思うと戦う力がいるのですね? ですが残念ながら私はまだ能力というものに目覚めてないのです」
(とった!)
キャルが戦えないと知ったリラは目を見開いた。ここが攻めどころだと思ったのだろう。
ニヤリ
(!?)
しかしリラの内心を読みとったキャルは狼狽えることなく見下ろすように笑った。それは不敵という以上に確信的な笑み。おそらくリラは誘われてしまったのだ。
「だから私、考えたんです。どうしたら戦えるかを。でも、気がついたんです。私自身が戦う必要はないって」
「……どういう意味?」
リラはキャルの言葉の意味を必死に考えたがわからなかった。ただひとつわかっているのは、目の前の少女は人生最大の敵であると。
その時野営地から大声が聞こえてきた。アルは振り返って声をだす騎士達に目を向ける。
「なんだろ? 誰か帰ってきたのかな?」
アルが呟いてもキャルとリラはお互いに火花を散らして微動だにしない。
しかしリラは耳に神経を集中させて騎士達の声を聞き取った。彼らは仕切りに『奴らが帰ってきた』と叫んでいる。
そこでキャルはふたりに説明するように話しだした。
「あの方角はオルフスタとの国境沿いなのですが、いかんせん防衛ラインはそこまで広くは敷けません。だがら、行ってもらったんですよ」
「行ってもらった? 誰に?」
キャルの言葉に重みが増したような気がしてリラは目を細めた。いや、眉間にシワを寄せた。
「あれ、あのひとたちって」
その時アルは騎士が指す『奴ら』が誰かを理解した。確かに奴らと言うには十分に勇猛な者達だ。
そして騎士達は奴らがフォルティカ王国の辺境に散らばった民を引き連れて帰ってきたのを見て、盛大に叫んだ。
「奴らやりやがった! さすがだぜ!」
「ああ! クーランド大陸最強の軍勢は伊達じゃないな!」
「はっは! 奴ら美味いもんのためならなんでもするしな。しかし美食の女王もよく奴らを飼い馴らせたな」
リラは《最強の軍勢》や《美食の女王》という聞き慣れない単語を道にする度に耳をぴくりと動かし、頬から汗を垂らした。
「まさか、あんたがいかせたって言うのは」
リラの動揺を見たキャルは満足そうに笑った。隠すこともなく、八重歯を剥き出しにして。
「ええ、戦えない私が手に入れた力。それは美味しいものを作るというたったひとつの力。その力でいつしか私は《美食の女王》と呼ばれようになりました。そしてあの人達は私のもとまでやってきたのです。自由と美食を求めて。ふふ。アルさんはあの人達が誰かをご存知ですよね?」
キャルに問いかけられたアルは懐かしむように目を細めて答えた。
「うん。あの人たちとは濃い日々を過ごしたからな〜。それにしても久しぶりだなぁ、ナリキの列島のみんなに会うのは」
「!」
そこでようやくリラは軍勢の正体を知った。
その名はアルからだけでなく、いたる街で何度も聞いた。そしてリラが慕うもうひとりの女性、パネェがいた軍勢だ。
その事実を知ってリラは顔を青ざめ、キャルは鼻で笑った。
だが、そんな女の戦いが繰り広げられていたとは知らずにアルは呟いた。
「みんなに報告しないといけないな」
「報告ですか? よろしければ私がお伝えしますよ」
「いや、自分で伝えるからいいよ。あ、それよりも先にキャルちゃんに言わないといけなかったな」
「なにをでしょうか?」
リラを屈服させたキャルは華やかに笑ってみせた。それに応えるようにアルも笑う。含みのない爽やかな笑顔で。
そこに青ざめた顔のリラさえいなければ絵になる光景だっただろう。
だが、そんな空気もアルの一言で終わる。
「俺、リラと結婚したんだ」
「ぐはぁ!」
「あ」「ん?」
美食の女性は盛大に叫ぶと、天を見上げながら倒れた。当時は気がつかなかった彼女の初恋はこうして幕を閉じる。
アルは倒れたキャルを背負って野営地の中心部まで移動したが、そこではすでに酒盛りがはじまっていた。
「ガハハハ! やっぱり大陸の酒は美味いな!」
「たまには魚が恋しくもなるけどなぁ」
「それじゃあ今度、美食の女王に魚料理頼もうぜ」
「「「それいいな!」」」
フォルティカ王国が滅亡の危機だというのにまったく緊張感がない。だが滅亡から這い上がった彼らからしたら、滅亡していない今はセーフなのかもしれない。
なんせ列島基準なので。
そこにアルはひょっこりと現れた。
たいして懐かしむ様子も見せず。
「あ、俺もそれ食べていい?」
「おう、食え食え!」
「これ美味いなあ」
「そうだろそうだろ! 俺等はこれがあるから戦えるんだ」
「そうだね。好きなものが食べられるって幸せだよね」
「おっ、お前いいこと言う……な?」
機嫌良く酒を飲んでいた男はアルの顔を見て固まった。なんせ彼らが知っている勇者は少年の顔だ。あれから随分と月日が経っている。
「……アル殿?」
「久しぶり、翁。婆様も元気にしてる?」
アルの声はけっして大きくはなかったが、その声は盛り上がっていた空気を一気に鎮めた。
彼らはアルのおかげで大陸に辿り着けたといってもいい。その感謝は計り知れないものだったのだろう。
そしてそれを代表するようにひとりの男が呟いた。
「……話しが違うぞ、小僧」
「ん?」
「お前から聞いた話しが違うと言ってるんだ」
「え? 俺なんか言った?」
その言葉を皮切りに列島の怒りがヒードアップした。どうやら感謝だけではなかったようだ。
「あんた私たちに嘘ついたね!」
「そうだぞ! だから俺たちあんなに頑張ったのに!」
「うちらの夢を返しなさいよ!」
「この嘘つき〜〜!」
もはや怒っているのは男だけではない。
女性も子供も老人も怒っている。
その一方で、たいして気にもせず笑っている列島の者も多数いる。
「あんたなにしたのよ〜?」
「え! なんですかこの状況!?」
「いや、わかんないよ」
妙な殺気にあてられて困惑するリラと、怒声で目を覚ましたキャル。様子を見ていた騎士達も何事かと眺めている。
「俺なんか間違ったこと言った?」
「言ったわよ! おかげで私たち付与師は大恥かいたわ!」
「ん〜?」
そこまで言われてもわからずにアルは首を捻ったが、ようやく次の言葉で理解した。
「あんたがこの大陸では薬屋が偉大だっていうから私たち付与師は夢見て散らばったのよ! そしたらどうだい! 行く先々で笑われたじゃない!」
「くそっ! 薬屋だったら兵士を従えるって聞いたのに、それを言ったときのやつらのあの笑い顔。思い出しただけでむかつくー!」
「お前のでっちあげた薬屋のせいで酷い目にあったんだぞ!」
列島の付与師達はアルが言った薬屋に夢を見、そして現実に打ちのめされた。それが悔しかったのだろう。だが付与師ではない者たちは後ろで腹を抱えて笑っている。
「嘘じゃないよ」
しかしそれを認めないアルに列島の付与師達はさらに詰め寄った。
「だったらその薬屋を連れて来い!」
「そうよ! 兵士を従え、聖獣の素材をむしる化け物みたいな薬屋よ!」
「わかったよ〜」
アルがあまりにも軽いノリで答えたので付与師達は呆気にとられた。
それを気にすることなくアルはキャルを背から降ろしたあと、そっとリラの肩を寄せた。
「俺の妻のリラだ」
「……おめでとう。でも、そうじゃないわ」
「たしかに……おめでとう。だが、話を逸らすな」
アルの結婚報告に列島の者は怒りをなんとか鎮めた。今怒るのは不粋とでも思っているのかもしれない。
だが皆におめでとうと言われて喜ぶアル。あんなに低音でおめでとうと言われても喜ぶあたりさすがである。
そしてようやく真実を語った。
「それで俺の妻がその薬屋だよ。今はなんと精霊も使えちゃいます」
「……あんたさらに私たちを馬鹿にする気?」
「いくらひきこもってた俺たちでも精霊使いが伝説の存在だって知ってるぞ」
付与師達が不穏な空気を漂わせる。怒鳴りつけてこないぶん今のほうが妙な空気だ。
そこでようやくリラは助け舟をだすことにした。
「ほんとうよ」
「じゃあ見せてみなさいよ。その精霊とやらを」
付与師に言い返されたリラは溜め息をつきながら右手を空にかざした。
「焔ちゃん、雫ちゃん、嵐ちゃん。ちょっとだけ遊びましょう」
「「「!」」」
リラの声に合わせて三色の光の玉が現れ、右手のまわりをくるくると回りだした。
そしてリラはさらに言葉を続ける。
「うちの旦那に……あんま舐めた口きいてんじゃねえぞ?」
ボ
「「「ひっ!」」」
リラの言葉と同時に赤い玉が炎の玉に変わった。しかしそれだけでは終わらない。なんせあとふたつあるのだ。
「雫ちゃんと嵐ちゃんも……やっちゃいなさい」
スババババン
「「「うぎゃ〜〜!」」」
「「「なんでおれたちまで〜〜」」」
そして列島の者達は思い知った。
大陸の薬屋の偉大さを。




