82 最終章《博士》
「博士、無茶やりましたね」
「ふふ。ごめんなさい。大事なお嫁さんが傷ついて怒っちゃったかしら?」
「からかわないでくださいよ」
膝にリラの頭をのせた博士は楽しそうにリラの髪をなでた。リラはまだ気を失ったままだが、博士のポーションで体の傷はすでに癒えている。少し休めばそのうち目覚めるだろう。
「それで博士様。あなたの想定通りリラは試練を通過したのかい? それとも神獣を倒さないと認めないつもりかい?」
心配そうに先生が尋ねるのを聞いて、博士は嬉しそうに答えた。
「いえ。これ以上はない結果でしょう。私は強化か魔法のどちらかが開花すればいいと思っていましたし。さすがに、三色の同時発動までは想像できませんでした」
その時、リラはゆっくりと目を開けて髪をなでる博士を見上げた。
「私を、信じてくれてたんじゃなかったんですか?」
「ふふ。信じてたわよ。でもあなたったらそれ以上の結果をだすんだもの。ほんとうに、諦めが悪いじゃ説明がつかないわ」
「……博士」
穏やかな表情の博士に見おろされ、リラは両手で顔を覆った。そして鼻をすすりながら、ゆっくりと話しだす。
「私、なにもできないと思ってた」
「そんなことはないわ。あなたの能力で助けられた人はたくさんいたでしょ?」
「違うの。私、誰かに憧れるだけで、羨ましがるだけで、自分がなにになりたいかもわからなかったの」
「……」
それはアルがみるたった二度目の弱音。
リラ自身ですら気がついていなかった、心の奥底。
「だから、立派な付与士になろうと思ったの。それをしてれば、いつかは何者かになれると思ってたから。博士みたいに、立派なひとになれると思っていたから。でも、わかってなかった。私は役割を果たすだけで、理由を持っていなかった」
リラは涙を拭いて博士を見上げ、それからゆっくりとアルを見た。
「だけどね、アルを見て思ったの。このひとはなにかになろうとしてるんじゃない。ただただ、自分の理想をまっすぐに追いかけてるんだって。だから、一緒にいると頑張れるような気がした。私が尊敬する博士みたいになれると思った。でも、それもやっぱり……違った」
そしてリラは博士の膝から離れ、ゆっくりと立ち上がった。
「私は、博士みたいになれなくてもいい。アルみたいに、まっすぐに生きられなくてもいい。だから、私は私だけの道をすすむ。それがどんなに遠回りでも、苦しくてもいい。また間違ってもいい。それでも」
リラは最後の雫を頬から流したあと、力強く前を見た。
その視界には博士が映っていたかもしれない。アルもいたかもしれない。だが、リラはそれを気にすることなく前だけを見た。
それが、自分の道だと信じて。
「私は私の大事な人を守りたい。そしてそのためにすべての力を手に入れる。それが困難な道でも、私は私を信じる。だから博士……もう大丈夫だよ」
自分の思いを言いきったリラは座りこむ博士を見て力強く微笑んだ。
「……そう。あんなに小さかったのに、いつの間にかこんなに大きくなったのね。だけど、ほんとうに、困っちゃうわ」
力強い眼差しを向けるリラと対象的に、凛々しかった博士の目が揺れた。
「はやく、巣立たせようとしたのに、今さらになって手放したくないと思うなんて」
そして博士もゆっくりと、リラの正面に立ち上がった。
「リラ。ここから先は私も知らない世界よ。どうなるか、教えてあげることはできない。だけど、あなたならきっと大丈夫。だってあなたは……私の自慢の弟子なんだから」
そっと博士の手に頭を撫でられながら、リラは歯を食いしばって何度も頷いた。
そして博士はゆっくりとアルに顔を向ける。
「それと、アル。リラのことをお願いするわね」
博士は少し寂しそうに言ったが、アルはそれに気がつかないふりをして答えた。
「ここまで強くなったリラをどうせいっていうんですか? なんなら特級迷宮に同情しますよ」
「ふふ。それもそうね」
「それで、博士……」
「わかってるわ。アマラ師匠のことね」
博士は姿勢を正してアルに向きなおった。
「まず、騙すようなことになってしまってごめんなさいね。アルを巻き込むつもりはなかったのよ。あなたにはただ、自由に生きてほしかったの」
「……師匠が眠ったのと俺は結局どういう関係があるんですか?」
博士は少し下をむいたあと、ゆっくりと口を開いた。
「ひとつ勘違いしないでほしいのは、アマラ師匠はあなたと出会う前からすでに時間がなかったの。遠からず、眠りについていたはずよ」
「……俺は、それを早めてしまったんですか?」
「違うわ。あれはアマラ師匠の意思。だから私にはその真意はわからない。ただ、剣鬼はなんとなく理解しているようね。すくなくともその場にいなかった私よりも」
アルはあの日のことを思いだす。
師匠はあの日、確かにアルになにかを託した。そして同じく剣鬼もまた、アルに託した。
「それで、師匠は今どこにいるんですか?」
「……」
「……やっぱり、フォルティカ王国にいるんですね」
「え?」
アルのだした答えにリラは驚いて目を見開いた。これからすすむ道にアルの憧れのひとがいる。だがそれは、喜ぶべき情報には思えなかった。
「わかってたのね?」
「確信はありませんでしたが、魔子様の態度を見て」
「そう。あの子は特別アマラ師匠に懐いていたものね」
そこまで聞いて、先生は博士に問いかけた。魔子と別れて以来ずっと気になっていたことを。
「……魔子様は、いつか消えてしまうのかい?」
その言葉は皆の心に深く突き刺さった。
もしあれが比喩でないのならば、アマラだけでなく、博士も剣鬼もいつかは消えてしまう。
思いもしない言葉にリラは表情を凍りつかせた。そしておそるおそる博士の顔を見たが、博士はリラに微笑むみながら答えた。
「それはあなた達と同じよ。この命はいつか消えてしまう。それでも私や魔子はまだまだ消えないでしょうね」
安心したリラの顔を見て、博士は最後にもう一度だけリラの頭を撫でると、皆に背を向けて数歩歩いた。
「……ただ、いつまでもこの地にはいられないの。力を使えば、また眠りにつかないといけないから。今の、私のように」
「は、博士?」
背を向けたままの博士の体からはゆらゆらと薄い光の玉が浮き上がってくる。それはアルがミスタリキで見た剣鬼の別れと同じものだった。
「そんな……博士、まだいかないでよ! 私はまだ博士になにも返せてないの! だからお願い! まだいかないでよ!」
リラは博士に向かって走り出し、光の玉を浮き上がらせる博士を必死に掴もうとする。しかしその手はすでにすり抜けるだけだった。
「困った子ね。さっき大丈夫って言ったばかりじゃない」
「だって、だって……やだよ」
たまらず泣きだしたリラを博士は包むように抱きしめた。たとえその手が触れていなくとも、優しく、いたわるように。
「大丈夫よ。あなたが生きていればまた会える。だから、なにがあっても諦めないでね」
「うぅ、やだよ……」
駄々をこねる子をあやすように、博士は笑いながら語りかけた。
「懐かしいわね。小さい頃は寒い夜にいつもこうして寝てたわ。あれから何年もたったのにそれは変わらないわね。それにそのローブ。あなたはもういい大人よ? そろそろ新しいのに変えなさい」
「だって、これは博士がくれたから。私にとっての宝物だから……」
それを聞いたアルは目を細めた。
かつての自分もそうだったと。
泣きやまないリラを博士はそっと離すと、両手を広げて光の束を集めた。
「そうね。だったらこれをあなたにあげるわ。かつて人間だった頃の私が唯一残したもの。きっとあなたなら使いこなせる。だから私の代わりに新たに名乗りなさい。私がかつて手に入れた称号を。世界にただひとりの《精霊師》の名を」
光の束が頭上に大きく広がると、それは一枚の衣になったあと、リラの肩にそっとのった。
それと同時にリラのまわりにはいくつもの光の玉が現れた。その光の玉は緑と赤と青の三色に輝き、自由にリラのまわりを飛び回っている。まるで新しい主と戯れるように。
そして最後はリラに吸い込まれるように集まると、一層眩しく光を放った。
「精霊の……羽衣」
華やかな光がおさまったそこには白を基調とした衣装を纏うリラが立っていた。さらにその両肩には、淡い三色の糸で紡がれた羽衣がそえられている。
「博士は、精霊師だったの? 私、知らなかった」
「そうよ。剣鬼みたいな力も魔子みたいな魔力も持たなかった私が特級迷宮を攻略できたのは、精霊達が力を貸してくれたから。でも、リラならもっと強くなれるわ。私は貸してもらうだけだったけど、あなたは、共に闘えるんだから」
「精霊……あ、みんな」
リラの前では、楽しそうに九つの光の玉が飛び回っている。
「その子たちはいわばまだ子供よ。だけど今リラに渡した羽衣には、水と風と火の精霊達が宿っているの。だから、うまく付き合いなさい」
新たな衣装を身にまとったリラはようやく覚悟を決めた。
「……私、立派な精霊師になってみせる。だから、今までありがとうございました。弱虫な私をここまで育ててくれて、ありがとうございました。私は、博士に育ててもらえて幸せでした。でも、これからは」
リラは微笑んだ。
頬を伝う涙も気にせず、羽衣を握りしめ、一生懸命に微笑んだ。
「私は私の未来のために、歩きだします」
堪えるように微笑むリラを見て、博士も同じように微笑えみかえした。
リラと同じように、頬に涙を流しながら。
「これで、私の役目はほんとうに終わりね。……長かった……でも、二千年間あらがい続けたかいがあったわ」
光の玉は粒子のように小さなものになった。
そして、博士の姿は少しずつ消えていく。
「あなた達は、私の希望よ。だから」
「は、はかせ!」
「……ありがとう」
「――っ、ぁ、あぁ、あ〜〜〜!」
二千年前、はじめて特級迷宮から人の尊厳を取り返した英雄は、静かに眠りについた。
いつか目覚めた日に、夢見た光景がそこにあると信じて。




