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69 ミスタリキ《稽古》

 アルは剣鬼の姿を見たまま固まってしまった。もしもこんな日がくると知っていればアルはもっと上手く再会の挨拶もできただろうが。


(なんでここに? お元気でしたか? 俺、強くなりましたか? 師匠は……)


 何から聞いていいかわからずアルは何度も口を開いては呑み込んだ。

 剣鬼はそれを黙って見ていたが、腰から一本の剣を抜き取るとアルに放り投げた。


「聞きたい事も語りたい事もあろう。だが、お前も知っての通り俺は口が上手くはない」


 それを受け取ったアルは刀身を見て思わず笑ってしまった。


「これ、天界で稽古に使ってたやつじゃないですか」


 懐かしさが込み上げるアルに剣鬼の表情も柔らかくなる。


「ああ。だから、俺はこれで語らせてもらう」


 ゆっくりと刀身を鞘から抜き取る剣鬼を見てアルも構えをとった。


「そうですね。よろしくお願いします」


 アルが天界を旅立って実に五年の月日が経っている。

 その間厳しい戦いも敗北もアルは経験した。そんな自分を見てもらいたくてアルは剣を強く握りしめた。



 剣鬼は厳しい師ではあった。

 しかしそれも含めてアルにとって剣鬼は偉大な師であった。



 その師を乗り越える。



 アルはこの地上に降り立ってもっとも純粋な気持ちで戦いに挑んだ。それが彼らにとって、もっとも幸せな時間だったのだろう。




 剣鬼は剣を体の正面で両手で握ると、切っ先を真っ直ぐにアルに向けて構えた。対してその構えを見たアルは不思議に思う。


(隙きはない。隙きはないが、剣鬼らしくない)


 アルは天界での剣鬼との戦いを思い返していた。天界の剣鬼は特定の構えを持つことがなく、どこからでも威力の高い剣筋を放ってきた。


 アルが思い返す限り、基本の型を教えてくれる時以外で構えと呼べる格好をとった覚えはない。


 相対するアルは不審に思いながらも、稽古用の剣を剣鬼に向けて半身になった。手に持つ剣は短剣ではないが、成長したアルが持て余すことはない。


 お互いに構えをとって動かないふたりの間に風が吹く。そしてその風が止んだのを合図に先に動いたのは剣鬼だった。


(剣鬼から先に仕掛けてきた? これもいつもと違う。だがしっかりと見えている。捌いて切り返す)


 剣鬼は踏み込むと同時に正面に構えた剣を真っ直ぐ上に振り上げた。

 これに対してアルは受け流しの構えをとるために剣鬼に向けていた剣を額の上に動かした。

 踏み込んで剣を振り下ろす剣鬼にたいしアルは構えを変えるだけ。

 普通ならばアルが遅れをとることはない。

 だが剣鬼の振り下ろしはアルの想定する速度を大幅に上回っていた。


 スンッ


「っ!?」


 ギン



 予想を越える剣速にアルは受け流すことができず、真正面から受け止めることしかできなかった。


(速い! それに勢いのない剣筋に見えたのになんでこんなに重いんだ)


 額の上で交差する剣を睨みつけながらアルは今の一合を思い返す。剣鬼の踏み込みは決して早過ぎるものではなかった。

 オーラも纏わず、なんの仕掛けもなく踏み込み、そしてただ振り下ろしただけだった。


 それでも剣速と剣圧はアルの想定を大きく上回っている。



 剣鬼は強い。

 それでもこの姿は知らない。

 


 幼少の頃に見た剣鬼とは違う戦いを見て戸惑ったアルだが、片足を半歩引いて剣筋を逸らすと素早くサイドステップして間合いをとった。


 剣鬼は逸らされた剣を無理やり止めることなく振り切ると、今度は腰の横に剣を引き、横一文字の構えをとった。


 その姿を見てやはりアルは不思議に思う。

 剣鬼であれば瞬転ですぐさま追い打ちをかけることができたはずだと。


 しかし剣鬼はアルが着地する瞬間をも見逃し、丁寧過ぎるほどにきれいな構えをとっていた。


 そしてひと呼吸の間を置くと、剣鬼は流れるようにアルのもとに踏み込んで水平に横切りを放った。


 スッ


(!? またか!?)


 アルは油断なく剣鬼を見ていたはずだが、やはり剣鬼の剣速はアルの予想を上回り、躱すことも捌くこともできずに真正面から受け止めるしかできなかった。


 アルが垂直に下に向けて受けた剣はカタカタと震えている。少しでも気を抜けば剣鬼の剣に押し切られてしまいそうだ。


 額から溢れる汗が宙に舞ったとき、アルは剣を上空に思いっきり切り上げて剣鬼の剣を振り払った。


 それは剣鬼との戦いではあまりにも致命的な隙きだった。剣を上空に振り上げたことでアルの胴は無防備に晒されている。


 しかも間合いの中には剣鬼がいるのだ。

 それが危険な行為だとアルは重々承知している。


 しかし剣鬼は無理に剣筋を変えることなく、アルの振り上げに素直に剣を従えた。


 それによってふたりの剣はともに天を指し、間合いの中で振り下ろしの構えともとれる同じ姿勢になった。



 瞬間的にふたりの視線が交差する。

 そして両者は対照的に動いた。


 アルは振り上げた剣の挙動を強制的に止め、すぐさま打ち下ろすために前足に重心を移した。


 対して剣鬼は振払われた剣を止めることなく、前足を後ろに引いてアルの正面に陣を取り直す。


 すぐさま打ち下ろしに移ったアルの切っ先は既に剣鬼に向けて走っている。しかし剣鬼は立ち位置を整えただけでまだ振り下ろしに移行できていない。


(今度こそ俺が早い!)


 アルは歯を食いしばって剣の柄を握った。

 剣鬼を相手に寸止めや遠慮など出来ない。

 己の持てる力をすべてこの一撃に込めて打ち付けた。


 しかし、その剣は届かない。


 スッ


 ギン


 アルの剣が頭を捉える寸前に、剣鬼の剣がその間に滑り込んできた。しかも全力でアルが打ち付けているというのに剣鬼の剣は微塵も動かない。


 アルは更に体重をかけるが押しきれない。逆に気を抜けばアルが押し切られてしまいそうだ。


「くっ!」


 打ち下ろしを解いたアルはすぐさま水平切りを放つが、やはり剣鬼は立ち位置を整えて丁寧にそれを受け止めた。


 何度斬りかかっても剣に阻まれて剣鬼の体は遠い。そして気がつけば剣鬼の剣が体ごとアルに迫っている。


 勢いも迫力もない剣鬼の斬撃。

 だがアルはその剣筋を何度も見失ってしまう。好機と見て斬り込んでも、まるで予定されていたように剣鬼は何事もなく受け止める。




 何度も打ち合うにつれ、知らず知らずに熱くなっていたアルは徐々に冷静になっていった。


(確かに今日の剣鬼は俺の知っている剣鬼じゃない。俺の知っている剣鬼は圧倒的な剣速と膂力を武器に、その場から動くことなく俺を制していた)


 しかし目の前にいる剣鬼は細かく足を捌き、その度に腰に溜めを作っている。

 それは基本に忠実であるが、およそ実践で使えるものではないとアルは思っていた。

 だが剣鬼は後手になって剣を放っても、必ずアルよりも早くその場に到達している。そして一度鍔迫り合いになれば剣鬼が押し負けることはない。


 そんな剣鬼を目の前にして、アルは自然と笑みを溢した。


(知らなかった。剣鬼はこんなこともできたのか。こんな強さもあったのか。知らなかった)


 剣鬼の戦いになんらかの意図を感じたアルだったが、それ以上考えることはなかった。今はただただ剣鬼の動きを目に焼き付けている。


(今の俺にあの動きは真似出来ない。何度見ても謎が解けない。だからまずは、その足捌きから)


 剣鬼の謎の強さを解くために足捌きに目をやりながらアルは打ち合いを続けた。当然アルの手数は減ったが、そんなことはアルにとって問題ではない。


(引く。踏み込む。半歩横にずれる。踵を浮かして重心を移す)


 剣鬼の動作をひとつずつ読み解き、その動作の理由を探る。


(剣鬼が打ち込む時は常に一定の間合いだ。俺がどんなに動き回っても、まるで測ったように最後の踏み込みはいつも同じ距離で俺を正面に捉えている)


 剣鬼は例えアルがその場から動かなくても、剣筋が変われば細かく足踏みをして構え直した。


 本来であればそのまま振り抜いた方が早いはずだが、あえて剣鬼は姿勢を正し、結果アルの予想を上回る剣速を放った。


 そしてそれを認識したアルはやはりまた笑った。地上に降りてからもアルは修練を続けたが、彼は常により速く、より強く技を放つ努力を怠らなかった。


 その結果アルは強くなった。

 誰もが認める強者になった。

 しかしそんなアルに指導できる者などほとんどいなかった。


(思えば俺はいつも上を見上げていたな。もちろんそれが悪いことだったとは思わないが、強くなるための武器がこんなところにあったなんて知らなかった)


 基本に忠実な剣鬼の動きを見てアルもすこしずつその動きを取り入れる。剣鬼の動きに合せて丁寧に立ち位置を変え、重心を自在に操れるように体を動かした。



 その動きを見た剣鬼も薄く笑いながらきれいな剣筋を放った。お手本のような、基本に忠実で、美しい剣筋を。


 それからアルはすべてを忘れて一合のやりとりに集中した。剣鬼と再会した時には聞きたい事がたくさんあったはずだが、そのすべてを置いて剣鬼に身を任せる。



 そしてアルは目の前の剣鬼と剣を交わしながら、再び深層に至る。瞑想とも言えるほどの集中力を発揮したアルはすべてを受け入れ、すべてを学んだ。

 剣鬼の動きから足捌きを、腰の溜めを、流れるような剣筋を忠実に学んだ。


 それは肉体の成長と共に忘れてしまった動きだったのかもしれない。数々の困難を乗り越えるためにアルは何度も己の限界を越えてきた。

 だから、いつしか身につけていたはずの動きを置いてきてしまったのかもしれない。


 それに気がついたアルの剣筋は既にここに訪れた時とは比べ物にならない程速く、そして、力強かった。




 キッ キキン



 稽古の果てにアルは剣鬼の動きに遅れることなく剣を振るった。剣鬼と同じ動きができる今、アルが剣鬼の剣速に戸惑うこともない。


 それは、剣鬼が示した稽古を乗り越え証拠でもあった。




 キ――ン


 ひときわ大きく弾きあった両者は、どちらともなく間合いをとった。

 先程まで剣鬼のすべてを見逃すまいと凝視していたアルだったが、ひと呼吸のあと顔を上げた。



 そこには満足そうに口を緩める剣鬼がいた。

 戦いに集中して見落としていたのか、いつから剣鬼が笑っていたのかアルは気がつかなかった。


 その姿を見て瞑想状態から抜け出したアルだったが、次の瞬間不意に手が、足が震えだした。


 それを実感してアルは口を開けて呆けた。

 まさかこれほど鍛えた体に、今更筋肉疲労が襲ってくるなどとは夢にも思わなかったのだろう。


 そしてそれが嬉しかった。

 自分にはまだ強くなれる余力が残っているのだと。


 そんなアルに剣鬼は語りかけた。



「……楽しかったな」


 自分の手足を見て笑っていたアルは顔を上げた。目の前では剣鬼も柄を握っていた手をじっと見つめている。


「まさか、剣鬼の口からそんな言葉が聞けるとは思ってもなかったですよ」

「ふっ、わかっている」


 剣鬼の楽しかったという言葉に驚いたアルだったが、彼が言ったのは本当の事だろう。

 自身の発言に少し苦笑いをした剣鬼だったが、姿勢を正すと真っ直ぐとアルを見た。



「俺が昔言った言葉を覚えているか?」


 その言葉にアルはすこし胸を締め付けられた。剣鬼のいう言葉とは、おそらく出会って最初に言われた言葉だとアルは気がついたからだ。


「ええ。才能がないと言われましたね」


 師匠に連れられてはじめて剣鬼に出会った時、やるだけ無駄だと、才能がないと吐き捨てられた。


 そしてその事をアルは何度も実感した。

 誰よりも修練を積んだアルだからこそ、他者の成長に何度も嫉妬した。


 三つの能力を持った以上仕方がないと自分に言い聞かせたが、それでも短期間で劇的に成長する者を見ては心が揺らいだ。


 しかしそれは剣鬼のせいではない。

 才能がないのは自分のせいであり、剣鬼はそれを指摘しただけ。だから剣鬼に恨みもなければその言葉に罪もない。

 それを伝えたくて、アルは努めて明るく言葉を返した。


 だが、冷静な剣鬼の言葉が胸に刺さった。


「ああ。そしてその事実は今も変わらん。お前に才能はない」


 先程浮かべた作り笑いは既に形を失っていた。気を抜けば叫びだしてしまいそうな程胸が苦しくなる。それに耐えるように剣の柄を強く握ったが、かえって腕が震えて苦しみが増した。


 震える胸に息を吸い込み、アルは下を向きながらそれを呑み込んだ。


「だが」


 その時、柔らかい風と共に剣鬼の言葉が流れた。風が体をすり抜けた気がして思わずアルは顔を上げた。

 すると先程まで間合いの外にいたはずの剣鬼が目の前に立っていた。手を伸ばせば届く程近くに。



 ポン



 そして剣鬼は先程まで剣を握っていた右手をアルの肩に置いた。その手のひらは大きく、暖かった。


「だが、それでもよくここまで辿り着いた。努力だけでは言い表せない困難もあっただろう。それでもお前は諦めずにこの高みまで来た。だから俺は、お前の師になれた事を、誇りに思う」

「剣……鬼」


 剣鬼の言葉を聞いたアルは目から大粒の涙を溢した。


 アルは知っている。剣鬼の言葉に嘘はないと。曖昧に他者を認めるような人物ではないと。



 価値観も何もかも違うふたりだったが、それでもお互いを認め合い、すこしずつ歩み寄っていったのだ。

 その距離を埋めるには、天界の十年では短過ぎたのかもしれない。


(いつからだろう。このひとの強さに、生き方に憧れたのは)


 アルにとっての剣鬼は対極の存在だからこそ、知らず知らず憧れたのかもしれない。

 そして剣鬼もまた、アルが対極の存在だからこそ、手を差し伸べたのかもしれない。


 ふたりが出会って十五年。

 畏怖と侮蔑からはじまったふたりは、武の頂きで互いの心を知る事となった。


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