62 オルフスタ《悪夢》
アルとパネェはひたすら九本の尻尾を避け続けるだけで、一方的な戦いを強いられていた。
どちらかが尻尾をかいくぐって接近しても、あと一歩のところで必ず尻尾が道を塞ぐ。パネェが衝撃弾で遠距離攻撃をしかけても同様に防がれてしまう。
(このままじゃいつか力尽きる。何か、何かを見つけなければ)
アルは尻尾を回避しながら解決の糸口を探した。考えれば考えるほど策にはめられたことを嘆きたくなるが、今はそんなことを悔んでいる場合ではない。
既にアルとパネェは致命傷にも近い攻撃を何度も受けている。今は動けているがいつトドメをさされるかわからない。
(考えろ! 今まで散々好き勝手やってきたんだろ! だったら今くらい頭を働かせろ!)
アルはかつてないほど考えることに集中した。自分には常識がないからと、自分にはむいていないと逃げ続けていたが、今はそれにすら縋らなければならない程追い込まれている。
当然パネェも同じように考えてはいるが、回避行動と思考を別にするのは容易ではない。
思考が纏まらず、かえって大胆な行動が抑制されてしまっている。
そしてそれは状況判断にも悪影響を与えた。
「後ろ!」
「っ!!」
ズクッ
パネェの後ろから忍びよった尻尾がパネェの胴を貫く。パネェはアルの声でなんとか身を捻ったが、それでも横腹には致命的な傷を負った。
「くそっ! 邪魔だ!」
アルは身を削りながら数本の尻尾を受け流すと、パネェを守るようにお面の者との間に割って入った。
「動けますか!?」
「――ははっ。ごめんアル君。ちょっと、ドジっちゃった。はは…………ごめん……」
「〜〜っ」
パネェは努めて明るく答えたが、それが致命傷だったことは明らかだ。既に立つ力もなく、倒れるように座り込んでいる。
このままでは助からない。
ここまでかもしれない。
ふたりがそう思うのは仕方ないことだった。そしてその空気を感じとったお面の者は愉快そうに九本の尻尾を震わせている。
「アル君は、生きてね」
「馬鹿を言うな!」
パネェの言葉にアルは怒りをあらわにする。ふたりで生き延びようと約束したのだ。そんな簡単に割り切れるはずがない。
「わがまま言っちゃ駄目だよ。リラちゃんの事もあるんだし。それに、何より……アル君は勇者なんだから」
「――っ!」
アルは悔しさで歯を食いしばった。
彼は自分が勇者だなんて本気で思ったことはない。そんな崇高な存在になった覚えもない。
(俺が勇者だったら、なんで今パネェさんを救えないんだ)
情けなさで俯いてしまう。
まだ諦めたわけではない。
ただ、悔しかったのだ。
そんな後ろ姿を見てパネェの目から涙が溢れる。こんな時になっても相変わらずアルは仲間を見捨てられないのかと。
パネェは初めてアルと迷宮に潜った日の事を思いだしていた。
あの日も、アルは倒れた自分を庇っていてくれたと。自らが傷つくことを厭わないその背中が、どれほど眩しかったかと。
「アル君は、勇者だよ。いつも、私たちを護ってくれた。絶望に覆われた列島を、たったひとりで救い出したんだよ。だから、私の勇者はアル君だけ」
(考えろ! 思い返せ! なんでもいい! このひとを助ける何かを考えろ! どうやった!? 俺はどうやってこのひとを救い出した!?)
アルは記憶を探る。
パネェとの日々を。
列島で過ごした日々を。
そして、リラの言葉を。
『発射』
(あれは、いつだ? なんの言葉だ? 確か、ブラックシーサーペントととの戦いでリラが魔法を放つ時に言った言葉だ)
アルは鮮明に思い返す。
感覚が研ぎ澄まされ、浜辺のすべてを見透したあの日の事を。
そして彼は列島に到達した。
それも強力な一撃として。
(俺はあの時、もしかしたら壊したんじゃないのか? 迷宮という異空間を。だから大陸に行く時に黒妖艦は現れず、魔物も少なかったんじゃないのか? それに俺は他にも異空間を壊している。フォルティカ王国の冥界の洞穴で)
アルの中で様々なピースが組み上がる。
彼が意図する意図せずを別に、アルの行動は確かにアルを助けてきた。
そして今も、過去の自分が今のアルを助けようとしている。憎むべきあのケルベロスとの戦いですら、アルに力を与えてくれる。
もう一度、アルの目に力が宿る。
背筋を伸ばし、しっかりと前を見据える。
その目に映るお面の者は、先程までの余裕を既に消し去っていた。
アルを強者と認めたのかもしれない。
アルは目でお面の者を牽制しながら一歩引いて倒れ込むパネェに寄り添った。
「……アル君。急に大人になっちゃったね」
アルの雰囲気にあてられたのか、パネェから先程の悲壮感は感じられない。
「パネェさん、お願いがあります。俺が勇者であるために、もう一度だけ力を貸してくれませんか?」
それは傷ついた体には酷だったかもしれないが、パネェにとっては喜び以外のなにものでもなかった。
「勇者のお手伝いなら、なんだって、何度だってやるわ」
アルが差し出した手にパネェが手を重ねる。
お互いにぼろぼろの手ではあるが、今はそれがふたりの意志をより強いものに変えた。
空気が変わり、アルとパネェの重ねた手を風が覆う。それは急速に力をつけ、ふたりの周りに小さな嵐をつくりだした。
それを見たお面の者は九本の尻尾を扇のように大きく広げ、尖端をふたりに向けて狙いを定め、魔力を集中させている。
お面の者の脅威をひしひしと感じながらも、アルは自分の力を見つめ直した。
今のアルの最大威力を誇る攻撃は間違いなく《ブレス》だ。
だが、アルはその力を使いこなせないことを理解している。ケルベロスとの戦いは極端な負の感情によって無理やり放ったものだ。
その代償にアルは黒い痣に囚われてしまった。
だから、仲間の力を借りる。
自分にできない事は仲間を頼る。
今までのアルであればたとえ困難とわかっていても一人でブレスを放っただろう。
しかしアルは教えられた。
パネェだけではない。
たくさんのひとがアルに教えてくれた。
ひとりでは勇者になれない。
仲間が、そして認めてくれるひとがいるからその道を歩めるのだと。
「パネェさん」
凄まじい魔力と風が吹き荒れるなか、アルは穏やかに話かけた。
「な〜に? アル君」
「信じてくれて、ありがとう」
パネェと目が合ったあと、アルはお面の者に向き直った。
それを合図に九本の尻尾は渦を巻きながら一本の槍となって襲いかかる。
そしてアルはパネェと重ねた手を強く握った。
「願いを叶えてくれ ブレス」
ズドドドド――――――
お面の者の尻尾とブレスがぶつかりあい、轟音を響かせながら衝撃波を散らした。
お面の者はさらに力を込めるように両手を広げている。それはこの戦いを通してはじめて見せる姿だった。
一方のアルとパネェは、突風に耐えながらもブレスを放ち続けている。ブレスは荒れ狂っているが、ぎりぎりのところで制御しきれていた。それもすべてパネェの能力のおかげである。
ナリキ諸島でアルと同調したパネェは風に特化した能力を得た。
そしてパネェはそれをひたすら鍛え続けたのだ。今この大陸でパネェを超える風使いはいない。
だからこそ、ブレスをぎりぎりのところで制御しきれている。それがわかるアルもパネェを信頼してすべてを注ぎ込んだ。
肉体が軋もうが悲鳴をあげようが体の隅々からかき集めてすべてを出し尽くそうとした。
(頼む! まだなんだ! あともう少しでいいんだ! だから、力を!)
アルは限界を超えるほどの粘りを見せた。
しかし、無情にもアルの力が薄れだす。
そして今が好機と感じたお面の者は勢いよく両腕を前に突き出し、拮抗していたブレスを押返した。
じわじわとお面の者の槍が迫る。
それでもふたりはあきらめない。
あきらめることができない。
どちらかひとりでも折れてしまえば、大事なひとの命が失われてしまうから。
「「ぁあああ――――!!」」
ふたりは一層力を籠めて叫んだ。
既に出せるものはないが、それでも縋るように叫んだ。
助けてほしいと。
大事なひとを助けたいと。
だから、届いた。
『よく、頑張ったわね』
それは、幾つの偶然が重なって起こったのだろう。
アルがブレスを放ったことだろうか。
それともパネェとふたりで逃げた先がクヴェルト帝国との国境付近だったからだろうか。
そして、アルが一度、銀の城で彼女と繋がったからだろうか。
ブレスとお面の者の槍は今もなお激しくぶつかり合っている。横目で見るパネェも目を閉じて歯を食いしばっている。
だがアルの耳には何も聞こえない。
まるでアルだけが、現実と感覚が切り離されたようだった。
そしてアルはひとつの気配を見つけた。
聡明な、美しい銀の気配を。
(なんで俺はあの時の事を忘れていたんだろう。力が、流れてくる。調律のとれた澄んだ力が)
アルの中に一筋の力が流れ込む。
それは銀の糸を紡いだように美しく、力強かった。
顔をあげてもう一度手に力を籠める。
空っぽになったはずの体から魔力を練りあげた。それは今までアルが使ったことのない魔力。
それでも今は、今のアルなら、使いこなせる。
「ありがとう、博士」
ズダ――――――ン
勢いを増したブレスはお面の者の槍を突き破り、勢いを殺すことなくそのまま樹海を貫通した。
さらにブレスは数え切れないほどの木々を粉砕し、地面をえぐっても止まることはなかった。
しかしブレスが壊したものはそれだけではない。
「はぁ はぁ はぁ。樹海が……溶けていく」
アル達を囲む無数の木が示し合わせたように溶けだした。それは異空間が秩序を保てなくなった証であり、アル達が異空間からの脱出に成功したことを意味している。
「やったね、パネェさん」
「うん……うん。ありがとう、ありがとうアル君」
パネェはアルの手を強く握って涙を流した。
どれだけ強がっていても、彼女だって怖かったのだ。経験したことのない恐怖を感じていたのだ。
だからアルはそっとパネェを抱きしめた。
パネェへの感謝と、パネェが生きていることを喜ぶために。
「やっぱり、あの人たちにはかなわないな」
アルが抱きしめたパネェの横腹には、もう大きな傷は残っていなかった。傷ついたはずの場所は淡い緑色に輝き、元通りになっている。
それは命をかけてお互いを護ろうとしたふたりへの、博士からのささやかな贈りものだった。




