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61 オルフスタ《撤退》

「リラちゃんは、目を覚ましてるよ」

「え?」


 俺の心に微かな火が灯るのがわかった。


「リラちゃんは、アル君が立ち上がるのをずっと待ってる。だからね、死んでいいなんて思っちゃ駄目。じゃないと、今度はリラちゃんが悲しむよ」

「なんで、パネェさんが」


 さっきまで背中合せだったパネェさんがすこしだけ振り向いて笑った。


「ふふ。それはここを脱出したら教えてあげる。だから死んじゃ駄目だけど死ぬ気で頑張ってよね?」

「なんですかその無茶な注文は」


 パネェさんの場違いな返答にこちらも苦笑いになってしまった。ただ、俺の心は驚くほどに穏やかになった。憎しみはおろか、焦りすら感じない。


 急に目に見える景色が鮮明になった気さえする。

 呼吸に合せて胸が動く。

 心臓が脈打つ度に指先に鼓動を感じる。



(俺は、随分と長い間自分自身をほったらかしにしていたみたいだな)



 改めて感じる五感は研ぎ澄まされ、肉体の隅々まで把握できる。これから戦いだというのにまるで深い瞑想をしているようだ。



「じゃあ行こうか」

「はい。必ず生き延びます」


 パネェさんの言葉に合せてふたりで魔物の群れに突っ込む。


 目的地はオルフスタの樹海の外。

 そこまで走って何日かかるかもわからない距離を戦いながら走り抜けるのだ。



 普通じゃない。

 正気じゃない。


 だが、残念なことにふたりともまともじゃない。


 だから魔物共、後悔しろ。

 英雄と勇者を同時に敵にまわした事を。




◇◇◇◇



「パネェさん! 左から獣型が群れで迫ってきます!」

「オッケー! アル君は後ろのを蹴散らしといて」


 アルとパネェは魔物の包囲網を突き破ると、一度も足を止めることなく走り続けた。

 樹海という特殊な環境のせいで、常に先回りするように魔物が群れで襲ってくるが、アルとパネェはそれをことごとく蹴散らした。すでに逃げ出してから三日が経つというのに衰えた様子はない。



「せやあああ!」

 ズダーン!


 パネェは魔物の壁が現れても圧倒的な破壊力で突破してみせた。それを脅威と感じて魔物はパネェに攻撃を仕掛けるが、虚をついた攻撃はすべてアルが防いだ。


「パネェさん! 前方の木の上に待ち伏せがいます! 一度左右に別れて迎撃しましょう!」

「あいよ! 頼りにしてるからね!」


 アルはこの戦いで新たな境地に足を踏み入れたのだ。地上に降りてから今まで、アルは高みに昇るためにがむしゃらに修練を積んできた。


 そしてこの二年間では、さらに肉体を追い込むように戦いに明け暮れた。


 その間、アルは自分自身に未熟だと言い聞かせ続けた。慢心してはいけないと、自分に厳しく言い聞かせた。


 だからアルは今の自分に満足をしたことがない。もっとできるはずだと、無理をしてでも壁を越えようとした。


 その結果、アルは自分と向き合う事を怠っていたのかもしれない。未来の自分を想像するあまり、今の自分に何ができるのかを考えもしなかった。


 本当はアルは過去に特別な力に目覚めつつあったが、その力をアルは意識的に抑え込んでしまった。

 なぜならアルは八歳の時、今の自分にできることを考え、気配を察知する力に頼って剣鬼に斬られてしまったからだ。


 そして後悔した。

 もっと実直に努力していればよかったと。

 小手先のようなものに頼らず高みを目指していればと。


 それも、彼の武器だったというのに。

 世界でたったひとつの、特別な力。



 それから随分と時間がかかった。

 ここに辿り着くまで長い葛藤もあった。

 だが、生き延びることを選んだアルは今の自分にできる最善手を探した。

 そしてようやくその力に手を伸ばす。


 実に十年ぶりの感覚だ。

 しかしそれは、当時と比べものにならない程に研ぎ澄まされていた。


 それは能力だけでは辿り着けない、アルだけの特別な武器だった。



(見える。敵がとごにいるのか、何をしようとしているのかが手にとるようにわかる)


 アルは気配を察知する力を駆使して魔物の敵意を敏感に感じとっていた。それによりパネェの突破力は無駄なく発揮されている。


 さらにアルの肉体的成長も大きかった。

 もともと無茶な修練で強靭な肉体を得ていたが、今のアルの年齢は十八になる。

 成長期を終え、秘めた力に振り回されることのない肉体を得たアルは能力なしでも十分に強かった。


 絶望を乗り越えたアルの精神力もまた、この逃走劇を大きく助けている。


 ふたりを止めることはできない。

 だが、どちらかひとりでも欠けていればここまで逃げきることはできなかっただろう。



 そしてここからが最後の難関である。

 特級迷宮の意地が、ふたりに試練を与える。







(――――なんだ? 今までの魔物と気配が違う。周辺を覆うほどの気配がするが、個体として認識できない)


 アルの感覚はまるで澱んでしまったかのようにぼやけたものに変わってしまった。

 集中力が切れたのかと自分を戒めたが、パネェの気配は敏感に感じとれる。


 だからこの感覚が正常なものだと信じた。


「パネェさん! 周辺一帯の空気が変わりました! 大物かなんらかの敵が迫ってくるかもです!」

「はは! 逃げられそうで焦ってんじゃないの!?」

「そんな悠長なこと言ってられないですよ!」


 アルの言葉にぼやけた感覚が濃密なものへと変わる。ただ、相変わらず敵の位置は絞り込めない。


 パネェも空気が変わったのを感じとり、先程とは違う真剣な表情を浮かべている。


「魔物が襲ってこなくなったね」

「はい。ただ、もっと厄介なのがいそうです」


 ふたりを襲っていた魔物は消え、今度は謎の重圧がふたりを襲う。

 重苦しい空気が漂うなか、ふたりは無言で走り続けた。




 そしてついに、重圧の主が現れた。



「アル君! アレ!」

「! 人間? いや、でも」



 ふたりの前に現れたのは、遠目から見れば人間に見えたであろう。

 その体つきは細く、およそ強者には見えない。身に纏う服も、祭服のようにゆったりとしている。


 そして何よりも特徴敵なのが、顔を隠すように着けられた獣のお面だ。その白く塗られたお面が、より不気味さを増している。


「左右に!」

「わかったわ!」


 アルとパネェは立ち止まることなく左右に飛んだ。

 だがお面の者は動くことなくその場に佇み、ふたりに対してなんの反応も見せない。

 それを怪訝に思いながらもふたりはお面の者を通り過ぎるが、やはり、その者は振り返りも動きもしない。


 左側から回り込むように走るパネェとアルの目が合ったが、お互いに困惑していた。

 この重苦しい空気を作り出しているのは間違いなくあのお面の者だ。


 だというのに、そいつは現れただけで何もしない。

 それがより不気味さを増した。


 アルとパネェはお面の者を横切ったあと、弧を描くように少しずつお互いの距離を詰めた。周囲を警戒しながら振り返るが、お面の者の姿は既に見えない。


 理由はわからないが助かった。

 パネェが走りながら大きく息を吐く。

 それを見てアルも少しだけ安心する。

 

 ふたりは並走しながらさらにお面の者との距離を広げた。まだ重苦しい空気は消えていないが、新たな魔物が襲ってくることもない。


 あのお面の者と戦わないことが正解だったのだと、アルとパネェは安堵した。

 そしてお互いの顔を見合わせようとした時、ふたりは背筋を凍らせた。



「「っ!?」」



 なんと全速力で走るふたりの間にお面の者が立っていたのだ。


 足を動かすでもなく、ふたりの後方を見つめたまま、まるで浮いているかのようにふたりと並走していた。あまりに不気味な光景だった。


 それを見てアルとパネェはとっさに考えた。

 逃げなければいけないと。

 しかしどこに?


 瞬時に答えが出せずにお面の者を見つめたままふたりは走り続けた。

 こいつを攻撃していいのかもわからない。

 もう一度左右に分かれるか?


 ふたりがためらいから行動に移そうとしたその時、お面の者が笑った。


「くるっ!」


 アルの声でふたりは左右に飛び退き、距離をとってお面の者を観察した。

 しかしどれだけ観察してもこのお面の者の正体がわからない。


 白を基調にした祭服に身を包み、獣のお面を被っている。その体つきはやはり華奢であるが、先程と違う点があるとするなら、それは腰から生えているものだ。


「いくらなんでもそんなに尻尾はいらないだろ」


 お面の者は九本の尻尾を腰から生やすと、距離も関係なくアルたちを襲った。

 それをなんとか躱すふたりだったが、お面の者は今もうねうねとその尻尾を漂わせている。


 そしてその一本一本に恐ろしいまでの魔力が籠められていた。尻尾が気ままに揺れるだけで、大気が震える。


 目の前の者は間違いなく強者だ。

 そして恐らく、もっとも危惧した相手。


 重圧で息を荒くしたパネェが、アルの考えを肯定するように呟いた。


「黒妖艦と、同じ。あの時も唐突に現れて、私たちは、動けなくなった」


 パネェの顔色は明らかに悪い。

 お面の者の重圧によって、過去の恐怖が蘇ったのかもしれない。


 そして勢いを失ったふたりに九本の尻尾が襲いかかる。



 ズカガガッドガ――ン


「っくう!」

「きゃっ!」


 避けても避けても九本の尻尾は執拗にふたりに襲いかかる。

 しかもその一撃が恐ろしく重い。

 パネェの火力でも打ち返すことはできない。そしてアルの受け流しでも力を殺すことはできない。


 距離をとるしかないが、尻尾は何処までも伸びてくる。完全に手詰まりだ。


「アル君! このままじゃ!」

「わかりました! 左右に別れて距離をとりましょう!」

「死なないでねアル君!」

「パネェさんこそ!」


 ふたりは一緒に逃げきることをあきらめ、背を向けて二手に別れて走り出した。

 こうなってはお互いを信じるしかない。



 そして走りながらアルは後ろを振り返って尻尾を確認した。


「三本! 俺のほうが少ないのか!?」


 すぐ後ろに尻尾が迫っているが、そんなことよりもパネェのことが心配になった。

 ここに三本しかないということは、パネェの方が厳しい状況に置かれているはずだ。

 しかし今のアルではどうすることもできない。引き返したからといってパネェの助けになるかもわからない。


「くそっ! くそっ!」


 思わず悪態をつくが、今はただ尻尾の範囲から逃げるしかない。

 お面の者の姿はとうに見えないが、尻尾だけがどこまでも伸びてアルを襲ってくる。

 アルは振り返ることをやめ、尻尾の攻撃を避けながら必死に走った。




 そして走り続けるアルの目の前には場違いな吊り橋が現れた。左右には黒い瘴気が漂っていて逃げ場はない。

 この橋まで尻尾に誘導されたのはあきらかだ。


 それでも逃げ場を失ったアルは意を決して濃い霧が立ち込める吊り橋を走って渡った。

 視界が悪くて谷底も何も見えない。

 ただただ長い吊り橋を走るアルだが、尻尾の攻撃はいつの間にか止んだ。



 不審に思いながらも吊り橋を渡りきったアルだが、しばらく走った先でまたしても悪態をついてしまう。


「はぁはぁ、くそっ!」

「なんで、アル君が?」


 目の前から現れたのは間違いなくパネェだった。見た目だけでなく、気配からもそれは間違いない。


 背を向けて反対方向に走ったパネェが正面から現れるなど普通ではない。

 悪い夢を見させられているような気さえした。



 そして困惑するふたりを嘲笑うかのように、木の陰から再びお面の者が現れた。


「ここは、あいつの領域内だったんだ。すでにここは、異空間なんだ!」

「そんな! それじゃあ、あいつを倒すか、出口を探すしか…………出口? じゃあ、入口はいつ……」


 パネェは口にして絶望を感じた。

 自分はいったいいつの間に特級迷宮に入ってしまったのかと。入口らしきものに入った記憶などない。


「たぶん、ふたりで攻略していた迷宮のどれかが本物の入口だったんです。そして偽物の守護者を倒し、迷宮を出た気になっていた」

「……そんなの、どれが本物の迷宮の入口だったかわかんないよ」

「だから、浅く弱い守護者が続いたんです。ひたすら数を稼がせ、偽物を隠したんです。まるで、一本の木を森に隠すように」



 ふたりにさらなる絶望がのしかかる。

 その姿をお面の者は嘲笑うように不気味に眺めていた。


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