58 オルフスタ《説教》
「アル君生きてる?」
パネェを見つめて呆けたままのアルに、パネェは優しく微笑んだ。
昔のアルならそれに対してからかうなと笑って返してくれただろう。
しかし今のアルにそんな心の余裕はない。
「幻か? まぁどっちでもいい。さっさと消えろ」
アルはパネェから視線を切ると、再び焚き火を見つめた。
もちろんそんな程度で傷つくパネェではない。気にすることもなくアルと向き合うように腰掛けた。
「どうしたの〜? 悩みがあるならお姉さんが聞いてあげるよ。ニコニコ」
そんなパネェの言葉を聞いてアルは心が揺らいだのがわかった。
そしてそうなってしまった自分を悔やんだ。
「あんたみたいな能天気なやつに俺の苦しみはわかんねえんだ。だからさっさと消えろ!」
口に出してアルは自分の心がまた揺れたのを感じた。
これが自分の本心ではないと気がついている。だが、リラが苦しんでいるのに自分だけ楽になるわけにはいかない。
そう思っているのに、目の前の女性に救われたいと願ってしまう自分が憎かった。
「君は相変わらず頑固だなぁ。まぁいいわ。とりあえず説教よ」
「は?」
説教と口にして立ち上がったパネェはお尻をパンパンとはたいている。
説教という言葉が聞き間違えだったのかと思い、アルは座ったままパネェを見上げた。
パネェはアルと目が合ってからまたニコリと笑った。やはり聞き間違えだったのかもしれない。
「……レディに、なんて口の聞き方すんのー!!」
ズガン
「がはっ」
パネェは一歩踏み出すと、焚き火を気にすることなくアルを殴り飛ばした。
とっさに腕で直撃を防いだアルだったが、あまりものインパクトに留まることができずに吹き飛んでしまう。
ズガッサ――――
地面に背をつけて倒れるアルにパネェがゆっくりと近づく。
今しがた殴り飛ばした右腕をぐるぐると回す様子から、まだ説教は終わってないらしい。
「さて、まずはレディが現れたらお酒を勧めるものよ?」
パネェの説教はアルの想像とは違うものだった。だがそんなことは気にせずパネェは倒れたままのアルに襲いかかる。
踏み込みと同時に右足を振り上げると、踵を落とした。
ドバン!
アルは転げてそれを躱すが、アルが先ほどいた場所は踵落としの衝撃で窪んでいる。
「な〜に? 逃げるだけ〜? いつからそんな腰抜けになったの〜?」
「……なんだと?」
パネェの挑発にアルはゆらゆらと立ち上がる。
本当に憎いのは自分だとわかっているが、それを代わりに受け止めてくれるならその相手は誰だってよかった。
「あんたじゃ俺に勝てない」
アルは軽口を叩くように放ったが、そんな余裕はないことを理解していた。
パネェの体からはほとばしるように闘気が溢れている。
ナリキ諸島で別れてからも修練を怠らなかった証拠だ。おそらく濃密な時間を過ごしたのだろう。
それに比べてアルは今の自分がちっぽけに感じた。
確かに肉体は強靭になり、力も速さも格段に上がった。だが、成長したとは思えない。
むしろ黒いオーラに振り回されて、自分の体ではないようにすら感じる。
対してパネェの表情は自信に満ち溢れていた。
きっとアルにも、そんな時代があったはずだ。パネェは、アルを写す鏡なのだから。
ダダダーン
「死にそうな顔してるくせにしぶといわね」
「はぁ、はぁ、黙れ!」
アルとパネェは互角の戦いを繰り広げていた。もっともパネェは能力を使っていないので本気とは言えないかもしれない。
そしてそれに気がついているアルは、子供のように必死に抵抗する。
「くそ! 俺は、俺は負けられないんだ!」
アルの叫び声に反応し、アルの体から禍々しいオーラが浮き上がる。それは力を与えるものではなく、力によって術者を支配しているようであった。
「それが、今のアル君の力? ふふ。だったらなおのこと、私は負けられないわね!」
パネェはアルの力を真正面から受け止めようとしたが、黒いオーラに支配されたアルの動きは今までの戦いとは別次元のもとなった。
「があぁ!」
「くっ、速い」
獣のように襲いかかるアルをパネェは躱しきれない。今までは正面から殴り返していたが、今のアルにそんな余裕は見せられない。
右へ左へ飛ぶように動き回るアルによってパネェはすこしずつ傷ついていく。そしてアルはパネェの正面には立たず、決して深入りしてこなかった。
その姿を見てパネェは歯を食いしばる。
自分が何もできないからではない。
そこまでアルを追い詰めてしまった何かを憎んだからだ。
「くらえ!」
パネェが感情にまかせて繰り出した拳をアルはひらりと避ける。それを見てパネェは以前の決闘のことを思い出した。
あの時も確かにアルはパネェの攻撃を避けてみせた。パネェの得意分野を殺し、未熟だと見せつけるために。
だからこそ、今のパネェがある。
あの敗北がなければ、パネェは大陸を歩き続けることはなかっただろう。
(アル君。次は、私の番だね)
パネェは傷つきながらも闘志を燃やした。
これは自分のための戦いではない。
そう自分に言い聞かせ、強く拳を握った。
それからも打ち合いは続いたがパネェの劣勢は変わらなかった。それでもアルはパネェの攻撃を避けながら注意深く観察する。パネェの攻撃にはまだ破壊力はありそうだが、スピードは落ち、下を向くことが増えている。
(そろそろか?)
頃合いだと感じたアルはさらにスピードをあげ、左右に高速ステップを刻みながら近づいた。
今までの速度でもパネェはついてこれない。それをさらに引き上げたのだ。目ですら追えていないかもしれない。
アルはスピードの勢いをそのままにパネェの正面に踏み込んで右拳を打ち付けた。
ガツン
「――っ」
アルの拳はパネェの顔面を捉え、会心の一撃を与えた。その証拠にアルの拳にも肩にも衝撃が走っている。
だがパネェは動かない。
吹き飛ぶどころか、微動だにしていない。
それはアルの速さについてこれなかったのではなく、アルを待ち構えていたからだ。
痛みに耐え、アルが踏み込むのを待っていたパネェが小さく呟いた。
「……捕まえた」
「離せ!」
アルの右腕がパネェの左手に掴まれる。
振り解こうとするが、無駄だとパネェの目が訴えてくる。
「くっ!」
ガッ
振り解けないならと、アルは左拳で無防備なパネェの頬に殴りつけた。
それでも解けない。
パネェは怖じ気つくアルの左腕も掴み、両腕に力を込めた。
その手が震えていたのは、力を込めたせいか、痛みのせいか、それとも。
「アル君。辛かったんだね。誰にも、相談できなくて」
パネェはアルの目を真っ直ぐに見て語りかけた。あれだけ散々殴られたというのに、その目に憎しみはない。
その真っ直ぐな目に対し、アルは怯えるような目をしていた。
「君は強くて、優しいから、みんなを救ってしまう。だから今も、救おうともがいてる」
「違う! やめろ! 俺は、俺は、強くなんて、優しくなんてない!」
アルは悲痛に叫ぶ。
だが、パネェの言葉は真実だった。
事実、アルは地上に降りてからずっと強かった。
どんな強い魔物に出会っても、なんとかそれを乗り越えてきた。
だからたくさんの人を救った。
目の前のパネェだってそのひとりだ。
だから、リラも救えると思った。
フォルティカ王国でその方法がわからずに絶望しても、どんなに死にたいと口にしても、アルは特級迷宮に挑まなかった。
それはわかっていたからだ。そこに挑めば本当に死ぬと。
そして死んでしまえば、リラを救うことはできない。
だが、どうしていいかわからない。
だから、もがいた。
「でもね、アル君。私は、私たちは、アル君が強いから一緒にいたんじゃないんだよ? アル君の頑張る姿が眩しいから、一緒に頑張れたんだよ」
「…………」
アルはこの時ようやく気がついた。
自分が今何をしているのかを。
(これが、頑張っていると言えるのか? 今リラが目を覚まして、俺は素直に喜べるのか?)
もはやアルは抵抗しなかった。
これは勝ち負けの戦いではない。
パネェの説教だったのだから。
「だからね、勝てなくてもいいんだよ。勇者だからって、負けちゃいけないなんてことはないんだよ。だって、それを教えてくれたのはアル君なんだから」
パネェはもう一度両手に力を入れる。
それは、力強く、優しい手だった。
「だから今度は、私が教えてあげる! そしてもう一度、いえ、何度でも立ち上がって! それが私が憧れたアル君の、勇者アルの、姿だからっ!」
ガン!
「――っ」
パネェは大きく頭を振り上げると、そのままアルの額に打ち付けた。
そしてアルも、それがくるとわかっていて避けなかった。
いや、避けられるはずがなかった。
リラが眠ったあの日から、ここまで厳しくアルに接してくれた者はいなかった。誰もがアルに対し、お前は悪くないと言った。
だがアルが求めた言葉はそんなものではない。もう一度立ち上がるための言葉が欲しかった。
そしてそれを口にするのはいつもリラだった。
だから、厳しくも優しいパネェの言葉は、ようやくアルの心に響いた。
「……ぅ、ぅぅ……」
膝をついて涙を流すアルから黒いオーラが消えていく。
リラが眠ってから今日までの二年間、アルにとっては地獄のような日々だったかもしれない。
それでも、彼の過去の行いが現在を助けているのは間違いない。
アルはもう一度立ち上がる。
ただ、今は少しだけ休息が必要なだけだ。




