55 フォルティカ《病室》
俺は急いで城に向かった。
門番は俺が来るのを待っていたようで、すぐに中に案内される。
本当は走りたかったが体が思うように動かない。まるで心と体が別れてしまったようだ。
「こちらです」
案内された部屋は病室だったが、そこには何人もの怪我人が横たわっている。
怪我をしたのはリラひとりではない。この部屋を見るだけで被害の大きさがわかる。中には一緒に竜王の故郷に行った騎士もいる。
恐る恐る部屋の奥に進む。
そこには唯一、カーテンで仕切りのされた空間があった。
喉が震えて上手く息が吸えない。
それでも俺は震える手でそのカーテンをめくった。
「リラ……」
カーテンの奥では痛々しく包帯を巻かれたリラが眠っている。消えいるような声で呼びかけたが、リラに反応はなかった。
俺はその姿を、ただただ眺めることしかできない。
「……アル殿。申し訳なかった」
ベッドの横では団長が椅子に座っていたが、俺に気がついて頭を下げた。
だが俺にはわからない。
なぜこんな事になってしまったのか。
「我々には調査すべき場所があとひとつあったのです。そこに先行していた部隊が大きな被害にあってしまい、冒険者ギルドに協力要請したところ、リラ殿にも同行頂くことになりまして」
団長が説明してくれたのは《冥界の洞穴》というフォルティカ王国にある最難関の迷宮だった。最近になって魔物の活性化がすすみ、迷宮から溢れ出した魔物で峠は占領されてしまったようだ。
そのせいで迷宮にすら辿り着けなかった先行部隊は事の重大さを城に伝え、騎士団は冒険者と協力して周辺の討伐を行った。
そのあと部隊を再編成し、リラも騎士や冒険者と共に迷宮に入った。
再編成された部隊はその後、危なげなく迷宮を進んだようだ。
しかし今回は攻略ではなく調査。
まだ浅い段階だったが、魔物の発生は予想を上回るものと判断し、撤退を始めようとした時にそれは現れた。
「まだたいした深さではない場所で迷宮の守護者と思われる魔物が襲ってきたのです。それで我々はなすすべもなく蹴散らされてしまって。その時、リラ殿が皆の前に立って結界のようなものを張ってくれたのです。ただ、リラ殿はそいつの攻撃を一番近くで受けてしまったので、その影響か、意識を失ってしまいまして……」
リラの顔には瘴気にやられたのかところどころに黒い痣ができている。これほどの瘴気を漂わせる魔物の前に立ちはだかるなど、並の精神力では無理だ。
それでもリラは皆を守った。
それはきっと素晴らしいことだ。
彼女の意志を尊重すべきだ。
だが、俺にとって一番大事なのはリラだ。
そのリラが傷つき、意識を失っている。
呆然とリラを眺めていると不意に後ろから声をかけられたが、その声にはいつもの気迫はなかった。
「すまなかった、アル。リラを、守ってやれなくて」
「…………」
冒険者で同行していたのはボスが率いるパーティだった。
彼らは悪くない。
悪くないことくらいわかっている。
それでも、誰かにこの感情をぶつけずにいられなかった。
「……なんで、なんであんたがついていながら! あんたら王国最強の冒険者パーティなんだろ! なんで女ひとり守れなかった!!」
ボスの胸元に掴みかかりながら叫ぶが、彼は目を閉じて言い返さない。彼のパーティも悲痛な顔でこちらを見るだけだ。
「なんか言えよ! なんでリラを連れて行った! なんで止めてくれなかった! なんで、なんで……」
「アル殿……どうか彼を責めないで頂きたい。責任は我々にあるのです。それに気を失ったリラ殿をあの魔物の前から助けだしたのは彼なのです。彼がいなければ、リラ殿も我々も助からなかった。だから、どうか……」
「――っ」
俺は改めてボスの顔を見上げた。
その顔と胸元にはリラと同じく黒い痣ができている。服も患者用のもので、杖を片手に立っていた。
おそらくリラ以上に、この病室の誰よりもこのひとが傷ついている。もちろん彼だけではない。彼のパーティメンバーも同じく満身創痍だ。
そんな事にも気づかず、俺は子供のように怒鳴りつけていたのだ。
彼が悪くないとわかっていたのに。
頭では、わかっていたのに。
「なんで……なんで俺は弱いままなんだ……」
俺の問いに答えてくれる人はいなかった。
リラが聞いていれば叱責してくれただろうか。
わからない。
わからないが俺は、生まれ変わって初めての感情を抱いた。
今はこの感情を原動力にしなければ動けない。
――憎悪
それだけが、弱いままでも立ち上がれる唯一の感情だった。
俺はその感情に突き動かされて病室を出た。
ボスや団長は俺の気配に気づいたのか、咄嗟に止めようとしたがその手を振り解いた。
きっと一度でも立ち止まれば動けなくなる。
弱いままではリラを救えない。
俺は、強いままでいなければいけないのだから。
「ひとりで行くつもりか」
城門ではフォークスさんとトードが旅支度をして待っていた。恐らく止めるつもりではないのだろう。
「これは俺の問題です」
「そんな事は百も承知だ。ただ俺は、お前を無駄死にさせるつもりはない」
フォークスさんの表情は穏やかだが、目には強い意志が宿っている。トードも緊張した面持ちだが、やはり強い目をしている。
きっと彼らは譲らない。
彼らは俺と違い、優しさを強さに変えられるのだ。
今までなにも持たなかった俺にはない強さ。護りたいということを意識して生きてこなかった俺には、遠い強さだった。
そして俺はふたりと一緒に王都を旅立った。
◇◇◇◇
「まだ山の麓なのにすごい魔物の数だな」
トードの言葉にフォークスさんが頷く。
俺ははじめて訪れた場所だから過去の事はわからないが、それでもこれは異常だと言いきれる。
街道から見上げる山は複数の魔物の遠吠えで反響している。おそらく前回の調査によって侵入されたことを警戒しているのだろう。
戦わずに迷宮まで辿り着くのは無理だ。
しかし一度戦闘が始まれば、この山のすべてを敵にする可能性もある。
「お、おいアル」
それでも俺は行かなければいけない。
弱いままではリラを守れない。
それにあいつらはリラを襲った奴の下僕かもしれない。そんな魔物を野放しにしていいはずがない。
引き留めようとするトードを無視して俺は歩きだす。そしてその歩行は徐々に早くなり、やがて突き動かされるように走り出した。
「くそ! 正気かよ!」
トードの嘆きが響くがもう止まれない。
俺の復讐は始まった。
「グゥオ――!」
この山に棲息する魔物の多くは四足歩行の獣だった。大型ではないが、群れで際限なく襲いかかってくる。
一体何匹倒しただろうか。
山中から集まった魔物を一心不乱に殴り倒した。憎悪に身を任せた今、恐れはない。
いくら戦っても能力は戻ってこないが、今まで身につけた身体裁きと膂力だけで真正面から魔物を殴り倒した。そんな戦い方だから当然負傷だらけだが、それでも戦い続けた。
むしろ今は傷つくのが心地良い。
弱い自分を責めてくれる人は城にはいなかった。だからこうして傷つくことで、自分が頑張っていると錯覚できたのかもしれない。
とんだ迷惑な話だろう。
それに巻き込まれたフォークスさんもトードも。そして倒されていく千を越える魔物達も。
山の中腹には大きな洞穴が空いていた。
この穴こそが迷宮への入口だ。
迷宮国家サラガで見た特級迷宮のように瘴気が漏れ出てはいないが、それでも本能に危険を訴えてくる何かがある。
「やっと……辿り着いた」
その洞穴を前にトードは崩れるように地面に座り込んだ。彼の体はボロボロだが、その表情は達成感に満ちていた。
この戦いで気がついたが彼の戦闘能力は驚くほど高かった。いや、高くなっていた。
出会った時には才能のようなものは感じなかった。それはフォークスさんも言っていたから間違いないだろう。それが、努力によってこれほど強くなったのだ。
かつての自分もそうだったはずだ。
努力することで強くなった。そして今も努力は怠っていないはず。
なのに弱くなった。
だから、すこしだけトードが羨ましかった。
「今日はここで休むぞ。さすがにこれ以上の無茶は許さねえ」
フォークスさんの有無を許さない言葉に俺とトードは頷いた。
本当は一刻も早くリラを傷つけた魔物のもとに行きたかったが、それは彼らがいなくては叶わない。
今の俺には自信もない。傷だらけの体からは無茶をする勇気も削がれてしまったようだ。
「フォークスさん。迷宮の守護者が最深部から離れて襲ってくる事なんかあるんですか?」
休憩の際にトードが質問をした。
俺の知識にも迷宮の守護者は最深部で待ち構えるものだとある。そしてナリキ諸島で攻略した迷宮でもその通りだった。
「かなり稀だがあり得る。過去にそういった例もあるようだ。守護者といっても所詮は魔物。奴らにとって人間は餌みたいなもんだ。もし、迷宮の守護者が侵入してきた人間にたいした危険を感じなかったらどうだ?」
「倒される危険がないと思って、餌を襲っただけってことですか?」
トードの返事にフォークスさんは火に薪を焚べながら答える。その時一瞬だけ、俺の顔色を伺った。
「たぶんな。本当は頻繁に起きているのかもしれん。だが襲われた人間はほとんど死んでるはずだ。だから例が少ない。今回は運が良かったと思うべきだろう」
「でもそれなら、ここの守護者は恐ろしく強いってことに……」
トードの顔色は優れない。
フォークスさんも楽観視などしていない。
この迷宮の守護者は騎士団や冒険者を纏めて餌だと認識したのだ。あれだけの戦力が揃っていながら身の危険を感じなかったいうことになる。万に一つも討伐されるおそれはないと。
そしてそれは傲慢でも何でもなく事実だった。騎士団と冒険者は為すすべもなくその守護者に蹴散らされたのだから。
守護者にとって人間は敵ですらない。
恐ろしいまでの実力差がそこにある。
もしかしたらフォークスさんは敵と認識されるかもしれないが、今の俺とトードは紛れもなく餌だろう。
しかもその守護者は前回はリラの結界のせいで餌を食べ損ねている。だから今回も餌を求めて最深部から離れてくるかもしれない。
三人は気を紛らわすように火を見つめ、交代で眠りについた。遠吠えの鳴き止んだ山は、静かに陽が登るのを待ってくれた。
陽が登り迷宮に入ろうとした時、フォークスさんがナイフを差し出してきた。
「師匠から貰った短剣が大事なのはわかるが、今のお前は丸腰だ。せめてこれを持っていろ」
師匠の短剣は頼まれてリラに預けたから今は宿屋にある。だから腰には何も装備していない。
たぶんこれを受け取らないとフォークスさんは動かないだろう。使うことはないが、俺はフォークスさんからナイフを受け取って洞穴に入った。
洞穴の中の魔物は外にいた魔物のように群れてはいなかったが、一匹一匹が強く、数発殴る程度では死なない。
もし、迷宮内の魔物の強さに比例して守護者が強くなるのであれば、俺たちはかつてない強敵と戦う事になるかもしれない。
その緊張感から自然と口数は減った。
それからさらに進んだ俺たちは地面に転がる騎士の防具を見つけた。
「これは、前回の襲撃場所ですかね」
トードは砕けた盾を拾って辺りを見回したが、それ以上の痕跡は見当たらない。
「ここはまだその手前だな。たぶん逃げるときに捨てたんだろう。だがそろそろかもしれん。気を引き締めろ。あと、勝てないと判断したときはすぐに退却するぞ。無駄死にはさせん」
俺はフォークスさんの言葉に頷いたが本心では納得していなかった。この時に、俺はなぜ自分が戦うのかをちゃんと考えるべきだった。
それから程なくして俺たちは洞窟内の広場に出た。そしてそこが襲撃場所だとすぐにわかった。
散らかったままの武器や防具に飛び散った血痕。そして数日経ったはずなのに今だに漂う不気味な瘴気。
間違いなく守護者の仕業だ。
その時、不穏な空気は更に濃密なものに変わった。俺たちは、やはり奴の狩場に足を踏み入れたようだ。
ヒタ ヒタ ヒタ ヒタ
洞窟の奥からゆっくりと足音が聞こえる。
暗くて姿は見えないがまだ距離はある。今なら走って広場から逃げ出す事ができるかもしれない。
しかしそれはできなかった。
なぜか足が動かない。
洞窟の奥の得体の知れない存在から目が離せない。
そして暗闇から現れた存在は、名の通り、冥界に誘うものなのかもしれない。
「……どうやら俺たちも奴にとっては餌のようだな」
フォークスさんの言葉に思わずつばを飲み込んだ。
その魔物は口から涎をたらしながらゆっくりと歩をすすめてくる。足は四本だが、爪が発達し、地面に食い込むようにして歩いている。
そして暗闇から現れた魔物は、六つの目を怪しく光らせていた。
三対の目は、フォークスさん、トード、俺の三人をそれぞれ観察し、それぞれ違う表情をしていた。
フォークスさんには警戒の表情を。
トードにはあざ笑う表情を。
そして俺には、憤怒の表情を。
目の前にいる魔物は三つの首を持つ伝説の魔物。その名は冥界の番犬。
『グゥガァ――――!』
侵入者を地獄に誘うように、ケルベロスはひときわ大きな咆哮をあげた。




