54 フォルティカ《死合》
キキーン
ガガガン!
「稽古にしては激しい音だなあ」
リラとふたりで城の中を歩いていると、ひときわ激しい剣のぶつかり合う音がした。
それも一度や二度ではない。
絶え間なく鳴り響いている。
これ程の剣の使い手は調査に同行した騎士にはいなかった。彼らも精鋭と呼ばれる騎士だったはずなのだが。
だから剣の使い手の一人はフォークスさんだと確信している。そしてもう一人は恐らくフォークスさんが探していた人だろう。
音のするほうに歩いていくと城の中庭らしき場所に辿り着いた。そこでは想像通りフォークスさんと一人の男が打ち合いをしている。
「あれがフォークスさんの親父さんかな? 絶対やばいよね、あのひと」
リラもこくこくと隣で頷いている。
フォークスさんはお母さん似なのかもしれない。
父親は大柄なフォークスさんと正反対で、体は小さく、リラくらいしか身長はない。
しかも身に着けている服はボロボロで、騎士とは思えない身なりだ。
髪も既に白髪で、騎士達の中に場違いな老人が一人混ざっているようにも見える。
しかしその老人は身の丈に合った細い剣でことごとくフォークスさんの大剣を片手で弾き返している。
俺のように捌くのではない。
真正面から打ち勝っているのだ。なのにその身からはオーラすら発せられていない。
代わりに怖ろしいまでの不機嫌が漂っているから近寄り難い。
なにあれ?
魔神かな?
そのせいか攻めているフォークスさんの方が苦しそうな顔をしている。あのフォークスさんが真っ向勝負で攻め手に欠けるなんて信じられない。
だけどフォークスさんはまだあの技を使っていない。あの技ならあるいは通じるのではと思ったその時、フォークスさんのはじかれたはずの剣は巻き戻るように父親を襲った。
しかし俺の目は信じられないものを目撃してしまう。
キキンッ
「――っ」
一瞬の出来事ではあったが、再び襲ったフォークスさんの大剣は不自然とも言える父親の剣筋によって再び弾かれ、そのまま首をとられてしまった。
フォークスさんの首元には父親の剣が触れ、薄っすらと血を流している。
「……瞬転」
俺は遠目からだったのでその姿をしっかりと見れたが、父親が放ったのは紛れもなくそれだった。そしてその速さと精度は、フォークスさんの比ではない。
その時、俺の呟きに反応したのか父親はこちらに振り返った。その目には深い憎悪が込められているように感じられる。
その目を見た時間は果たしてどれ程の長さだったのだろうか?
瞬きの間だったのか、あるいは数呼吸ほどの間だったのかわからないが、その目をみつめている間に男の姿がぶれた。
「!」
俺は考える前に一歩踏み込んでリラの前に躍り出ると、逆手で抜いた短剣で自身の額を守るように構えた。
さっきまで遠くにいた父親は既に間合いに入って剣を振りかざしていたが、タイミングは合っている。男の振り下ろす剣は俺の短剣に阻まれるはず。
だが剣のぶつかり合う音はしない。
男の剣は俺の短剣を避けるように剣筋を左に逸らすと、今度は瞬転を使って左から右への横薙として俺を襲う。
(させない!)
その可能性を予想していた俺は鞘から抜いた短剣を巻き戻すように瞬転で横薙ぎを防ぐ型へと変えた。
キィーン
今度は剣と剣がぶつかり合う。
剣から男に視線を移すと男の目が見開かれていた。本来は初見で防げる技ではないからだろう。
何かを感じとった男は数歩距離をとって訝しげに俺の短剣を睨んだあと、唸るように喋りだした。
「貴様、なぜこの剣筋を知っている。それにその技の名はなんだ? 誰に聞いた」
それは質問というよりも尋問のような重圧が込められていた。
しかし俺は答えない。
リラにも言っていない天界の秘密をこんなところで答えられるはずがない。
俺は油断なく構え、リラに下がるように促す。リラは少しためらったが、後退るように距離をとった。
答えずに戦う姿勢を見せた俺に男は再び斬りかかってくる。
先程フォークスさんと戦っていた時は受けの姿勢を見せていたが、今は攻撃一辺倒で俺に攻撃の隙を見せない。
捌ききれずに俺はすこしずつ傷を負うが、その傷は皮一枚では済まず皮膚の下まで傷ついている。
本来であれば傷つくことによって焦りをうむはずだが、俺は逆に喜んだ。
天界ではひたすら皮一枚斬られ続けていたのだ。そして先程この男はフォークスさんの首元を皮一枚斬った。
しかし今はそれ以上に深く俺を傷つけている。つまり、俺を皮一枚で傷つける芸当ができないのだと思わず嬉しくなった。
なんとも身勝手な解釈だとわかっている。
だが、それでも自分は成長できているのではないかと思わずにいられない。
血だらけになりながらも喜々として剣を受ける俺は、この男を越えるほど危ない人間かもしれない。
それでもやめない。
前に踏み込む。
やがて俺は男の剣を受けながらも攻めに転じだした。おかげでより深い傷をいくつも負ったが、それすらも力に変えて剣を振るった。
「ハ、ハハハハハ!」
「…………」
ギギギギギギン
ひたすらふたりの剣が鳴り響く。
その音は先程のフォークスさんとの打ち合いを超えている。
そしてそれを見守るように誰も動かない。
いや、動けない。
ふたりと騎士達の間には、線を引いたように俺の血が飛び散っていた。
「……図に乗るな」
男は敗北を認めない俺に痺れを切らしたのか、バックステップで間合いをとる。
そして着地と同時に剣は左腰の鞘に納められ、男は腰を落として低く構えなおした。
《居合》
それは剣鬼との稽古で何度も見てきた。
振りかぶることなく放たれる剣筋は目をみはるものがある。だがそれ以上に危惧すべきは踏み込みだ。
初動を見失えば抜き放たれる瞬間すらわからずに首を飛ばされるだろう。
そして目の前の男はそれをやりかねない。
緊張で胸が締め付けられる。
血と汗が混じって滴り落ちる。
男の鞘からは異常なまでの殺気が放たれていた。このひと振りはただの傷ではすまない。
命を断ち切りにくるつもりだ。
両者によって極限まで張り詰めた空気が悲鳴をあげようとしたその時、ついに男が姿を消した。
――――ザッ
男の踏み込みは今日見た中でも間違いなく最速だった。だが俺の目が男を見失う事はない。真正面から突っ込んでくる男をちゃんと捉えている。
だが難しいのはここからだ。
男は俺が見失っていないことに気がついている。だから俺の視界から完全に姿を消すために、間合いの一歩手前で軌道を変えて俺の背後をとるはずだ。
問題は男が右と左のどちらから回り込むかわからない。
それに対応できるように俺は重心をかかとに置き、いつでも反転できる姿勢をとった。勘ではなく、男の速さに真っ向から立ち向かうために。
迫りくる男を前に思わず反転しそうになるが堪える。必ず男を捉える。そしてその僅かな変化を見逃さないよう目が灼けるほどに力を入れる。
そして目の前に迫った男の最後の踏み込みは、大地を突き破るほどの鋭い留めだった。
ズダン
(真正面!?)
回り込まれる事を想定していた俺は完全に虚をつかれた。速さ勝負と勝手に思いこみ、正面からの迎撃を想定できていなかった。いや、正面からの居合なら防げるとどこかで慢心していたのかもしれない。
俺は慌ててかかとにのせた重心をすぐさまつま先に戻した。さらに反転しやすいよう体に寄せていた剣も前に突き出す。
だがどれも遅すぎた。
十分な溜めと踏み込みから放たれた剣は、速さだけでなく威力も規格外だった。
カキィーン
避けることも受け流すこともできずに俺は真正面から男の剣を受けた。
いや、切り裂かれ、手元に残ったのは刀身が半分になった短剣だった。
そして俺は、この時初めて戦うことをあきらめた。その首筋には、そっと剣が添えられている。
全身から血の気が引き、立つこともままならずに膝を着く。俺はわけがわからずに手元の短剣を見つめた。
地上に降りて三年。
ずっと俺を支えてくれた師匠の剣。
それを自分の力不足のせいで壊されてしまった。
自分が傷つくのはいい。
どんなに痛くてもやがて傷は癒えるから。
だが折れた剣はどうすればいいのか。
一度折れた剣は元には戻らない。
それはあまりにも辛い事実だった。
この剣を使う度に、あの日の師匠を思い出していたというのに。
それを、失ったのだ。
戦う意志を初めて打ち砕かれた。
今の俺に首元に突きつけられた剣をどうこうする気力はもはやなかった。
「所詮この程度か。お前ごときが俺に歯向かうなど」
男は首に突きつけた剣を天にかざす。
俺に抗う気力はなかったが、急に恐ろしくなった。
俺は一体何をしているんだ?
一体、何をしてきたんだ?
意味のない自問自答に答えなどなかった。
その代わり、意味もなく死ぬのだとわかった。
そして死ぬ事が恐ろしい事だと、そんな当たり前の事をはじめて知った。
その時視界の端で、駆け寄ってくるリラが見えた。その手には魔力が込められ、ブレスレットが輝いている。
それを見た男が天にかざした剣をリラに向けなおす。
だが俺はそれをただ眺めるしかできなかった。リラが危ないというのに、体が動かなかったのだ。
もしこの時に助けが現れなければ、俺は一生後悔するところだった。
「やめんか ヴァルカン!」
無音の世界に怒号が響いた。
その声はすべての者の動きを止め、一律に視線を集める。
「これは……陛下」
男は声の主に視線を送ったあと、不機嫌そうに振り上げた剣を鞘に戻した。
そこに既に殺気はない。
そして男は膝をつく俺を一瞥したあと、興味がないように立ち去っていった。
俺は死ななかったことに安堵したのかもしれない。思えば剣鬼に切り捨てられたあの日以降、俺は死にかけた自覚がなかった。
知らず知らずのうちに助長していたのかもしれない。自分は強く、これからも成長し続けると。天界の人たちを知っている俺に、怖い敵などいないと。
自分の力ではないというのに。
「貴殿達には迷惑をかけたな」
陛下は申し訳なさそうに言ってくるが、これは全部俺のせいだ。ただ、あの強さはなんなのかが気になる。修練だけで辿り着けるものなのだろうか。
それにただの剣で師匠の短剣を折るなどできるのか?
「ヴァルカンは無闇に剣を振るう男ではなかった。筆頭騎士として、皆の模範になる男だったのだが……十数年前、儂の子を護れなかったのは自分が弱かったせいだと嘆いた。それからだ。あやつが変わったのは」
「それは……第三王子のことでしょうか?」
それからヴァルカンについていくつか述べたのち、陛下は去っていった。
ひとつわかったのは、ヴァルカンという男はかつて第三王子と共に迷宮国家サラガを救おうとした最強の騎士だったということだ。
俺がフォルティカ王国の国境で戦った化け物に取り込まれた時、竜に破れ、一人泣き崩れる騎士を見た。
あれは、あの騎士はヴァルカンだったのかもしれない。
「アル、巻き込んですまなかった」
フォークスさんまで申し訳なさそうに謝ってくる。ここまでくると自分の情けなさで惨めだ。
「フォークスさんは、最強の騎士から剣術を習ったんですね?」
俺の質問にフォークスさんは溜め息を吐き、少し遠い目をした。
「小さい頃はな。稽古は厳しかったが、それでも優しい父親だった。……時折、親父と第三王子の稽古も見せてもらったが、ふたりとも楽しそうに剣を振るっていてな。幼かった俺にはそれが羨ましかった。いつか俺もと思っていたが、現実はこんなもんだ」
俺はあの日の騎士を思い出す。
夢か幻かはわからない。
だがあの日の叫びには、悲しみだけでなく憎しみも含まれていた。
男はきっと復讐を誓ったのだ。
竜というもっとも神に近い存在に。
◇◇◇◇
それからの俺ははっきり言って使い物にならなかった。リラは気にするなと言っていたが、力の使い方も、戦い方もわからなくなっていた。
数日間、冒険者ギルドの訓練所で立ち会いをしているが、いっこうに力をとりもどす気配がない。
「どうしたアル! この程度を避けるお前じゃないだろ! 前に出てこい!」
「くっ! あ、あぁー!」
「っ! 戦いの最中に目を瞑る馬鹿がいるか!」
ガスッ
「うっ」
今もトードにいいようにあしらわれている。もっとも彼は真面目な男だ。俺が立ち直れるようにあえて厳しくしてくれている。
だけどどうしようもない。
剣が、戦う事が怖い。
「……ごめん。トード」
「……謝るな。今まで一度も不調に陥らなかった方がおかしいんだ。大丈夫。すぐによくなるさ」
トードやみんなは優しく励ましてくれるが俺には自信がない。俺の中の何かは、師匠の剣と共に壊れてしまったのかもしれない。
「遠征?」
「はい! 駆け出し冒険者さんの護衛です。中級冒険者も二人同行するので、危険はないと思います」
宿屋に戻ると久しぶりにキャルちゃんからの依頼があった。
もっとも内容的には俺のリハビリのようだが。またこの子にも心配をかけてしまったのか。
だけど今の俺は、自分に何ができるのかわからない。
「その、リラを置いていくのは」
「なに言ってんのよ」
気がつくと宿屋の入口にリラが立っていた。その目元の隈がまた濃くなっている。あきらかに不機嫌そうだ。
「ここは王都よ。なんの危険があるって言うの?」
「で、でも」
「怖いからって私を言い訳に使わないで。不愉快よ」
「うっ」
図星だった。
翌日、冒険者と共に十日間の遠征に出発した。危険のある旅ではない。
だが俺は今までそれで散々ひどい目に合ってきた。だから今回もひどい目に合うはずだ。今の俺には荷が重い。
憂鬱な旅の始まりだ。
「ただいま」
何事もなく十日目の夕方に俺たちは冒険者ギルドに帰ってきた。
なにもなかった。
びっくりするくらいなにもなかった。
特に俺の力が戻ったわけでもなく、命の危機があったわけでもない。俺は相変わらず頼りないままだったが、そもそも魔物も弱かったので問題なかった。
そしてこんな時に限って牛系の魔物はいっさい襲ってこなかった。奴らなら俺の弱体化を喜々として狙ってくるかと思ったが、遠くから眺めてくるだけだった。
彼らには何か矜持でもあるのだろうか?
ただ、少しだけ心が温まった。
そんなことを思っていたが、俺は冒険者ギルドの雰囲気の悪さに気がついた。
活気どころか酒を呑んで騒いでいるやつすらいない。
「アル!」
その時、酒場の奥から声がした。
声の主はトードだったが顔色が悪い。
「なぁトード。なんかあったの? みんなどんよりしてるしさぁ」
俺の声とは対照的にトードの顔に緊張が走る。周りの客達も俺らを見守っている。
「アル。今すぐに城に行け。リラさんが迷宮で怪我をして……意識が戻らないそうだ」
頭が真っ白になる。
俺は、また何かを間違えたのかもしれない。




