52 フォルティカ《リラ》
(信じて、アル)
私は心のなかで呟いた。
既に声は出ない。
それでも今動かないと。
そうしないと、このひとはずっとひとりで戦い続けてしまう。
アルの伸ばされた左手に右手を合わせる。
アルの手の中で暴れていた強力な魔法は、私に触れる時には包み込むような優しい力に変わっていた。
その力にまた勇気を与えられる。
あきらめないことを。
立ち向かうことを。
そして、みんなを救いたいという想いをアルから受け取る。
(お願い精霊たち。私をあそこへ。あの円の中心に導いて)
戦う経験の少ない私にはアルのような動きはできない。
でも大丈夫。
彼らは応えてくれる。
その時空気が揺れた。
私の願いに応えるように、アルの魔法と私の精霊術は混ざり合い、意志を持った水へと変わる。
バスンッ
「くぅっ」
その水は願い通りに一瞬で私をその場所に吹き飛ばした。
それは魔法移動などという特別な魔法ではない。おそろしいほどの水圧によって私の体は宙に舞っただけだ。
衝撃で全身が痛い。
気を緩めれば気を失いそう。
それでも力を込める。
(私だって戦える。
私だって、あのひとを守りたい!)
夜空にひとり浮く私を助けてくれるひとはもういない。ここからは自分だけでやらなくちゃいけない。
でも大丈夫。
バフォメットの姿は見えないけど、この高さにいるはず。
最初はただの疑問だった。
なぜ空間を移動するという術を退避にしか使わないのかって。
力を見せつけるためにそうしていることも考えたけど、そこまでの力の差はなかったように思える。
だから仮説をたてた。
あの空間移動には条件か制限のどちらかがあるのではないかと。
そして最初に見つけた制限は、上空に退避するという事。だけど移動する空間は毎回変わり、先回りすることはできそうになかった。
それでもヒントを探るようにバフォメットが現れた空間に精霊術を放ち、私にだけわかる精霊の雫を残した。
それが意味のある行動かはわからない。無駄に魔力を散らすだけかもしれないとも思った。
それでもやめようとは思わなかった。
あの悪魔を倒すのは決してアルだけの役割ではない。私にだって、倒すために戦う覚悟はある。
だから、諦めなかった。
そして、見つけた。
私にだけ見える雫。
その雫は夜空に大きな輪をつくった。
まるで一本のひもで足場を作ったように、同じ高さで円を描いていた。
そこがバフォメットの着地点。
ただしその輪のどこに空間移動してくるかまではわからない。
だから、そのすべての可能性を選ぶ。
そして今、私が浮いているこの場所この高さこそがその輪の中心地。
目の前にはバフォメットはいない。
だけどこの輪のどこかにいるはず。
あとは、薙ぎ払うだけ。
私の意志に応えるように右手のブレスレットが光を放つ。そして私の指先では、四本の爪が月の光を受けて輝いている。
それに、すべてを。
隣で戦うことを選んだ私が手に入れた、唯一の力を。
「シルバー クロウ!!」
フゥォン!!
右腕を振りきった勢いで私の体は宙で回転した。
その時、背後から迫るバフォメットの姿が見えた。その手には三叉の槍が握られ、私に襲いかかるように宙を跳んでいた。
バフォメットは予測通りに上空の輪に空間移動した。そして中心地に舞う私を見つけ、勝機とばかりに飛びかかってきた。
確証のない作戦だった。
最後も自分自身を囮にする危ない賭けだった。
だからこそ届いた。
シルバークロウの斬撃は勢いを失うことなく飛び出した。その斬撃は私を中心に円を描いたままその輪を広げる。
『!』
スパン!
軌道上のすべてを薙ぎ払う四本の爪はバフォメットの胴を引き裂いた。その体は既に幾つもに切り裂かれ黒い霧を漂わせながら落ちていく。
それは、悪夢みたいな夜だった。
アルはきれいな星をまた見たいって言ってたけど、私はきれいな星じゃなくてもいい。
ただ、あなたと迎えられる星空さえあれば、私はそれだけで幸せなのだから。
(だから、私を離さないでね……)
◇◇◇◇
「リラー!」
シルバークロウを放ったリラは魔力を使い切ったのか、空を見上げたまま落ちてくる。
俺は真下で両腕を広げて待ち構えたが、すべてを出しきった俺はそこまでが限界だった。
ドサーン
「ごめん、リラ〜」
「まったく。締まらないわね」
支えきれずにふたり仲良く地面に転がった。こんなボロボロになるまで戦ったリラを受け止めてあげられないなんて情けない。
「無茶しすぎだよ。シルバークロウで自分を傷つけるなんて」
リラの左肩からは今も血が流れたままだ。そこには同じ三本の傷跡がある。まるで爪で引っ掻いたような均等な傷が。
そして最後の最後には、三本しか出せないと言っていた爪をさらにもう一本増やしてバフォメットを倒した。
リラは俺を見て頑張ってきたと言っていたが、それは俺も同じだ。
今日のリラを見て、明日はもっと頑張ろうと俺も思っている。
これからもきっと、そうしていくのだろう。
「私は、役にたったかしら?」
空を見上げたままリラが呟く。
そんな事、聞くまでもないのに。
寝転んだままリラを抱きしめる。この細い体にどれほどの強さを宿しているのか。
「今日のリラは、英雄だよ。嫉妬するくらい……強かった」
「……ふふ。あの日のあんたにすこしは近づけたかしら? でも、英雄なら英雄らしく、最後までやるわ」
「リラ?」
よろよろと立ち上がるリラを慌てて支える。これ以上何をしようと言うのか。
「私はね、英雄である前に付与師よ。傷ついているひとがいるのなら、その役目を果たさないと。……でもね、さすがにひとりではこれ以上動けないわ。だから、もしよかったら手伝ってくれないかしら」
きっと驚いたのは俺だけではない。
この場でもっとも痛みに耐えているのはリラだ。そのリラが、まだ役目を終えようとしないのだ。
断れるわけがない。
この日のリラを、俺はもちろん、騎士達も忘れないだろう。困難に、絶望に立ち向かうその背中は、気高く優しさに満ちていた。
◇◇◇◇
「リラ殿、あなたには、感謝しても、感謝しきれない」
「いいえ。団長さんが私を守ってくれたからです。決して私ひとりの力ではありません」
「それでも……わたしはあなたに、感謝したい。戦ってくれて、皆を助けてくれて、ありがとう」
治療を終えた団長は最後に意識をとり戻した。そして事の顛末を聞いたあと、恥じることもなく涙を流した。
リラを守りきれなかった申し訳なさもあったかもしれないが、それ以上に、団員の命を救ってくれた事に感謝しているのだろう。
そんな団長とリラのやりとりをアルは優しく見つめた。
すでにポーションのなかった状況で彼らが助かったのにはいくつかの理由があった。
一つはこの竜王の故郷が自然界そのものだったことだ。今まで人が踏み入ることがほとんどなかったため、薬作りに有効な植物が豊富に生えていた。
既にリラの魔力は尽きていたため、ポーションさえ十分に作れなかったが、それでも薬作りの知識を活かし、騎士達と薬草を集めて皆の一命をとりとめた。
そしてもう一つの要因が、薬草の採取から薬作りまで的確にサポートを行ったアルの存在だ。
「薬草の採取が前より丁寧になったわね。葉の痛みもすくないものばかりだし、誰かに教わったの?」
「うん。迷宮国家サラガにいた老師から学んだんだ。リラは知ってる?」
「私はずっとクヴェルト帝国にいたから他の国のことを知らないわ。でも、その人が優秀な付与士ってことはよくわかるわ。私も負けてられないわね」
「その老師もリラのこと褒めてたけどね」
アルは老師から学んだ知識でリラの薬作りを助け、結果的に騎士団全員分の十分な薬を作りあげた。
ようやく夜が明け、陽が登ろうとする。
聖地に生まれた異能を持つ悪魔は、誰一人道連れにすることなく、新たな英雄によって滅んだ。




