50 フォルティカ《廊下》
「リラ、ごめん」
扉の前で呟くように言葉がこぼれた。
自分で言っていてわかる。この言葉には意味も価値もない。
自分が何を考え、何を伝えたいかを必死に考える。
だがわからない。
俺はリラの事も、自分の事もわからない。
「俺、誰かに心配してもらったことなんてなくて。だから、リラが心配してくれてるなんて、知らなくて」
虚しい言い訳だけが静かな廊下に響く。その声がリラに届いているのかはわからない。
ただ、話しかけなければと言葉を続けた。
「それに俺、勘違いしてたんだ。勝手にリラは強いひとだって決めつけて。本当はただの女の子なのに。本当は、守らなくちゃいけない存在なのに」
バン!
その時、扉は勢いをつけて開かれた。
目の前には会いたかったリラがいる。
ただその表情は俺の見たことのないものだった。
歯を食いしばり、腫らした目で鋭く、俺を睨んでいる。
「勝手に! 勝手に侮らないでよ!」
リラは拳を握り、肩を震わせながら続けた。
「私だって、強くなりたいわよ! あんたみたいに強くなりたいわよ!」
「……でも、リラは女の子で、付与しか使えなくて……」
俺の言葉はリラの頬から流れてしまった涙に遮られてしまった。
わからない。
なぜリラが怒っているのかも、自分の胸がこんなに苦しいのかも。
そしてリラは涙を拭いもせず、下を向いて小さく話しだした。
「……今まで、付与師としての頂きを目指してた。私よりも付与のできるひとなんていなかったけど、それでも私はおごらずに修行に励んだ。でも、付与を身に着けていないあんたはもっと頑張ってた。私が嫉妬するくらい、もっと頑張ってた。……だから私も、強くなろうと思ったの。付与だけじゃなく、戦えるように、強くなろうって」
涙をこぼしながら辛そうに話すリラは俺が知らないリラだった。
彼女はいつも堂々としていて自信に満ち溢れていたから、誰かに嫉妬するなんて思いもしなかった。
ましてその相手が、俺だったなんて。
「自分の力じゃないけど、武器だって手に入れた。身を守る術も身につけた。だから、クヴェルトを出た。……この街にあんたがいるって知ったのはたまたまよ。だけど、嬉しかった。もしかしたら一緒に戦えるかもって思った。強くなったって言ってもらえるかもと思った……」
そこでリラは震えるように息を吐いた。
大粒の涙はとまることなく流れている。
俺はどうすることもできず、リラを見つめた。
なぜ、気づかなかったのだろう。
なぜ、この涙をとめてあげられないのだろう。
そしてリラは顔を上げた。
涙を溜めた揺れる瞳からは、悲しみが漂っているようだ。
「……あんた……弱くなったでしょ」
「え……」
俺は一瞬、リラの言っている意味がわからなかった。クヴェルトを離れてから二年、俺は修行を怠らなかった。
強敵とも戦った。
強い人とも戦った。
実際あの時使えなかった技も使えるようになった。
だがリラにはわかっていた。
俺が失ったものを。
「あんたが付与の力を使えなくなったのは……私のせい? あの時、無理やり結界を発動させたから、あんたは、その力を失ったの? それに、私はまた、あんたに結界を使わせた。あれは、一度きりなんでしょ?」
リラは俺の能力のことも結界についてもわかっていた。
リラの前で付与の力を発動したことはない。そんな事を聞かれたこともない。
だけど、リラは気がついていた。
そして俺が力を失ったことを、自分のせいだと感じでいる。あれは俺のせいだというのに。
「違うよリラ。この力はサラガで失ったんだ。でも大丈夫。結界だって大丈夫。また使えるようにがんば」
「なんでよ! なんでそんな平気なの? いっつもあんた頑張ってんだよ? それが使えなくなって平気なわけないじゃない! そんな簡単に、諦められるわけないじゃない! だからあんたは、戦えない付与の力の修行も続けたんでしょ? 強くなることを、諦めなかったんでしょ?」
それはまさに、リラの言う通りだった。
俺はサラガを出てから付与の力が戻らなくて焦っていた。今までみたいに地脈がはっきりと認識できず、あの化け物と戦ったことを後悔するほどに。
フォルティカは魔道具の国だと聞いていたから、この症状の解決策がわかるのではと期待したが、逆に怖くて魔道具を見に行けなかった。
それでもこれは、俺の問題だ。
「リラ。この力を失ったのは俺のせいだ。だから、リラが気にすることじゃない」
俺はすこしでもリラの気が軽くなるように言いきったが、それを聞いたリラは悔しそうに俯いた。
「……わかってるわよ。あんたが、そう言うってことくらいわかってたわよ。……でも、仕方ないじゃない。気にするなって言われても仕方ないじゃない……あんたの事が気になるんだから仕方ないじゃない!」
「リラ……なんでそんなに」
「わかんないわよ! 私だってこんな事はじめてでわかんないわよ! それでも、強くなりたいって思ったの。あんたの隣に立てるように、あんたがいつも笑っていられるように……私は強くなりたいのよ」
最後は消えそうなほど小さな声だった。
それでもその想いは確かに俺に届いた。
はたして俺はこれ程素直に自分の想いを誰かに打ち明けられるだろうか。
わからない。
わからないが今は、リラを抱き寄せ、その想いを受け止めた。
次は間違わない。
俺だって心の底からリラの笑顔が見たいから。
◇◇◇◇
泣きやんだリラの首にアクセサリーを着ける。バランからもらった七星の欠片のひとつだ。
「でも、これ、形見だって」
「覚えてくれてたんだね。でもいいんだ。大事な物を大事なひとに渡すのは常識だろ?」
首に掛けられた七星の欠片をリラはぎゅっと握りしめる。それからゆっくりと顔を上げると、いつものように憎まれ口を言い返してくれた。
「あんたの常識なんてあてにならないわよ」
それはリラがはじめて見せた表情だったかもしれない。凛とした瞳には俺が写っていて、口元は小さく緩んでいるだけ。
それは見逃してしまいそうなほどの微かな笑顔だった。
(リラは、こうやって笑うのか)
だが俺はその笑顔を見た時に思った。
きっと惚れたのは今ではない。
自分でも気づかないうちに、昔から惚れていたのだと。
少し落ち着いたらさらにもうひとつのことに気がついてしまった。
ここは宿屋でしかも廊下だ。
そしていろんな部屋の扉が少しずつ開いている。
「「「…………(キラ〜ン)」」」
そこからは妖しく光る好奇の目がいくつもこちらを見ていた。
耐えられずにリラとふたり、顔を赤くして階段を降りた。痛い。痛すぎる。
「よっ! おふたりさん!」
「あついねー!」
「若いっていいわ〜」
だめだった。
そりゃそうだ。
すごい叫んでたもん。
宿屋の中にある酒場は昼過ぎだというのに満席だった。
さっき戻ってきた時は誰もいなかったよね?
キャルちゃんも大忙しで働いてるけどほんとなんなの?
「グッジョブ!」
女の子が親指立てないでください。
そしてなんやかんやと主賓席が用意された。準備がよすぎる。リラはさっきと違う意味で涙目だ。
でもたぶんやり過ぎだ。
俺にはわかる。
リラの事だったら……なんとなくだいたいわかる気がする。
だからそろそろ危ない。
「ぅぅ〜、ぅりゃ――!」
ブォン
「「「ひ――――!!」」」
リラの爪にみんな泣き叫んだけど、同じくらい笑っていた。
そんななか、何人かのおっちゃんが「しっかりしろ」と小突いてきた。
彼らはこの宿屋の馴染み客だ。
きっと彼らもリラがずっと待っていたのを見ていたのだろう。
そしてこの宴会は、リラが元気になるようにみんなが準備したんだと思う。
嬉しかった。
暖かかった。
俺はまだまだ未熟者だけど、これからもふたりで頑張ろうと思った。
◇◇◇◇
次の日はふたりで城に行った。
お互いにそんなに多くの事を語らなかったけど、黙っていても気まずくはなかった。
ただ、少し恥ずかしい。
俺にとっても、きっとリラにとっても、新しい感情だっただろう。
「なんかいつもと違うが大丈夫か?」
「はい。幸せです」
バシン
「いてっ」
「……はぁ〜」
城では騎士が既に準備を終えていた。
リラに頭を叩かれた俺を見て団長はなぜが溜め息をついている。
もしかして心配してくれたのか?
今回は王都から東に馬車で二日、それから歩いて二日間山を登れば目的地に辿り着く。
目的地の《竜王の故郷》は大昔に竜が棲んでいた場所らしく、その山から程よい距離として今の王都ができた。
それから竜は何度か棲家を変えたが、人間にとって最初に竜が棲んでいた場所というのは特別だ。だからここを聖地とし、決して必要以上に踏み込まないようにしてきたらしい。
それがここ数十年は大陸全土で竜の目撃情報がない。
心配になった王国は、調査という名目で聖地に踏み入る事を決断したのだ。
「死神よ。絶対に暴れるなよ。絶対にだぞ?」
「……ふり?」
「違う! 竜を怒らせるなど絶対にあってはならぬのだ!」
団長は俺を狙いうちしてきた。
だが俺は自信をもって言わせてもらおう。
「わざとじゃない!」
「黙れ!」
先に言っておくが俺は毎回巻き込まれているだけだ。そもそも竜の棲家に立ち入るのだから竜が出たって仕方がないじゃないか。
そんな団長の心配を他所に、俺たちは問題なく山を登り終えた。既に日が傾きはじめているため、調査は明日の朝からになった。
◇◇◇◇
山の上の星空はきれいだった。
空が澄んでいて、星がすぐ側に落ちてきそうなくらいだ。
思えば俺は長い間、星空をちゃんと見ていない。修行の地に降り立った頃はひとりで星空を眺めていたが、ナリキ諸島は船でみんなと寝てたし、迷宮国家サラガではゴロウさんと戦ったり迷宮に潜っていた。
だから余計にきれいに感じたのだろう。何をするでもなくじっと星を見つめていた。
そんな俺に柔らかい声が響く。
「その星はなにか特別なの?」
「わかんないけど、きれいだなって」
リラが空を見上げながらこちらに歩いてくる。その顔はいつもにまして穏やかだった。
「意外とロマンチスト?」
「まさか。空にいる牛さんにお礼を言ってたんだよ」
俺は茶化してみたが、半分本気だった。
バランがいなければ七星の欠片は俺のもとにはなかった。
それがあったからこそ、リラと再会できたような気さえする。
もちろんそんなはずはないが、俺は強く七星の欠片を握りしめた。
そんな俺の仕草を見たリラも、自分の首にかけた七星の欠片を握った。
「ねぇ、なんで私のアクセサリーには結界の力が戻ってるの? それにこれ、昔の力と違うよね?」
相変わらずリラは鋭いが、今日の目元はそんなに鋭くない。なんか不思議だ。
とりあえず俺は亀さんに結界の力を補充してもらったことを伝えた。普通はそんなこと言ってもみんな笑い飛ばすだけだがリラは違う。
だってリラにとって神獣は素材だから。
だけど亀さんは襲わないでね?
結界の話を聞いたリラは考え込んでいる。やっぱり付与を使うものとしての血が騒ぐのだろうか?
「リラはなんでそのアクセサリーが結界だとわかったの?」
「そうねぇ。確信があったわけじゃないわ。ただ……そんな気がしただけよ。それにあんたからも付与の気配がしてたし。はじめてあんたに会った時はまだまだ弱かったのに、日を追うごとに成長するのを感じて焦ったわ。だから思わずこっちも必死になっちゃったわよ」
「そっか。付与してるとこ見せてくれなかったから、嫌われてるのかと思ってたよ。俺がいたら穢れるとか言われたし」
「は、はは」
どうやらリラは覚えていたらしく、苦笑いを浮かべている。
ただ、今となってはそんなことはどうでもいい。あの瞬間もリラは修行に励んでいた。それがなによりも嬉しかった。
「それと、浜辺では無茶させてごめんね。あの時はどうかしてたのかもしれない。危ないのはわかってたけど……なぜか結界が護ってくれるって信じてしまって」
リラの言葉を聞いて俺も思い出した。
確かにあの時、俺も結界と魔法の強さをなんとなく把握できていた。そんな技量などないというのに。
そしてあの不思議な感覚はあれ以来経験していない。まだまだ修行が足りないな。
「いつかは結界がなくても守れるように頑張るよ」
「どれだけ頑張る気よ」
リラはあきれたように笑っているが、それでもいいんだ。
なんだか新しい目標ができた気がする。
ウズウズしたので俺は背を伸ばして大声で宣言した。
「頑張るぞー! そんでまたふたりできれいな星を見るぞ――!!」
夜空に叫んで俺はスッキリした。
リラも笑っている。
星もきれいに輝いている。
団長も叫んでいる。
……ん?
団長も、叫んでいる?
「やめろと言っただろー!」
必死になって団長が叫んでくる。
だが遅かったようだ。
というか団長のせいじゃないか?
『グボォォォ――――!!』
闇を切り裂く雄叫びが聞こえてきた。




