37 サラガ《老師》
「ちとしみるが我慢せい」
「大丈夫大丈、あちぃ!」
「じゃからしみると言うたろうが」
「いや、これしみるっていうか熱いよね? ほんとに薬になるの?」
「そんな凍りついた腕なら全部熱く感じるわい」
アルは首を捻りながらも老人が肩に塗る薬を見つめる。
その肩から指先までは青白く、まだ血が通いきれていないのがわかる。
巨人との戦いは無事に終えたようにも見えたが、アルに多大なダメージを残した。
なんせ一時は心臓にまで氷が届いていたのだから。
アルは巨人を倒したあと、翡翠の魔石を取り出すと滑るように丘から転げ落ちた。
そしてそのままふらふらと山に向かって歩きだしたのだ。
冷静に考えればそんな事をする必要はなかったはずだが、アルは一刻も早くポーションを作らなければいけないと感じた。
しかし近くに素材がなかったのでひたすら山のなかを歩いた。山には豊富にポーションの材料があると思っていたようだが時期が悪かった。
巨人との戦いで時期はすでに真冬を迎え、アルが求めるような素材は見つからなかったのだ。
だがあきらめきれずにアルは山を数日間歩き続けた。すでに心臓にまで届いていた氷は溶けてきたというのに。
確かにアルの腕にはまだ薄氷が張っていたが、街に行けば腕のいい薬屋が治してくれる程度にまでは治ってきていたはずだ。
だというのになぜアルは街に行かなかったのか?
それは怖いからだ。
お金を持ってないのに薬をわけてもらうと、とんでもない依頼をふっかけられる。もしくは借金奴隷にされる。
それが常識だと思っているのだ。
そんな薬屋一人しかいないというのに。
そもそもあのまま丘の上で待っていれば、三人組の冒険者が普通にポーションをくれたはずだ。
アルは地上に降りて二年半も過ごしているというのにまったく常識が身についていない。
だがその非常識さのおかげで、こうして山中に佇む一軒家を見つけた。さらにそこに住む老師から治療を受ける事ができたのだから、悪いことばかりでもなかったのかもしれない。
「老師はずっとここに住んでるの?」
「昔は街に住んでたんだがな。……戦いから逃げて、今はこんなところで隠居しとるわけじゃ」
「隠居の割にはしっかりと薬やポーション作ってるしそうは見えないけど? この量ならどっかに納品してるんじゃないの?」
「はは。思ったより鋭いやつじゃの。お主の言う通り街に納めておるよ。あそこは戦い続けているからの」
それから老師は迷宮国家サラガについて話した。
迷宮国家サラガに特級迷宮が発生したのはおよそ四百年前。それ以来この地の人々は戦い続けている。
国が迷宮によって滅ぼされてなお戦い続けられる理由は、サラガの王家が存続していたからだ。
そしてサラガの王家は最前線で四百年間戦い続け、徐々に人が住める場所を取り返していった。
サラガの王家は迷宮攻略という悲願を叶えるため、特級迷宮への拠点造りに励んだ。
さらに隣国のフォルティカ王国との繋がりを強固にするために、王族同士で婚姻を結ぼうとした。
サラガに発生した特級迷宮はフォルティカ王国ともほど近い場所だったため、サラガの特級迷宮攻略はフォルティカ王国にとっても重要な問題といえる。
そのためフォルティカ王国は幼い頃から迷宮国家サラガで活動をしていた第三王子を指名した。
第三王子はサラガの姫と幼い頃から交流があったため、このことに誰の反対もなかった。
戦いに明け暮れた迷宮国家サラガの者達ではあったが、唯一の救いは、昔から想い合っていたふたりが結ばれた事であろう。
しかしふたりの幸せは長くは続かなかった。
ふたりが成人を迎える直前に、妻となるはずだった姫が特級迷宮で遭難したのだ。
姫を含む義勇兵は特級迷宮攻略中に強力な魔物に取り囲まれてしまった。
姫は特殊な魔道具で結界を張り、義勇兵をなんとか包囲網から逃したが、自らの撤退を諦め、魔物の足止めに最後まで力を使ったそうだ。
すぐさま捜索隊が送り込まれたが、結局姫の姿を見つけることはできなかった。
それから第三王子は特級迷宮攻略のためにさらに尽力した。まだ姫が生きていると信じたかったのかもしれない。
「だから、あの街におるのが辛くなったのじゃ」
「あの街って、特級迷宮の近くに作られた拠点のこと?」
「ああ。第三王子が作った街じゃ」
迷宮の近くは魔物が頻繁に発生するため街を作るにはむかないのだが、第三王子は特級迷宮攻略のためにあえて近場に作った。
普通なら反対する者がいるはずだが迷宮国家サラガの誰も反対しなかった。
それは第三王子が能力も発動できない無色だというのに、特級迷宮の最深部で戦い続けたからだろう。
その背中を誰もが追いかけた。
そして第三王子は姫が行方不明になってからたった二年で拠点となる街を開拓したのだ。
無茶と言うか馬鹿である。
もっともその無茶も馬鹿も、すべては姫を探し出す為だったようだが。
しかし彼もまた、フォルティカ王国との国境付近で十数年前に姿を消した。
それは迷宮国家サラガが光を失うには、十分な事件だった。
「あの街は復讐に駆られとる。そんな事、あの子は望んどらんだろうに」
「あの子?」
アルの問いに老師は答えなかった。
しばらく足元をぼんやりと見たのち、湯を沸かして薬作りを再開する。
その目からは寂しさだけでなく、固く決意した何かが感じられたが、アルはそれに気づかないフリをして老師の薬作りを手伝った。
「なんじゃ。ポーションの材料を探していたと言っておったが薬も作れるのか」
「うん。もともとはポーションしか作れなかったけどね。薬をわけて貰ったお礼に手伝うよ」
「そうか。それじゃあ湯が湧いたらこの薬草を入れてくれ。しっかりと湧いてからじゃぞ」
「うん。汚れがとれたらすくい上げておくね」
ふたりは再び黙ってしまったが、先程の重苦しい空気は漂っていなかった。
老師はアルの手伝いを時折横目で観察し、感心したように目を細めた。
それから作り終えた薬を容器に詰める時、老師が二枚貝を乾燥させたものを取り出して告げた。
「さて、これに詰めたらしまいじゃ。終わったら飯にでもするかの」
「飯! 俺、頑張る!」
こうしてふたりはそれから何日か共に過ごしたが、その間老師はアルに戦う事を禁じた。怪我はすでに完治していたが、身を削るだけが修行ではないと説いたのだ。
思えばアルは死にかけて療養した時以外にゆっくりと休んだ事などなかった。
人の十倍は努力しないといけないのだからそんな暇がなかったといえばそれまでなのだが、アル自身焦りもあったのかもしれない。
アルはこの世界を救いたいと願ったが、それが困難な道程だとこの二年半で十分に思い知らされたからだ。
もちろんアルによって救われた人がいるのもわかっている。
ただ、彼はそこで満足して立ち止まることができなかった。理由はわからずとも、誰かを救うためには力がいると考えているのだろう。
そんな考えを老師は危険だと諭した。
迷宮国家サラガで戦いを見続けた老師だからこそ、アルの考えをアル以上に理解していた。
「お主は戦う力を持つ者しか誰かを救えないと考えておるのか? その力を持たぬ者を、お主は可哀想だと哀れむのか?」
「そんなつもりは……」
「ではなんの為に力を手に入れる? そもそも力を手に入れることが修行だと思っとるうちは表面しか鍛えられん。今一度己と向き合え。でなければ、お主はそう遠くないうちに死ぬぞ?」
老師の言葉にアルは背筋が凍るのを感じた。
それはいつか感じたものと同じだったが、やはりアルにはそれがなんなのかを明確に理解する事ができなかった。
ただひとつ言えるのは、身を凍らすほど老師の言葉はアルにとって重いものだったという事だ。
「唐突に理解しろとは言わん。ただな、お主を心配する者もこの世にはいるはずじゃ。そしてお主が大事な者のためにも、自分を大切にしなさい」
「俺の、大事なひと……」
アルの頭に最初に浮かんだのはやはり師匠だった。
だがアルはそれが正解ではないと感じた。アルにとって師匠とは護る者でも愛する者でもない。
こうしてアルはこの世界に生まれ直して初めて自分の内面と向き合った。
◇◇◇◇
「老師、俺明日の朝に出発しようと思う」
「ふむ。せっかちなお主にしてはよく我慢したな」
「はは。老師の修行は今までで一番考えさせられたよ」
老師からは付与や薬作りだけでなく、剣や防具の手入れについても教えられた。
アルの着ている服は天界特性魔法服のため、今まで一度も手入れをしてこなかった。
それを知った時の老師の怒りようは怖かった。天界でも物についてはよく博士を怒らせていたが、付与に精通する人は物を大事にしていない事を知ると、普段温厚な分だけ余計に怖い。
「そうか。ちと寂しくなるな」
老師は棚から薬草を取り出すとお湯を沸かして薬作りを始めた。
「薬を作るから持っていけ」
「俺も手伝うよ」
いつも通りに並んで作業を始めるふたり。
言葉がなくとも、穏やかな空気が流れている。
それは長い間ひとりで過ごした老師にとっても心温まる時間だった。
だからこそ老師は口にするか迷った。アルがこの家で薬作りを手伝う度に、疑問に思っていたからだ。
だが老師がその疑問を口にする前に、アルはその疑問に答えてしまった。
「老師が用意する薬草って表面の油脂が少ないよね。採取する時に見分けてるの?」
この言葉に老師は思わず指の動きを止めた。
こうなってしまっては気づかないフリはできない。
老師は横目でアルを見ながら様子を伺うように返事をした。
「採取する時に雨上がりを選んでおるのじゃ。それだけで葉の表面の汚れは減る。しかしお主、表面の油脂についてはどこで学んだ? お湯を沸かす理由についても知っているのか?」
アルは老師に聞かれ、リラの事を思い出しながら答えた。
「水が沸騰するまで温めるのも薬草の表面についた汚れや油脂を落とすためだよね。これをやるだけでも不純物が取り除かれて、薬の透明度が上がるから大事な工程だってクヴェルト帝国の薬屋さんから学んだよ」
「……クヴェルト帝国」
老師は心臓が跳ねるのを感じながら言葉を続けた。
「儂のやり方は一昔前のやり方でな。今はこの工程を省く者が多いんじゃ。こんな事をしてもたいして薬の効果は変わらんと言ってな。薬は誰かに使ってもらうものじゃ。その者の事を考えればきれいな薬に仕上げたいと思うのは当然の事のはずなのにな。お主に薬作りを教えたのは、随分と年寄りなのだろう」
それを聞いてアルは思わず笑った。リラに年寄りなどと言ったら鋭い目が更に鋭くなりそうだ。
アルは博士からも薬作りについて学んだが、その時は付与のほうにどうしても目がいった。
だからポーションを作れない時に出会ったリラは、アルにとって薬作りの師でもある。実際、リラの説明は博士と同じくわかり易かった。
言葉使いは相変わらずだったが、手順だけでなく、その工程を行う理由についても詳しく教えてくれた。
そのおかげかアルは付与をする時により深く効能を引き出すことができるようになっていた。
ナリキ諸島で魔力回復ポーションが作れるようになったのもリラから学んだ知識が役だったからだ。それを理解しているアルだからこそ、リラを薬作りの師と言いたかったのかもしれない。
「俺に薬作りを教えてくれたのは少し年上の女の人だよ。だから年寄りなんて言ったら殺されちゃうかも」
「お主が殺されるとはまた物騒な娘じゃの。その娘の名はなんと言う?」
「リラって名前だよ。付与士なのに攻撃的でね。一人で採取に出て魔物と戦うような子なんだ。結構特徴的な子なんだけど知ってる?」
「いや、リラと言う名前に思い当たるものはないが……いつか会ってみたいものじゃの」
「そっか」
そしてふたりは再び穏やかな薬づくりの時間を楽しんだ。




