歌声
その声はどこまでも響き渡っていた。
透き通る声は巨大な舞踏館全土に響き渡り、誰もがその声に耳を澄ませた。雑音など誰一人立てないで、ただ、耳に自然と入ってくるような綺麗な声を邪魔したくなく、中心で歌う一人の女に視線を向けていた。
まるで、御伽噺に出てくるような歌声は、観客達に故郷を思い出させていた。静かな場所で自然が溢れていた故郷では、鳥の声が響き渡っていて、女が出す声のように綺麗で、心を落ち着かせた。
観客達は女の声の虜になっていた。今まで聞いたどんな人よりも透き通り、綺麗な声を発する女に、男女問わず、全ての人が女の声に耳を済ませていた。明日からある仕事のことなども忘れ、明日からある学校のことなどを忘れ、明日からある家庭の家事のことも忘れさせ、ただ、女の声に耳を澄ませて聞いており、全てを癒してくれるようだった。
歌のことも良く分からない小さな子供さえも、中心に居る女の声に聞き惚れており、その綺麗過ぎる歌声で、元気だった子供は眠気を誘われてしまう。
まさしく、生まれ持った才能。様々な感性を持った人間が大勢居る中で、誰一人として女の歌声を否定する者など存在しなかった。今は全ての音を忘れ、女の声を聞いていたいと思ってしまうほどだった。
今まで聞いてきた歌手の声などまさしく雑音に等しいほどの声を持っている女は、容姿も声と同様でとてつもなく綺麗だった。腰まで伸びた金色の髪は、散り逝く桜のように華やかに舞、着ているドレスはまるで、女のために作られたかのように似合っている。王国のお姫様と言われても誰一人として否定出来ないほどの顔立ち。
女は全てが完璧だった。数万と居る観客の心を釘付けにしてしまうほどの声を持ち、お姫様のような完璧んば容姿を持っている女は、人生の勝ち組だろうと容易に想像が付く。
(そう……私は完璧だ……)
女は歌いながら一回転すると、金色の髪が舞い、ドレスが踊る。その動きに観客全ての人が目を奪われ、言葉を失う。同姓から見ても完璧である女は男の心を鷲づかみしていた。
好いている者が居る者は、その人のことを忘れ、結婚して愛を誓った者が居る者も、嫁のことなど完璧に忘れてしまった。ただ、目の前で歌いながら踊っている女に釘付けだった。身も心も全て捧げても問題ないと思っていた。
(私は全てを手に入れている……)
舞踏館で歌っている女は全てを手に入れていた。数万と居る観客の心、金も地位も名誉もでさえも手に入れているで有ろう女。容姿は誰も文句を居なわないほどの女は踊り続ける。今ここに見てくれている者に完璧を見せ付けるために。
女が歌に合わせて激しい動きをすると、観客の視線も激しく映り変り、誰も女から視線を逸らそうなどとはしなかった。今、この瞬間を絶対に忘れないように……記憶に焼き付けるために。それが、最悪の結果に繋がることなど思いもせずに女を見続ける。
(私は歌い、そして踊り続ける……)
何度も深く呼吸をしながら踊り続ける。そして、激しい動きをしているというのに全く声に変化はない。まるで、どこかに出てくる御伽噺の妖精のように舞い、そして歌い続ける女。
耳にすんなり入ってくる声は体の隅までも侵食して、人々をある極点まで誘う。聞いている人々は自分達がどうなっているかなんて想像もしてない。普通に歌を聴いているだけと認識している。すでに意識など無いにも関わらず、なお、人々は女の声に耳を澄ます。
歌う意味などは全く無い。そうしたわけでもない。けれど、そうしないといけないと理解している女は結局、踊ること歌うことをやめることはなく、誰に言われるまでも無く踊り、歌う。
それはまるで、妖精のようであり、死者を誘うレクイエムのようだとも言える。踊り続ける女の姿は、何かを連想させ、女は記憶の深い部分を刺激されて踊りは加速する。
女が踊り始めて時間がたち、全ての人間に歌が浸透したことを理解すると同時に踊りをやめ、歌声も止まった。止まったことによって舞っていた金色の髪と踊るドレス。その動きだけで美しいと感じている人々だが、変化が起きる。
腰まで伸びた金色の髪は、紫のような濁った色に変化し、ドレスは魔女のような姿に変身してしてしまう。そして、手には一冊の分厚い本を抱えている。その本を開くと同時に足元には魔法陣が展開される。
急激に女に集まる濃縮された魔力は、一冊の本に集められ、魔法陣が光り輝く。人間を超越した存在である召喚者の女は微笑を浮かべながら魔力を高めていく。
あらゆる全てを超越している召喚者を目の前にしても全く動じない人々。普通であれば何か異変に気が付くはずなのに、虚ろな目で女は見つめるだけで、他の反応は一切ない。既に女の歌に精神を狂わされているのだ。
(私は歌う……歌うことが大嫌いだから)
光り輝く本に集まる魔力は普通の召喚者からは感じるとこが出来ないほどの魔力が集まり、足元の魔法陣は回転しながら速度を加速させ、高まった魔力が落ち着くと同時に女は唄いだす。
「生きている理由は一体どこにある。なぜ、人は努力をしなが生きていこうとするのか」
人は完璧ではない。それは人間も召喚者という存在も同じで、初めから全てが完璧で、何事も全て自分一人で出来る存在など一切存在しない。努力をするからこそ人間は知識を増やすことができ、努力をするからそこ召喚者は強くなることが出来る。
人間も召喚者も生きている間は常に努力することで、前に歩き続ける。下を向いて、努力をしないで自分の殻に篭ってしまう人は、その時点で他者より歩みが遅くなる。だからこそ努力で前に進もうとする。
「辛い……自分と向き合うことはあまりに辛い……自分が何も出来ないという現実を知らされるから……けれど、向き合わずには居られない」
常に努力をして前に進んでいくのは辛い。その努力が結ばれるまではずっと辛いことしかない。限りある時間を立ち止まらないために使い、楽しいこと、楽なことをしたいと頭は……心はそう言っているのに、それに逆らうのはあまりに辛い。
前に進むということは今の何も出来ない自分を認めることなのだ。出来ないことを出来るようになるために努力をするのだから、自分という限界を感じてしまい、辛い現実にぶつかる。避けては通れない道だ。
「辛い……だからこそ楽にしてやる……否定したくなるほど辛い現実から逃げるために」
生きていることは楽しいことばかりではない。だからこそ、人間の中では自殺などという愚かな行為……辛い現実から逃げるための行為が多数行われてしまう。辛いことから逃げるためには死ぬことが一番楽だから。
しかし、もっと楽な方法があることを人間は知らない。自分で死ぬという行為もまた、辛い現実を認めてから死ぬので辛い。何度も死ぬか生きるかの葛藤をするためだ。
だが、逃げるためにはもっといい方法が存在する。それが…………。
「逃げたいと願うのなら、楽にされろ。無関係の他者に殺されるという一番楽な方法で」
他者に殺されるほど楽な死に方はない。死にたくないと願っている者であれば辛いだけであるそれは、死にたいと常に思っている人にとっては最も楽な死に方なのだ。
自分で死ぬ決断をしなければならない自殺とは違い、他人の意思で殺されるのだから自殺よりもどんだけ楽なのかは想像しなくても理解出来る。
「耳を傾けろ。そして願え。救済を。私がそれを汝に差し出そう」
高まった魔力が周囲に開放されると同時に、女は本をゆっくりと閉じた。足元に浮ぶ魔法陣は一瞬だけ巨大化すると同時に、女が首に掛けてある十字架を観客の方に向けた。そして、最後の一言を紡ぐ。
「ああ。どうか神よ。全ての人に救済を……」
その言葉と同時に凄まじい魔力の放出させた女はそっと目を閉じた。持っていた分厚い本は直し、十字架を下ろして目を開けると、そこには誰一人として存在していなかった。
あったのは玩具のように無差別に倒れている人間の山だけで、意識を持っている……生きている人間は誰一人存在していなかった。召喚者という人間を超越した存在以外は誰一人としていなかった。
「救済を……どうか、救済を……」
女は誰にも聞き取れない声を発して、姿を消した。
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