70.悪の手先 その二十二 千奈
-大きな屋敷-
車内では降っていた雨が、今は止んでいる。
湊川は、僕を大きな屋敷まで運び、姿を消した。
『じゃあな。生きていたら、どこかでまた会おうぜ。
そうそう、吉野 桜を拉致したと言うのは”ブラフ”だ。
これからは、よく考えて行動しな。早死にするぜ。』
去り際にキツイ捨て台詞を残して。
僕は、両手を手錠で固定されたまま、初老の男に屋敷の中へ連行された。
大きな和風の屋敷だが、そこ等中からキツイ臭いがする。
鼻が曲がりそうだ。なんなんだよコレ。
顔をしかめながら、移動すると一際大きな和室に通された。
でかすぎる、何畳あるんだここ?
部屋の奥に長い白髪、着物の老婆が一人、座っている。
『下がれ。』
僕を連行した初老の男はその一声で下がる。
『はじめまして、柊さん。乱暴な真似をしてごめんなさい。』
『!!!』
その声を聞いて女性が老婆でない事に気付く。
手招きされたので近づくと、
シワがあるが顔立ちは幼く下手な特殊メイクのように見えた。
どこかで見た事が…誰かに似ている気がする。
『その…失礼ですけど、あなたは?なんで僕の名前を?』
『あはは。柊さん。あなたはあなたが思っている以上に有名人なんですよ。
自覚するべきだわ。
あぁ、質問に答えましょう。
私の名前は、吉野 楓。親しい者は、千奈と呼びます。
一応、蟲の長を務めております。』
吉野!
その名を聞いて、僕は目を見開く。
『ご推察の通り、私は、吉野 桜の双子の妹です。』
そう言って、千奈は、微笑む。
笑顔は、やさしくきれいなのに、僕は、違和感を拭えない。
なんだ、なにか隠しているのか。すっげぇ、気持ち悪い。
『吉野…さんとは、いい友達なんだと思ってたのに。
こんな扱いされるとショックだ。』
僕は、手錠に視線を落とし、呟く。
『えぇ、知っています。桜はあなたに大変、好意を抱いています。
それは、もう、見てるこちらが殺してしまいたいくらいに。』
先程と同じく、千奈が微笑むが、今度は明らかに悪意を感じる。
僕は、一歩後ずさる。
こいつ…やばい。
『ふふふ、どこにも逃げられませんよ。もちろん、逃がしません。
桜の前にあなたの首を転がしたら、
姉は、どんな声を聞かしてくれるのかしら。』
千奈が口を大きく開ける。
その黒い口腔から赤黒い蟲が出てくる。
まるで内臓、腸のような蟲が千奈の周りを囲み、粘液でその体表は虹色に光る。
僕は、背中に冷や汗がどっと吹き出るのを感じた。
両手の手錠を強引に外そうと、もがくが、
カチャカチャと音がなるだけで一向に外れる気配がない。
くそっ、なんだよこれっ!
『ふふふ、ステキなお顔。死ぬ間際もその顔をして下さいね。
是が非でも、桜に見せたいわ。』
グロックもナイフもない。
紫音で手錠を破壊…両手が固定されて、うまく撃てない。
”テケテケ”で…鎌で器用に手錠”だけ”は破壊できない。
炎刃…千奈に当てる訳にはいかない。
雷吼鞭…今日は既に撃っちまった。ガス欠御礼。
ど、どーする?
『蟲卑雌特注の呪術手錠、外れなくてよ。
あまり、暴れないで下さいね。
首から上は、キレイなままで姉に見せたいの。』
ゆっくりと千奈が近づいてくる。
-千奈の部屋 天井裏-
『現在、千奈様と柊が交戦中。
どちらかと言えば、柊は防戦一方、拷問に近いですね。
どうしますか?』
『今、本部に掛け合ってる、お前は手を出すな。』
『分かりました。ですが、柊が殺されるのは、時間の問題ですよ。』
『分かっている。黙って指示を待て。』
『了解。』
高橋の苛立った声に天井は口をつぐんだ。
『初めて蟲卑雌を見たが、見てて気持ちの良いものではないな。』
何度目かの千奈の攻撃をなんとか交わし、僕は、膝をつく。
くそっ、やりづらい。
術を直撃させる訳にもいかない、支援もなし、キツイ。
この呪術手錠さえなんとかなれば…
ん?呪い?と、言う事は…
僕は咄嗟に閃き、唱える。
『紡がれし骨子 穢れた系譜 この手で断たん 玲呪!』
パァン!
かん高い音共に両手の手錠が外れる。
『よし!初発動にしては上々!』
僕は、両手を振り、手錠を後方に飛ばす。
『なっ!』
千奈は、それを見て一歩後ずさる。
『行くぜ!百鬼夜行 テケテケ!』
両手で鎌を持ち、千奈との距離を詰める為、駆け出す。
狙うは、千奈の口から出ている蟲本体のみ!
右足に力を込めて、鎌を下段から振り上げる。
斬撃は、蟲の一部を斬り飛ばし、緑色の体液を花火のように散らした。
気持ちの悪い感触が柄から伝ってくる。
『ひぎゃぁぁ!』
耳障りな悲鳴は、蟲のものか、千奈のものか。
斬り落とした蟲を一瞥する。
まだまだ、蟲は、千奈の口から伸びてくる。
あと、何mだ?いや、考えるな!出てくるなら、出てくる分だけ斬り飛ばす!
注意すべきは、千奈に攻撃を当てない事だ。僕は、自分自身に言い聞かせる。
『私に…私を傷付けるなんて…』
千奈は、肩を震わせ、憎悪に満ちた目で僕を見る。
先程までの攻撃、
吉野 ”桜”の会話で想定していたが、蟲卑雌…やはり戦闘タイプじゃない。
人払いしたのが、裏目に出たな。僕は、一人ほくそ笑み、一歩踏み出す。
『さて、オペ続行。』
『舐めるな、餓鬼がぁっ!』
千奈は既に余裕をなくし、血管の浮き出た顔を振り乱す。
おびただしい量の蟲が吐き出され、僕と千奈の間でさながら肉の壁となる。
僕は、バックステップで距離を取る。
『ははは、このまま、潰れてしまえ!』
千奈の笑い声が聞こえる。
『そいつは、どーかな?』
僕は、鎌を畳に突き刺し、右手を肉の壁に向ける。
『すー、はぁー。』
深呼吸を一つ。
僕は、自分の中の感覚を研ぎ澄ませる。まだ…、撃てる。
『死ねっ!』
千奈の声と共に肉の壁が迫ってくる。
壁との距離を確認し、僕は吼える!
『紅紡ぎ 貫け我が剣 炎刃!!』
赤い牙が轟音と共に肉の壁を貫き、蟲の残骸を廻りに散らす。
4割は削っただろうか?
抉った穴から狼狽する千奈が見える。
驚き、二の手が踏めぬ、千奈を余所に、僕は、再詠唱する。
『紅紡ぎ 貫け我が剣 炎刃!!』
壁を構成する蟲をあらかた焼却し、畳の上で痙攣する死に損ないを踏み潰す。
畳が焼ける臭いと蟲の悪臭が辺りに立ち込める。
僕は、鼻を手で覆いながら、鎌を引き抜く。
『はぁー、はぁー、ゴッフッ!』
千奈は膝を付き、その場で吐瀉物を撒き散らしている。
もう蟲は出せないのだろう、恨めしい目で僕を睨むだけだ。
『もう、決着は付いた。やめよう。
僕は、あなたを殺しに来た訳じゃない。
吉野を…桜さんを救えればいいんだ。
信じられないかもしれないけど、できればあなただって救いたい。
動かないで。』
『あんたなんかが…
私を…千奈を止められるとぅぉぉぉっ!』
千奈は、会話の途中で血を吐き出した。
『しゃべらないで!』
僕は、テケテケを解除し、千奈の元に走る。
千奈を支えると想像以上に軽い。吉野も軽かったが、それよりも。
先程までは余裕がなくて分からなかったが、
ここまで近づいて、始めて、その手足が異様に、異常に細い事に気付く。
蟲卑雌は、術者への負荷が高すぎるんだ。人間のやるこっちゃねぇ。
『慈恩。』
僕は、千奈に治癒を施す。
宇梶や平田よりも回復が遅い。蟲卑雌の力が陰陽術を拒絶しているのか。
『お前なんかに…お前なんかに…姉さんだけ…』
千奈の力のない瞳に僕が映る。
ゆっくりと千奈の細い腕が僕の首を絞める。
その力は、か弱く、辛うじて爪が首にかかる程度だった。
ここまで疲弊するなんて。
『坊や、普通の治癒じゃあ、らちが開かないよ。
蟲は、ほぼ削ったね。”玲呪”をおなごの首の後ろに施しな。
今のあんたならできるだろうて。』
テケテケの声が頭に響く。
千奈の両手をゆっくりほどき、彼女の首に右手を添える。
『紡がれし骨子 穢れた系譜 この手で断たん 玲呪!』
術後、千奈は、体を痙攣させ、更に吐き出した。
吐瀉物の中に小さな蟲がいる。
『術が聞いてる証拠さね。
この娘は、もう蟲師…蟲卑雌じゃあない。』
『なら、普通の生活が…』
僕は、ほっと胸を撫で下ろす。
『それがこの娘の幸せかどうかは別問題さね。
この子が蟲卑雌じゃなくなっても、この家は、蟲と縁を切れな…』
『少なくとも蟲の長は潰した。この後は、彼女の可能性次第だろ!』
僕は、喰い気味にテケテケの言葉を遮る。
『まぁ、そういう事にしておこうか。
お疲れさん、ご主人、ひひひひ…』
テケテケは、僕の頭の中から消えた。
『何事ですか!』
一人の女性が部屋に入ってくる。
髪の長い女性だ。部屋の惨状を見て慌てている。
『これは…一体…』
『大丈夫です!その…敵じゃ、ありません!
千奈さんも無事です。
その…気は失っていますが大丈夫です!
も、もちろん、何もしていません!そう!…桜さんの知り合いです!』
僕は、必死に身振り手振りを交えて弁明する。
ちゃんと伝わってるか、これ?
『千奈様!』
僕の弁明が届いたかどうかは判断しかねるが、女性は走ってきて千奈を抱き上げる。
千奈は、今は落ち着き、安らかな息で眠っている。
女性が僕を睨む。
『…』
僕は、口をつぐむ。
『事情はよく分かりませんが、あなたは悪人ではなさそうですね。
屋敷の者に見つかるといけません。
あの扉から出て左、突き当たりを右へ。そのまま、庭から屋敷を出なさい!
早く!』
女性が矢次早に指示する。
『千奈様は私が!大丈夫です!』
『すみません。後はお願いします。』
僕は、女性に礼を言い、部屋を飛び出した。
なんとか屋敷を出て、しばらく走り、追っ手がいない事を確認する。
どっと疲れが押し寄せ、僕はその場に座り込んだ。
『ふぃー、だっるぅー。つーか、ここどこだよ?』
蟲卑雌との戦闘…白鞘には話せないな。
スマホを取り出し、高橋に連絡、事の顛末を話す。
『分かった。GPSで場所は、探知した。その場を動くな。迎えを送る。』
そう言って、電話は切れた。
-千奈の部屋-
髪の長い女性は、柊が扉を出るのを確認してから、腕の中の千奈を見て笑う。
『更なる”力”。女王の力はいずれ”桜”に継がせればいいわ。
柊 恭一…是が非でも当家に欲しい。
彼と桜の子ならば…ふふふ。
”楓”程度の器と引き換えにこんな逸材を手に入れる事ができるなんて。
おじい様、黒連に通達を、今回の件は、不問にする旨、伝えて下さいな。
先程の”女”も追う必要はありません。』
『了解しました。”千奈”様。』
いつの間にか現れた老人は、うやうやしく女性に頭を下げた。
激戦を終えた反動で道端で座り込んでいる僕の前に、大きなSUVが止まった。
何かの映画で見た事があるな。確か欧州車、ドイツ車だったかな。
『迎えか…』
僕は立ち上がり、ズボンの埃を払う。
『…お疲れ様、柊君。』
SUVの窓がゆっくりと開き、低く暗い声が聞こえた。
『うおっ!』
見上げると、車内に司の姿が確認できた。
『迎えは、司かよ。』
『乗って。』
有無を言わせぬ、司の言葉が返ってきた。
顔に生気がない。相当疲れているようだ。
『よっこいしょ。』
まだ、体の節々は痛いが、今日は達成感が勝る。
僕は、後部座席、司の隣に座る。
『あぁ~、疲れた。』
僕よりも先に司が泣き言を吐き、頭を抱える。
『出して。』
『おっけー。』
司が運転手に告げる。運転手は、大阪だった。
SUVは、ゆっくりと走り出した。
『すげぇ、疲れているようだけど、どーした?』
僕は、司に尋ねる。
『ど・う・し・たぁ~?』
司は、顔をしかめ、こめかみをヒクつかせながら僕を睨む。
『どーしたも、こーしたもあるかぁっ!』
司は、いきなり僕の胸ぐらを掴み揺する。
『うげっ、ちょっ!』
僕は、揺れる視界に軽い吐き気を催す。
『桜に手を出した挙句、あろう事か千奈様を傷付けるなんて!
あんた、何したか分かってんの?』
司は、泣き顔で僕を揺すり続ける。
『待て!話を聞けっ!』
なんとか強引に司を引き離す。
『僕だって好きでやった訳じゃない。
拉致されて、あの場所に連れて行かれたんだ!
そしたら、いきなり食べられそうになって、仕方なく迎撃したんだ。』
『拉致されたぁ~?』
運転席から大阪が話に割って入ってくる。
『そーだよ。僕の前任者の”湊川”ってやつに拉致されたんだ!
吉野を…桜の方な、人質に取られてさ。そんで、その千奈の前にポイっだよ。
いきなり攻撃されたら反撃するだろ!?
蟲卑雌の女王だったなんて…判断付かないだろ!』
『湊川…』
司が少し思案し、スマホをいじり始めた。何か検索してるのか。
『ムコウは、司…鳥谷家か?の事知っている風だったぜ。
途中で居なくなっちまったけど。』
『でも、湊川って…データ上は…』
司が顔をしかめる。
『あぁ、公式には死人だと自分で言っていたよ。元・黒連なのか?』
僕は、司のスマホを覗き込む。
画面には、少年の画像、死亡という文字が映っていた。
『本当に湊川なの?』
司は信じられないと言った顔で僕を見る。
『本人がそう名乗っていただけだよ。その画面の少年じゃなかった。
何年か経っているからかな?
”本物”かどうかは僕じゃ分かんない。』
『そう…そうよね。
分かったわ。湊川についてはこっちで調査するわ。
後、今回、先代 千奈様のご配慮もあって”一応”不問にして頂けるそうよ。』
『そりゃそうだ!向こうから吹っ掛けてきたんだぜ?
こっちに非難される言われはないよ。』
僕は、両手を広げ抗議する。
『柊君に正義というか、分があってもいろいろあるの!
分かるでしょ!政治的にも家柄的にも…分かってよ…。
桜だって謹慎になったんだから。』
『吉野は関係ないじゃん!』
僕は、抗議するが、司は、下を向いたままだった。
なんだよ、くそっ!僕が悪いみたいじゃないか。
でも、”玲呪”をモノにしたんだ。
必ず、救ってみせる。
僕は、窓の外の景色を見ながら、右手を強く握り締める。
-一週間後 柊の高校-
『おはよう、柊君。』
謹慎が解けたのか、登校してきた吉野が近づいてくる。
『お、おう。おはよう。その…もう大丈夫か?』
『うん、なんとか。もう心配ないよ。』
吉野は、笑顔で答えてくれた。
でも、その笑顔は僕を心配させない為の物じゃないのか。
少し不安になる。
『あの…その…千…楓さんは?』
僕は、恐る恐る吉野に尋ねる。
『楓も、もう大丈夫。
食欲旺盛で体重が増えちゃうって困ってるw。
と言うか、私より”先に”普通の女の子になってる。』
『それは…その、ぶっつけ本番というか…事故というか…いろいろありまして…』
僕は、しどろもどろに弁明する。どこまで状況を聞いているのだろうか。
『ううん、怒ってない。ありがとう。』
『お、おう。必ず、吉野も…』
『みんな、おはよう!席について。』
僕と吉野の会話は、天井先生の挨拶で中断となる。
高橋は休みなのか、天井先生がホームルームを始め出した。
『今日は、転校生を紹介します。』
僕は、ポケットからガムを取り出し、口に運ぶ。
その時、一人の女の子が教室に入ってくる。
長い黒髪を真ん中で先端分けし、色白な肌、少しサイズの合わない制服。
『吉野 楓と申します。病気を患い、しばらく休校してました。
あっ、柊君。これから”も”よろしくね。』
楓がこちらを見て、ウィンクする。
口に入れるはずだったガムがズボンに落ちた。
前から宇梶、後ろから吉野 ”桜”が僕にガンを飛ばしてきたのは言うまでもない。
悪いの…僕ですかね?
-職員室-
高橋が頭を抱え、机で突っ伏している。
『なんでいっつも、俺はこんな役回りなんだ。
蟲や本部の連中は何を考えているんだ。
調整するこっちの身にもなってみろ!
頭、おかしいだろぉ~。
これだから中間管理職は嫌なんだ。
現場に居た方がマシだったぜ。
畜生ぉ~。』
その姿を入り口付近から眺めていた天井はふっと笑った。




