第三話 ノール様とのデート
#第三話 ノール様とのデート
ノール様は毎日史書館で書類の整理をされている。
はず、だと思う、多分。
ルース兄さまの用事で史書館へ行った時に、ノール様はお休み中だった。
うーん、居眠り?
サボり?
それは今も拭いされていない。
だから、今日そっと確認しに来ました!
本館を見上げると巻貝みたいに捻れているのが何か深い意図がありそうで気になるけれど、それよりもノール様。
受付を済ませ誰でも入室可能な部屋の扉をそっと開け体を中に滑り込ませた。
ノール様を初めて見た時もこの部屋。
その時は本の魔力で眠らされていた、はず。
閲覧用の机に少し乗り上げるようにして、書類を広げて何かを書き写している少年が目に入る。
真剣な眼差し。
指で書類をなぞり間違いのないように隣の紙へと移動して筆を走らせる。
静かな室内にあって、書類をめくる音と筆が紙の上を走る音だけが響く。
時々動きが止まり、そんな時は書類をじっと見入っているのか長いまつ毛まで分かる。
この時間を壊したくなくて、息を止めて見つめていた。
私の大切な時間を壊したのは新たな訪問客だった。
扉を無粋に開け、開口一番「うわ、書棚がびっしりだ」と声を上げる。
ノール様は顔を上げ声のする方を向いてから、すぐそばの私に気付く。
「シェリル姉さま」
あの真剣だった表情が破顔する。
無垢な笑顔。
馬車を覗き込んで私を驚かせたイタズラも元はこの笑顔だ。
ただ純粋な気持ちが現れている。
ノール様は書類を束にしてまとめ椅子から降りる。
「来てくださるなら仰ってくださればご案内したのに」
「ノール様がお仕事されている邪魔をしたくなかったのです」
毎日居眠りをしていないか心配で来た事はもちろん内緒。
その心配も今日で吹き飛んだ。
それ以上に、私の大切な時間が出来てしまった。
書類を乱暴に紙袋に入れ、机の上や下に忘れ物がないか確認してからノール様が私の手を握る。
「そろそろ休憩しようと思ったところです。シェリル姉さまもご一緒に」
私の返事も待たずに引っ張られて建物を出て裏庭に移動した。
「ここが僕の特等席なんだ。仕事で疲れた時はここで風に吹かれるの。待ってて」
ハンカチを敷いて私を座らせてどこかへ行ってしまった。
湖からの少し湿った風が心地よい。
ノール様は恋心というよりも、姉に接するような感じなのかも知れないとふと思った。
ノール様はバスケットと小さな組み立て式の椅子を持って来て、目の前で椅子を下ろした。
バスケットからリネンの敷布を取り出して椅子の上に広げるとカップを置いてお茶を注ぐ。
普段は力仕事とは無縁で筆しか持たないせいで、男性にしては細い指がお茶を注ぐ所作を美しく引き立てている。
ティーポットを置いてから、紙を広げて膝の上に置き、クッキーを乗せてくれる。
「シェリル姉さま、今日は来てくれてありがとうございます」
「ノール様のお仕事の顔も見られたし、ステキなお茶にご招待いただけて、私の方こそ嬉しいですわ」
カップの中に入った砂糖をかき混ぜていると、その仕草をじって見ていたノール様が不意に顔をあげる。
視線が合う。
それはとてもまっすぐで視線を逸らす事が出来ずしばらく見つめ合った。
ちょっと、いきなり?
急展開にドギマギした。
「シェリル姉さまは将来の事を考えた事がありますか?」
あれ?
真面目な話?
なら茶化すのはよくない。
若者の悩みは真剣に聞くのが年長者の努めだ。
「ええ、ありますよ。ノール様は何か不安がおありなんですか?」
悩みを不安と置き換えて聞き返した。
「僕は伯爵家の子息だけど、伯爵になれるわけじゃない。僕は何者なんだろうって」
随分深い悩みね。
これはノリで応える話じゃないわ。
「随分お悩みですね。でも今すぐ答えを出そうと無理をしないで、少しずつ考えてはどうです?」
「例えば?」
まだ若いノール様は性急に答えを求める。
けれどパーツが出揃ってない状態でパズルを解こうとしたって解けるはずはない。
「そうですわね、まずは目の前の事から一つずつ考えて見てはどうでしょう。例えば今のお仕事。ノール様は何をやってらっしゃるのでしたっけ?」
「書類の整理、だね」
さっき見た真剣な表情が思い浮かぶ。
少しドキリとした。
「それは何の役に立つのでしょうか?」
「過去の事実から未来を予測する、らしい」
多分誰かの受け売りなんだと思う。
まだそれを自分のものとして理解出来ていない。
「らしい、ですか。まだ分かってらっしゃらない。では当面はそれを考えましょう。また来ますのでその時までに繰り返し考えてみてください」
「難しいね」
そうやって人は悩み生きていくのです。
「そうです、簡単に答えが出るものはありません。ノール様のお仕事も見られましたし、ご一緒にお茶も出来ました。もう一つやりたい事があるのです」
「なに?」
「私と決闘してください」
言ってハンカチを払いテーブルの上に置くと、木の枝を拾って構える。
「シェリル姉さまは剣が使えるの?」
ノール様もカップを置いて立ち上がると地面に落ちた枝を拾う。
分かれて葉の付いたものは不利と思ったのか幾つか選んで構えられる。
「ルース流派を組むシェリル派の筆頭ですわ」
言い終わる前に踏み込み胴を払う。
ノール様は全く無防備でその場に尻餅をつく。
「お話になりませんわ。手加減しようにも弱すぎて」
「もう一度!」
悔しかったのか、ノール様は立ち上がり構えた。
剣の極意は相手がどう動くかを先に読む事。
視線、力の入り具合、間合い。
風が吹いて髪がなびくのを見て視界が遮られたと思ったのでしょう。
踏み込んでくる。
けれど視界が遮られる前のほんの一瞬、ノール様の全身から踏み込みを理解していた。
右に避け足を払うとそのままつんのめって転がる。
結局ノール様は息が上がるまで挑んで来たけれど、体に触れられる事はなかった。
「決して諦めないところがノール様のいいところですわ。お仕事頑張ってください」
史書館に出向くと静寂な空気の中、真剣な眼差しで書類に向かうノール様を見つめる習慣が出来た。
時々腕を組んでいるのは『未来を予測する事』に付いて考えているらしい。
私に気付くと机に広げた書類をしまい、裏庭でお茶をし、仕事の事、自分の将来に付いて一緒に考えるのがお約束になった。
ノール様はきっと与えられるものもグレイグ様と異なる。
それを理解して自分で前に進まないとただ生かされるだけになってしまう。
そしてもう一つのお約束、それはノール様との決闘だ。
何度目かの決闘でようやくノール様の構えもさまになって来た。
凛とした姿は幼い顔付きだけれど、一人前の顔をしている。
「僕、考えたんです」
ノール様のいつもの話の始め方。
「何をですか?」
「シェリル姉様が決闘をする理由です」
考えるのはいい事だけれど、時には頭を空っぽにする事も大事ですからね。
「どうしてだと思いますの?」
「僕に考えさせるためなんですね」
折れた枝を捨ててノール様は新しい枝を探しながら続ける。
「女性が剣を持てない事は当たり前すぎて何も思わなかったけれど、シェリル姉様は剣士になりかったんじゃないですか?」
「よくお分かりです。私が男ならルース兄さまと一緒に有名になっていたはずです」
言い切ったけれど自分に実力がないのはわかっているつもりで、ただの方便だ。
「どんなに頑張っても僕は伯爵にはなれない。それと同じ事なんだなって気付いたの」
「それはいい事です。諦めない事は大事ですが、無理な事に取り憑かれてはいけませんわ」
「それに気付かせてくれてありがとうございます。伯爵になるのは諦める。けれど、諦められないものもある。シェリル姉様、僕じゃだめ?」
ノール様は目の前で片膝をついてたくさんの花を束にして差し出された。
「考えておきます」
花束をもらって、私の顔は緩みっぱなしになってしまった。
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#三話 あとがき
シェリルの日記
ノール様はてっきり毎日寝て過ごしてるのかと思った!!!
あの長いまつ毛、ちょっときゅんとしちゃった。
それに花束は反則。私、人生で初めて花束もらっちゃった。




