千年前の話
剣の中から出たら、セドリックとナターシャが姿を現した。ナターシャの肌がツヤツヤで、ジェイドは察した。ちょっとうらやましい、と思ったのは内緒である。
「ユズちゃん、昨日は寂しくなかった?」
「寂しかったけど、ほとんど寝てて、ラルフがいろいろ教えてくれたから、元気になった!」
「あの蛇野郎はあたしのユズちゃんに何を教えたの・・・」
ナターシャは訳の分からない嫉妬をしている。
王城までは歩けば半日とかからず行けるはずなのに、昨日のような妨害が、今日もあるのだろうか。北からや東からの順路もおそらくは立ちはだかる魔獣や悪魔の植物、そして中級以上の悪魔がいるだろうことは予想された。やはりあの衛星鳥が、それぞれの動きを監視しているものと思う。
「東からの騎士団は、クリストフの魔装兵団と交戦中。アレクのほうは、小規模シミカドルが複数爆発したけど、ドラゴンで空中退避。そのあとはあの黒い靄でドラゴンが生成されて、空中戦に費やしたそうよ。で、そっちはシンデレラマジック。」
「・・・兄上はずっと戦い続けてるってこと?」
「まあ、中央にはグリフォンもいるからね、魔装兵も黒い靄で生成されてて、無尽蔵なのよ。あれはもう人じゃないわね。歴代の最強と言われる騎士や英雄が生成されてる。倒してもきりがない。グリフォンの加護が騎士団にかかっててさばけてはいるわ、今日は大聖女が合流するようよ」
ナターシャが知りうる状況を教えてくれた。
「まあ、とりあえず、進もうか。あの悪魔はどうしてもこの手で殺したい」
セドリックは静かに言う。ナターシャはそれを見てため息をついた。
「自分以外の女に執着されてるのって腹立たしいわー」
「ナターシャ、俺とお前はそういう関係じゃないだろ」
ナターシャは肩を竦めてユズを見る。ユズはナターシャの事情を自分だけが知っているのかと複雑な気持ちでナターシャを見つめ返したのだった。
足を進めて、一キロも経たずに、スフィクスが道を塞いでいた。
「朝は四本足、昼は二本足、夜は三本足で歩くものは何か」
スフィンクスは有名ななぞなぞを出す。ユズはかまわず斬りかかろうとしたのをジェイドに止められて、ジェイドは「人間」と答える。朝が人生でいう赤ん坊の時期、はいはいのことを四足歩行、昼が成人あたりで二足歩行、夜が晩年にあたる。晩年は杖をつくと仮定して三本という答えだ。
「晩年まで人が生きられるなんて分かんないし、赤ん坊だって二足歩行するかもしないだろ。五体満足で生まれることも奇跡なんだから」
「ユズの感性もとっても大事だとは思うんだがな」
いづれにせよスフィンクスを倒せるのは物理ではなく精神なのだ。
「2本抜き取ったらすべてがバラ、2本抜き取ったらすべてがユリ、2本抜き取ったらすべてがカーネーション、さてこれはどんな花束だろう」
スフィンクスはまた語り掛けた。最初の問題は、ユズのようなものを排除するためのもので、まずはこの謎解きの土台を整えるための王道の問題だったようだ。
「乗ったのがまずかったんじゃないか?条件次第では延々と問題を出され続けて、足止めをするつもりだぞ。」
セドリックはそう思うようだ。
「妖狐の加護があるなら、お前たち、ちょっと知恵を貸してくれ。」
ジェイドはセドリックとナターシャに言う。ユズは考えているが・・・2本取ったら・・・すべてバラに・・・と最初で躓いているようだった。
「ユズちゃん大丈夫よ、引き算は最低限で考えるの。バラとユリとカーネーション、一本ずつ、計3本の花束よ」
ナターシャは妖術でバラとユリとカーネーションを一本ずつ出して、ユズに差し出す。
「2本取れば、バラしかのこらない。他の二つもおんなじでしょ」
ユズは感動したように目を輝かせた。「花束」とか「すべて」という言葉に惑わされてはいけない、ということだ。
「・・・可愛いがすぎる」
「全面同意だ」
ジェイドが頭を抱えてしゃがみこんだのを、セドリックは見下ろしながら言ったのだった。
スフィンクスはまた問題を出す。
「正確に一時間で燃え尽きる線香が2本ある。これを使って45分計れ。」
「ロジック系はセドの方が得意よね」
ナターシャは投げた。セドリックは協力する気はないので、ジェイドに問題は帰ってきた。
「ええっと・・・なんで線香なんだ、これがヒントなはず・・・」
ジェイドはユズに目線を移す。
「なんでろうそくじゃないかってこと?」
燃え尽きるもので時間がかかるものの代表格ならろうそくでいいはずだ。だけどあえて線香ということは線香にはろうそくにはないメリットがあるということだ。
「ろうそくよりも折りやすいよね。どこからでも燃やせる」
「なるほどな、一時間で燃え尽きるってことは半分で30分、4分の1で15分だから・・・」
「折るってこと!?」
ユズは短絡的だった。
「条件が燃え尽きる時間しか与えられてないから、折らずに燃やす方向で解決すべきだ。両方向から火をつければ30分で燃え尽きる。片方はそれで、もう片方はそっちが燃え尽きるとちょうど半分になってるだろ。それに反対方向に火をつければ、15分で燃え尽きるからその時間が45分。どうだ」
ユズはぽかんとしていたが、スフィンクスは消えた。合っていたようだ。
スフィンクスを突破すると森に入った。この森を抜ければ、平原を通って城下町へ行けるという。一時間ほど驚くほどしんとした森の中を歩いた。さすがにジェイドもきのこや果実を探しながら歩く余裕はないようだった。
「ねーユズちゃん、」
ナターシャは小声でユズに話しかけた。
昨日の悪魔のことなんだけど、とナターシャは切り出した。
「あの子はマシロって名前でね。」
ナターシャが一昨日、ウィザードランドでメイドのユズに咄嗟に呼びかけた名前だった。
「似ても似つかないでしょ。あたしだってああいう清楚っていうのを体現していた時があったわけ」
ナターシャはでも面白おかしそうに話す。で、それがセドリックのドタイプだなんて、今となっては信じられないくらいだと。
「当時はセドだってきっと恋というものをしたことがなかったんだと思うのよ。初めての恋がマシロちゃんだったんでしょうね」
ナターシャは自分のことなのに他人事のように話すのがユズには不思議だった。
「で、ずっとそれに執着してる・・・稀代の色男の名が泣くわ。すぐに死ぬ人間なんかに心を奪われて。自分は滅多なことじゃ死ねないくせに。そういうセドを千年近く、見てきたのね、あたし」
「なんでナターシャはセドに魂のこと言わないの?」
「言えないの。人魚姫みたいでしょ。」
「言ったら泡になるの?」
「そうよ、消えちゃうの。知られてもダメなのよ。」
ナターシャはだけどその選択をしたのだ。後悔はしてない。
「ユズちゃん、セドにはきっとマシロは殺せないと思うのよ。だからあたしがやらないと。」
愛した人の容姿をしているだけなのに、セドリックには無情なところがあるのに、きっと無理だろう、とナターシャは言う。無理じゃなかったら昨日の時点で殺せている、ユズからもらった札を使い切らずに、本来の力を出し切らずにいたのが、ナターシャには証左のようなものだった。
「どんな出会いだったの?マシロとセドって」
「鬼はね、千年に一度、嫁取りをするの。人間の非魔法族の純潔の乙女をね。人間もそういう娘を千年に一度育てるの。そういう習わしが、妖狐の里にはよくあるのよ。狐も烏天狗も、嫁取りをする妖はたくさんいるから。」
この妖狐の里は妖狐が治めているが、妖の武力筆頭は鬼の支配にあった。鬼の霊力のその高さには妖狐も一目置いているし、古代から持ちつ持たれつの関係を維持していた。
人間界では嫁取りとはそういう名だけでその実、妖への生贄だということが伝わっていた。事実、用を為せば、食われるというのが習わしなのだ。この用というのが、子を成すことなのだ。鬼の霊力をそのまま引き継いだ鬼を産ませるための母体を魔力も霊力も持たない人間の女が担うのだ。
人間世界では、妖に嫁取りされるということは恐ろしいことだが、この妖狐の里は妖が統べっているため、断れるはずはない。マシロは生まれた時から、そうなることを言い聞かせられて、外に出されることもなく、ただただ丁寧にご飯を食べさせられ、身を清められ、身の回りのことは何一つ自分でさせられることもなく、育ってきた。その上、性格がものすごくいいのだ。魂に何の汚れもないような娘だったのだ。
「いつもありがとう、私、お役目を全うするために精進いたします」
と口癖のように言い、微笑んだ。そうマシロが言うと、世話役が涙して嘆く。だけどマシロは強く前を見つめるだけだった。そのために生まれたのだから、他人が泣いても自分は泣くべきではない。なるべく前を向いて、その時まで生きていたいと思った。
マシロが嫁ぐのは、鬼の棟梁のところだと決まっていた。16の誕生日に白無垢という衣装を着て、妖狐の里の北のほうにある、鬼の山というところを車に乗せられて、登っていく。目隠しをされ、外はやはり見ることは出来なくて、せっかく外に出れたのに残念なことだ、とひんやりする外気を感じながら車に揺られていた。やがて車は動かなくなり、しん・・・と周りに人がいなくなったことがなんとなく感じられた。しばらくの間、マシロは黙っていたが、もしかして捨てていかれて、あとは自由なのでは?と思い立って、目隠しを外してみた。どきどきと高鳴る心臓を押さえながら、車の御簾に手をかけようとしたら、それは気配もなくいきなり開けられたのだ。マシロよりも年が若そうな十歳くらいの子どもの鬼がいた。角があるから、鬼なのだろう、とマシロは思った。実際鬼を見たのは初めてで、黒い髪とパールグレーの瞳の、たいそう顔の整った子鬼である。
「・・・あ、は、はじめまして」
マシロは挨拶をした。
「お前が新しい父上の嫁か!」
「・・・マシロと申します」
それが、マシロとセドリックの出会いだった。
聞いていた話とは違い、マシロは鬼の棟梁の屋敷でもてなされた。
「もっと太らせてから食おうと思うから、しばらくはセドの遊び相手をしてくれ」
棟梁ナリヒラがそう言うので、子を成すための行為などはせずに過ごすことになった。
「セド、今日は何をして遊びましょうか」
「なんだか俺がお前の相手をしているみたいだな」
セドリックはため息をつく。彼は気まぐれだ。今日は気分じゃないようだ。
「ではマシロが昔ばなしをしてさしあげますね。」
「飽きた。」
「見て、セド、あれは何なの、ひらひらと白い」
「・・・モンシロチョウだろ」
「雪ではなくて?」
セドリックはマシロのくるくる変わる表情の一つ一つに目を奪われていた。外の出たことがないマシロは庭の花や蝶にさえ興味を持って、いちいち聞いてくる。セドリックは都度応えてやれるようにいろいろ調べたのは別の話である。
「雪は冬に降るものだ」
「今は春だものね、私、雪も見てみたいわ」
国は出るけれど、アーセナルとの国境の少し高度のある山にはまだ雪があったはずだ。
「マシロ」
ナリヒラがマシロを呼んで、手招きをする。
「明後日を夜伽の日にしよう。」
「かしこまりました。」
マシロは少し頬を染めて、父に微笑むのを、セドリックは面白くなさそうに見た。マシロがここへきて、三週間。マシロの周期とも合わせて、日取りを決める。そのために連れてきたのだから、そうするのは道理だ。鬼と人間の交配。三日三晩子種を注ぎ続ける。それで死ぬ嫁もいると聞く。二月待ってその兆候が見られなければ、産まず女として食われる。非魔法族の女は食うだけでも繁栄をもたらすからだ。セドリックは十歳くらいの子どもの容姿ではあるが、もう四百年は生きているから、父がこの人間にそういう所業を与えるのかは知っているのだ。
「マシロ」
「・・・あなたはだれ」
「セドだよ、起きて。雪を見に行こう」
「え?」
セドリックは明朝早く、マシロを鬼の屋敷から連れ出した。十歳くらいの容姿から、十年くらい年を取らせてみた。独り立ちするまでは容姿を勝手に変えるのは制限されていたが、セドリックは霊力が多かったから制限を突破することは容易かった。
「セド、どうして大人になったの。」
「お前を連れていきやすいからだろ。このまま、アーセナル共和国に行って、雪を見たら、俺と駆け落ちしよう」
「・・・・え?」
人間の嫁を屋敷から連れ出せば、きっとセドリックは酷い折檻を受ける。
「マシロが好きだ。父上じゃなくて俺のお嫁さんになってほしい。俺はお前に酷いことをしたり、食ったりなんかしないから」
純粋な告白だった。マシロは嬉しかった。自分の短い人生に、こんなことがあるなんて思いもしなかったからだ。
「セド、でも」
「でもなんて聞きたくない。とにかく逃げないと」
手を引かれて、マシロは初めて外へ出た。山を下って、平原にいくと、キラキラ光る宝石のようなものが草にくっついていて朝日に輝いているのを見た。
「ねえ、セド、あれは何?綺麗な宝石なのかしら」
「マシロ、姿を消すよ、もう追手に気づかれたらしい」
セドリックは応えないで、マシロを抱きかかえて、姿を消した。国境を抜ければ、追手はたやすくは来られないはずである。ただ、自分の霊力も加減して使わなければならないのは、難点だ。
国境を過ぎて、山のふもとのあばら家に腰を落ち着ける。自分は食べなくても平気だけど、マシロの食べ物は調達してこなければならない。
「・・・マシロ?霊力を回復するのに、キスをしても良い?」
「キスで回復できるの?なんてロマンチックなの」
くすくすとマシロは笑っていたが、セドリックの目の真剣さに息をのんだ。キス、だけで済むのだろうか。本当に食べられてしまわないだろうか。そういうことは初めてだし、本来ならナリヒラに捧げなければならないものなのに、良いのだろうか。ここまで来ておいて、怖気づくのも違うか、とマシロはセドリックを見つめ返した。
彼の端正な顔が近づいてきて、ふんわりと唇が重なった。心臓がどきどきを通り越してドコドコ鳴っている。
「口開けて」
魔法がかかっているみたいに、言われるままにしてしまう。マシロの右手とセドリックの左手が絡み合って、とさりと布団に押し倒される。
「セックスすればもっと回復できるらしいけど」
「・・・そのためにお嫁に来たから、別に怖くないわ」
マシロは瞬きをして、セドリックを見た。
「・・・俺はマシロを大事にしたい・・・、父上のようにはしないよ」
「セドって、変わった鬼ね」
マシロの聞いていた鬼の様子とは違う。鬼には情なんてないし、ましてや人を愛することなんてない、異次元の化け物だと人間界では恐れられている。嫁に行って、子を成せたらその間は生きられるけれど、子作りで殺されることも多々あると聞いていたのだ。子を成せなければ、食われる。どのみち、マシロはこんなことになるなんて思いもしなかった。
「・・・確かに、こんなことは初めてだな」
この四百年余り、人間の女はいくらか見てきた。嫁取りは千年ぶりだから、正式な嫁として会った人間は初めてだったが。人間は脆弱で薄命である。それがセドリックのイメージだった。交わる行為は例の容姿のせいで制限されていたから、まだ未経験ではあるけれど、丈夫で美しい妖はたくさんいるから、人間に心動かされることなんてないはずだ。どうしてこの女を守りたいとか大事にしたいとか、思うのだろう。それはセドリックの理解を超えることで、大体恋とかいうものはそうだとは聞いたことがあったから、それがそうなのだとセドリックは受け入れた。
「明日、雪を見に行こう。俺は食べ物を探してくる。」
「・・・一人にしないで、一緒に行くわ」
マシロはそう言って、セドリックについて歩いた。帰り際にすごい雷雨に遭った。二人はすっかり濡れて、例のあばら家に退避した。セドリックは暖炉に火をつけて、濡れた衣服を乾かした。
コンコンコンと山小屋のドアを叩く音がした。美しい女がそこに立っている。
「遭難してしまったの」
女がそういい、マシロはその女を山小屋に招き入れた。
「妖狐の里ってことは、ジュピタル王国から来たということ?」
「そうなるのかしら。私はあまり外へ出なかったから、あまりジュピタルのことも説明できないけれど」
セドリックは女を警戒しているようで、じっと睨みつけているだけで話に加担しようとはしないようだ。
「あなたってすっごく綺麗・・・」
女は恍惚としたようにマシロを見つめていた。
「あなたも綺麗だわ。あのベッドを使って」
外の雷雨は信じられないくらい激しい。
「・・・風神雷神が来たのかもしれない、俺は外を見て来る。」
セドリックは追手がここまで来るとは思わなかったが、万が一ということがある。
「セド、」
マシロは変な動悸がして、セドリックを引き留めた。
「マシロ、大丈夫だ。すぐに戻る。」
セドリックが山小屋から出て、マシロは女と二人きりになった。
「あれは人じゃないわね、食ってもまずいわ」
「え?」
「あなたは稀に見る純粋な魂を持ってる・・・ありがとう」
女の口は大きく裂けて、手も赤黒く変色して、先ほどの美しい女性とは似ても似つかない化け物になった。悲鳴も雷鳴にかき消されて、あっという間にマシロは悪魔の餌食になった。
セドリックが帰って来たのは雨も上がった朝のことだった。部屋にはマシロが一人でいて、彼女らしくない変な表情で暖炉を見つめていた。
「どうした?あの女は」
「どうしたと思う?」
マシロの声ではなかった。セドリックは咄嗟に妖術を繰り出したけれど、極上の餌を得た悪魔の前に敵わなかった。ここでは霊力の補給もできない。悪魔の攻撃を受けきれずに、山小屋は消滅し、セドリックも容姿も子どものものに戻り、気を失った。
気が付いたら、セドリックだけが、鬼の山の棟梁の屋敷に戻されて、軟禁部屋に入れられていた。部屋から出ようと躍起になっていたら、ナリヒラが来た。
「父上、マシロはっ」
ドガンと床に穴が開くのではないかというくらい強く、身体を投げつけられた。
「お前が悪魔を呼び込んだおかげで、ジュピタル王国は半滅だぞ」
「・・・あくま?」
マシロが悪魔に食われてしまったという事実は、後にも先にもセドリックには受け入れがたいことだった。ジュピタルが半滅しようと全滅しようと、セドリックはどうでも良かった。あのとき、自分が山小屋を出て行かなかったら、ジュピタルを出なかったら、そもそも駆け落ちしようと思わなかったら、マシロと出会わなければ、・・・こんな気持ちになることはなかったのに。打ち付けられた身体の傷はすぐに癒える。でも心臓がギュウギュウと締め付けられる苦しみをセドリックは知らなかった。人間は薄命で、脆弱だと知っている。いづれはマシロだって自分を残して死ぬと分かっていた。だけど、こんな別れ方はないと思うのだ。
「セドはそれからは本当に無情に、ただ強さだけを求めて、鬼の世界の頂点に君臨したんだって。あたしもナリヒラ様からちょっと教えてもらった程度なんだけどね。」
今、セドリックは強さだけで言うなら、棟梁をも上回るとのことだ。
ナターシャはやっぱり他人事のように語った。その話はやっぱり妖狐の里でセドリックから聞いた話と似ていた。
「さて、だけどいい加減終わりにしなきゃいけないのよ。セドの千年の恋を。」
「そしたら、ナターシャの千年の片思いも実るのかな」
「970年よ。それはどうかしら。」
ナターシャは諦めているように笑っている。
「あたし、ナターシャって気に入ってるの。マシロのころとは全く正反対でね。」
清純を体現したようなマシロとは見た目も何もかも違う。したい恰好で、したいことをして、好き勝手にいろんなところへ行ける。とても自由なのだ。
「決めた、あたし、アレクと結婚するわ」
「・・・アレクってどっちかっていえば、たぶんさっき聞いたマシロちゃんみたいなのが好みと思うけど」
それ以前に、アレクシスは人間の嫁がほしいだろうとはユズは気づいていないのだろうか、この子は本当にかわいい、とナターシャは笑った。
「前も言ったけどタイプの子と相性がいいとは限らないのよ。アレクはあたしみたいな攻めのタイプが合うって!」
そしてユズもアレクシスの好みには当てはまっていないのではないかと真剣に考える。アレクシスがどうしてユズを好いているのかは、やはりタイプとは別の何かが起因しているのだろう、と帰結する。
ユズのタイプで言うなら、ジェイドの顔はタイプだとユズは思う。目が丸くて、優しそうで、笑うと可愛くて。身体だって鍛え上げられた筋肉には高揚する。自分は鍛えてもあんなにならない。どうしてかユズの身体はあまり筋肉がつかないみたいだ。ボディビルダーみたいな女戦士が理想なのに。プロテインが足りないのだろうか。アレクシスの腹筋とか、触ってみたいとは思う。絶対に触らせてはくれないだろうし、ユズも申し出ようとは思わないし、実際筋肉隆々の身体が自分を襲ってくると思えば怖いから、恋愛対象にはならないのだが。
「ナターシャって、アレクがタイプなの?」
「そうそう、ど真ん中なのよー、あんなのそうそうお目にかかれないわ」
彼女はどうしても報われない恋をして楽しむのが今世での生きがいのようだ。ナターシャが今、楽しめているのならいいと思った。
森を抜ければ、平原が広がっているはずだった。しかしおおよそ数えきれない魔装兵団が待ち構えていた。
「・・・さすがに数が多いな。」
ユズに百人力があったとしても、相手が普通の騎馬兵ではなく魔装兵ならば半減である。セドリックやナターシャが千人力でもあの数を相手にしきるのは至難と言えよう。ラルフとノルンの聖獣二体がいるとは言ってもだ。
「百鬼夜行で妖を召喚すれば、数は増やせるが、札がなくなっちまう。タマモが来れば霊力は使い放題なんだが」
「それをやったとして、どのくらい持ちこたえられるものなんだ」
ジェイドは聞く。
「もって三時間。俺とナターシャが消えればユズちゃんが危険だろう」
「え、ちょっと、俺の心配もしてくれない?」
ジェイドはセドリックに抗議した。明日、城の手前で合流するとオニキスと約束した。なんとしても突破口を見つけたいところだ。
「妖精王からの援軍を待つのがベターか」
セドリックが言う。
「待機ってことか」
ユズは言って、目線を森の後方に移した。矢を構えている魔装兵と目が合った。ジェイドの頭を押さえてしゃがみこむ。複数矢が魔法の光を放ちながら頭上を飛び交い、近くの木は消滅した。
「もう見つかってた!」
「じゃあ、出るしかない!」
ユズはその刺客たちを斬り倒す。笛の音が高く上がって、魔装兵団が前進してくる。セドリックが百鬼を召喚して、数多の妖たちが兵団へ襲いかかっていく。馬の妖怪に跨って、後ろにジェイドを乗せて、ユズは魔装兵に突っ込んだ。ジェイドは魔砲弾用にシールドをユズにかぶせてやった。あとは自分もウラヌスの剣で斬りかかって来る敵を斬り倒すしかない。ガトリングや弓矢、鉾に剣、魔装兵はさまざまな装備で攻撃してくる。ただの攻撃じゃなくて魔法も作用しているから厄介なのだ。ユズの剣やウラヌスの剣は魔法を吸収できるようだが、妖たちはそれぞれの弱点の魔法を当てられれば消えてしまう。雪女が灼熱魔法の剣撃を受けて消えそうだったのをセドリックが氷の大地を作って援護した。セドリックは氷系の魔法が得意なのだろう。妖狐の里にいたときからよく見ている。
「ここは気候的に氷は不利だな。」
「逆だわセド、温暖な地域だからこそ、雪や冷温には弱いはずよ」
ナターシャが言う。
「そうか、なら、永久凍土でも作ろうか。」
大地一帯が凍っていく。雪女のおかげで雪が吹き付けてさえいる。魔装兵の動きが鈍くなるのをユズは容赦なく切り伏せて行った。
「ふっつうに寒いわ!手加減してくれ」
「軟弱だな、ジェイド。だからお前はジェイドなんだ」
「どういう意味だよ!」
こっちの有利に戦闘を進める手管は、いくらあっても良いのだ。
「大丈夫、ジェイド、私があっためてあげる!」
「それはむかつくわ、お前にサラマンダーでもつけてやる」
「・・・え、ユズのほうが良い」
赤いトカゲがジェイドにまとわりついて、当面の寒さはなくなった。
「そいつの骨まで燃やせ、サラマンダー」
セドリック無表情で命令した。
「ギャー!!!ストップ、ノルン助けて!!」
『今のはジェイドが悪いと思うわ』
ノルンはそう言いながら水をかけてやっていた。吹雪のせいですぐ凍っていく。ジェイドは魔装兵ではなく今は味方のはずの妖から踏んだり蹴ったりの扱いを受けていた。
戦いが長引いていた。
「そろそろ時間切れだ。」
セドリックはやはり無表情にそういう。妖怪たちが一匹一匹と消えていく。
魔装兵の兵力は、まったく衰えているようには見えない。倒せば倒しただけ、また復活する。切りがないのだ。
「いったん引くしかないだろ」
ジェイドが魔装兵と剣を交わし、ユズがそれを薙ぎ払って倒した。
「引くと言っても、囲まれてるぞ。」
「残りの霊力でとりあえず森まで転移させる?」
ナターシャが言う。
ラルフが出てきて、バジリスクの化身を出して暴れさせる。いきなり現れた巨大な聖獣が紫に光る毒ガスを吐き出し、目から死の光線を出していく。退路を確保してくれているようだ。悟ったユズはジェイドを掴まえて走った。
後ろから弓矢が追跡するように追ってくる。ユズは振り向いて、切り払う。一本切れなくて、そのままだとジェイドに当たる、と思って掌で矢じりを掴んだ。
「何やってんだ、手で掴むものじゃない!」
ジェイドは叱ったが、掌がちょっと焦げたくらいだ。ジェイドは向こうから避け切れない矢が向かってくるのを見た。ユズを後ろに庇って、自分もなるべくは当たる面積を小さくして、心もとないがシールドの術式を展開した。
別方向から銃弾も飛んでくる。自分は死んでも生き返るから、どうかユズを守れないか、ジェイドは剣に祈った。赤い宝石が輝いて金色の聖なる光を放つ。
フェニックスが翼でユズとジェイドを守るように囲んでくれていた。
「・・・あ、」
ユズの手のひらもキラキラとした光で癒されていく。フェニックスは美しい金色の瞳でこちらを見つめたかと思えば上空に優雅に羽ばたいた。魔装兵はひれ伏し、戦闘不能状態である。この聖獣は平和を司るため、戦闘意欲をそぐ力があるようだ。
そして向こうから、フェニックス第三軍がその旗を掲げてやって来る。
「ユズ、良かった、間に合った!」
「レジー?」
レジナルドは白馬から飛び降りて、ユズとジェイドに駆け寄って手を取って立たせてくれた。馬にはアルベルトだけが取り残されたからアルベルトは妖精に馬を操らせて、こっちまで来る。
「すまない、来るのが遅くなって。」
「いや、開通予定がだいぶ早まったからで、レジーにも予定があっただろうし。」
よく来てくれた、感謝する、とジェイドは最高礼をレジナルドに示した。レジナルドは首を振って、ジェイドに頭を上げるように言う。
「しかし、フェニックスを呼び出す条件が辺境伯家の血だと言われれば、来ないわけにはいかないだろう。そしてフェニックスが呼び出せなければ、妖狐が来られない、大事な役割だ。」
「タマモも来たようだ。霊力が戻った。」
セドリックは使い切りそうだった霊力が満タン以上になったのを確かに感じた。これでもう出し惜しみをしないで戦えるのだ。タマモはだけど剣からは出てこないようだ。
フェニックスの畏怖の支配が解け、魔装兵に対して、妖精兵団とフェニックス軍との交戦になった。レジナルドが指揮を執ることで、軍として機能し、数では劣るが武力で魔装兵を駆逐していく。彼らが復活するよりも早いスピードで進軍すれば、一定のところで魔装兵は消えてしまった。シンデレラマジックには早かったが、もう日が暮れている。
「今日はここで野営をする。ユズ、天幕を用意するよ」
「え、いや、別に気にしないで。そこらへんで寝られるから」
「君は侯爵令嬢なんだから、そういうのは聞けないな」
優しそうな顔に似合わずレジナルドは押しが強い。以前は辺境伯家で挨拶をした程度で交流と言う交流はなかったから、彼の人となりはいまいち掴めない。
「アル、本当に行ってくれて助かった、もう死ぬかと思った。」
ジェイドは息も絶え絶えに礼を言う。
「ジェイドは死んでも大丈夫だろー」
「大丈夫だけど、怖いんだよ!」
天幕は三つ完成して、小さい天幕はユズのだと言う。見張りもしっかりつけるから、安心して休むと良い、と笑顔で言ってくれる。見張りとか、ないところで休みたいというのはわがままなんだろうな、とユズは苦笑いをして、ジェイドにくっついた。
「ジェイド殿下はあの天幕を使ってくれ、アルベルトと同じでも良いだろうか」
「お気遣い痛み入ります。」
笑顔のレジナルドにジェイドも笑顔で対応する。聖獣も妖も今はそっちの世界に行ってしまって、ジェイドの一行はユズとアルベルトだけなのだ。軽食ももらい、一回は明日の確認のためにレジナルドと側近たちの天幕へ集合した。南からの軍は平原に天幕を張っており、明日は城下町へ進軍し、王城付近へ集合することになる。
集合が一番最初になるか、最後になるかはわからない。
「場合によっては中央、北への援軍が必要になることも想定しておかなければならないだろう。ユズとジェイドは馬に乗ると良い」
ユズは頷く。
「不安か。いつもの勇猛さが鳴りを潜めている感じがするな」
「そうか、な。まあ、少しだけ、」
今日も、もし助けが来なかったら、ジェイドを守れなかったユズは、自己肯定感は少し低めである。戦とは、自分の弱さと否が応にも向き合うことになるのだな、なんて一人で考えている。
「疲れたろ、早めに休め。」
会議は解散となり、ユズは自分の天幕だと宛がわれたところに通された。ご丁寧に護衛が送ってくれた。天幕のベッドに身体を投げ出し、ぼーっと今日の戦の反省会をする。一人なら、一人なりにユズはいろいろ考えられる。
ふと気になったのは、アレクシスのことだ。オニキスは別に気にならないけれど。そっと耳のピアスに触れてみる。
「ユズ、アレクが気になる?」
「あ、アル、遊びに来たの?」
「そ、まあ、ジェイドが来たいっていうから、一応お伺いに。でもそうだな、アレクと通信してみるか?」
「・・・うん。」
いつかも聞いたリンリンリンという音がする。
『・・・アル?』
アレクシスの声が頭に響いた。
「アレク!無事?」
『ん?ユズか!?げほ』
アレクシスはびっくりしたのかせき込んでいた。
『こっちはおおむね無事だ。アルテミシアから応援も来たしな。』
「ああ・・・そう、ウィル殿下が・・・」
『お前は?』
「・・・アレク、私は全然ジェイドを守れてないんだ。不甲斐なさすぎてしんどいわ」
ユズは普段なら絶対アレクシスに零さないような愚痴をこぼしていた。
『あれは別に守らなくてもいいだろ、お前が気負いすぎだ。』
ユズは変なところで責任感が強いのだ。ユズが自分に向ける話題は自然とジェイドのことなので、アレクシスはため息が出た。
『守るものがあると思うように戦えないもんなんだよ。だから敢えて作るな、連れて来るな、それが原則だ。ジェイドはある程度切り捨てろ。あと四回は死ねるんだから。ユズ、利用できるものはとことん利用するべきだと俺は思うぞ。』
アレクシスは本当のところでは思ってもないことを言っているな、とユズは聞いていた。きっとそれが自分の役割だと彼は思って、そんなことを言うのだろう。
「やだ、アレクのバカ。」
本音では、ジェイドの死ぬところなんてもう見たくなんかないのだ。魔獣や悪魔を殲滅するのは躊躇ないけれど、人を殺すのが怖いなんて言ったらやっぱり怒られそうで、言うことが陳腐な貶し言葉しか出てこなかった。
『なら少しは信用してやればいいんじゃないか。お前がそうやって守りの姿勢だから、グリフォンがオニキス様のとこに行く。グリフォンの戦い方じゃないんだよ。』
「もう聞きたくない」
頭に直接声が響くから耳を塞いでも意味はないのだが、ユズは耳を塞いだ。確かにジェイドを気にして、ユズは本来の戦い方ができていない。ここに来た意味が武力そのものにあるのなら、半減である。元も子もない。アレクシスに言ったら、あれこれ言われるのは分かっていた。それを認めたくないから聞きたくない、自分のわがままなところも。
『なあ、ユズ。俺は守りながら戦うことには長けてるぞ。そういう名を授けられたからな。なんならジェイドは預かってやろうか。』
「ジェイドはアレクにはやらない!私が守るの!」
ユズはもう躍起になっていた。
「あーアレク、いったん切る。武運を祈るぞー」
アルベルトが子どもの容姿だけど、涙目のユズの頭をよしよしと撫でてくれる。
「アレクと話せて良かったか?」
「・・・うん、」
ユズは不承不承に頷く。無事は確認できてそれは良かったけど、アレクシスはやっぱり意地悪だと思う。
「アレクはただの焼きもちだろー。ユズはジェイドのことしか話さないもんな」
「・・・あ」
言われてユズは赤面した。それでアレクシスが意地悪になるのは納得ができたからだ。
「で、どうする?俺はジェイドとユズはなるべく一緒にいたほうが良いと思ってるんだけど。」
「え・・・そりゃあ一緒にいるべきだよ、アレクには渡さない」
「あ、夜の話」
「・・・もー、アルはいらない気を回さなくていいよ。」
アルベルトはロマンチックなのだ。だけどユズはふと考える。こうして一日が終わるときに、愛する人と一緒にいられることがどれだけ貴重なことなのか。もし明日、運命の日になるのなら、きっともう二度と一緒に夜を過ごし、朝を迎えることはないのかもしれないのだ。
「私が行った方が良くない?ここにジェイドが来るのはきっと良くない。」
わざわざレジナルドが護衛までつけてくれている。そういう輩がフェニックス兵にいるはずもないとは思うが。
了解、とアルベルトは笑って、ユズと一緒に転移した。




