ジェイドの帰還-旅路
ジェイドはエルドラドの真ん前に送られた。会うのに心の準備が必要だろ、しょっぱなラスボス的な位置の兄のところだなんて聞いていない。しかもさっきとても幼稚な反抗をしてしまった。もう恥ずかしいしかない。それでも、あのときぶりだ。正確には2年7か月前の5月9日、自分の誕生日にジェイドは国を出立したのだ。
「ジェイド、なのか」
目の前に転移させられてきた弟に、エルドラドは目を真ん丸にして実感が湧かないかのように、手を伸ばした。
「ええっと、さっきは本当にすみません、俺が悪かったです、もっと早く来るべきでした、ぐずぐずしてしまい誠に申し訳ありません、兄上に置かれましては息災のようでなによ・・・」
「良かった、ジェイド・・・よく戻ったな」
この年になって、男から抱擁されるのは些か気まずい・・・。だけどエルドラドは関係ないようで、ジェイドを抱きしめてくれた。ジェイドもちょっと感傷的になってしまう。
帰ってきた。あんなに帰りたかった自国へ。兄の顔は少しやつれているように見える。この世に肉親と呼べる人はもう彼しかいないのか、とお互いに感じていた。そして、この兄のことも自分は置いて行かなければいけないのか、とも。今朝から涙腺が決壊したように、涙もろくて困る。
「俺の代わりに、辛い旅をさせてしまった、ゆっくり、休んでほしいと言いたいが・・・」
「国政のことはとりあえず俺に任せてくれ。兄貴は戦争に集中してくれて構わない。」
「まずはみんなに顔を見せてやらないと。オニキスはジュリアナと外へ行っているんだ。国民の大半はメビウスの避難所へいる。カサブランカと側近たちだけで動かしている状態だったのだ。」
「オッケー、状態を見にいく。兄貴も少しは休んでくれ!」
言ってもきっと休めないのだろうとジェイドは思った。責任感の強い人だ。自分の国のために誰かが動いてくれている状態で休むだなんてできないだろう。
ジェイドはメビウスの国境に来て、ウラヌスタリアの東地区の状態を見た。赤いシールドは外れていたが、家屋は粉々で道が道になっていなく、地割れも酷い。復旧まで、どのくらいかかるのかは分からないが、やれるだけやらなければ。そして西側に聳え立つ王城だけが暗黒に覆われている。あそこに自分に呪いをかけた悪魔がいる。悪魔以外にメリッサ三世もいるのだという。メリッサ三世はあの王城で悪魔やシミカドルの研究を進めているのだろうか。
「ジェイド・・・?」
声を振り向くとメビウスとの国境にカサブランカがいた。記憶の彼女よりだいぶ大人びている。十代前半の年の移り変わりとは目まぐるしいのだな、なんて他人事に思う。
「カザ。久しぶり」
「・・・戻ったって、エルから聞いてっ」
「遅くなった。」
カサブランカはジェイドの胸に飛び込んだ。彼女は言葉にならずにぎゅうっとジェイドに抱き着いて、しばらく泣いていた。あやすように背をさすってやる。
「も、死んだかと思ったっ」
「死なない呪いがかかってる。もう少しだけ、時間がある」
それもカサブランカには悲しくて、涙が止まらない。
「俺は、できることをやりたい。」
「ジェイド様!無事のご帰還、ご立派でございます!」
カサブランカについていく侍女頭は、ジェイドの世話係だったので、たいそう気を揉んでいただろう。彼女も涙をこらえきれないようだった。
「そんなに泣くな、お前たちもよく耐えたな」
「ジェイド様、よくぞ戻られました。」
壮齢の男が進み出てくる。彼は長兄の家臣の宰相が死んでしまい、即席で宰相を任命されていたという、もとは侍従だ。
「ハロルド、長い間すまなかったな。」
「国の中枢の部分は停滞しています。本当に、坊ちゃんが戻られて良かった」
こんなに、帰還を待っている人がいたのに、今朝、あんなにわがままを言って周りを困られたことはもう黒歴史として封印しなければならない、とジェイドは心に決めた。
「急ぎ、メビウスの宰相殿と取り次いでくれ。」
「かしこまりました」
ウラヌスタリア国民の仮住まい、借りている土地について、メビウス兵の被害、賠償など話すことは山積みである。カサブランカはまだ成人していないし、賢いとは言っても国政に携われるほど勉強も進んでいない。そしてこの状況下でのんきに勉強なんてしてはいられない、そんな性格だ。エルドラドが地下都市から動けない以上、通信対談などでメビウスとは連絡を取っていたとはいえ、誠意にかけるし、こんなに助けてもらっているのだからウラヌスタリアの未来を持って償いの意志を見せねばなるまい。味方を敵に回すことなく、関係を築くのだ。先祖が、そして長兄が繋いできたこの国を守ることが、今自分のやるべきことだった。
メビウスとの対談を終えて避難所に戻れば、侍従が食事を持ってきてくれた。避難所といえど、マンションのような集合住宅が即席で十棟ほどできていて、十万人なんとか暮らせているようだ。
「国民の被害の詳細は?俺が最後に記憶していた人口は13万5078人だ。」
「当時地下都市へ避難したのが10万4698人。避難してからの死亡確認は1082人。被害は主に王国騎士団です。立ち向かった3万の軍隊を犠牲に我々は避難を遂げた。」
「・・・そうか」
「この二年で出生数も803名あります。」
ジェイドは頷いた。民間被害は500名ほど、というのは少ない方なのだろう。しかし誰かが何かしら失ってしまったのは事実として受け止めなければならない。そこに重いも軽いもないように思うのだ。死亡者名簿に目を通していると、知っている名前をいくつも見かけた。幼馴染のタイラーの名前もあった。こんなことになっていなければ、柔道の世界大会で優勝できたかもしれない男だった。
「遺族にはどんな対応を」
「墓を建てることもできず、遺体安置所にも限りがあるのですが・・・エルドラド様が拡充してくれて、ご遺族はいつでも会えるようにと、地下都市の最地下へ置いているままなのです。」
「あとで俺も会いに行こう。」
侍従ハロルドが引き受けていた仕事の大半を預かり、滞っていたウラヌスタリアの国政は少しずつ動き出した。ジェイドは地下都市に戻ってきた。もう真夜中になっていた。ハロルドが言っていた地下都市の最階下に行く。真夜中に死者のいるところへ行くのは平生怖がりなところのある自分にしては珍しいな、なんて他人事のように考えた。何人か、悲しみに暮れて、死体のそばを離れられない人がいるようだ。涙に暮れて、遺体に寄り添っている。ジェイドは知っている顔を見つけた。
「ミネルバ」
「・・・あ?・・・え?・・・お化け?」
「俺はまだ生きてる。」
ミネルバはタイラーの手を握っていた。ジェイドはその安らかな顔を見て、眠っているように見える。そういう魔法がこの階全体にかけられているのだろう。これ以上死体から水分が抜けていくことはないし、腐っていくこともない。死体の損傷がひどいものも時戻しの魔法がかけられて、綺麗な状態だ。
「戻ったの・・・そう・・・お帰り。タイラー、ジェイドが戻ったわ」
もう口を聞いてくれない彼にミネルバは呼びかけた。ジェイドは彼とこんな状態で再会することになるとは全く思っていなかった。こんなに胸が締め付けられるようなしんどさが自分にさえあるのだから、彼を愛したミネルバの心痛はいかばかりなのだろうと感じる。
「ジェイドは、ずっと私のそばにいてくれるわよね」
呪われたジェイドの事情は、王家のものしか知らない。今、彼女に真相を打ち明けるのも違う気がして、ジェイドは言葉が出てこなかった。
「あなたが帰って来るって信じてたから、私、今日まで生きてこれたわ」
ミネルバは泣いてはいなかった。
「・・・ミネルバ、ミナトは?」
「・・・無事よ。」
タイラーと彼女の間には男の子がいた。今年で五歳になる。
「今、ミナトとジークと一緒に見てるのよ、リンファ様が忙しいから。ジークって二歳からうちにいるもんだから、私のこと母親だと思っちゃってね。」
子どもの話をするときは、ミネルバは少し元気だ。でもここに来ていると言うことは、タイラーの死を乗り越えてなどいないのだろう。
「リンファのとこって、魔法騎士団か。」
「リンファ様も未亡人になっちゃったのよ・・・ねえ、ジェイド、あんたミナトの父親になってよ。」
言われて、ジェイドは一呼吸数えた。ミネルバは冗談を言っているようではない。
「え・・・俺逆プロポーズされてる?それは、お前と結婚しろってことなの、ミナトを育てろってことなの」
「同じことでしょ?何戸惑ってんの、あんた昔から私が好きだったじゃない。童貞ももらってあげた仲だしさ」
「いやいやいや、ちょっと、待ってくれないか!」
そんなことはタイラーの前でする話では断じてない。死者を冒涜している。彼女とそのあれこれをしたのはもう5年ほど前の思春期の頃だし、そのころは確かに彼女が好きだったが、ミネルバは自分よりもタイラーを選んだのだから、ジェイドの初恋は散ったのだ。それからジェイドだって片手で数えるくらいだが、女性と真剣なお付き合いはしてきた。趣味がサバイバルで最後に付き合った彼女はそれに最初は付き合ってくれていたが、だんだんと離れていったことを思い出す。次は趣味を前面に出さない方がお付き合いは長続きするのかもしれない、でもそのままを愛してくれるのが本当の愛なのだろうとも思って、もうあえて彼女なんていいのか・・・と半ば諦めていた。
「あんたって、性格良いけど、自分からぐいぐい行くタイプじゃないし、今もどうせ女いないでしょう」
確かにジェイドは、自分から告白するより、してもらう方のことが多かった。一途に思い続けて、優しくして、大事にして、そういう態度でいれば、相手も優しさを向けてくれる。気のある相手にしかそういう態度は出さない。贈り物もするし、何でもやってあげたいし、わがままを叶えてあげたい。
「ミネルバ!俺にだってお付き合いしている女性の一人くらいはいるぞ!」
「あら、意外。でも私のほうが好きよね?」
「いや、今はその子一筋だから!ほかの誰ともお付き合いはしない!」
ジェイドは思い始めたら一途であるというのはミネルバは知っていたから、これはもうどうにもならないだろう。誰だよ、この男の心を射止めた女は。
ジェイドはその場に正座させられる。
「援軍を呼ぶため、とか言って、どこまで呼びに行ってんのよ、しかも旅先で女調達してるとか、私たちのこと舐め腐ってんのか。その女もここに連れてきたわけ?」
「いや・・・まだ」
「まだ?そのうち連れてくるわけ・・・わかったわ。私より弱かったら、認めないから」
どうしてこう体育会系の人たちは、強い弱いで認める認めないを決めるのだろうかと、ジェイドは不思議に思った。
「ミナトはどうするの、この二年あんたが父親になってくれるって思ってあの子だって健気に生きてたのに」
「・・・お前はなんで俺をミナトの父親にしたいんだよ。タイラーの子だよな。俺とは16歳の時、一度きりだよな?」
自分の記憶が正しければ、それ以降彼女と関係は持たなかったはずだ。好きだと告げて、彼女も思いにこたえてくれて、ジェイドは幸せの絶頂だった。でも現実は甘くなかった。普通に寝取られた。タイラーに。振られるとき、タイラーとの身体の相性が良かったのだと振られた。体力もあるし、大きいし、みたいなことを言われてジェイドはしばらく女性不信になったことは忘れない。
「ミナトはタイラーよりもあんたに懐いてるんだもん。しょうがないじゃない」
「しょうがなくはないのでは・・・・は・・・こんな時間だ。ミネルバ、お前も戻るだろ?避難所まで送ってく。」
「うちに、上がってく?」
妖艶に彼女は笑う。
「襲われそうなんで、遠慮します」
ジェイドは彼女を送ると言ってもだいぶ距離を取って先を歩いたのだった。
久しぶりに幼馴染と気の置けない会話ができたように、ミランダは思った。ジェイドが生きて戻ってくれた。それはタイラーを失ったミランダにとっては本当に嬉しいことだった。虫のいい話かもしれないが、タイラーは結婚しても子育てなど手伝ってくれなかったし、これならジェイドを選んで彼と家族になったほうがどんなに良かったかと何回思ったか知らなかった。ジェイドは今は王族だが、そのうち降下して、平民になるし、同じ平民なら少し容姿がよくて、体躯もよくて、強い男のほうが良いとタイラーを選んだのは自分だ。選んだら選んだで、タイラーは釣った魚には餌をやらない典型的なタイプだったのは誤算だった。結婚すれば変わる、子どもが生まれたら変わると思って期待はしたが、人間生まれついた性格というものは変わるものではないのだ。結婚しても子どもができても、自分のスタイルは変えない。ミランダだけが夫に合わせ、子どもに合わせ、自分を犠牲にしているような、自分自身がすり減っていくような疲弊が重なっていた。そんな最中、いきなり襲撃されたのだ。タイラーは自分とミナトに逃げろと言い、自分は果敢に魔獣に挑みに行ってしまった。強いのと無謀は違うだろうに。戻ってきたのは片腕と両足を失った虫の息の夫だった。最期に言葉を交わせただけ、まだ救いだったかもしれない。タイラーへの愛は、結婚して、子どもを産んでからは冷めてはいたのだが、幼いころから一緒に過ごしてきた情はあって、一言では表せない感情に苛まれた。でもそれを共有できるジェイドも近くにいないし、周りも身内を失って打ちひしがれている人、生活を奪われて恐れ戦いている人、相談できる環境なんて全くない。だからミランダは素直にジェイドが帰ってきたことが嬉しかった。彼がまだ独身なら早いうちに捕まえておかなきゃいけない、と子どもをだしにしてみたが、もう心に決めた人がいるらしい。
そんなことは許されない。彼は自分のものでなければならない。他に女がいても最終的には自分のものにならなければならない。ミランダはジェイドの背を見つめた。
「もう、どこにも行かないんでしょう」
「ああ、今援軍が来るから、そっちの便宜も図らなきゃだな。それは地下都市のほうで良いのか。」
「私も手伝うわ。なんでも言って。」
「ありがとう、おやすみ」
ジェイドはそう言って、踵を返す。エルドラドと再び顔を合わせたのは明け方三時を過ぎていた。
「兄貴、まだ起きてんの」
「お前も人のこと言えないだろ。」
「俺ってどこの部屋を使えばいい?」
「ああ、地下二階の奥はどうだ。開いているところは自由に使ってくれ。そこの割り当てとかも任せていいか。メビウスに転移ゲートが出来たら、ジュピタルから援軍が来てくれると言うし。」
ジェイドは頷いて、地下二階に降りた。今はガランとしているこの地下都市だが、オニキスが来るまではここで人々が生活していたのだ。なんなら赤ん坊だって生まれていたという。医者や看護師も一緒に避難して、この地区は医療関係者でまとめて、この地区は学校関係者でまとめて、なんて生活環境があったのだろうか。その時、エルドラドがやっていたことを今度はジェイドが指揮しなければいけない。自分に務まるかは不安だが、いろんな人に助けてもらいながらやるしかない。妖狐の本も読破まで残りわずかだ。しかし今日は本を開いても頭にはちっとも入ってこなかった。
「ユズ・・・」
毎日手紙を書こうと思ったが、そんな暇もないらしい。いや、そんなことは言っていられない、筆まめにならなければ愛想をつかされるとも聞いている。ジェイドは気を取り直して机に向かった。しかしユズは通信用の魔石を持っていないのでアレクシスに手紙を出すしかないのだ。アレクシスは手紙をユズに渡してくれるだろうか。
『愛しいユズへ ジェイドより
おかげで無事に国へ帰ることができました。無事な人もいれば亡くなった友人もおり、今日は悲しみに暮れながらの一日となりました。ユズは元気ですか。早くお前の元気な声が聞きたいし、元気な顔をみたいです。』
『アレクシスへ ジェイド
ユズへ手紙をお渡しください。私は無事です。』
『アルベルト様 ジェイド
今回はご面倒をおかけして誠に申し訳ありませんでした。無事に国への送還、感謝いたします。旅の無事を祈ります。』
三通、手紙を書いて、アレクシスに送った。時間が時間だから、返事はすぐ来ないようだ。ジェイドはベッドに身を投げ出して、眠りについた。
***
ジェイドと別れて、ユズはアルベルトからたくさんの妖精神話を聞いていた。知っている話もあれば、知らない話もあって興味深かった。たとえばユーリディケとオルフェウスの話はユズも知っていた。オルフェウスは美少年で、妖精のユーリディケと結婚した。毒蛇に噛まれて死んでしまったユーリディケを連れ戻そうと冥界にまで行ったオルフェウスはユーリディケから絶対に振り向いてはいけないし話しかけてもいけない、と言われた。ユーリディケの手を引いて地上まであと少しというところで、振り向いてしまった、というものだ。ユーリディケは冥界に連れ戻され、二度と二人は会うことはできなかった。
ユーリディケはニンフという種類の妖精だと言う。他にもレプラコーンやピクシー、ブラウニーなど妖精の扱う魔法によって名前が違うのだと言う。ニンフは自然系の魔法を使い、女の子の姿をしていることが多く、レプラコーン靴職人の妖精だ。
おとぎ話のようなのに、アルベルトが呼ぶと実際に出てきて、ユズはグリフォンの加護を持っているから、一瞬すごく嫌そうな顔をされながらしぶしぶお辞儀していく様子がおもしろかった。アレクシスは興味がないのか、例の筋トレルームに行くといい、いなくなる。
「そういえばジェイドは、なんであんなにユズから離れたがらなかったんだろう。ユズがそう言ったわけじゃないんだろ?」
ユズは頷く。
「いっそ私が言ってくれればってジェイドは言うけど・・・ジェイドを独り占めにはできない。彼はみんなから求められているし、みんなも彼に会いたいだろうし。残りの時間を少しでも後悔の少ないように過ごさせてあげないとって」
「ジェイドはまだ若いだろ?」
アルベルトはジェイドの呪いのことは知らないようだ。ユズにうまく説明できるか、ユズは自分が不安だったが、話してみることにした。
「初めて彼と会ったとき、私は彼を殺してしまったの。で、生き返って、ジェイドは自分には蘇りの呪いがかけられているって言ってた。魂を分割しているとかなんとか。私にはあまり理解できなかったけど」
「悪魔の蘇りの呪いか。それなら三年がタイムリミットだな。今は?」
「・・・ジェイドが呪われたのが二年前の5月7日だとタマモに聞いた。」
「なるほど、あと5か月を切っているというわけか。ジェイドは愛を取るか国を取るかで悩んでいたわけだ。個人的には君と過ごしたいのだろうが、状況が状況だからな。」
その呪いは、魂をもとに戻すことはできなくてもせめて救ってやれる、とナターシャが言っていた。加護をもらった剣で、ジェイドの命を絶つのだ。今から考えても気が重くなる話である。ユズはジェイドもいない、アレクシスもいない状況で魂が抜けていくような感覚に陥った。誰が、ジェイドを殺さなければならないのか・・・だって魂を救わなければ、すごく苦しんで死後をさまよい、二度と輪廻の渦には入れないのだそうだ。そんなのはあんまりだ。ジェイドが何をしたというのだろう。あんなに良い人が、死んだあとでも苦しまなければいけないだなんてあってはいけない。ユズは相当の覚悟をもってウラヌスタリアに向かわなければいけないことに気が付いた。
「ユズ、ジェイドを一度は殺してしまわなければいけないことは確かだが、そうしてしまえば、オルフェウスのように冥界へ迎えに行くことは可能だよ」
「え?」
アルベルトは夢のようなことを言い出した。
「ただ、帰ってきたいと本人が思うか、それと冥界の王ハデスに代わりのものを差し出せるか、帰って来た時の肉体の器があるのかどうか、いろんな奇跡的な条件が重ならない限りは無理だ。オルフェウスだって無理だった。今まで帰ってきたものを、妖精も含め、俺は見たことがない。」
そうだろう・・・とユズは思う。ジェイドは自分の身代わりに誰かを犠牲にすることは望まない。だけど彼の魂を救うための代替なんて、誰かの魂・・・それ以外にユズには考えられない。ユズが魂を差し出したとしても、ジェイドは帰るなんて言わないだろう。肉体においてもそうだ。剣で心臓を突き刺す方法が一番楽なら、そうするし、その傷ついた心臓を誰が代わってやれるというのか。
「でも、私、諦めたくない。約束した。ジェイドと生きる未来を願うと。」
最後まで可能性があるのなら、ユズは立ち向かってみようと考えた。
「そうか・・・俺もできる限り一緒に考えよう。純粋な愛とは良いものだな。久しぶりに感銘を受けた。」
アルベルトは美しい双眸をキラキラさせてユズを見つめた。
列車は滞りなく進んでいく。夜中にアレクシスが個室に戻ってきた。
「アレク、寝ないの?」
「ああ悪い、起こしたか。安全なようだが、一応な。ジェイドから手紙が来たぞ」
「え、もう?」
「だよな、早すぎだろ。」
ジェイドはまめなのか気を遣ったのか三人分の手紙を寄こした。ユズの手紙だけは愛情がこもっている。アレクシスには申し訳程度の文面しかなく、アルベルトには謝罪と御礼が述べられていた。
「返事かくなら、俺にはもう書くな、と言ってくれ。そして魔石はお前が持て。ラブレターの使い走りはごめんだ。」
「・・・わかった。」
ユズはそう言って手紙を受け取り、返事を書いた。
『親愛なるジェイド ユズより
手紙をありがとう。こっちは汽車の中だよ。とても快適に進んでいます。今日はアルから世界各地の妖精の話を聞きました。アレクは筋トレです。
ご家族とは会えましたか?兄上は元気だろうか。私もアレクも息災だと伝えてもらえたら嬉しいです。魔石は私が持つことになりました。アレクは自分には手紙は書かなくても良いと言っていました。遅い時間に手紙が届いたと聞きました。無理をしていないか休めているのか心配になります。手紙がなくても、私はあなたの無事と幸せを願います。』
手紙を送って、今日も西へ走る列車の車窓から流れゆく景色を眺める。退屈なのでユズも車内を探検することにした。貴族車両と一般車両、特別車両があり、ユズたちはいまアルベルト、パトリオット七世の名のもと特別車両で過ごしていた。特別車両の中に娯楽施設もあり、カジノやバーがある。
「お嬢さん、いっぱいどう?」
優男風の貴公子が軟派に声をかけた。ユズは持ち前のスルースキルで通り過ぎる。ナンパが成功しなかったのが屈辱だったのか、男は追いかけてきた。
「もちろん奢りだ!君にぴったりのカクテルがあるんだ。カシスオレンジって飲んだことある?」
「オレンジなの?」
ユズはオレンジに釣られた。みんなユズにオレンジジュースばかり飲ませてきたからオレンジジュースは好きだった。
「カシスリキュールをオレンジジュースで割るんだよ、あなたは魅力的って意味なんだ」
「へえ・・・どうもありがとう」
男はカクテル言葉を駆使してユズの気を引いた。カシスオレンジはとても美味しかった。お酒は飲むと胸のあたりがあったかくなる。
カンパリソーダは初恋、アイ・オープナーは運命の出会い、ブルーハワイはあなたに夢中・・・いろいろ教えてもらって飲んでいれば頭がポヤポヤしてくる。そんなに飲んだことはないのだ。酒への耐性はない。
「具合悪くない?どこか違う部屋で休もうか。」
「わたし、おへやあるんでー」
ふにゃっと笑うユズに酒を進めた男は恋に落ちた。落とすつもりが見事に落とされた。
「お送りしましょう、僕は紳士なので」
下心しかない。送ると言って自分の部屋に連れ込むつもりである。
「今日の出会いはきっと本当に運命だったんだね」
「失礼しますね、うちのお嬢様から離れていただけますか。頭と胴体がつながっていたかったら。」
信じられない美男子が現れて、ユズの首根っこを掴んで、男と引き離した。
「あ、指名手配で国際中継の・・・」
男はアレクシスに見覚えがあった。
「彼女、飲んでたら可愛くって、僕たち、結婚しようと思うんです。僕はクラウディアの貴族で、男爵なんですけど」
「残念ですが、諦めろ。」
アレクシスはそう言って踵を返した。ユズは心地よくなって、そのまま引きずられていく。あの美丈夫相手じゃ、相手にならないか・・・ワンナイトで良かったのだが、残念だ。
「酒を飲むな!一人でバーに行くな!」
「アレク、わたしはもうせいじんよー」
「子どもが産める年齢になったってだけで、お前はまだガキだ!そこらへんの令嬢よりも社会勉強してねえんだから、世間知らずなんだよ!」
またアレクシスの説教がはじまって、ユズはぽやぽやする頭でじっと彼の顔を見つめて、神妙に見える顔をしてみる。アレクシスは珍しく言葉が詰まった。ユズの頬が少し赤いし、目もうるんでいる。
「こっち見んな、気が散る」
「・・・見なきゃ見ないで、怒るくせに、・・・りふじん」
なんとでも言え、とアレクシスはため息をついた。暇を持て余すユズのためにトランプを購入して、二人でスピードの勝負を繰り広げた。テーブルが割れそうなほど白熱し、個室の外に見物客が出来ていた。これは剣や体術とちがって、ユズとアレクシスは互角なようである。
「仲がいいのか、悪いのか・・・」
アルベルトはユズとアレクシスを微笑ましく、見守っているのだった。
列車はそれから三日ほど休まずに走り続け、アーセナルの西の終点に到着した。ここはアーセナルの辺境で、土地も建物も全体に寂れていた。人も疲弊しきっている。
孤児が寄ってきて、何かくれ、と物乞いをした。アレクシスはユズに近づけないように気を遣った。彼女は優しいから、居たたまれなくなって助けてやろうとするだろう。ただ、孤児なり浮浪者は際限がないし、ともすればこっちを謀ろうと虎視眈々と隙を狙っているのだ。
「このままでは、寒くて凍えてしまう」
「今まで生きてるんだから大丈夫だ」
アレクシスは冷たいようにも見えるが、アルベルトも頷く。
「すべてのヒトを助けることはできない。国の自治が行き届いてないのだろうな。」
町を歩いていれば、豪奢な馬車と騎士軍のパレードがある。寂れた町の中でそこだけ色がついているみたいだ。
「辺境伯のところだけは潤っているようだ。典型的な横領ってところか」
そういうのは見ただけでわかるものなのだろうか、彼はだいぶ生きているし、人間とは違う次元で物を見ているのだろう。
「今日か明日にクーデターが起こる。」
「不吉な予言は止してくれ。巻き込まれたくない。」
「アレク、あなたがそういうところまでが予言の一部なんじゃないかって最近思う。」
かくして、大砲が馬車に打ち込まれ、多くの町民が武器を持って押し寄せて、騎士団と乱闘になる。町民たちの見境はなく、ユズやアレクシスにも斬りかかってくるから、応戦するしかない。
「さて、切り抜けながらアンドロメダ市国国境を目指そうか」
アルベルトは妖精から透明になる魔法をかけられたのか、自分だけ颯爽と歩いて行った。銃も使われているらしく、アレクシスはユズに身を低くするように指示を出した。それだと思うように剣が振るえないから、剣はしまってとにかく抱えられるように走り抜ける。
馬車から逃げ出そうとしているでっぷりとした恰幅の男が民間人に囲まれていた。良い服を着て、言い訳をつらつら述べている。銃弾が二、三発撃ち込まれ、その人物が倒れる。
「見るな、急げ」
人混みを脱すれば、しんがりなのか、複数銃弾を撃ち込まれる。当たりそうなものははじき返して、距離を取った。追いかけてくるようである。逃げる者は全員敵という認識なのだろう。ユズは後ろを見ながら走っていたが、張っていたロープに躓いて、勢いよく転げた。
「大丈夫かっ」
アレクシスがすぐに腕を取って、立たせる。腕と額に出血があるが、大した量ではない。
躍り出てきた革命軍が一斉に剣を振り上げて向かってくる。ユズは再び剣を取って、剣を受け、飛び蹴りして複数をねじ伏せた。
「行くぞ!」
前方の敵をとにかく蹴散らして走る。相手に飛び道具がある以上、後ろも警戒しなければならない。凄腕のスナイパーがいるのか、狂いもなく、ユズの心臓を狙った。アレクシスは寸でのところでユズを引き寄せて、それを躱す。
近くの建物に身を隠した。
「ずいぶん狙われたな」
「ちょっとは助けろ」
アレクシスはアルベルトに切れた。
「面白そうだったから。」
アルベルトはそういう享楽的なところもあるようだ。妖精王はいたずら好きだという話も聞くくらいには。
「二人にも姿を消す魔法をかけてやってくれ」
妖精はやっぱり心底嫌そうに、仕方なくユズとアレクシスに魔法をかけた。
追手は、建物に入ってきたが、ユズたちの姿がなく、舌打ちをして出ていく。喧騒が向こうで聞こえる。目の前の脅威は去ったようだ。
「このまま行こうか。あと一時間くらい歩けば、国境だ。」
アルベルトが先導する。透明になってもお互いの姿は見えるようだった。
長かったアーセナル横断もようやく目途がついた。外国に来たのは初めてで、治安のよいとか悪いとかも今までは聞いていただけだったのだが、実際に目の当たりにすると、どうしても考えてしまう。ジュピタルにもいろんな場所があったように世界にもいろんな場所があるのだ。幸せに暮らしている人も苦しんでいる人もいる。自分のいた世界の狭さを、ユズは再度認識して、東の方を見た。実際、そうなのだろうが、なんだかずいぶんと遠くまで来たような、そんな感覚が胸を占めていた。




