喧嘩
ユズが目を覚ませば、見慣れない天井があった。まだ朝は早い時間のようだった。階段からリビングに行けば、昨日と同じ位置にジェイドがいた。あのまま寝てしまったのだろうか。ジェイドがソファで寝ていることは、思えばウラヌスの剣の中でもそうだったし、ラブホテルでもそうだったし、結構頻繁にあるような気がした。ブランケットもかかっている。アレクシスがかけたのかもしれない。今日も今日とて懲りずにユズはジェイドの隣に忍び込む。ジェイドは完全に起きているときは、下心と理性が戦っているようだが、寝ぼけていれば、ユズを抱きよせてくれるし、ユズはそれだけで幸せな気持ちになれる。
「ユズ・・・おいで」
ブランケットをユズの方に多めにかけてくれるし、最近は頬ずりまでしてくれる。好きな人に触れられると、幸せホルモンが出て、脳が麻酔をかけられたような状態になるのだ、とブライアンが難しい話をしていた。オキシトシンとドーパミンとセロトニンとβエンドルフィンという四つの幸せホルモンがあり、とくにβエンドルフィンは脳内モルヒネなんて呼ばれるほど、強いストレスや痛みを感じた時に分泌されるものなのだそうだ。何を言っているかさっぱりわからなかったが、エッチな話だな、と感じた。
ジェイドの目元に青痣が見えて、こうしてユズがまたジェイドにくっついていることで、ユズではなく、彼が殴られるのはかわいそうだ・・・とユズは思い、アレクシスが起きてくる前にはここから抜け出さないといけないと思った。アレクシスの部屋から物音がしたから、ジェイドを引きはがして、ソファに寝かしつける。
「・・・そいつ、結局そこで寝たのか」
「おはよう、アレク。今日は、私が目玉焼きを作ってあげる」
「卵は買ってきてねえ。」
昨日の夜にある程度、食料をと思って、カップラーメン、食パン、ハム、レタス、トマト、チーズ、小麦粉、牛乳にオレンジジュース、炭酸水・・・などを買ったが、卵はなかった。
「ベーコンも焼けるよ」
「お前は座ってろ。」
アレクシスはやっぱりユズには何もさせてくれない。まあアレクシスはそういうやつである。ユズは諦めて、走り込みしてくる、と外へ出て行った。冷たい空気は肌を刺し、冬の訪れを感じた。
戻ってきたら、ジェイドは起きていて、寒いのにえらいな、とユズを褒めてくれた。アレクシスがサンドイッチを作ったようで、それを食べて、オレンジジュースを一気飲みする。寒いけど走れば身体はぽかぽかだった。
三人は辺境伯の屋敷を訪ねることにした。辺境伯家の侍女たちは昨日見た民族衣装のドレスを着ている。薄青色で胸は合わせ襟でリボンがついており、リボンの下は襞のあしらったスカート風のドレスだ。
「やっぱり可愛いな、ユズが着れば似合うと思うんだが」
「妄想は頭の中だけにしてくれ、王弟殿下」
「アレクは見たくないのか?そうだ!今度はお前がユズにドレスを見立ててやればいいじゃないか。ユズとデートは楽しかったぞ。」
アレクシスはギロッとジェイドを睨む。
「アレクとはデートしたくない。」
そしてユズはにべもなく言う。
「じゃあ、しょうがない、三人だな」
ジェイドは妥協した。アレクシスは外で待つらしい。ジェイドとユズは侍女に応接の間に通され、そこでしばらく待った。紅茶やケーキが運ばれてきて、ユズはためらいもなく食べていた。ジェイドは自分のケーキをユズにあげた。ユズはありがたくもらった。
コンコンとノックが響いて、侍女がドアを開ける。ひときわ華美な中華ドレスをまとった女の人は皆がこの世のものではないと表現するような美しさだった。彼女は妖怪であり聖獣なのだから、実際にこの世のものではないのだけれど。扇子で顔の半分は隠れていてもなお、息をのむ美しさだった、黒い髪は左右に団子で束ねて、花やリボンで飾られており、睫はうっとりするほど長く、茶色の濃いような瞳は大きく、整っている。額には赤い三つの花鈿があった。
「妾がタマモだ。ユズ、赤子の時以来じゃな。まあなんと・・・トパーズともオニキスとも似て・・・グリフォンが好みそうな顔だこと。」
玉藻の前はユズににっこりと微笑んだ。ユズは撃ち抜かれた。この世にこんな美女が存在していたら、全世界の男はみな篭絡されてしまうに違いない。
「それも可能じゃが・・・おもしろくないからやめた」
「や、やったことがあるんですか!」
「妾ぐらい生きていれば、やってないことのほうが少ないわ。何か面白いことはないかしらねェ」
にこにこと機嫌がよさそうに彼女は微笑んでいる。トパーズに娘が生まれたのは彼女にしてみればつい最近のことなのだが、もうこの子も15,いや、もうすぐ16になるというのだ。
「妾のケーキも食べるか?そち、ユズが所望しておる、もっとケーキをもて」
「はいただいま」
「それで、そちらがウラヌスタリアの王弟殿下とな。」
「はい、こちらがジェイドです」
「お初お目にかかります。」
ジェイドは恐る恐るた頭を下げる。ジェイドは正直、人間離れしているタマモは恐ろしく思った。綺麗とか美しいよりも恐ろしい、というほうが正しい。心臓がどきどきと忙しないのは、魅了されてではなく、恐怖を感じていた。
「それは、そちの魂が悪魔由来のものだからだねぇ。妾に食われると察知しておるのだろう」
タマモは考えていることにも反応できるようだ。ミニグリフォンやノルンのときと同じである。
「た、単刀直入にお聞きしたいことがあります」
「なんでもどうぞ」
「魔法比べに優勝すると加護がもらえる、というのは」
「ああ、あれは偽物のタマモがやっておることでな。いや、妾が偽物かも知れぬし、それはそちが見分けておくれ」
妖狐の里には、タマモが複数生息しているようだ。
「・・・あなたが本物だとすれば、加護はどうやったらもらえますか」
「妾はお前の魂が食いたいわ、四つもあるのね、ありがとう」
「全部食べちゃダメですっ、ラルフに残すって約束もあるし」
「ラルフごとき妾の相手ではなくってよ、蛇は嫌いなの」
「・・・食べたがったのは、今まではラルフと、あなただけですね?」
「他の聖獣はひよっこだものね、悪魔を食べたことがないからじゃない?」
タマモとラルフは代替わりをしない聖獣だと、ブライアンがいっていた。この国の起こりの当時、いやそれよりも前からずっと生きている、と。
「食べて、影響はないのでしょうか・・・その、悪魔に操られるとか」
「ないわ。人間とは違うのよ。そちは悪魔が加護を集めてこいっていったのが気にかかっているのよね。フェニックスの依り代が言ったように、聖獣を鏡の位置に呼び寄せることが目的でしょうね。鏡の位置で、また封印の儀をすれば、ジュピタルの封印が解けるのだと思っているようよ。」
「解けるんですか、解けたら、やばくないですか」
「やばいけど、別にこの国がどうなろうと、妾が知ったことではないわ。」
「え、この国、守ってるんですよね」
「そうねぇ、妾は妖狐の里だけをもとい妖たちを守れればいいのよ。ラルフもそういっていたでしょ、あいつはリスクーザ、魔の森で囲んでいるところだけは栄えさせる。ドラゴンは人間と生きるって決めたみたいだけど、なんかゴッドがいない間にひどい扱いになってたじゃない?人間ってそういう酷いところがあるわけ。フェニックスにいたっては人間嫌いだから、滅びろ、くらいに思ってるでしょ。もうそちたちが行かなかったら、自分のところも滅ぼそうとしてたわよね。聖獣はね、人間の営みには関与しないのが普通よ。それを破ったのがグリフォンよ、戦闘狂が、人間を使ってあらゆる戦争を起こしやがるから、妾たちで囲ってジュピタルから出さないようにしてるわけ」
ユズもジェイドも聞いてびっくりした。そういう位置配置だったのか、と。ミニグリフォンは出てきて、ユズの肩に止まった。
『そういう言い方はよくないと思う・・・ユズ、タマモは妖で人を幻惑するんだ、言うことを聞いてはいけないよ』
「お前が幻惑だろうがよ、こんないたいけな女の子唆してんじゃないわよ。」
タマモはもはやキャラを崩していた。出てきた時の可憐さは偽りだったらしい。
『しかし、悪魔は地底を通じて現れてしまったのは事実だし、我々のせいだろう、責任をとらねばならない。』
グリフォンは言う。
「まあ、良いわ。鏡の位置で封印の儀をするってことね。でも加護をただであげることはもちろんできない。命をくれないなら、その偽タマモが主催している魔法比べ?優勝してきてよ。」
「あ、別に一個なら、俺は構いませんけど」
ジェイドは怖いけれどそう申し出てみた。
「可愛い坊や?四つもあるのに一個だけとか出し惜しみするものではないのよ、それはね、妾にとっては麻薬のようなものなのよ、猫に木天蓼とでもいうのかしら。一個食べたら止まらなくなるわ。ラルフもだから我慢したんだと思うの。5回死ねるから、って追い出されたのかもしれないけど、一つでも差し出していたら、間違いなく、最後までしゃぶりつくされるわね、悪魔はあんたが帰ってくるなんて、最初っから計算外だったんじゃないかしら。だからダンテをけしかけてドラゴンを殺そうとするし、万病薬を作れないフェニックスを攻めるし、うちでも最近偽のタマモが何かやってるしねェ。」
ドラゴン辺境の黒幕は悪魔だったのは知っていたが、フェニックスのあの連合軍も悪魔がけしかけてきたのだとタマモは言った。今のジュピタルはゴッドドラゴンがいなかった東、そして代替わりして依り代に17年間役割を預けていた南は狙い目だったのだそうだ。
どういうわけか、そういうピンチのときに加護を集める者が出てきて、最終的にジュピタル王国を救ってくれるのだ。加護をもらいに来るものではなく、集める者が現れる、ということは、その実、国が一大事を迎えるということ。そういえばオニキスはそのことを理解せずに鏡の位置の国へ行ったのだったか・・・とタマモはグリフォンの長男に思いをはせた。オニキスは、特別な子だ。こういうめぐり合わせで生まれてきたとしか言いようがない。
「偽タマモの正体を暴いて、問題を解決してみせてちょうだい。それができたら加護を与えましょう。」
「あなたは全知の聖獣ですよね、偽の玉藻の前のことだってご存じのはずだ」
ジェイドは確信的に言う。タマモは目を細めた。
「ええ、知っているわ。妾はここから出られないのよ。だから代わりに頼んでいるの。それに、そちのことも試したい。加護を与えられる人物かどうか。ユズは可愛いし、すぐにでもあげたいわ。でもあなたはおバカさんじゃない?妾の加護は耐えられないと思うの。」
「え」
ユズはちょっとショックだった。泣きそうになって、ジェイドを見る。ジェイドは何とも言えない庇護欲を感じて、ユズを抱きしめそうになったが我慢した。
「わかりました・・・」
「ユズ、いつでも訪ねてきてね。むしろここに逗留しても良いのよ。ユズだけだけど」
「ジェイドのことを守らなきゃいけないから」
「なるほど、オニキスやマリカが殺したくなるのも分かる気がする」
すん、とタマモは真顔になってジェイドを見た。ゾクゾクっと悪寒がして、ジェイドは後ずさる。屋敷から出て、アレクシスと合流すると、殺気から解放されて、一息ついた。
「どうだった、絶世の美女」
アレクシスでもそれには興味があるのだろうか。
「俺は、二度と会いたくない」
ジェイドは青い顔でそう言うにとどめた。
午後は町を見て、主に食料の買い物をして、寮に荷物を置いてからアカデミーの見学へ行った。見学者は常に多数いるので自由に出入りできるらしい。妖術アカデミーは妖術使いの卵たちが妖術を扱う訓練をする場所だ。妖と契約してもすぐに妖術が使えるようになるわけではなく一定数の訓練が必要なのだという。
契約している妖にも使える術の得手不得手ももちろんあるようだ。例えば雪女は今の時期は無双だし氷とか雪とかに関する術が得意だが、火にはめっぽう弱い。新米の妖術使いは一匹としか契約していないが、セドリックは教えてはくれないが、複数契約しているのだそうだ。契約している妖を教えるのは弱点を教えることになる、と言って、パートナーであるはずのジェイドにも教えてはくれていない。
妖術使いのこともジェイドは調べておく必要があると感じた。アカデミーには資料や図書も豊富にある、ということで生徒を見るより、資料室に行くという。彼には魔法は生まれながらに接してきたものだから、別にみてもあまり感動などはないようだった。
ユズはアレクシスと生徒の実施訓練の見学をしていた。
「わー、可愛いね、あれが妖怪」
「可愛くはねえだろ」
ユズはある生徒に目玉おやじがくっついているのを見た。アレクシスには生き物を愛でるという心はないらしい。他にも烏天狗が人に羽を生やして空を飛ばしていたり、生徒が猫耳になっていたり、魔法の絨毯で飛んでいたり、火や水を自由自在に扱っているのを間近で見た。
「魔法ってやっぱりすごい」
「・・・あれば便利ではあるか。」
アレクシスはしかし剣で立身出世するのに困ってはいない。昨今は魔法がなくても魔法を使えたり、火を起こせたり、電気が使えたり、技術も進んでいるのだ。
「ジュピタルで暮らす分には問題ないんじゃないか」
ジュピタルで暮らすということは、国から出ないということか・・・とユズは思いを巡らせた。今、ユズはユーピテルから出て、いろんな国があることを知って、狭い世界しか知らなかった頃に戻ることはもう出来ない気がした。いろんな国のいろんな価値観を知ってみたい。ジュピタルから出たい、なんて言い出したら、きっと監禁ものだ。行くならば黙って出て行かなくてはいけない。アレクシスは、このままジュピタルで生きていくのだろうか。
「アレクってやっぱりアンダーソン家を継ぐの?うちに養子に入るのって考えてる?」
ユズはいっそアレクシスに聞いてしまおうと思った。彼は一人息子だから、彼をグリフォン家が取ってしまえば、後継ぎがいなくなる。だからユズは自分とアレクシスが結婚する説を勝手につぶしてきたのだ。アレクシスと結婚することはユズにはあんまり現実的には捉えられていない。父や兄の冗談だと思っていた。しかし現実的に考えてみれば、マリカの言うようにきっとユズはほっとかれて、彼はしょっちゅう兄と仕事をしているような未来しか思い浮かばない。アレクシスがユズに愛をささやいてくれたり、優しく笑いかけてくれたりする姿は全然想像できない。兄と結婚すればいいのだ、アレクシスは。
「家は継ぎたい。爵位をもらおうと考えてる」
「・・・そう、なら父上に」
ユズは、アレクシスが爵位はいらないから、ジェネラルになりたいと言っていたときを懐かしく思い出した。爵位を望む、ということは貴族社会の現実を受け入れるということだ。ユズは騎士職である彼に憧れた。自分の武力をもって、人の役に立てることは栄誉であり、主人に忠誠を誓い、戦う姿はいつだってカッコよかった。しかし、騎士はあくまで王侯貴族の護衛の立場、あるいは軍に吸収される一騎兵でしかない。だからジェネラル級になるのなら、爵位が必要なのだ。
彼の実力なら、グリフォン侯爵家やそれこそスタンシャイン大公家から王家に口利きすれば、あっというまに爵位は賜れるのではないかと思った。
「21までに、自分の力でできるところまで出世する。」
楽な道は選ばない、というのは自分に課しているのだろうか。それこそヴィアンカの伯爵家、ミリアリアの辺境伯家、そしてユズの侯爵家・・・縁ある爵位を持つ家はたくさんあり、彼をぜひにと欲しがっているのに。
「それで・・・お前はどこまでなら輿入れできるんだ」
「え、なんのこと」
「爵位、最低伯爵か?」
「えーっと・・・私は、あんまりそういうのは考えてなくて」
ユズはなんでか自分の話になったので、頭を白黒させた。
「お前に聞いてもだめか。」
アレクシスは諦めた。馬鹿にされている。ユズは詳しくは分からないけれど、そういうのは分かるのだ。でも詳しく分からないから言い返せない。
「ユズ、」
「・・・・何」
「俺が爵位をもらったら、また何かくれるか」
「何か欲しいものでもあるの」
「ああ、ずっと欲しかったものがある」
「私からあげられるものなら、何でもあげるけど」
アレクシスが欲しがるものをユズが持っていることなんてあるのだろうか。
「そうか、楽しみにしてる。ユズ、それまでお前に何ができるか教えてやろうか」
「はあ?」
アレクシスは珍しくその秀麗な顔で少し微笑んでくれた。こういう優しい顔でいつもいてくれたら、ユズはもう少し彼に懐くのに、なんてちんちくりんなことを考えている。アカデミーの女生徒はもうアレクシスにくぎ付けで実施訓練どころではないのが現状であった。その彼がユズに微笑みかけているのだから、ユズには相当数の敵意の目線と、微笑みに見惚れてバタバタ倒れる光景が散見された。いつか思った。彼は間接的に人を殺せるのだということが事実であると判明した瞬間だった。
「ジェイドを諦めることだ。」
室内なのに、どうしてかユズの中では風が吹いた気がした。アレクシスはユズの目から視線を外す。ユズの頭をそっと撫でてくれる。
「・・・どうして、そんなこと言うの」
ユズは、言いようのない怒りを感じて、でも、誰にぶつけたらいいのかも分からなかった。アレクシスだって何も言わない。だから分かったのだ、それを言うのは、彼の優しさからだと、それがユズのためだと。なお一層、ユズには受け入れがたいことなのに。
「どうしてそんなこと言うのよ!」
頭の手を振り払って、ユズはアレクシスを突き飛ばそうとしたけど、動かない。ならば、自分から離れるしかない。
「アレクなんか、嫌い。嫌いだ」
半分泣いて、そんなことしか言えない自分もユズは嫌いだ。言葉が口から出てこない。ユズはアカデミーから飛び出して、寮に戻って、部屋に閉じこもった。
いまさら、どうしてジェイドを諦められるというのだろう。アレクシスは、現実を見ているから、そんな冷たいことが言えるのだろうか。だけど、ユズはブライアンと約束した。ブライアンはジェイドが生きる未来を願うのはいいことだと言ってくれた。ユズは誰にも言えないであの思いを抱えていて、それを彼に話して、彼が一緒に願うと言ってくれてどれだけ救われたかしれない。なのに、アレクシスはまたどん底に突き落とすようなことを言う。ユズだけが、ジェイドを救いたいと思って、この旅をしているのだろうか。アレクシスにはジェイドがいなくなっても何にも感じないことなのだろうか。そんなことはないと、ユズは信じたかった。アレクシスは割り切っているけれど、人の心がある人だ。ユズが、未熟なだけで。でもどうしたって、ユズには割り切れないことだった。
***
ジェイドが資料室から出てきたら、ユズもアレクシスもいなかったから先に帰ったのだろうと思った。生徒は3時で授業が終わり、セドリックもじゃあ、今から2時間な、とまずはお互い攻撃魔法を出し合おうという。セドリックの契約している妖はこの攻撃魔法から推測はできるだろうか・・・とジェイドは悠長に考えていれば、足元から氷が襲い掛かってきた。
「わぁああ!いきなり殺しに来てるだろ!?」
「本気で行く。優勝を狙うんだろ」
「いやいや、俺はあんまり攻撃は鍛えてないっ」
雷も落ちてくるし、マグマのような石もバズーカ砲になって飛んできた。もう未知だ、彼の実力は計り知れない。これでも優勝できないというのだから、魔法比べの上位進出者は並みの実力ではないのかもしれない。
「すばしっこくはあるけど、なかなか満身創痍だ、可哀そうに」
「・・・なら、やめてくれてもよかったんですが・・・」
ジェイドはボロボロになりながら、攻撃魔法を相殺する方向の魔法術式を大急ぎで作成して、なんとか切り抜けた。
「攻撃魔法の魔法比べは先攻後攻なく、どちらかが倒れるまでだ。制限時間15分で決着がつかなかった場合はパフォーマンスで評価される。だからなるべく派手な攻撃魔法を使った方がいいぜ」
魔法比べのお題はその時々だが、攻撃魔法は一回戦目でよく出されるお題だとセドリックは今までの魔法比べに出場した経験から話した。
「地味で・・・悪かったな」
「じゃ、次は、変身術系をやろうか。お題としてはこんなのがあって・・・」
変身術は物理化学と似ている、とジェイドは思っていた。それ相応を作り上げる物質というものが決まった結びつきをすることで、例えばカーボンがダイヤモンドになることは有名だ。違う生き物を別の生き物に作り替えるには、内臓が一対一になっているか、代用するものが用意されているか、などを考える必要がある。それは妖術も同じらしく、変える工程に魔術や妖術が使われているだけらしい。
「そこんところ分かってんなら、大丈夫そうだな、よかったー、ユズちゃんなら無理だったろうな」
「ユズみたいなのは、魔法使いには向かないと思う・・・」
なら、この妖をねずみに変えてみろ、とセドリックはジェイドの目の前に、手のひらサイズのコロポックルを持ってきた。彼はいきなりむんずと捕らえられて怒っているようだった。
「・・・ええっとすみません、ねずみになってください」
ウラヌスの剣から一筋光が出て、コロポックルがネズミに変わる。ネズミはキャ!と一声発して、セドリックの手のひらか逃げて行った。数分後にはコロポックルに戻るだろう。
「まあまあか・・・ジェイドは卒はないけど、特化したもんもねえ感じだな」
「あの、ほんと、すみません、俺なんかがパートナーになってしまって」
セドリックは純魔法使いなだけでアドバンテージはある、と言って、二時間特訓と銘打った小手調べが続いたのだった。
久しぶりに魔法をこんなに使って、さすがに疲れ切った。なんせジュピタルは魔素がない。ここには霊力はあれど、魔素はないのだ。ウラヌスの剣がそれの代わりを果たしていたとしても、これだけ使えば自分自身の体力や精神力に負担がかかる。別にジェイドは魔法使いと思われてはいるが、兄のエルドラドのようにこれを本職にしているわけではないし、使わなきゃ使わないくらいの気持ちでいるのだ。
仮住まいの寮に戻るが、リビングは真っ暗だ。アレクシスの部屋は電気がついているようだから、いるにはいるんだろう。ユズとアレクシスは、二人でいるのは手合わせしている時ぐらいで、あとはおのおの過ごすのが彼らの距離感なのだろうか。ジェイドが玄関に来れば、アレクシスが部屋から出てきた。
「ただいま」
「・・・飯は?用意してねえけど」
「なら、作ろうか。ユズのこと呼んできてくれ」
「喧嘩したからしばらくあいつとは話さねえ。俺が部屋にこもるから、お前が呼んで来い。」
「・・・・」
アレクシスはバタンと部屋のドアを閉めた。どうやらそういう理由で、お互い部屋にいたようだった。アレクシスとユズは相性が良くない。二人で長時間いることができない。あれ、これって結婚に支障あるのでは・・・ジェイドの中での結婚生活とアレクシスの中でのそれは乖離しているのだろうか。ああ、確かにアレクシスは相性が好かろうと悪かろうと構わないと言いそうな節はある。心配だ。自分がいなくなった後の二人は、ちゃんとやっていけるのか、とくにユズのほうが。アレクシスはあれで引く手あまたで、ユズにこだわらなければ、アレクシスでも相性のいい女性はいるのだろう。だけどユズは、ああ見えて頑固だから、自分でしっかり考えて、どうしても納得できなければきっと・・・そこまで考えてジェイドは首を振った。今、自分にできることをしようと思うのだ。将来でなくて、今、彼女を幸せにできればいいと思うようにジェイドはなっていた。
「ユズー、起きてるかー?」
階下から呼びかけてみた。二階は立ち入り禁止だからだ。ユズは答えてくれない。大体ユズとアレクシスの喧嘩はアレクシスにユズが言い返せないで爆発して終了パタンだろう。ユズは何をしてアレクシスを怒らせたのか、いや逆か、もうジェイドには原因は分からない。立ち入り禁止だけど、アレクシスは関与しないようだから、自分が行くしかない。
二階にも部屋が三つほどあって、ベッドが二つずつ並んである。ユズは階段に近い手前の部屋にいるらしく、そこだけドアが閉まっていた。
「ユズさーん・・・開けていいですかー」
ノックをすれば、ガチャリとドアが開いた。起きていたようだ。
「腹は減ってないか。カレー作ったんだけど」
「・・・」
ユズは頷いて、ジェイドについて階段を下りた。
「ジェイド、傷だらけだね」
「うん、セドの特訓がスパルタで・・・優勝しなきゃならないし」
「お風呂入ったら、私が傷薬塗ってあげるね」
「ありがとな。」
ユズはアレクシスがいないことをちっとも気にしていないようなそぶりで、だけどチラチラ彼の部屋の方を気にしていた。ジェイドは彼と彼女の間にはもうあまり介入しようとは思わなかった。二人でソファに座って、傷の手当をして、なんとなく手に触れて大丈夫そうなら握って。
「今日、アレクに、「ユズ、こういうときは、他の男の名前なんか出すなって」
「どういうときだよ、ジェイド最近調子に乗ってない?」
ユズは喧嘩のことは、ジェイドに話せる内容ではないから言葉を選ばないとだめだよな、と思いながら話そうとしたのに、出ばなをくじかれた。ただでさえ話が苦手なのに。調子に乗ってるとき、彼はたいていスケベだ。
「魔法いっぱいつかって疲れた。俺も補給したい」
「補給って・・・・?優しくすればいいの?」
ユズが、可愛すぎる・・・自分はどうして自分を苦しめるような展開をいつもしてしまうのか、ジェイドは早くも後悔した。
「もちろん、お前の優しさで、もうマックスくらいには補給できるわ。うん、ありがとう。」
「でも、セドとあの女の人はエッチして補給するみたいな言い方だった」
「深掘りは止めよう、霊力はそうやって補給できるんだろ」
自分自身の中の魔力や霊力はまあ、食べ物を補給するとか、睡眠をとるとか、一説には性欲を満たすことも回復にはなると聞く。そりゃあ好きな子とそういうことができたら、気力はもう最高になるのは違いないとはジェイドも思うのだ。
「ユズ、やっぱり明日、ドレスを買いに行こうか、俺の魔力を回復するためには、お前は可愛くならなきゃ」
「・・・・それは・・・・贈ったドレスを着せたら脱がせたいというあれですか」
「違います!違うくないけど、違うんです!お前はどうしてそんなに・・・可愛いんだろうな」
しょうがないな、とジェイドは目を細めた。こんなくだらない会話をいつまでしてられるのか、この里を出たらもう、あとはウラヌスタリアまで戻る。戻ったら、待ったなしで戦争で、死ぬかもしれない。寿命でなくても。彼女だって無事ではいられないかもしれない。そうだ、未来のことだなんて、誰にも分からないじゃないか。そう考えれば、自分の身の上も少しは楽に思える。
「さて、じゃあ、どうしてアレクシスと喧嘩したのか教えてもらってもいいか」
「・・・・アレクが酷いこと言うから、私が怒ったんだよ。」
ジェイドはユズが続きを話すのを待っているようだった。ユズはぐるぐると頭の中で言いたいこと、言ってはいけないことを考える。
「アレクは私に結婚してくれって、正直にはっきり言えばよかったのに、勝機がないから逃げたんだよ」
「ええ・・・まさかのプロポーズで喧嘩してたのか・・・」
普通男というものは、これはいける、落とせると思ったとき以外告白もできないし、プロポーズなんてもっての外だという臆病な生き物である。
「逃げ方がひどかった。私はしばらくアレクシスとは口は聞かないから!」
アレクシスはなんと言って彼女を怒らせたのか、ということはプロポーズが失敗したということなのか・・・ジェイドはこれは本格的に深くかかわらないようにしよう、と思ったのだった。




