兄上への手紙
妖狐の里編スタートです。
南辺境から西辺境へ行くには大きなカルデラ湖を船で行くルートが最短だが、ジェイドはおよそ1年前は船が転覆する事故が多発していることを聞いて、船には乗らずに湖の外周に沿って馬に乗って行ったらしい。そのルートだと1週間、船に乗れば3日でつくと言う。ただその湖まで行くのに丸一日歩く必要があった。道中は、ユズが先頭を歩いていた。それをアレクシスがジャスティスを牽きながらついて行って、ジェイドは最後尾を行く。アレクシスはユズにもジェイドにも話しかけることができなかった。ユズはもともと口下手だし、南辺境を出てからは気持ちが落ち込み、それに拍車がかかったようだ。ジェイドもジェイドで思うところがあるのか、必要最低限の会話しかしない。
アレクシスは、戦に出れば人が死ぬのは当たり前だと思う。自分の手塩にかけた部下が死ぬこともあれば、気の置けない同僚が死ぬこともあるのだ、と幼いころからの軍事教育にて理解はしていた。だからだろうか、自分は感情の面では、相手に入れ込まないようにしているきらいはある。ユズやジェイドは違うのだろう。誰かと知り合えば、ある程度の情を入れ込んでしまう。
ユズはおそらくもうとっくにジェイドに情があるだろう。友情なのか愛情なのか恋情なのかは知らない。ユズの気持ちはアレクシスにとってはどうでも良いことだ。しかしそれが彼女を苛むのは可哀そうだとも感じていた。自分の中にはユズに対しては確かに特別な情はあると断言できる。いずれは彼女を自分のものにしたい。分不相応なのにそう思うのだ。だから、分を貰おうと考えるくらいには。身分をもらうまでは外堀を埋めておけば良いと考えていた。誤算は後ろの男である。あとはユズがデビュタントに行っていたことだ。あの日に戻れるのなら、自分がもう一日早く帰ってきていたら、なんて考えても仕方のないことを考える。
ユズの歩みが遅くなって、アレクシスは追いついた。
「疲れたか」
「別に」
相変わらず塩対応だ。ユズは疲れていても、アレクシスにはそう言わない。
「疲れたなら馬に乗れ」
「あ、ねえ、ジャスティスは船に乗るの?」
「乗らねえ。俺は陸路を馬で行く。今からぶっ通しで行けば、同じくらいに西の関門につく。」
「そう・・・アレク、気を付けてね。ジェイドのことは私に任せて。」
二人で落ち込んでいるから、共倒れになる気がしたし、傷の舐めあいで関係が進展する懸念もあったが、ジェイドは踏み切らないだろう。これまで旅をしてきても何もないのなら、これからも。ジェイドの気持ちに関してもアレクシスにはどうでも良いことだった。ただ、こうして旅を続けていれば、彼の死ぬ運命には少なからず動揺する。そしていつも落ち着けるのに苦労する。彼に対する自分の情を認めれば、旅が早く終わってほしいような、永遠に続いてほしいような葛藤が出てくるのだ。
「ユズ」
呼べば、何、とユズは自分のほうを向かないまま返事をした。
「怒らないで、今は聞きたくない」
「・・・」
アレクシスはため息をつく。
「今も、だろうがよ。西の関門に俺が先に着いたら、門番に言付けしておく。お前らもそうしてくれ。」
「アレク、西ってどんなところなの」
「ジェイドに聞けよ、俺は行ったことはない。」
アレクシスは馬に跨った。
「アレク、行くのか」
ジェイドが後方から追いついてきた。
「ああ、西で落ち合おう。」
西の都はキュウビというが妖狐の里という名のほうが通っていた。西で辺境伯を務めているのは女領主で絶世の美女で年を取らない・・・という噂をユズは聞いたことがあった。グリフォン侯爵家は西の辺境伯と懇意にしていて父がよく出張で出かけるのだ。母は、領主が美人だからか、父が西に行くことをいつも嫌がっていた。
「任せた」
アレクシスはジェイドに言って、馬を蹴った。アレクシスに野宿を強いらねばならないことにジェイドは申し訳なく思った。全員で陸のルートを通る方法も考えたが、アレクシスの馬で、アレクシスだから三日で西まで行けるのであって、ユズとジェイドが乗れば、そうはならない。
「ユズ、もう少し歩かなきゃいけない。朝一番の船に乗りたいから。」
ジェイドがそういうと、ユズは頷いてまた歩き出した。風が、だんだんと冷たくなる。季節は11月で、もうすぐ冬がやってくる。ユズの頬や鼻は風にさらされて赤くなっていた。船の旅はこの季節は少し心配だった。転覆した場合、冷たい水を浴びることになるし、ユズは泳げないのだ。
「なんか、二人でこうして歩くのは久しぶりだな。」
「そうだね」
ユズはやっぱりジェイドのほうも見ないで返事をした。いつまでも思い詰めていてはいけないことはユズだって分かっている。分かっているのだが気持ちに折り合いがつかないでいた。そして、ユズはその気持ちを、どうしたってうまく言葉にすることはできない。心の中だけでぐるぐると考えている。
「バジリスク領以来だ。ラルフやスカーレットは元気かな。」
ジェイドの声が耳を打つ。ユズは今、生きていて、彼も生きているのだ・・・と漠然と思った。彼との時間を、大切にしなければいけない。そういつも考えているのに、どうすればそうできるのかは分からなかった。これはユズだけが考えていることなのだろう。
「ジェイド」
「ん?」
「ジェイドは・・・」
してみたいことはあるか、やっておきたいことはないのか・・・ユズにはやっぱり言葉にすることができなかった。彼にはとても聞けないのだ。
「ユズ」
優しく、彼がすごく優しく声をかけてくれる。
「なんでも我慢しないで言ってくれよ。俺はさ、お前に無理させんなっていろんなやつから言われてんだからさ。」
ジェイドは適度に話を振りながら、ユズの隣を歩いてくれた。ユズは頷いたり、少し考えたりしてその話を基本は聞きながら歩いていた。
「そういえば、オニキスのお兄さんに手紙は書いたのか?」
「書いてない。書くことない。」
「なら書こう。なんて書こうか。」
ユズはまたむっつりと黙ってしまう。少し顔は上がって、困ったように眉を下げていた。ユズは手紙なんて書いたことももらったこともなかった。普通のご令嬢なら、見初められたら殿方から手紙が届くということは知っていた。エルヴィンとマリカも文通から始まって、マリカは嬉しそうにエルヴィンからの手紙をユズに見せてくれたことを思い出す。
「何でも良いんだぞ、ユズが兄上に話したいと思うことを書くんだ。」
「うーん・・・ない」
「さすがに可哀そうだって」
ジェイドはちょっと笑いながら、じゃあ、俺が書いてやろうか、と文面を考え始める。そのうち西側に日が沈んでいく。暗い中をもう少し歩いて行けば、夜空を移した黒い大きな水面が現れた。向こう岸はとても見えない大きな湖だ。ユズは海を見たことがないが、海はもっと広大で果てがないのだと言う。湖のそばに大きな宿屋があった。
「ユズ、アレクもいないし、同室に泊まるか」
ユズはとうとう顔を上げた。いたずらっぽく微笑んでいるジェイドの顔を久しぶりに見た気がした。
「アレクに怒られても知らないよ」
「もうなんか、それが一連の流れになってるよな。」
ジェイドは他人事のようにつぶやく。ユズには一応アレクシスには秘密で、とは言うのだ。だけどアレクシスはそういうことに関しては、目敏く勘づくのだ。もはや隠さないで、そうあるべきである、とジェイドは結論を導いた。
「いいだろ、二人だし。手紙も書かないと。」
というか、宿屋の治安が良くないのだ。暴漢も出れば、娼婦だっている。そんなところにユズ一人を置いて、とてもジェイドは安心して眠れない。明日は朝一の船に乗る。眠れないがために寝過ごしたくはない。ツインの部屋が取れたのは幸いだ。部屋に荷物を置いて、夕食を取りに併設の食堂に入った。
ビーフストロガノフをご飯に乗せて食べて、コーンクリームスープを飲めば、冷えた体が温まってきた。
「兄ちゃん、相席良いか?」
他に席が空いているのに、ガタイが良く、強面の男がジェイドの隣に座って肩に手を回す。
「金があるなら出しな。金がねえなら、お嬢ちゃんをもらっていく」
ユズは別の男に後ろから腕を回され、刃物を突き付けられていた。ユズはジェイドに危害が及ばないか、店の間取りはどうだったか、のろのろ考えた。間合いに入られたのは気が抜けていたからか・・・だめだな、こんなのでは。アレクシスにジェイドを任せて、なんて大口叩いたのに、と思考は現状を考えるよりも自分の失態の落ち度を反省している。ユズはぶんぶんと首を振って、ナイフを持つ男の手を掴む。
「大人しくしとけよ、おじょうちゃあああああん!?」
男は見事に背負い投げされて、ナイフは床に転がった。
「・・・・くそ、こいつがどうなっても良いのか」
男と女なら女が弱いと決めつけていたがこいつらは違うらしい。ならこっちか、とそのままジェイドの肩から首に手を回そうとしたが、遅かった。テーブルを飛び越えたユズの蹴りが顔面に命中した。忘れていたけどこの子は体術も相当だった。
「ジェイド、怪我はない!?」
「あ、はい。いつも、ありがとうございます。」
「お前!ジェイドに手ェ出したら、タダじゃすまないんだからな!」
「もう済んでねえけどな・・・」
背負い投げされた男は伸びていたし、顔面に飛び蹴りされた男は歯が折れていた。仲間と思しき暴漢たちがそそくさと店を出ていく。集団に狙われていたようだ。伸びた二人は憲兵に差し出して、店主は暴漢たちを追い払ってくれたユズに感謝し、フライドポテトをサービスしてくれた。
部屋に戻る途中、部屋でやれよ、と思うが、部屋の前でわざわざ熱烈なキスをしているカップルがいる。ジェイドは思わずユズの目を塞いだ。遅かったかもしれないが塞いでおいた。その部屋の奥が自分たちの部屋なのだ。とても迷惑だ。
「何、ジェイド、離して」
「大丈夫だ、目隠しプレイってあるだろ、な、興味あるだろ」
ジェイドも動揺して支離滅裂な単語が口から出てくる。むしろ自分が大丈夫ではない。
「・・・なんだそれ、」
「ええっと、このまま前に進め、感覚を研ぎ澄ませば、目をつぶっていても道は見える。」
ジェイドが壊れた。ユズはそのまま押されるように歩き、部屋に押しこまれる。ジェイドは部屋にカギをかけて一息ついた。
「じゃあ、手紙!手紙を書こう!」
気を取り直して、カバンから便箋を出す。ユズを文机に座らせて、自分も丸椅子を持ってきて、隣に座る。
「まずは、時候の挨拶と、」
宛名を書いて、近況を教えるのが定石らしい。教えたい近況などあっただろうか、ユズはパチクリと便箋を見つめる。字を書くのは久しぶりだ。
『オニキス兄上 ユズより
寒くなってきましたね。兄上と手合わせがしたいです。』
「ユズ、あと三行は頑張って書けないか!」
ジェイドはオニキスが不憫でならなかった。
「そうだな、大好きな兄上、兄上に会えなくてユズはとても寂しいです。付け加えてみろ」
「・・・気持ち悪い」
ユズは自分の腕をさする。
「そんなことない、ユズは可愛い」
『ジェイドが私を可愛いと言ってくれて、幸せです』
ユズはめんどくさそうに書き加えた。
「んなこと書いたら、殺されるわ!」
ジェイドは便箋をぐしゃぐしゃにして、新しいものを出した。なんでも良いとは言うくせに、何でもよくはないらしい。ユズはやる気をなくした。ジェイドはああでもなく、こうでもなく、たとえばラブレターならこんな感じ・・・とお手本を書いてくれた。
『親愛なるユズへ ジェイドより
いつも悪党や魔物から俺を守ってくれてありがとうございます。ユズのおかげで今日も生きています。
ユズの剣術や体術は見ていてとても綺麗で、強くて、惚れ惚れとします。どんな宝石よりも輝いてみえるあなたの琥珀色の目が大好きです。絹のような亜麻色の髪の毛は最近少し伸びてきましたね。出会った時、切り落としてしまったことが懐かしいです。これから寒くなってきますが、あなたの子ども体温で俺のことを温めください。愛しています。』
「え、これくれるの?私初めてもらった!」
「・・・え、ごめんなんか、ちょっと悪乗りしたが、ほとんど本心だ。」
ユズは手紙を恭しく手に取って、喜んだ。
「で、兄上にもそんな感じで、最低5行は」
「さっきよりも増やさないでよ」
ユズはしょうがなく、また筆を執り、宛名から書き始める。
『親愛なるオニキス兄上 ユズより
兄上、ごきげんよう。ユズは元気です。ウラヌスタリアはどんなことろですか。今フェニックスの加護をもらったのですが、赤い羽根でした。次は妖狐のところにいきます。兄上のご無事を心からお祈りしています。』
出来上がった文面は、少し他人行儀のようにも感じたが、きっとユズの精いっぱいなのだろう。ユズは次はジェイドにお返事を書くね、とまた便箋を引っ張り出した。
『親愛なるジェイド ユズより
ジェイド、さっきは手紙をありがとう。私はあなたの役に立ちたいし、あなたの望むことなんだってしてあげたい。あなたと過ごす時間を大切にしたいのです。心からあなたを愛しています。』
ユズの文面はやはり短い。しかし兄上に書いたものよりは心が伝わってくるような、読んでいて温かくなるような、そんな手紙だった。
「で、手紙だが、この魔石で送るんだぞ。宛先をここに書いて、送る手紙を持つと送れる。」
ユズは魔石にオニキス・グリフォンと記入して、書きあがった手紙を三通持ち上げた。三通ともすぐに消えた。これで相手に届くのだ。素晴らしい技術である。
「あ!ジェイドからもらった手紙を送っちゃった!ジェイドへの返事も送っちゃったわ!」
ユズは一大事だ、とジェイドを見た。
「・・・・え?」
「送り返してもらわなきゃ!」
ユズ、違う、そこじゃない。ジェイドはいつ兄上に会うことになるかは分からなかったが、彼は兄のようなアレクシスではなく、本物の兄である。あんな内容の手紙を見たら、普通はカチコミに来る。
ユズは送り返すようにまた手紙を送っていた。すぐに返信はない。あちらは立て込んでいるのだろうか、とジェイドも少し心配になる。
「ジェイド、兄上が返してくれないかもしれない・・・私にもう一回手紙を書いてくれない?」ユズは落ち込んだようにため息をついた。そうでしょうね、あんな手紙を見たらきっと破り捨てられるだろうな、と近くにいないはずなのに、殺気を感じるように鳥肌が立って、腕をさする。
そして手紙は届いた。
『ユズへ オニキス
変態がそこにいるなら離れろ。手紙は返せない。兄上が三通とも大事にとっておく。
変態へ
ユズに手を出したら殺す。』
すごく物騒な手紙だった。
「ねえ、返してくれないでしょう、うちの兄上って意地悪だ。ジェイドもう一回、書いてくれる?」
ユズはちっとも懲りていない。こんな可愛い妹がいたら、こんな風にもなるか・・・ジェイドはなんとなくオニキスの気持ちを酌んだ。
「ああ、また今度な。もう遅いから寝よう。」
電気を消して、ベッドに横になった。
ギシギシと薄い壁からはベッドの軋む音と、嬌声とが聞こえてきた。
上からも右からも左からも、みんな盛んだな、とユズはぼーっと考えた。ジェイドは「なんか、ごめん・・・ほんと、ごめんな」となぜか謝りながら壁や天井に防音魔法をかけていた。彼が謝る必要はない。部屋は静かになった。
「あ、そういうこと?」
ユズは何かに気づいたらしく、ベッドから身を起こす。
「デリバリーで美女を召喚して、いたすあれですか、私は、邪魔ですね!」
「断じて違いますので、ここにいてください!そういう方とはいたしません!」
ユズはときどき頓珍漢だ。こういうときも要らぬ気を回そうとする。いい加減に意識をしてもらいたい気もするが、先ほどの手紙を思い出して、気を静めた。ベッドは二つある。一つのベッドで寝る必要はない。
「ユズ、一緒に寝るか?」
ジェイドは最近、考えていることと真反対のことが口から出るようになってきた。悪魔の呪いのせいだろう、と自分の都合のいい解釈をしていた。
「えー・・・寒いの?」ユズはこっちを見ないで天井を見ていた。
今の今で、そんなことを言えば、絶対そっちの意味だとユズだって分かっているはずだ。隣の部屋で行われているだろう事象を差していると普通は分かるだろう。一緒に寝るか、なんて明らかに誘っているじゃないか。ジェイド、落ち着け、相手は5歳も年下で、来月やっと16になるらしい。バクバクバクと心臓がおかしいくらい鳴っている。
「・・・無理しないで、ジェイド。私は平気。」
ユズの言っていることは全体分からない。誘い文句に乗っているようで、断っているようで、今思考が変になっているジェイドにはどっちなのか分からなかった。ずっと、自分だって平気だった。彼女と同じ部屋で寝ても、同じ布団で寝ても、これ以上関係を進めることはできない、とブレーキは効いていた。どうして今日は、その制御が天元突破しているのかジェイドも分からない。好きな子が同じ部屋にいる。二人きりである。隣でも、そういうことをしている。ここは、そういう場所なのだと思ってしまっているのだろうか。
「そっちに行っても、いい?」
ダメと言え、ユズ。俺を止めてくれ。こっちを見て、微笑むんじゃない。どこでそんな房中術を覚えてくるんだ、お前は。
「おやすみジェイド、また明日ね」
ユズは布団をかぶって、ジェイドに背を向けた。ジェイドはバクバクと心臓が口から飛び出そうだった。行っても良いと言われたら、自分は行っていただろうか。
「はい、本当に申し訳ありませんでした。」
「ジェイドって意外と場の雰囲気に流されやすいよね」
「面目次第もございません。」
「うんん、」
「ユズ、ありがとう」
ユズはなぜかお礼を言われたが、ベッドの上で目を閉じた。ジェイドはユズより力が弱い。だからそういうことになったとしたら、ユズが抵抗しないことで、それは成立する。ユズはジェイドの望むことならなんでもしてあげたい、それこそこの身を捧げたって構わないくらい、大好きだ。今のお誘いだって、乗れば乗ったで、即物的な欲求は満たされるのかもしれない。だけどその結果、優しいジェイドが傷つくことになる。いくらユズが望んだことだって彼を説得しても、彼は傷つくに違いないのだ。そしたら、きっと旅を一緒に続けることができなくなる。ユズは漠然とそう思っていた。
乗り越えられて、いるのだろうか。自分を大切にしてほしい、とブライアンに言われたことをユズは思い出した。愛の行き着く先に、たとえばこの行為があったとして、でも今は、違う、その時じゃないのだろう。ここで流されてしまえば、ただ、ユズとジェイドの関係を壊してしまうだけのものになってしまう。ユズが憧れているロマンチックな初夜は実現できない。だけどなんだかちぐはぐだ。ユズはジェイドが好きなのに。ジェイドとなら、そういうことをしたっていいくらいには思うのに。気持ちが嚙み合わないことがもどかしい。でも伝えられるわけもなく、こうして互いに気まずくなってしまう。いっそ好きだと伝えたら楽になるのだろうか。逆に苦しくなるのだろうか。そんなことを考えながら、ユズは眠ったのだった。
***
ユズから手紙が来た。しかも三通も。オニキスは嬉しすぎて舞い上がった。黒曜石にも似た目をキラキラさせ、エルドラドに見てくれ!と手紙を見せた。
「中身は読んだのか」
「三通ってことはだぞ、エル。一つは保管用で、一つは観賞用。一つは実用だ。」
「・・・手紙は実用しないだろう、なんて書いてあるんだ?」
オニキスは一つ目を開いた。美しい文字の羅列はなんとなく見覚えのある字だった。
『親愛なるユズへ ジェイドより
いつも悪党や魔物から俺を守ってくれてありがとうございます。ユズのおかげで今日も生きています。
ユズの剣術や体術は見ていてとても綺麗で、強くて、惚れ惚れとします。どんな宝石よりも輝いてみえるあなたの琥珀色の目が大好きです。絹のような亜麻色の髪の毛は最近少し伸びてきましたね。出会った時、切り落としてしまったことが懐かしいです。これから寒くなってきますが、あなたの子ども体温で俺のことを温めください。愛しています。』
手紙はオニキスの手を滑り落ちた。エルドラドは親切に拾ってやる。内容は我が弟から、彼の妹の宛てられたラブレターだ。しかも後半は非常にいかがわしい。第三者が読んで良いような内容ではない。とりあえず自分が預かろう。オニキスに渡したら粉々に裂かれて灰になる気がする。
「次だ、次の手紙はきっとユズからオニキスに宛てたものだよ」
気を取り直させて、エルドラドは二通目を開いた。少し丸い文字は我が妹の筆跡だと、オニキスは嬉しくなるが、一行目で愕然とした。
『親愛なるジェイド ユズより
ジェイド、さっきは手紙をありがとう。私はあなたの役に立ちたいし、あなたの望むことなんだってしてあげたい。あなたと過ごす時間を大切にしたいのです。心からあなたを愛しています。』
オニキスが手紙を握りつぶしそうになる前に、エルドラドはそれを回収した。恋文への返事だった。これは、本格的に思い合っているじゃないか、これは帰ってきたら結婚式をしなければならない。オニキスの思いとは全く反対方向にエルドラドは嬉しく思った。ジェイドが幸せなのは嬉しいし、ユズはすごく可愛らしいので、早く会ってみたい。
一方オニキスは廃人のように項垂れ、最後の手紙は読まずに燃やそうとジッポライターを取り出した。
「オニキス、落ち着くんだ。俺が、開いてやろうか」
「・・・はあ」
オニキスはため息をついて最後の手紙を開いた。
『親愛なるオニキス兄上 ユズより
兄上、ごきげんよう。ユズは元気です。ウラヌスタリアはどんなことろですか。今フェニックスの加護をもらったのですが、赤い羽根でした。次は妖狐のところにいきます。兄上のご無事を心からお祈りしています。』
ユズから、自分に宛てて書かれた手紙だった。オニキスは目を丸くして、何度も何度も読み返した。ユズが、あのユズが自分に手紙をくれた。オニキスにはその事実は何にも代えがたいものだった。端に小さく文字が書かれている。
『これは、ユズが生まれて初めて書いた手紙です。どうぞお収めください』
「ユズが!生まれて初めての手紙を俺に出してくれたのか!」
オニキスはこんなに嬉しいことはここ最近はなく、気分が高揚した。そして、先ほどの恋文のやり取りは如何なる理由があろうとも、抗議をしないと気が済まないことを思い出す。ユズが毒牙にかけられてしまう前に、やつを殺らねばならない。
『ユズへ オニキス
変態がそこにいるなら離れろ。手紙は返せない。兄上が三通とも大事にとっておく。
変態へ
ユズに手を出したら殺す。』
「ええと・・・オニキスは二人の恋は反対なのか」
「当たり前だろう、ユズは渡さん。俺より強い男でないと認めない。こいつ、ユズより弱いんだろう。話にならねえ」
エルドラドは、弟の恋の行く末を慮り、オニキスに苦笑いを向けたのだった。




