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灼熱の時代:五胡十六国時代記④

〇

華北(かほく)の空(そら)は、常(つね)に血(ち)の匂(にお)いを帯(お)びていた。五胡十六国時代(ごこじゅうろくこくじだい)の混乱(こんらん)の中(なか)、覇者(はしゃ)の座(ざ)を争(あらそ)う者(もの)たちの野望(やぼう)が、大地(だいち)を揺(ゆ)るがしていた。338年、その争(あらそ)いの火種(ひだね)は、一(ひと)つの鮮卑族(せんぴぞく)の部族(ぶぞく)に集中(しゅうちゅう)していた。


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虎(とら)の咆哮(ほうこう)と燕(つばめ)の眼光(がんこう)


華北(かほく)を支配(しはい)する後趙(こうちょう)の皇帝(こうてい)は、暴君(ぼうくん)として知(し)られる石虎(せき こ)であった。彼(かれ)は極(きわ)めて残忍(ざんにん)で傲慢(ごうまん)な性格(せいかく)で、己(おのれ)の欲望(よくぼう)と権力(けんりょく)を際限(さいげん)なく追求(ついきゅう)し、民衆(みんしゅう)の苦(くる)しみに無関心(むかんしん)であった。その強大(きょうだい)な軍事力(ぐんじりょく)は、周囲(しゅうい)の国々(くにぐに)に恐(おそ)れられていた。


この年(とし)の初(はじ)め、石虎(せき こ)は新(あら)たな獲物(えもの)に目(め)を付(つ)けた。遼西(りょうせい)の地(ち)に勢力(せいりょく)を張(は)る鮮卑(せんぴ)段部(だんぶ)の指導者(しどうしゃ)、段遼(だん りょう)である。段遼(だん りょう)は乱世(らんせい)の波(なみ)に抗(あらが)い続(つづ)けてきたが、大国(たいこく)の狭間(はざま)で翻弄(ほんろう)(もてあそばれること)されてきた悲運(ひうん)の部族長(ぶぞくちょう)であった。


「段遼(だん りょう)め、度々(たびたび)我(わが)が国境(こっきょう)を脅(おびや)かすとは、許(ゆる)せぬ! 奴(やつ)らを討(う)ち滅(ほろ)ぼせ!」


石虎(せき こ)の号令(ごうれい)は、雷鳴(らいめい)のごとく響(ひび)き渡(わた)った。1月(がつ)、後趙(こうちょう)の大軍(たいぐん)が段遼(だん りょう)の領地(りょうち)である幽州(ゆうしゅう)に侵攻(しんこう)を開始(かいし)した。大地(だいち)を震(ふる)わせるほどの軍勢(ぐんぜい)は、怒涛(どとう)のごとく押(お)し寄(よ)せた。


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燕(つばめ)と虎(とら)の共謀(きょうぼう)


しかし、石虎(せき こ)は単独(たんどく)で動(うご)いたわけではない。彼(かれ)は巧妙(こうみょう)な手(て)を打(う)っていた。それは、遼東(りょうとう)で新(あら)たに「前燕(ぜんえん)」を建国(けんこく)したばかりの慕容皝(ぼよう こう)との同盟(どうめい)であった。慕容皝(ぼよう こう)は、知略(ちりゃく)と武勇(ぶゆう)を兼(かね)備(そな)えた雄大(ゆうだい)な指導者(しどうしゃ)で、冷静(れいせい)な判断力(はんだんりょく)と長期的(ちょうきてき)な視野(しや)を持(も)ち、着実(ちゃくじつ)に勢力(せいりょく)を拡大(かくだい)していた。彼(かれ)もまた、段遼(だん りょう)を自国(じこく)の勢力圏(せいりょくけん)に加(くわ)える好機(こうき)と捉(とら)えていたのだ。


3月(がつ)、慕容皝(ぼよう こう)の軍勢(ぐんぜい)もまた、段遼(だん りょう)の領土(りょうど)に攻(せ)め入(い)った。後趙(こうちょう)の脅威(きょうい)に加(くわ)え、東(ひがし)からも強大(きょうだい)な敵(てき)が迫(せま)る。段遼(だん りょう)の軍(ぐん)は、前後(ぜんご)から挟(はさ)み撃(う)たれる形(かたち)となり、抵抗(ていこう)も虚(むな)しく次々(つぎつぎ)と崩(くず)れ去(さ)っていった。


「もはや、これまでか……」


段遼(だん りょう)は、疲弊(ひへい)(疲れ果てること)しきった兵士(へいし)たちを前(まえ)に、深(ふか)く息(いき)を吐(つ)いた。強大(きょうだい)な二(ふた)つの勢力(せいりょく)の挟撃(きょうげき)(両側から攻撃すること)には、到底(とうてい)抗(あらが)いようがなかった。彼(かれ)は、自(みずか)らの部族(ぶぞく)の存続(そんぞく)を願(ねが)い、ついに前燕(ぜんえん)の慕容皝(ぼよう こう)に降伏(こうふく)することを決意(けつい)した。


こうして、338年、鮮卑(せんぴ)段部(だんぶ)は滅亡(めつぼう)し、その領土(りょうど)は慕容皝(ぼよう こう)の手に渡(わた)った。慕容皝(ぼよう こう)は、この勝利(しょうり)によって前燕(ぜんえん)の基盤(きばん)を確固(かっこ)たるものにし、華北(かほく)の東方(とうほう)に確実(かくじつ)な足場(あしば)を築(きず)き上(あ)げたのである。一方(いっぽう)で、後趙(こうちょう)の石虎(せき こ)は、その残虐(ざんにん)な統治(とうち)を続(つづ)け、さらなる拡大(かくだい)を夢見(ゆめみ)ていた。


乱世(らんせい)の歯車(はぐるま)は、止(と)まることなく回(まわ)り続(つづ)けていた。次(つぎ)に倒(たお)れるのは誰(だれ)か、誰(だれ)が新(あら)たな覇者(はしゃ)となるのか。人々(ひとびと)は不安(ふあん)と期待(きたい)を抱(いだ)きながら、次(つぎ)なる激動(げきどう)を待(ま)っていた。



〇

乱世(らんせい)の渦(うず)巻(ま)く339年、中国(ちゅうごく)の地(ち)は三(み)つの大(おお)きな思惑(おもわく)に彩(いろど)られていた。南(みなみ)では東晋(とうしん)が北(きた)への夢(ゆめ)を抱(いだ)き、華北(かほく)では後趙(こうちょう)の暴君(ぼうくん)が牙(きば)を剥(む)き、東(ひがし)では前燕(ぜんえん)が新(あら)たな獲物(えもの)を探(さが)していた。


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南(みなみ)の都(みやこ)、北伐(ほくばつ)の夢(ゆめ)


江南(こうなん)の建康(けんこう)(現在(げんざい)の南京(なんきん))に都(みやこ)を置(お)く東晋(とうしん)では、有力(ゆうりょく)な政治家(せいじか)である庾亮(ゆ りょう)が、北(きた)の異民族(いみんぞく)を討(う)ち、かつての故地(こち)(先祖代々(せんぞだいだい)の土地(とち))を取り戻(もど)す「北伐(ほくばつ)」の計画(けいかく)を練(ね)っていた。庾亮(ゆ りょう)は高(たか)い理想(りそう)を抱(いだ)き、中原(ちゅうげん)(中国(ちゅうごく)の中心地(ちゅうしんち))回復(かいふく)を目指(めざ)す愛国者(あいこくしゃ)だった。


「華北(かほく)は今(いま)や胡族(こぞく)どもが跋扈(ばっこ)(わがもの顔(がお)に振(ふる)まうこと)し、民(たみ)は塗炭(とたん)の苦(くる)しみを味わっておる。我々(われわれ)晋(しん)の真(まこと)の末裔(まつえい)が、彼(かれ)らを救(すく)い、中原(ちゅうげん)に正義(せいぎ)の光(ひかり)を取(と)り戻(もど)さねばならぬ!」


しかし、彼の熱(あつ)い言葉(ことば)とは裏腹(うらはら)に、北伐(ほくばつ)の実現(じつげん)は容易(ようい)ではなかった。王敦(おうとん)の乱(らん)など、度重(たびかさ)なる内乱(ないらん)で疲弊(ひへい)した東晋(とうしん)の国力(こくりょく)は、未(いま)だ回復(かいふく)していなかったのである。庾亮(ゆ りょう)の理想(りそう)は高(たか)くとも、現実(げんじつ)の壁(かべ)は厚(あつ)かった。結局(けっきょく)、この北伐(ほくばつ)計画(けいかく)は机上(きじょう)の空論(くうろん)(実際(じっさい)には役(やく)に立たない議論(ぎろん)や計画(けいかく))に終(お)わり、陽(ひ)の目(め)を見(み)ることはなかった。


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北(きた)の猛虎(もうこ)、牙(きば)を剥(む)く


その頃(ころ)、華北(かほく)に君臨(くんりん)(君主(くんしゅ)として存在(そんざい)すること)する後趙(こうちょう)の皇帝(こうてい)、石虎(せき こ)は、まさに猛虎(もうこ)の如(ごと)き残忍(ざんにん)さで、その支配(しはい)を広(ひろ)げていた。己(おのれ)の欲望(よくぼう)と権力(けんりょく)を際限(さいげん)なく追求(ついきゅう)する暴君(ぼうくん)は、常(つね)に新(あら)たな獲物(えもの)を求(もと)めていた。


「南方(なんぽう)の晋(しん)め、未(いま)だ我(わ)が威光(いこう)(権力者(けんりょくしゃ)の勢(いきお)い)を知(し)らぬと見える。愚(おろ)かな奴(やつ)らに、後趙(こうちょう)の強大(きょうだい)さを見(み)せつけてやろうぞ!」


石虎(せき こ)の命(めい)により、後趙軍(こうちょうぐん)は東晋(とうしん)領(りょう)へと侵攻(しんこう)を開始(かいし)した。その矛先(ほこさき)は、国境(こっきょう)に近(ちか)い廬江(ろこう)の地(ち)であった。廬江(ろこう)の守(まも)りについていたのは、東晋(とうしん)の廬江太守(ろこうたいしゅ)を務(つと)める袁瓌(えん かい)である。袁瓌(えん かい)は職務(しょくむ)に忠実(ちゅうじつ)で、国(くに)のために命(いのち)を捧(ささ)げた武人(ぶじん)であった。


「何者(なにもの)たりとも、この廬江(ろこう)を越(こ)えさせはせぬ!」


袁瓌(えん かい)は、少(すくな)ない兵(へい)を率(ひき)いて果敢(かかん)に抵抗(ていこう)したが、多勢(たぜい)に無勢(ぶぜい)(少(すくな)い人数(にんずう)では、多(おお)い人数(にんずう)に対抗(たいこう)できないこと)であった。後趙軍(こうちょうぐん)の圧倒的(あっとうてき)な物量(ぶつりょう)の波(なみ)に飲(の)み込(こ)まれ、勇敢(ゆうかん)に戦(たたか)い抜(ぬ)いた末(すえ)に、遂(つい)に戦死(せんし)を遂(と)げた。袁瓌(えん かい)の死(し)は、東晋(とうしん)に重(おも)い衝撃(しょうげき)を与(あた)え、石虎(せき こ)の脅威(きょうい)が現実(げんじつ)のものとなったことを知(し)らしめた。


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東(ひがし)の燕(つばめ)、新(あら)たな地(ち)へ


一方(いっぽう)、東方(とうほう)では、前燕(ぜんえん)の建国者(けんこくしゃ)である慕容皝(ぼよう こう)が、新(あら)たな勢力(せいりょく)を伸(の)ばしていた。彼(かれ)は知略(ちりゃく)と武勇(ぶゆう)を兼(かね)備(そな)えた雄大(ゆうだい)な指導者(しどうしゃ)で、冷徹(れいてつ)な判断力(はんだんりょく)と長期的(ちょうきてき)な視野(しや)を持(も)っていた。


前年(ぜんねん)に段遼(だん りょう)を滅(ほろ)ぼし、遼西(りょうせい)の地(ち)を手中(しゅちゅう)に収(おさ)めた慕容皝(ぼよう こう)は、次(つぎ)なる標的(ひょうてき)として、さらに東(ひがし)に位置(いち)する高句麗(こうくり)(朝鮮半島北部(ちょうせんはんとうほくぶ)から満州(まんしゅう)にかけて栄(さか)えた国(くに))に目(め)を付(つ)けた。


「遼西(りょうせい)は我(わが)がものとなった。次(つぎ)は高句麗(こうくり)だ。奴(やつ)らの力(ちから)を削(そ)ぎ、我(わが)が前燕(ぜんえん)の威光(いこう)をさらに東(ひがし)へと広(ひろ)めるのだ!」


慕容皝(ぼよう こう)の命(めい)の下(もと)、前燕軍(ぜんえんぐん)は高句麗(こうくり)へと侵攻(しんこう)した。高句麗(こうくり)は勇敢(ゆうかん)な国(くに)であったが、前燕(ぜんえん)の勢(いきお)いは止(と)まらなかった。この侵攻(しんこう)は、前燕(ぜんえん)が今後(こんご)、華北(かほく)のみならず、東北アジア(とうほくアジア)へとその影響力(えいきょうりょく)を広(ひろ)げていく序章(じょしょう)(物事(ものごと)の始(はじ)まり)となるのであった。


339年、それぞれの思惑(おもわく)を胸(むね)に、国々(くにぐに)は動(うご)き、血(ち)と涙(なみだ)が大地(だいち)を潤(うるお)した。五胡十六国時代(ごこじゅうろくこくじだい)の混迷(こんめい)は深(ふか)まるばかりで、人々の安寧(あんねい)(平穏(へいおん)で穏(おだ)やかなこと)は、未(いま)だ遠(とお)い先(さき)にあった。



〇

乱世(らんせ)の中国(ちゅうごく)は、刻一刻(こくいっこく)と姿(すがた)を変(か)える。342年からの数年間(すうねんかん)もまた、各地(かくち)で権力(けんりょく)の消長(しょうちょう)が繰(く)り広(ひろ)げられ、未来(みらい)への種(たね)が蒔(ま)かれていった。


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前燕(ぜんえん)の猛攻(もうこう)と高句麗(こうくり)の苦難(くなん)


遼東(りょうとう)に広(ひろ)がる前燕(ぜんえん)の宮殿(きゅうでん)では、知略(ちりゃく)と武勇(ぶゆう)を兼(かね)備(そな)えた雄大(ゆうだい)な指導者(しどうしゃ)、慕容皝(ぼよう こう)の声(こえ)が響(ひび)き渡(わた)っていました。彼は冷静(れいせい)な判断力(はんだんりょく)と長期的(ちょうきてき)な視野(しや)を持(も)ち、着実(ちゃくじつ)に勢力(せいりょく)を拡大(かくだい)していく忍耐力(にんたいりょく)と戦略性(せんりゃくせい)に長(た)けていました。


「高句麗(こうくり)は、未(いま)だ我(わが)が前燕(ぜんえん)の真(まこと)の力(ちから)を知(し)らぬと見(み)える。再(ふたた)び兵(へい)を向(む)け、その都(みやこ)、丸都城(まるどじょう)を攻略(こうりゃく)せよ!」


慕容皝(ぼよう こう)は力強(ちからづよ)く命(めい)じました。すでに一昨年(いっさくねん)も高句麗(こうくり)へ侵攻(しんこう)していた前燕(ぜんえん)は、その勢(いきお)いを増(ま)し、隣国(りんごく)への圧力(あつりょく)を高(たか)めていました。将軍(しょうぐん)たちは気合(きあい)のこもった返事(へんじ)をすると、すぐさま準備(じゅんび)に取り掛(かか)かります。


342年、前燕軍(ぜんえんぐん)は再び(ふたたび)高句麗(こうくり)へと進軍(しんぐん)しました。丸都城(まるどじょう)は、高句麗(こうくり)の堅固(けんご)な都(みやこ)であったものの、前燕(ぜんえん)の猛攻(もうこう)の前(まえ)ではなすすべもなく、ついに陥落(かんらく)しました。都(みやこ)を追(お)われた高句麗(こうくり)の人々(ひとびと)は、東方(とうほう)へと逃(のが)れるより他(ほか)ありませんでした。


しかし、高句麗(こうくり)は簡単(かんたん)には諦(あきら)めません。彼(かれ)らは、一度(いちど)は失(うしな)った丸都城(まるどじょう)を344年には修復(しゅうふく)し、再(ふたた)び遷都(せんと)(都(みやこ)を移(うつ)すこと)します。その不屈(ふくつ)の精神(せいしん)は、小国(しょうこく)ながらも乱世(らんせ)を生(い)き抜(ぬ)く高句麗(こうくり)の力(ちから)となっていたのです。


一方(いっぽう)、慕容皝(ぼよう こう)の勢(いきお)いは止(と)まることを知(し)りませんでした。同年(どうねん)344年、前燕(ぜんえん)は同(おな)じ鮮卑(せんぴ)の部族(ぶぞく)である宇文部(うぶんぶ)を併合(へいごう)しました。


「宇文部(うぶんぶ)を我(わが)がものとすれば、遼西(りょうせい)の地(ち)はさらに安定(あんてい)する。これで後趙(こうちょう)への備(そな)えも万全(ばんぜん)となるだろう。」


慕容皝(ぼよう こう)の言葉(ことば)に、将軍(しょうぐん)たちは力強(ちからづよ)く頷(うなず)きました。彼(かれ)の巧(たく)みな外交(がいこう)と軍事力(ぐんじりょく)によって、前燕(ぜんえん)は着実(ちゃくじつ)に版図(はんど)(領土(りょうど))を広(ひろ)げ、強大(きょうだい)な国家(こっか)へと変貌(へんぼう)を遂(と)げていたのです。


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成漢(せいかん)の衰退(すいたい)と新(あら)たな皇帝(こうてい)


時(とき)を同(おな)じくして、遠(とお)く離(はな)れた蜀(しょく)の地(ち)、成漢(せいかん)では、運命(うんめい)の転換期(てんかんき)を迎(むか)えていました。成漢(せいかん)の建国者(けんこくしゃ)李雄(りゆう)の甥(おい)であり、権力欲(けんりょくよく)が強(つよ)く、手段(しゅだん)を選(えら)ばない野心家(やしんか)であった李寿(り じゅ)が、343年にその生涯(しょうがい)を終(お)えました。彼(かれ)は李雄(りゆう)の甥(おい)である李期(りき)を廃(はい)して帝位(ていい)を簒奪(さんだつ)(権力(けんりょく)を力(ちから)ずくで奪(うば)い取(と)ること)し、一時期(いちじき)は国号(こくごう)を「漢(かん)」と改(あらた)めていました。しかし、簒奪(さんだつ)後(ご)に賢明(けんめい)な善政(ぜんせい)を敷(し)いた李雄(りゆう)のような手腕(しゅわん)はなく、彼(かれ)の死(し)によって成漢(せいかん)は衰退(すいたい)の一途(いっと)を辿(たど)ることになります。


李寿(り じゅ)の息子(むすこ)、李勢(りせい)が後(あと)を継(つ)ぎ、成漢(せいかん)の皇帝(こうてい)となりました。李勢(りせい)は、時代(じだい)と勢(いきお)いの波(なみ)に逆(さから)えず、帝国(ていこく)の滅亡(めつぼう)を招(まね)いた悲運(ひうん)の君主(くんしゅ)とされています。即位(そくい)の儀(ぎ)は厳粛(げんしゅく)に執(と)り行(おこな)われましたが、新(あら)たな皇帝(こうてい)の表情(ひょうじょう)には、若(わか)さゆえの不安(ふあん)と、先代(せんだい)の築(きず)いた基盤(きばん)の揺(ゆ)らぎが見(み)て取(と)れました。


「父上(ちちうえ)の遺志(いし)を受(う)け継(つ)ぎ、この成漢(せいかん)をさらに栄(さか)えさせねばならぬ。」


李勢(りせい)はそう呟(つぶや)きましたが、その声(こえ)には確固(かっこ)たる自信(じしん)が欠(か)けていました。宮廷(きゅうてい)の重臣(じゅうしん)たちも、未来(みらい)への展望(てんぼう)を描(えが)けずにいました。成漢(せいかん)の栄華(えいが)は、すでに過去(かこ)のものとなりつつあったのです。


東(ひがし)では慕容皝(ぼよう こう)が勢力(せいりょく)を広(ひろ)げ、南(みなみ)では成漢(せいかん)が静(しず)かに衰(おとろ)え始(はじ)めていました。五胡十六国(ごこじゅうろっこく)の乱世(らんせ)は、それぞれが異(こと)なる運命(うんめい)を紡(つむ)ぎ出(だ)し、大(おお)いなる歴史(れきし)のうねりは止(と)まることを知(し)りませんでした。

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