【第33話】「えーさんの秘密」
日常の中にふと訪れる、非日常の時間。
えーさんから誘われた「作業場」へ足を運んだルミは、そこで思いもよらぬ秘密を聞かされることになる。
それは、この先の運命を揺さぶる伏線となるのか。
朝。
ポムが布団から抜け出し、お姉ちゃんのところへ戻っていく。
そして半開きのドアの隙間から「起きなさいよー」とお母さんの声が響く。
もう定番になった我が家のルーティンに、私はほっと息をついた。
けれど今日は少し特別だ。
お母さんに「えーさんのところに行ってきたい」と許可をもらい、朝から仕込みを前倒しで進めた。
キムチを仕込み、腸詰のウインナーを土産に包み込むと、胸の高鳴りを抑えながら街の一角へ向かった。
——コンコン。
木の扉をノックすると、中からえーさんの落ち着いた声が返ってきた。
「おう、入っておいで」
扉を開けると、そこには紙とインクの匂いが満ちた不思議な空間が広がっていた。
本棚にはぎっしりと本や原稿用紙、壁には書きかけの絵や地図のようなものまで貼られている。
「物書きの部屋」――そんな言葉がぴたりと当てはまる場所だった。
「これ、お土産です」
差し出した腸詰に、えーさんは子供のように目を細め、笑みを浮かべた。
「おお、これは嬉しいな。ありがとう、ルミちゃん」
席に促され、紅茶を出される。
その穏やかな空気の中で、えーさんは真剣な目をして口を開いた。
「僕の秘密を、少しだけ話そう。けれど、誰にも言わないでくれ。いいかい?」
私は静かに頷いた。
⸻
「僕には、人の“オーラ”が見えるんだよ」
えーさんの声は低く、けれどどこか遠い。
「右側には、その人が持つ色や数字、想いのようなものがぼんやり浮かび上がる。出る人もいれば、なかなか出ない人もいる。まったく出ない人もいる」
「左側をみれば、その人の過去の行いが見えてくる。同じように、見える人も、見えない人もね」
「この力に気づいたのは、物心ついた頃だった。
口に出してはいけないことを喋ってしまって、子供の頃はよくトラブルになったものさ。
だから、人には話さず、物語や絵にしてフィクションとして描くようになった」
彼の視線は机の上に置かれた原稿用紙に落ちる。
「だから僕は、異世界焼肉に通っている。癒やしであり、ネタ探しでもある。
人の生き様を眺めて、物語に変えていく。それが僕の仕事であり、生き方なんだ」
⸻
やがて話題は私自身へと移った。
「ルミちゃん。君の中には二つの人格があるように見える」
胸がざわつく。
「気づいていないかい?」
私は言葉を失った。
確かに——私は最近の記憶しかない。
けれど、初めての仕込みも、接客も、なぜか体が勝手に覚えていた。
おかしいとは思っていたけれど、いつしか「そういうものだ」と流していた。
「昔の記憶がないんじゃないか?」
えーさんの問いに、私は小さく頷いた。
「今は深く考えるな。心を病む可能性がある。日常を大事にして過ごしなさい」
彼の言葉は、優しいようでいて厳しい響きを持っていた。
⸻
「……最近、何かに出会ったろう?」
えーさんの眼差しが鋭くなる。
私は返事を飲み込んだ。
「それは僕にも見えている。けれど、詮索はしない。契約の気配があるからね」
紅茶の湯気の向こうで、えーさんは少し笑った。
「ナオさんも動き始めたようだ。……まぁ、待っていればわかるさ」
それ以上は語られなかった。
けれど、その言葉の重みだけが胸に残った。
⸻
「今日はここまでにしよう。また時が来たらこちらから誘う」
そう言われ、談笑を交わしながら、私は腸詰を食べるえーさんを見届けた。
そして紅茶がなくなる頃、静かに席を立った。
外に出ると、陽の光が眩しく差し込んでいた。
日常の街並みが広がっているはずなのに、何かが確実に変わったように思えた。
——秘密を知ってしまった。
その実感だけを胸に抱きながら、私は異世界焼肉へ戻っていった。
第33話「えーさんの秘密」お読みいただきありがとうございました!
ついに明かされた、えーさんの“オーラ”の力。
そしてルミの中に眠る二つの人格、記憶の欠落、契約の存在……物語が大きく動き始めました。
次回もまた、日常と非日常が交差するひとときをお楽しみに!




