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一次試験(4)


 選姫の儀に参加するには豪族の長、楽舞局の主任以上、国が認めた村長のいずれかの推薦が必要である。裏を返せば、その推薦さえあれば貴賎も容姿も踊りの実力すら問われず参加できる。

 そのため一次試験には相当数の応募者が集まる。そこで実力のない者を篩にかけ、なおかつ砂に埋もれた砂金を見落とさないために、五色院が直々に舞を見て合格者を選んでいる。


「…とはいえ、多すぎるでしょ」


 五色院の一角、白院は思わずと言った様子で卓に突っ伏した。

 鳶色の艶やかな髪をきっちりとまとめ上げ、白院の印である白い羽織を肩にかけた五色院の中では抜きん出て若い彼女は三年前その地位に就任したばかり。つまり、今年が初めての選姫の儀であった。


「回を重ねるごとに慣れるさ。しかし、今年は本当に人数が多い」


 白院よりは二十は年上の線の細い男ー蒼院はまじまじと参加者一覧を眺める。


「それに例年より質が下がってる気がしますね。まあ、殿下の側室目当ての者が多いのでしょうが」


 生真面目そうな顔を顰めて黄院はため息をつく。


「むしろ本気で舞を極めた者は今年は参加を見送るかもしれませんなあ」


 ふくふくとした顔に笑みを浮かべながら他人事のように紅院が言う。


「それでは困ります。新国王が即位なされれば、国賓を招く祭事は山ほどあるのですから」


 そこから先は口には出さなかったが、『楼華国の象徴である舞を蔑められてたまるか』というのが元舞姫である白院の意見だ。


「まあ、まだ半分残ってますから」


 安心するような、ゲンナリするようななんとも言えない黄院の発言に白院は苦笑した。


「しかし紅院、君が起きているなんて珍しいな」


 今までずっと黙っていた緑院がその長く白い髭を撫でながらボソリと呟く。彼は五色院の中でも最古参で年齢不詳、仙人のような雰囲気のある元楽師だ。豪族出身でなにかと現代趣味な紅院とは意見が合わないらしく、よく嫌味を言っている。


「たしかに、紅院は先程まで居眠りをしていたな。疲れているのなら休憩時間こそ寝るべきでは?」


 同じく紅院とはソリが合わない蒼院も同意した。


(でも、正直紅院が寝ている時は、審査いらないんじゃないかってくらいアレな舞だったからなあ)


 流石に頑張って起きていたが、本音を言えば白院も寝てしまいたかった。


「見られていましたか、お恥ずかしい。実は次に出るのが知人の娘でして」


 紅院の知人ということは東の豪族出身である可能性が高い。豪族のご令嬢は教養として舞を習うので今回も参加者の大半を占めているのだが、お稽古事レベルの者が多く、五色院達は顔を顰める。


「実に美しい娘なんですよ。立っているだけで絵になる」


 他の五色院の表情を見てか、黄院がのんびりと付け足したが何のフォローにもなっていない。


「美しいだけで務まるほど舞姫は甘くない」


 ピシャリと言い放った蒼院に白院は内心全面的に同意した。


「まあまあ、それは見てから考えましょう。ところで、白院は今までの参加者で良いと思った方はいましたか?」


 険悪な雰囲気を察した黄院が話題を変える。


「そうですね。やはり、永瑛館の踊り子は見事でしたね。技量で彼女に敵う方はいないのではないでしょうか」


 箏寮主任の推薦で参加した紅莉の舞は群を抜いていた。選んだ曲目『梅華』は華々しく人気の高い曲だが、旋律が掴みづらく難しい振りも多い。相当自信がないと選べない曲だ。


「そうですね。あれは素晴らしかった」


 目が肥えた紅院も同意する。


「個人的に気になったのは『月湖』を舞った平民の…センナという方ですね。音の捉え方が素晴らしい」


 推薦者は西方の村長で、顔立ちは愛らしかったが衣装は質素で、よくいる『村一番の美少女』の類だろうと白院は思っていたのだが、どうやって覚えたのか舞はそこらの踊り子顔負けの腕前だった。それだけではなく、彼女の舞には他とは違う神聖さのようなものがあると白院は感じていた。


「ああ、彼女も良かったですね。なんというか、心が洗われるような澄み切った舞でした」

「しかし、平民がどうやってあれほどの舞を身につけたのか」


 蒼院の言葉に黄院が答える。


「見取り稽古だそうですよ」

「は?」

「実は推薦者の村長は関所に勤めていた頃の知り合いなのですが、先日たまたま会いまして。その時彼女も隣にいたので話を聞いたのですが、家業の手伝いで芸館を出入りする機会が多いそうで、そこで踊り子達の姿を見て覚えたそうです」


 白院は唖然とした。


(そんなことって、ありえるの?だとしたら彼女は神童だわ)


 他の五色院も驚いたらしく言葉を失っている。


「何を驚くことがある。最近は誤解している者も多いが、舞は本来神と対峙する神聖な儀式。習えば上手くなる稽古事ではないのだよ」


 緑院の言葉で紅院は真っ先に我に帰り普段の胡散臭い笑顔に戻った。


「なるほど、彼女は神に愛されているのですね」

「さあ、どうかな」


(相変わらず、掴めない人だわ)


 白院がそんなことを思っていると、次の参加者の登場を告げる鐘が鳴り響いた。


「胡家当主推薦、胡 春麗」


 進行役が次の参加者の名前を呼ぶと、五色院たちは一斉に扉の方を見た。


 扉が開くと同時に白院はため息をつく。


(綺麗…)


 光に当たると薄紅がかっているようにも見える艶やかな黒髪、白磁気のような白い肌、生命の息吹を感じさせる萌葱色の瞳、顔に収まるべき全ての部品が人形の如く完璧に配置されおり、微笑んではいないのにやや持ち上がった口角が特徴的だ。手足はスラリと長く、その四肢の全てが少しの狂いもなく完璧な均衡で存在している。


 白院が見惚れているうちに箏の音が響き渡る。


 春麗の選んだ『狂桜』は比較的新しい舞曲で五月雨のような旋律が特徴的だ。華やかな容姿の彼女によく合った曲だが、かなりの技術を必要とする曲でもある。

 立って歩いているだけでも芸術として成立しそうな春麗だが、それだけでなく彼女は自分の魅せ方をよく理解していた。手を上げる仕草、振り返る時の角度、長いまつ毛が映える俯き方、どの瞬間を切り取っても一枚の絵のように美しい。


 だが、白院が感心したのはそこではない。


(巧い)


 舞曲としては比較的速く旋律が動く『狂桜』は型通りに舞うだけで難しいのだが、春麗はあくまで自然に難しいことなど何もしていないかのように舞っていく。だから、見ているものは彼女の美しさだけに集中できるのだ。

 それでいて自分を押し付ける訳ではなく、きちんと『狂桜』が持つ独特の凄味を引き出している。


 箏の音が最後の音を紡ぐ。

 ピタリと動きを止めた春麗は箏の余韻が消えるのを待ってから、まるで鳥が枝に降り立つかの如く軽やかに居直った。


「結構でした」


 立ち上がって絶賛したいのを堪えて白院はお決まりの台詞を言う。


「ありがとうございました」


 この天女も霞むほどの美少女は声まで美しいらしい。

 春麗が退場し、扉が完全に閉じると、白院は大きくため息をついた。


「どうですか。美しい娘でしょう?」


 紅院が誇らしげに微笑む。


「紅院もお人が悪い。まるで容姿しか取り柄のないような言い方をなさっておいて…あれほどまでの舞手はそうはおりませんよ」

「白院のお眼鏡にかなったのなら良かった。蒼院はどうですかな?『狂桜』は貴方が作った曲だ」


 蒼院はジロリと紅院を睨み付けたが、すぐに肩の力を抜いた。


「悪くなかった。やたらに袖を振り回すだけの舞部の未熟者よりずっと良い」

「貴方にしては珍しい高評価ですね」


 黄院の言葉に白院も頷く。

 舞姫時代、この男に何度叱責されたことか分からない。


「緑院はどうです?」


 白院の言葉に感情の読めない表情をした翁はゆっくりと口を開いた。


「惜しいな」

「というと?」


 緑院の言葉の意味を計りかねた白院の質問に緑院は堪えない。


(貴族の娘にしておくには惜しいという意味?それとも今の舞に彼は何か足りないものを見出したのかしら)


 紅院も五色院の重鎮たる緑院の意味深な反応は気になるようだが、休憩が明けたばかりなのですぐに次の開始の合図が鳴り響く。


「風家当主推薦、風 凰架」


 扉が開いて現れたのは小柄な少女。青みがかった黒髪以外は特に目立った所のない容姿だが、貴族令嬢だけあって顔立ち自体は整っている。白の内衣に灰色に近い銀の奏衣を合わせているせいもあって一際地味に見える。


 しかし、彼女が一歩前に進み出た瞬間、ぞくりと見えない何かが背中を撫でる感触を白院は感じる。


 先ほどのセンナの舞で感じた神聖さとは全く別物の気配。恐ろしいような、それでいて興奮するような、何かの始まりを感じさせる予感がした。


 笛の音で舞が始まる。フワリと袖が広がった瞬間、白院はそこに大鳥の羽ばたきを見た。


 凰架が選んだ『雪原』は初代舞姫の手記にすら存在する歴史の深い舞だ。まだ楽器が発達していなかった頃、無音で舞うことを前提に作られた舞。後に高名な楽師により舞曲が作られたが、『雪原』という名とどこか結びつかず解釈が人によって大きく分かれる。


(そうか、雪原の上を飛ぶ白鷺だったんだ)


 雄大で大胆な旋律は空を滑空する様を表していた。少なくとも凰架はそう解釈していて、白院はそれに納得してしまった。

 全く同じ振りを何度も目にしたのに、一度もそれが鳥の羽ばたきだと思ったことはなかった。しかし凰架の舞を見た瞬間、彼女が何を表そうとしているのか伝わってきた。


(なんて表現力なの)


 大胆に翻る羽織の袖、踏みしめている筈なのに舞い上がっているように見える足運び、灰色の瞳には生命の息吹を感じさせる強い光が宿っている。


 表現力だけでなく、舞の技量でも目を見張るものがある。一つ一つ所作の完成度が高く、それでいて『動き』としての躍動感を失わない。音の掴み方も上手く、見ていて非常に気持ちが良い。


 白院がその人生で蓄えてきた知識と経験全てで舞と向き合っていると、本当に瞬きの間の錯覚するほどの速さで一曲が終わってしまった。


「結構」


 最後の笛の音が消えてしばらく誰も言葉を発しなかったが、緑院の低い声で他の五色院たちは我に帰る。


「素晴らしかった」


 試験では本来告げないのが暗黙の決まりである称賛の言葉を緑院が送ると、凰架は目を瞬かせて「ありがとうございます」と頭を下げた。

 その仕草が思いの外年相応で、白院はますます彼女に惹きつけられた。


「彼女にしましょう」


 凰架が退出すると、白院は立ち上がらんばかりの勢いでそう告げた。


「まあまあ、落ち着いて」


 黄院は困ったように白院を嗜めた。


「すみません、ちょっと興奮してしまって…」


 白院は我に帰っていそいそと腰掛ける。


「気持ちは分かるがね。アレは抜きん出ている」

「まあ、『雪原』を白鷺で解釈してくるのは面白かったですがね」


 少し不機嫌な様子で告げた紅院の言葉に白院は目を丸くした。


「紅院も白鷺と思われましたか…」


 鳥を表現しているとは全員が感じているだろうと思ったが、自分以外も白鷺だと思ったことに白院は鳥肌がたった。他の五色院も同じようで、揃って顔を見合わせる。


「天女 嵐より現れ春の訪れを告げん

 雲開き 陽光に見ゆるは 天の王なり」


 朗々とした緑院の声が響いた。


 初代皇帝の即位の儀に天空より神が現れ祝った様子を詠った古い詩。この詩に出てくる天女こそが初代舞姫であると言われている。


「風 凰架」


 白院は思わずその名を呟いた。


 天の王とは神獣である鳳凰を表すとも言われている。


「彼女が神の使いだとでも?」


 紅院の言葉に返したのは意外にも黄院だった。


「そうかもしれませんね。ですが、選ぶのは人です」


 黄院の静かな言葉は、選姫の儀の幕開けを本格的に告げているようだった。


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