# 第9話「竜のマッサージ師範」
三人旅の初日の夜。
野営地を作り、焚き火を起こし、飯を食った。メニューは川魚の塩焼きと野草のスープ。フレアが「先生の飯! 1000年ぶり!」と感涙しながら三人分を平らげたので、バルタザールがもう一度川に魚を取りに行く羽目になった。
「食いすぎだ」
「だって美味しいんだもん。先生の料理ほんとに変わってない。この味この味」
フレアが幸せそうに尻尾を揺らしている。横でルナリアが自分の分を死守するように抱え込んで食べていた。
「フレア、あんた人の分まで食べないでよ」
「食べてないよ。先生が自分の分をくれたんだもん」
「先生が優しいのにつけ込まないで」
「つけ込んでないし。ルナリア姉こそ、さっき先生の水袋から直接飲んでたでしょ。あれ間接キスだよね」
ルナリアが水袋を取り落とした。
「か、間接っ——あれはただ喉が渇いただけで——」
「ふーん」
フレアがにやにやしている。ルナリアが耳まで赤くなっている。
バルタザールは二匹目の魚を焼きながら、聞こえないふりをしていた。
食後。
バルタザールは焚き火の前で首を回した。ごきり、と鈍い音がする。
「先生、肩凝ってる?」
フレアが寄ってきた。
「まあな。十日以上歩き通しだ」
「私がほぐしてあげる!」
フレアが背後に回り込んだ。バルタザールが反応する前に、両手が肩に乗っていた。
「おい——」
「動かないで。私、マッサージ師範だから」
「いつの間にそんな肩書きがついた」
「1000年のうちに取った。暇だったし」
嘘だろうと思ったが、親指が肩の筋に沈み込んだ瞬間、バルタザールの口から声が漏れた。
「……っ」
巧い。
竜人の指は人間より太く、硬い。それが凝り固まった筋肉の奥深くに入り込んで、的確にほぐしていく。力加減も絶妙だった。普通の人間がこの圧を受けたら骨が折れるだろうが、バルタザールの体にはちょうどいい。
「気持ちいい……か?」
フレアの声がやけに近い。耳のすぐ横。吐息が首筋にかかっている。
「……ああ。悪くない」
「えへへ」
尻尾がぶんぶん振れている。バルタザールの背中に当たっているが、本人は気づいていないらしい。
「先生の体、硬すぎ。どうなってんの、この筋肉。岩?」
「1000年寝てたからな」
「寝てて硬くなるのおかしくない? 普通は萎えない?」
「俺の体は普通じゃないらしい」
フレアの手が肩から首に移動した。
首の付け根を、両手の親指でぐりぐりと押す。バルタザールが無意識に首を傾けた。気持ちいい場所を差し出すように。
「あ、ここ凝ってるね。ここ? ここでしょ」
「……そこだ」
「ふふ。わかるよ、先生の体のこと。1000年前からずっと見てたもん」
フレアの手が首筋を滑った。
揉むというよりも、撫でるに近い動きになっている。首の横。耳の下。指先がゆっくりと肌の上を這う。
竜人の体温は人間より高い。フレアの指から伝わる熱が、じわりと首筋に染みる。
「先生の首、好き」
「何の宣言だ」
「太くてかたくて、あったかくて。昔からここに顔を埋めるのが好きだった」
指が首から顎のラインに沿って上がっていく。頬に触れようとした——その瞬間。
ぱしん。
手が叩かれた。
ルナリアだった。
いつの間にか背後に立っていたルナリアが、フレアの手首を掴んでいた。笑顔だった。目が笑っていなかった。
「フレア」
「あ、ルナリア姉」
「マッサージって、肩を揉むことよね?」
「うん」
「首は肩じゃないわよね?」
「首も肩の延長でしょ」
「頬は?」
「頬は……顔の延長?」
「顔は肩じゃないのよ」
ルナリアの握力が上がったらしく、フレアが「いたた」と声を上げた。
「ルナリア姉、握力強くなってない? 魔王やってた?」
「やってたわよ。あなたもでしょう」
「あはは、そうだった」
笑い事ではないのだが、二人とも妙にあっけらかんとしている。修羅場の最中なのに空気が緩い。
バルタザールは二人の間からそっと抜け出そうとした。
「「動かないで(動くなよ先生)」」
二人の声がぴたりと重なった。バルタザールは動きを止めた。
「先生、私の方が先にマッサージしてたんだから」
「マッサージの領域を逸脱してたから止めたのよ」
「してないし。先生が気持ちいいって言ってくれてたもん。ねえ先生」
「……ノーコメントだ」
「先生、あんな手つきで触られて何とも思わなかったの?」
ルナリアが詰問してきた。紫の瞳が据わっている。
「肩が楽になった。それだけだ」
「首は?」
「首も楽になった」
「頬は触らせてないわよね?」
「触られてない。お前が止めただろう」
ルナリアがふん、と鼻を鳴らした。
「当然よ。先生の顔に触っていいのは——」
言いかけて止まった。自分が何を言おうとしたのか気づいて、耳が赤くなる。
「……とにかく、マッサージは禁止よ」
「えー! なんで!」
「危険だからよ!」
「何が危険なの! 肩揉むだけだよ!」
「あんたの手が肩にとどまらないのが危険なのよ!」
二人の言い争いが焚き火の前で続く。バルタザールはその隙に木の幹に背中を預けて目を閉じた。
「……寝る」
「「先生の隣!」」
また重なった。
一瞬の沈黙の後、二人の視線がぶつかった。
「私は第一弟子なのよ」
「私は先生に一番殴ってもらった弟子だもん」
「それ自慢になるの?」
「なるよ。先生の拳の数は愛情の量だもん」
「何その理論……」
ルナリアが額を押さえた。フレアの理屈に反論するのは骨が折れる。そもそも理屈ではなく感情で動いている相手に論理は通用しない。
結局。
バルタザールは木に寄りかかって寝た。
右肩にルナリアが寄りかかった。昨夜と同じだ。銀色の髪がバルタザールの腕に広がる。
左肩にフレアがくっついた。赤い髪が反対側の腕に散る。尻尾がバルタザールの背中に回り込んで、巻きつくように収まっている。竜人の体温は高いから、左半身だけやけに温かい。
「……寝づらい」
「慣れて」
「慣れろよ先生」
両肩に花。あるいは両肩に爆弾。どちらの解釈が正しいかは、今後の展開次第だろう。
バルタザールは天を仰いだ。
星が綺麗だった。1000年前と変わらない星空だ。変わったのは、星を見上げる体勢が非常に窮屈になったことくらいか。
「……あと五人か」
一人増えるたびにこの調子なら、全員揃った頃には寝る場所すら確保できないかもしれない。
「先生、まだ起きてる?」
フレアの声だった。小さい。ルナリアはもう寝息を立てている。
「起きてる」
「あのさ」
フレアの尻尾が、きゅっとバルタザールの腰に巻きついた。
「ごめんね。たくさん燃やしちゃった」
「……ルナリアにも言ったが、お前のせいじゃない」
「でも、怒りは本物だった。先生がいないことが、本当に許せなくて。世界に当たっちゃった」
声が暗くなりかけた。バルタザールは左手をフレアの頭に置いた。
「お前が怒ってたのは知ってる。ルナリアに聞いた」
「……なんて?」
「石棺に三日間しがみついて離れなかったと」
フレアの体がびくりと跳ねた。
「あ、あれは——あれはその——」
「ありがとうな」
フレアが黙った。
尻尾の力が少しだけ強くなった。
「……ずるい。先生ずるいよ。そういうこと言うから——」
続きは聞こえなかった。フレアの声が途切れ、やがて規則正しい寝息に変わった。
バルタザールは両肩の重みを感じながら、目を閉じた。
明日からは三人で歩く。次の目的地は——
空に浮かぶ黄金の光が、南東の方角にかすかに見えた。
強欲の黄金宮殿。天使族の弟子、セラフィナが待っている。
だがその前に——この両肩の荷物をどうにかしなければ、歩き出すこともできそうにない。




