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「俺が寝てる間に弟子が全員魔王になってた件、愛の鉄拳で魔王を更生させます——師匠、1000年ぶりの出勤」  作者: てん


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# 第4話「銀月城塞」



十日後。


バルタザールは銀月城塞の前に立っていた。


正確には、城塞の「手前五キロ」に立っていた。それ以上近づけなかったのではない。景色に見惚れて足を止めたのだ。


「……でかいな」


銀色の城塞が、山脈の中腹にそびえていた。


月光を閉じ込めたような色の石壁が天を突き、無数の尖塔が雲を貫いている。城塞の周囲には巨大な魔法陣が刻まれ、薄い光の膜が全体を覆っていた。防御結界だろう。


1000年前、ルナリアは森の中のちっぽけな小屋に住んでいた。


「出世したもんだ」


感心している場合ではないのだが、素直にそう思った。あの引っ込み思案だったエルフの少女が、こんな城を構えるまでになったのか。方向性は完全に間違っているが、成長したこと自体は——まあ、悪い気はしない。


バルタザールが歩みを再開した瞬間、空気が変わった。


城塞の門が開き、黒い波が溢れ出してくる。


魔王軍だった。


黒い鎧に身を包んだ兵士たちが、隊列を組んで城塞から吐き出されてくる。歩兵。騎兵。魔獣に跨った空中部隊。巨大な攻城兵器を押す工兵。果てしなく続く黒い行軍が、平原を埋め尽くしていく。


バルタザールは目を細めて数えるのをやめた。


数万ではきかない。おそらく十万に届くだろう。


たった一人の侵入者に対して、十万の軍勢。


「……大げさな」


呆れたが、これはルナリアらしいとも思った。あの子は昔から完璧主義だった。何事も手を抜かない。たとえ相手が一人でも、全力で当たる。それが「傲慢の魔王」としてどう発露しているかは別として、根っこは変わっていないらしい。


十万の軍勢が平原に展開し終え、バルタザールとの距離が一キロを切った。


先頭に立つ将軍らしき魔族が、巨大な声で叫んだ。


「止まれ、侵入者! ここは傲慢の魔王ルナリア様の領域である! 即刻立ち去れ! さもなくば——」


「ルナリアに会いに来た。通してくれ」


バルタザールの声は大きくなかった。だが将軍の耳にはっきりと届いた。五キロ先にも届いていた。声に乗せた魔力が、空気を伝って平原全体に響き渡った。


将軍は一瞬たじろいだが、すぐに姿勢を正した。


「馬鹿な。ルナリア様への謁見は何人たりとも——」


「そうか」


バルタザールは歩きはじめた。


将軍が剣を掲げた。「全軍、攻撃!」


号令と同時に、十万の軍勢が動いた。


前衛の重装歩兵が盾を構えて壁を作る。その後方から魔法兵が一斉に詠唱を開始する。空中部隊が翼を広げて上空から急降下してくる。攻城兵器の砲口がバルタザールに向けられる。


あらゆる攻撃が、一人の男に集中した。


魔法の光弾が空を埋め尽くす。炎の矢が雨のように降り注ぐ。攻城砲の衝撃波が地面を抉る。空から降ってくる魔獣の爪が、風を切る。


バルタザールは歩いていた。


速度は変わらない。方向も変わらない。まっすぐに、城塞に向かって歩いている。


魔法の光弾がバルタザールに着弾する——直前に、霧散した。触れてもいない。近づいただけで消えた。炎の矢は彼の周囲一メートルで燃え尽きた。攻城砲の衝撃波は、バルタザールの外套をわずかに揺らしただけだった。


空から飛び込んできた魔獣が、彼の頭上に達した瞬間に意識を失い、横を通り過ぎるように落下していった。


バルタザールは一切の攻撃動作をしていない。


手も振っていない。魔法も唱えていない。指一本動かしていない。


ただ歩いている。


それだけで、十万の軍勢の攻撃が全て無効化されていた。


「な——」


将軍が声を失った。


バルタザールの歩みが前線に達した。


重装歩兵の壁。分厚い魔法合金の盾で構築された、破城槌でも貫けない防壁。


バルタザールは足を止めなかった。


盾に触れた——と見えた瞬間、前列の歩兵三十人が盾ごと左右に弾かれた。バルタザールがぶつかったのではない。彼の周囲に常在する魔力の圧が、盾を押し退けたのだ。


道ができた。


兵士たちの間を、バルタザールは歩いて通った。


両側の兵士たちが剣を振り下ろす。槍を突き出す。斧を叩きつける。あらゆる武器がバルタザールに殺到し——全てが弾かれた。刃が折れ、柄が砕け、持ち主が衝撃で吹き飛ぶ。


バルタザールは一度も足を止めない。


一度も振り返らない。


十万の軍勢の真ん中を、まるで散歩するように歩き続けた。


後方では、バルタザールが通り過ぎた後の兵士たちが次々と膝をついていた。戦意が折れたのではない。足が動かないのだ。バルタザールの残した魔力の余韻が、体を縛り付けている。


将軍が馬を走らせてバルタザールの前に立ち塞がった。


「我が軍十万を——一人で——歩いて——」


言葉が出てこない。理解が追いつかない。自分たちが何と戦っているのか、将軍にはわからなかった。


バルタザールは将軍を見上げた。


「どいてくれ。お前に用はない」


将軍の馬が怯え、前足を上げて嘶いた。将軍が落馬する。バルタザールはその横を通り過ぎた。


城塞の門が見えてきた。


高さ二十メートルはある巨大な門。表面には魔法の紋様が刻まれ、何重もの防御魔法が施されている。物理的にも魔法的にも、この大陸で最も堅牢な門の一つだろう。


バルタザールは門の前で立ち止まった。


拳を握り、軽く門を叩いた。


ノックのつもりだった。


「ルナリア、いるか。先生だ。開けてく——」


言い終わる前に、門が砕けた。


門だけではなかった。門に繋がる城壁が罅割れ、左右に数十メートルにわたって崩壊した。石の破片が煙を上げ、粉塵が巻き上がる。


バルタザールは自分の拳を見下ろした。


「……力加減を間違えた」


1000年のブランクは、こういうところに出る。


粉塵が晴れると、崩れた城壁の向こうに城の内部が見えた。広大な中庭。その奥に、銀色の玉座が据えられた大広間がある。


そして——その玉座に座る影が一つ。


黒い鎧に身を包んだ人影。禍々しい魔力が全身から立ち昇り、崩壊した城壁の粉塵すら近づけない。兜の奥から覗く瞳だけが、冷たく光っている。


バルタザールの足が止まった。


今回は景色に見惚れたわけではない。


あの鎧の奥にいる少女のことを——1000年前の姿を思い出していた。


銀色の髪を揺らして、森の中を駆けてきた少女。


「先生、先生! 見て、魔法が使えるようになったの!」


目を輝かせて、小さな光の玉を両手に乗せて見せてきた姿。


それが今、黒い鎧に覆われて、玉座の上から冷たい目で自分を見下ろしている。


「——久しぶりだな、ルナリア」


バルタザールは静かに言った。


玉座の影が立ち上がった。


黒い鎧が軋み、禍々しい魔力が膨れ上がる。大広間の空気が凍りつく。背後に残った兵士たちが、その圧に耐えきれず意識を失って倒れていく。


傲慢の魔王が、口を開いた。


「——貴様ごときが、我の城に踏み入るか」


低く、冷たい声だった。


1000年前の面影など、欠片もない声だった。


バルタザールは、その声を聞いて——少しだけ、目を伏せた。


それから顔を上げて、いつも通りの口調で言った。


「ルナリア。ちょっとそこ座れ」


第一弟子との再会が、今始まる。

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