表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「俺が寝てる間に弟子が全員魔王になってた件、愛の鉄拳で魔王を更生させます——師匠、1000年ぶりの出勤」  作者: てん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

13/21

# 第13話「完璧な女の不完全な夜」



三人目の魔王が消えた。


しかも今度は、空から宮殿が降ってきた。


黄金天宮の墜落は大陸全土を揺るがした。着弾地点から数十キロ先の街でも地震が観測され、黄金の破片が雨のように降り注いだ。幸い人的被害は軽微だったが——「被害が軽微で済んだ」という事実そのものが、各国の為政者を震え上がらせた。


「あの規模の落下物を、被害を最小限に抑えながら処理した。つまり——制御できている」


「制御できる人間が、七魔王を次々と潰している。魔王の次は誰だ? 我々ではないのか?」


恐怖の質が変わりはじめていた。


魔王を倒してくれる英雄。そう呼ぶには、あまりにも規格外すぎる存在。


王国騎士団の最高司令部が動いた。


「聖騎士シルヴィア・レイン」


「はっ」


銀髪を短く切り揃えた女騎士が、膝をついた。背筋は定規で測ったように真っ直ぐだった。


「バルタザールと名乗る男の身柄を確保せよ。敵か味方かの判断は——お前に任せる」


「了解であります」


シルヴィアは立ち上がり、踵を鳴らして退室した。


大陸最強の聖騎士が、バルタザールを追いはじめた。


当の本人は、別の問題に頭を抱えていた。


「服がない」


セラフィナが腕を組んで仁王立ちしていた。


黄金の鎧が砕けた今、セラフィナが身につけているのは鎧の下の薄い衣だけだ。天使族の正装らしいが、絹より薄く、朝日に透ける。透ける程度ならまだいいが、破れている箇所もある。


「先生の外套を貸しなさい」


「それはルナリア姉がやったでしょ」


フレアが口を挟んだ。


セラフィナの眉がぴくりと動いた。


「……知ってるわよ。だから同じことはしないわ。私はもっと上品に——」


「じゃあ私のマント貸すよ、セラフィナ姉」


フレアが自分のマントを脱いで差し出した。道中の街で買った予備だ。竜人サイズなのでセラフィナには大きい。


セラフィナは受け取って羽織った。


肩幅が余る。丈は足首を超える。だが問題はそこではなかった。


胸元が合わない。


フレアは細身の竜人体型で、セラフィナは天使族特有の豊かな体つきだ。マントの前を合わせようとすると、胸元の布が足りない。留め金を一番外側にしても、隙間から白い肌が覗く。


セラフィナが必死に前を押さえている。


バルタザールが一瞥して言った。


「紐を結べ。はだける」


セラフィナが固まった。


「……見てたの」


「見てなかったらはだけてるの気づかないだろ」


正論だった。だが正論であることが余計に腹立たしい。


「べ、別にいいでしょう! 私の美しさを目にできるのは光栄なことなんだから!」


「光栄かどうかは知らんが、歩きにくいだろう。ほら」


バルタザールが外套の内ポケットから紐を取り出し、セラフィナの腰の位置でマントを結んだ。手つきは完全に実務だった。娘の着付けを手伝う父親のような、色気のかけらもない手際。


セラフィナの心臓が跳ねた。


意味がわからなかった。


これまで何千人もの男が、セラフィナの美貌に跪いてきた。視線を合わせるだけで恋に落ち、声を聞くだけで骨抜きになった。それが天使の魅了。それが強欲の魔王の力。


この男には何も効かない。


美のポーズも、流し目も、微笑みも、全て素通りする。なのに——腰に紐を結ぶだけの事務的な手つきで心臓が暴れる。


「……この男、おかしいのよ。絶対おかしい」


「何か言ったか」


「何も言ってないわ!」


ルナリアがため息をついた。


「セラフィナ、慣れなさい。先生はああいう人なのよ。1000年前からずっと」


「慣れるわけないでしょう!」


三人旅が四人旅になった。


騒がしさは確実に増した。


夕方、街道沿いの林で野営の準備をした。


バルタザールが焚き火を起こし、魚を焼く。ルナリアが木の実を集め、フレアが薪を割る。セラフィナは——何もしなかった。


「あんた手伝いなさいよ」


「私は手を汚す仕事はしないの」


「魔王やってた人間が何言ってんのよ」


「魔王は手を汚す仕事じゃないわ。統治よ」


ルナリアのこめかみに青筋が浮いた。フレアが「まあまあ」となだめる。


食後。


焚き火が赤く燃えている。バルタザールが火の番をしながら、明日の行程を考えていた。


「先生」


セラフィナの声がした。


振り向くと、セラフィナが焚き火の向こう側に立っていた。


月光の下で、六枚の翼をゆっくりと広げた。白い翼が月の光を受けて銀色に輝く。金色の巻き髪が夜風にたなびく。碧い瞳が焚き火の光を映して、宝石のように煌めいていた。


完璧なポーズだった。


天使族一の美貌が、最高の角度で、最高の照明の下に晒されている。これを見て動揺しない男は大陸に存在しない——はずだった。


「先生、私の横顔をどう思うかしら?」


セラフィナが首を傾げた。計算し尽くされた角度だ。顎のラインが月光に映え、睫毛の影が頬に落ちる。完璧な美。


バルタザールはセラフィナの顔をじっと見た。


「虫がついてるぞ」


「……は?」


「髪。左の巻き毛のところ」


セラフィナが左手で髪に触れた。


指先に、何かが触れた。


柔らかくて、粉っぽくて、ばたばた動くもの。


蛾だった。


大きめの茶色い蛾が、セラフィナの黄金の巻き毛に止まっていた。焚き火の光に引き寄せられたのだろう。月光に輝く完璧な美の横顔に、茶色い蛾が一匹。


「いやぁぁぁぁぁっっ!!」


絶叫が夜の森に響いた。


セラフィナが頭を振り乱して蛾を払おうとする。翼がばたばたと暴れ、焚き火の火の粉が散る。完璧な美のポーズは跡形もなく崩壊した。


ルナリアが腹を抱えて笑っていた。声を殺す余裕もなく、地面に転がっている。フレアは涙を流しながら尻尾で地面を叩いていた。


「と、取って! 取ってちょうだい! 私の髪に虫が——!」


「動くな」


バルタザールが立ち上がり、セラフィナの髪に手を伸ばした。


蛾を摘まんで、ふっと息を吹きかけて飛ばした。茶色い蛾が夜の闇に消えていく。


「取れたぞ」


「……っ」


セラフィナが動かなかった。


バルタザールの手がまだ髪に触れていた。蛾を払った流れで、乱れた巻き毛を指先で整えていた。無意識の動作だった。弟子の身だしなみを直す、師匠の癖。


その手つきがあまりにも自然で——セラフィナの心臓が止まりかけた。


「……なんで」


「ん?」


「虫を払っただけで……なんでこんなに動揺するのよ……」


最後の方は聞き取れないほど小さかった。


セラフィナは顔を背けて、自分の胸を押さえた。碧い瞳が揺れている。


美を武器に攻めたはずだった。師匠を篭絡するはずだった。なのに——蛾一匹で崩壊して、髪を直されただけで陥落しかけている。


「わ、私の美的戦略が……蛾に……」


「何の戦略だ」


「うるさいわね!」


就寝の時間になった。


バルタザールが木に寄りかかって目を閉じる。いつもの姿勢だ。


「先生、私は右側で寝るわ」


セラフィナが宣言した。


「右は私よ」


ルナリアが即座に反応した。


「左は私ー」


フレアが手を挙げた。


セラフィナの目が据わった。


「なら正面で」


「正面は焚き火だ」


バルタザールの冷静な指摘が入った。


三秒の沈黙。


「……焚き火の向こう側で寝るわ。先生の顔が見える位置で」


「好きにしろ」


結局、バルタザールは木に寄りかかり、右肩にルナリア、左肩にフレア、正面の焚き火の向こうにセラフィナという配置になった。


身動きが取れなかった。


ルナリアとフレアはすぐに寝息を立てはじめた。二人とも師匠の隣で寝ることに慣れつつある。それはそれでどうかと思うが、今は放っておく。


セラフィナは寝つけなかった。


焚き火の向こうで横になり、炎越しにバルタザールの顔を見つめている。


ルナリアが右肩に寄りかかっている。フレアが左肩にくっついている。二人の寝顔は安心しきっていた。


セラフィナの胸が締めつけられた。


嫉妬ではない。もっと根の深い感情だった。


1000年間、あの黄金の牢獄で一人だった。完璧な世界に閉じこもって、誰にも触れず、誰にも触れさせず。それが——手のひら一つで壊された。


「……本当に帰ってきたのね、先生」


声にならないくらいの呟きだった。


だが聞こえた人間が、もう一人いた。


ルナリアが薄く目を開けていた。


二人の視線が、焚き火越しに交わった。


気まずい沈黙が落ちた。


ルナリアは何も言わなかった。セラフィナも何も言わなかった。


言葉は要らなかった。


1000年間、同じ痛みを抱えていた弟子同士だ。師匠がいない夜がどれほど長かったか。その長さを知っているのは、互いだけだ。


ルナリアが小さく頷いた。


セラフィナが小さく頷き返した。


それだけで十分だった。


二人は同時に目を閉じた。


翌朝。


バルタザールが全員を起こし、簡単な朝食を取った。セラフィナは文句を言いながらも、バルタザールの作ったスープを三杯飲んだ。


「次はどこに行くの」


ルナリアが聞いた。


「メルダだ」


三人の顔が微妙になった。


「あの子……起きるかしら」


「1000年前から寝坊だったもんね」


「怠惰の魔王。あの子の呪縛は厄介よ」


セラフィナが腕を組んだ。


「本人が寝てるの。ずっと。呪縛が自動で城を守っているけれど、メルダ本人は起きていない。対話しようにも、相手が寝ていたら——」


「精神世界にも入れない、か」


バルタザールがセラフィナの言葉を引き取った。セラフィナの精神世界に入れたのは、本人に意識があったからだ。眠っている相手には使えない。


力では解けない。対話もできない。相手は寝ている。


「……寝てる奴を起こすのが一番めんどくさい」


バルタザールが心底面倒そうに言った。


三人が深く頷いた。経験者は語る、という顔だった。


四人は北西へ向かう街道を歩きはじめた。


怠惰の魔王が眠る廃墟の錬金城へ——まず起こすところからはじめなければならない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ