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第36話:選ばせる男
「……」
打ち合わせ室。
机の上に並べられた原稿。
数ページ分。
「……」
弓乃は、まっすぐ座っていた。
姿勢は崩れていない。
表情も、落ち着いている。
でも。
「……」
指先が、わずかに固い。
「……」
黒崎が、ページをめくる。
静かに。
ゆっくりと。
「……」
音だけが、響く。
「……」
数分。
「……」
最後のページで、手が止まる。
「……」
パタン、と閉じる。
「……」
「……戻してきたな」
短く言う。
「……」
弓乃が、小さく息を吐く。
「……はい」
「……」
「だが」
一拍。
「……」
空気が、少しだけ重くなる。
「……」
「まだ、安定していない」
「……」
分かっていた。
「……」
「……はい」
「……」
黒崎が、弓乃を見る。
まっすぐに。
「……」
「迷いがある」
「……」
「線が揺れている」
「……」
「……」
言い返せない。
「……」
「……だが」
続ける。
「前よりはいい」
「……」
その一言で、少しだけ救われる。
「……」
でも。
「……」
「この状態で連載は続けられない」
「……」
心臓が、強く鳴る。
「……」
「……え」
思わず声が出る。
「……」
黒崎の表情は変わらない。
「……」
「今のままでは、いずれ落ちる」
「……」
「読者は離れる」
「……」
「評価も下がる」
「……」
現実だけを、並べる。
「……」
逃げ場がない。
「……」
「……どうすれば」
かすれた声。
「……」
黒崎は、少しだけ間を置く。
「……」
それから。
「選べ」
「……」
一言。
「……」
空気が、止まる。
「……」
「仕事を取るか」
「……」
「それ以外を取るか」
「……」
「……」
心臓の音だけが、響く。
「……」
「両方は無理だ」
「……」
言い切る。
「……」
「どちらかに、寄せろ」
「……」
「……」
弓乃の手が、わずかに震える。
「……」
「……私は」
言葉が出ない。
「……」
頭の中が、真っ白になる。
「……」
仕事。
ここまでやってきたもの。
積み上げてきた時間。
「……」
そして。
「……」
陽斗。
「……」
ベンチ。
夜。
手の温度。
「……」
「……」
どちらも、消せない。
「……」
「……選べないです」
小さく言う。
「……」
黒崎は、黙る。
「……」
「……今は、まだ」
「……」
「……どっちも、ちゃんとやりたい」
「……」
「……」
静かな声。
でも、揺れている。
「……」
黒崎が、ゆっくり息を吐く。
「……」
「甘いな」
「……」
一言。
「……」
「それでやっていけるほど、この仕事は軽くない」
「……」
刺さる。
まっすぐに。
「……」
「……」
弓乃が、視線を落とす。
「……」
「だが」
黒崎が続ける。
「……」
「選ばないなら」
「……」
「結果で証明しろ」
「……」
「……」
顔が上がる。
「……」
「両方取るなら」
「……」
「落とすな」
「……」
「一つも」
「……」
重い言葉。
「……」
「……」
「できるか?」
「……」
問い。
「……」
逃げられない。
「……」
弓乃が、ゆっくり息を吸う。
「……」
震えは、まだある。
でも。
「……」
「……やります」
小さく。
でも、はっきり。
「……」
黒崎が、少しだけ目を細める。
「……」
「……ならやれ」
短く言う。
「……」
「中途半端は許さない」
「……」
それだけ。
「……」
黒崎が立ち上がる。
「……」
ドアへ向かう。
「……」
「……弓乃」
呼び方が変わる。
「……」
一瞬、止まる。
「……」
「甘えは捨てろ」
「……」
それだけ言って。
出ていく。
「……」
静かになる。
「……」
弓乃は、動けない。
「……」
心臓が、まだ強く鳴っている。
「……」
(……両方取る)
「……」
簡単じゃない。
分かっている。
「……」
でも。
「……」
(……やる)
ゆっくりと、ペンを持つ。
「……」
線を引く。
「……」
さっきより、強い。
「……」
揺れている。
でも。
「……」
止まらない。
⸻
――選ばないなら、落とすな。




