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第33話:近づく距離、残る影
「……」
夕方。
編集部の空気が、少しだけ落ち着き始める時間。
「佐伯」
声をかけられる。
「……はい」
振り向く。
先輩編集。
「紗季先生のネーム、今日中に確認頼むって」
「あー……はい」
データを受け取る。
「直接行ってもらっていい?」
「……了解です」
「よろしく」
「はい」
「……」
画面を見る。
紗季の名前。
「……」
(タイミング悪いな)
小さく息を吐く。
でも。
仕事は仕事だ。
「……」
立ち上がる。
⸻
「失礼します」
インターホン越しに声をかける。
「はーい」
軽い声。
ガチャ。
ドアが開く。
「遅いっす」
開口一番。
「……今来たとこだろ」
「体感遅刻っす」
「知らねえよ」
「まあいいっす」
紗季がくるっと背を向ける。
「入ってください」
「……お邪魔します」
中に入る。
「……」
部屋は、漫画家らしい空間だった。
資料、ラフ、コマ割りの紙。
散らかっているようで、整っている。
「そこ座ってください」
「おう」
テーブルに向かう。
「で、これっす」
ネームを差し出される。
「……」
ページをめくる。
「……」
静かに読む。
「……」
数分。
「……」
「ここ」
指で示す。
「ちょっと詰めすぎてる」
「やっぱっすか?」
「感情の流れ、早い」
「……」
「ここ、一コマ足した方がいい」
「……あー」
紗季が頷く。
「確かに」
「あとここ」
「はい」
「このセリフ、説明っぽい」
「削ります?」
「削っていい」
「了解っす」
ペンを走らせる。
「……」
作業が、進む。
「……」
「こんな感じっすか?」
「……いいと思う」
「オッケーっす」
タブレットを置く。
「助かりました」
「仕事だからな」
「冷たいっすねー」
「いつも通りだろ」
「まあそうっす」
軽く笑う。
「……」
少しだけ、間。
紗季が、ふっと顔を上げる。
「で」
「……なんだよ」
「例の人と、会ったんすか?」
「……」
一瞬で核心。
「……」
少しだけ、視線を逸らす。
「……会った」
「……」
紗季が黙る。
ほんの少しだけ。
「……」
「そっすか」
軽く言う。
でも。
その一瞬の間は、消えない。
「……」
「……で?」
「……ちゃんと話した」
「……」
「逃げるの、やめた」
「……」
紗季が、じっと見る。
「……」
それから。
ふっと笑う。
「いいじゃないっすか」
軽く言う。
「……」
「やっとっすね」
「……」
「……悪い」
ぽつりと出る。
「……」
紗季が首をかしげる。
「何がっすか」
「……」
「……分かってるだろ」
「……」
一瞬、沈黙。
「……」
紗季が、小さく息を吐く。
「分かってますよ」
あっさりと。
「……」
「でも」
少しだけ間。
「アタシ、まだ諦めてないっすよ?」
「……」
「……」
陽斗が何も言えない。
「……」
「だって」
紗季が笑う。
「まだ決まってないじゃないっすか」
「……」
「告白されたわけでもないし」
「……」
「付き合ってるわけでもない」
「……」
事実だった。
「……」
「だったら」
一歩、踏み込む。
「まだ勝負中っす」
「……」
その言葉は、軽くない。
「……」
「……本気だな」
陽斗が言う。
「今さらっすか?」
「……」
「めちゃくちゃ本気っすよ」
「……」
「だから」
少しだけ笑う。
「ちゃんと悩んでくださいね」
「……」
「中途半端、一番ダサいっす」
「……」
刺さる。
「……」
紗季がくるっと背を向ける。
「じゃ、仕事戻ります」
「……」
「陽斗さんも帰っていいっすよ」
「……ああ」
立ち上がる。
「……」
ドアに向かう。
「……」
そのとき。
「……陽斗さん」
呼ばれる。
「……なんだよ」
振り返る。
「……」
紗季が少しだけ視線を逸らす。
「……」
ほんの一瞬。
「……負けないっすから」
小さく。
でも、はっきり。
「……」
言葉が出ない。
「……」
「……ああ」
それだけ返す。
「……」
ドアを開ける。
外に出る。
「……」
空気が、少しだけ冷たい。
「……」
(……ほんと、めんどくせえな)
小さく息を吐く。
でも。
「……」
逃げるつもりは、ない。
⸻
――近づいた距離の中で、まだ戦いは終わらない。




