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第17話:気づきと踏み込み
「……」
タブレットの上で、ペンが止まる。
線の途中で、ぴたりと。
「……はぁ」
小さく息を吐く。
「珍しいっすね」
顔を上げると、紗季がこちらを見ていた。
紗季が、にやっと笑う。
「陽斗さんがため息とか」
陽斗が眉をひそめる。
「してねえよ」
紗季は肩をすくめる。
「してましたよ」
「してない」
「してましたって」
即答だった。
「……」
言い返せない。
「……で?」
陽斗がペンを置く。
「なんだよ」
紗季が顎で机を指す。
「それっす」
陽斗が視線を落とす。
机の上のスマホ。
「……なんだよ」
紗季が少し身を乗り出す。
「さっきから何回見てるんすか?」
「見てねえよ」
「見てます」
「……」
図星だった。
紗季がじっと陽斗を見る。
「例の人っすか?」
「……は?」
少しだけ反応が遅れる。
紗季が軽く笑う。
「コンビニの人」
「……」
言葉が詰まる。
それだけで、十分だった。
紗季が小さく頷く。
「やっぱり」
「分かりやすすぎっすよ」
陽斗が視線を逸らす。
「……違う」
とりあえず否定する。
紗季が即返す。
「いや無理っす」
「何がだよ」
「顔っす」
「……」
「完全に“その人”の顔してるっす」
「意味わかんねえよ」
紗季が笑う。
「分かりますって」
軽く言う。
でも、その目はちゃんと見ている。
「……」
少しだけ沈黙。
紗季が、さらっと続ける。
「結構やり取りしてるっすよね?」
陽斗が少しだけ考える。
「……まあ」
「へぇ」
紗季が頷く。
「進展ありっすか?」
「……」
一瞬、言葉に詰まる。
「……普通だよ」
紗季がにやっとする。
「普通の顔じゃないっすけどね」
「……」
返せない。
「……」
紗季が視線を逸らす。
それから、また戻す。
「……いいなぁ」
ぽつりと、漏れる。
陽斗が顔を上げる。
「は?」
紗季はすぐに笑う。
「いや、なんでもないっす」
軽く流す。
でも。
その一瞬、確かに何かが混ざっていた。
「……」
空気が、少しだけ変わる。
さっきまでの軽さが、ほんの少しだけ薄くなる。
「……」
数秒。
ペンの音だけが響く。
「……」
紗季が、ふと手を止める。
「陽斗さん」
「なんだよ」
紗季が少しだけ間を置く。
「最近」
「……」
「アタシの扱い、雑じゃないっすか?」
陽斗が顔を上げる。
「は?」
「そんなことねえだろ」
紗季が、わざとらしくため息をつく。
「はぁー……」
「なんだよ」
紗季が胸に手を当てる。
「この超売れっ子漫画家の紗季さまっすよ?」
「……」
「扱いが雑すぎます!」
「知らねえよ」
即答だった。
紗季が続ける。
「担当変えてもらうっすよ?」
陽斗が眉をひそめる。
「勝手にしろよ」
「まあ」
少しだけ間を置く。
にやっと笑う。
「はるくんのこと大好きなんで、しませんが!」
「なんだよそれ!」
思わずツッコむ。
「あと、はるくんて呼ぶな!」
紗季が吹き出す。
「いいじゃないっすか、はるくん」
「よくねえよ」
「可愛いのに」
「可愛くねえ」
「えー」
紗季が笑う。
「冗談っす冗談」
「笑えねえよ」
「えー」
紗季が少しだけ、声のトーンを落とす。
「ちゃんと大事にしてくださいよー?」
軽い口調。
でも。
ほんの少しだけ、本音が混ざる。
「……」
陽斗は一瞬だけ黙る。
「……」
紗季が、ふっと視線を逸らす。
「……」
すぐに戻して、また笑う。
「ま、いいっす」
軽く流す。
「仕事はちゃんとしてくれてるし」
「……」
でも。
さっきまでとは、少し違う空気。
「……」
そのとき。
――ピコン
スマホが鳴る。
陽斗の視線が、一瞬で落ちる。
「……」
画面が光る。
迷わず手に取る。
「……」
その動きを。
紗季は、じっと見ている。
「……」
陽斗が画面を開く。
表示される名前。
弓乃。
「……」
メッセージを読む。
――次、いつ空いてますか?
「……」
ほんの少しだけ。
口元が緩む。
無意識に。
「……」
その変化を。
紗季は見逃さない。
紗季が静かに目を細める。
(……あー)
心の中で呟く。
(そっちか)
「……」
視線を逸らす。
ペンを持つ。
でも。
少しだけ、力が入る。
「……」
紗季が、もう一度だけ陽斗を見る。
その顔は、さっきまでと明らかに違う。
柔らかくて。
どこか、嬉しそうな顔。
「……」
紗季が、小さく息を吐く。
「陽斗さん」
「……なんだよ」
紗季が少しだけ間を置く。
「……」
ほんの一瞬、迷う。
でも。
「なんでもないっす」
にこっと笑う。
いつも通りの顔。
明るくて、軽くて。
でも。
その奥にあるものは、少しだけ変わっていた。
――気づいてしまったら、もう戻れない。




