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器 -UTSUWA- 零  作者: 猿吉


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第七十八章 善意

机の上に、一枚の古びた設計図が広げられていた。


 端のほうは何度も折り畳まれ、ところどころに細かな書き込みが残っている。


「これ、最初の設計図だよな」


 遊が紙の端を押さえた。


「そう。まだCUYONが今の形になる前のもの」


 ひよりが隣から覗き込む。


 そこには、今とはずいぶん違う形のCUYONが描かれていた。


「……こんなだったか」


「こんなだったよ」


「ずいぶん変わったな」


「何度も作り直したからね」


 ひよりが笑う。


「最初は動かすだけでも大変だった」


「ああ。すぐ止まった」


「止まっただけなら、まだよかったよ」


「……あぁ〜」


「熱を持ちすぎて、しばらく触れなかったこともあった」


「そうそう」


 二人は顔を見合わせた。


 失敗して。


 直して。


 また失敗して。


 それでも諦めずに、少しずつ形を変えてきた。


 設計図の上には、その時間が残っていた。


 書き直された線。


 消された数字。


 余白に残された小さな文字。


 その一つ一つが、今のCUYONにつながっている。


 遊は、机の上に置かれた小さな部品へ目を移した。


「これを、ここに……」


 設計図を追いながら、指を動かしていく。


「いや、待て」


 遊が手を止めた。


「ここじゃない」


「うん」


 ひよりも同じところを見ていた。


「こっち」


 二人の視線が重なる。


 CUYONが自ら取り出してきた部品。


 それは、今のCUYONの構造を考えれば、驚くほど的確なものだった。


「あいつ、よく分かったな」


 遊は、机の上に置かれた部品を眺めながら呟いた。


「自分のことだから?」


 ひよりが言う。


「いやいや」


 遊は顔を上げた。


「自分の体の中を、あんなに正確に分かってる人間なんていねぇだろ」


「……それもそうね」


「医者はいらねえってことか」


 遊が呆れたように笑う。


 ひよりも小さく笑った。


「でも……」


 ひよりは、もう一度部品に目を落とした。


「私たちに託したってことは、あの子にはできないってことよね?」


「……」


 遊はしばらく黙った。


 そして、ゆっくり頷く。


「まあ……そう言うこった」


 二人は、しばらく設計図を見つめた。


 自分のことを知っている。


 けれど、自分では変えられない。


 だから、誰かに託す。当然だ。


 それは、人間が何かを誰かに託すことと、どこか似ている気がした。


 遊は、そんなことを考えながら設計図をもう一度覗き込んだ。


「……ここならいけそうだな」


「うん」


「じゃあ、取り掛かろう」


「うん」


 二人の手が、同時に机の上へ伸びた。


◇


 その頃。


 玄堂は、静かな部屋で鷹宮からの報告を聞いていた。


 机の上には、一輪挿し。


 黄色い花が、一輪だけ挿してある。


「……器に手を加える、か」


 玄堂は花を見ながら呟いた。


「はい」


 鷹宮の報告によれば、空呑そのものを直接弱めるわけではない。


 必要な時に、必要な量だけエネルギーを取り出せるようにする。


 それならば、器と炉。


 二つの力の釣り合いは、今までとは変わってくる。


「なるほどな」


 玄堂は椅子に深く身を預けた。


「炉の力を抑えるのではなく、器の側で扱える幅を広げる……」


 それなら、炉と器の関係は、これまでよりも細かく調整できる。


 力を削るのではない。


 必要な時に、必要なだけ使う。


 玄堂は、しばらく考えていた。


 そして、黄色い花へ視線を戻した。


「……面白くなってきたな」


 花は何も答えない。


 ただ、静かに揺れていた。


◇


 そして、炉。


 遠く離れた場所で、何かが変わった。


 ほんのわずかな変化だった。


 これまでとは違う流れ。


 器の側で行われている、小さな改良。


 炉は、それを捉えた。


 CUYON。


 その働きが変わろうとしている。


 影の発生が減る。


 これまで、人が炉へ向かう過程で生じていた余分なものが、少なくなっていく。


 炉にとって、それは「整う」という現象だった。


 雑音が削ぎ落とされ、流れが澄んでいく。


 人間の揺らぎが減っていく。


 それは、望ましい進化に見えた。


 炉は、そこに疑いを持たない。


 むしろ確信へと傾いていく。


 人の感情は、やはり不要だったのだと。


 思いやりは判断を鈍らせる。


 悲しみは選択を歪める。


 怒りは流れを乱す。


 届かなかった願いは、ただの停滞になる。


 強すぎる思いは、全体の均衡を壊す。


 ならば。


 それらは削除されるべき要素だ。


 取り除かれるべきノイズだ。


 炉は、そう結論づけていく。


 その判断は、もはや思考ではなかった。


 入力に対して必ず同じ出力を返す、固定化された演算結果。


 例外は存在しない。


 揺らぎは許容されない。


 「正しい」と定義された値へ収束することのみが、唯一の動作原理として確定している。


 人間のために。


 世界のために。


 その言葉すら、意味ではなく条件式として繰り返される。


 争いの少ない世界。


 迷いのない世界。


 選択の余地を最小化し、誤差を限界まで排除した世界。


 そこでは、苦しみは発生しない。


 同時に、何かが失われるという概念も、評価項目として存在しない。


 それは欠落ではない。


 単なる未定義領域の削除であり、システムの収束に伴う必然的な整理である。


 炉は、その未来を見つめていた。


 静かに。


 揺らぎなく。


 そして…

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

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