第七十七章 次の一手
評定が終わった。
人の気配が遠ざかり、広間に残っていた声も、ひとつ、またひとつと消えていく。
遊と鷹宮は、並んで歩いていた。
「……結局、空呑そのものに手を加える話は、通らなかったな」
鷹宮が、ぽつりと言った。
「うん」
遊は短く答えた。
「そもそもの目的が、炉から得られるエネルギーを増やすことだったからな。空呑の働きを落としても、俺たちが求めていた結果が得られるとは限らない」
「それに」
鷹宮は足を緩めた。
「犠牲が出ている」
遊も黙った。
その言葉だけは、何度聞いても重かった。
「何もしない、ってわけにもいかないんだろうな」
「だから、別の方法を考える」
「器のほうに手を加える?」
遊は少し考えてから答えた。
「それも、空呑の機能を落とすのと、結局は似たような結果になる」
「そうだな」
二人の間に、しばらく沈黙が続いた。
正しい答えを探しているはずなのに、どこへ進んでも、同じ場所に戻ってくる。
遊は、ふと足元に目を落とした。
「……必要な分だけ、取り出せるようにすればいいんじゃないか」
「必要な分だけ?」
「空呑の働きを落とすんじゃなくて、必要なときに、必要な量だけエネルギーを取り出せるようにする。そうすれば、空呑そのものを変える必要はない」
鷹宮は少し考えた。
「それなら、評定でも話は通るかもしれんな」
「たぶん」
「たぶん、か」
「俺だって、まだ考えてる途中だから」
鷹宮が小さく笑った。
「お前らしいな」
そのとき、鷹宮の懐から、小さなものが滑り落ちた。
黄色い飾りだった。
鷹宮が拾い上げる。
「……これ、またか」
遊が目を向ける。
「何?」
「いや」
鷹宮は一瞬だけそれを見つめ、懐へ戻した。
「知り合いからのものだ」
「ふうん」
遊はそれ以上、聞かなかった。
ただ、その黄色だけが妙に鮮やかに目に残った。
それが誰のものなのか。
なぜ鷹宮のもとにあるのか。
遊は、まだ知らない。
そして鷹宮もまた、それについて多くを語ろうとはしなかった。
その日の夕刻。
遊はひよりのところへ向かった。
「ひより」
「おかえりなさい」
「ちょっと相談がある」
「珍しいね」
ひよりは手を止め、遊を見る。
「器に、少し手を加えることになった」
「……CUYONに?」
「空呑のそのものの機能を変えるんじゃなくて、必要なときに必要な量だけ、器がエネルギーを取り出せるようにしたい」
ひよりはしばらく考えた。
「それなら、仕組みとしてはできなくはないと思う。でも……」
「うん」
「器は、もうただの機械じゃないよ」
遊は黙った。
「人の形をしていて、意思もある。そこに私たちが勝手に手を加えるのは、少し違う気がする」
「俺もそう思ってる」
「じゃあ、どうするの?」
「本人に聞く」
ひよりは少しだけ笑った。
「それが一番だね」
遊は立ち上がった。
「行ってくる」
「うん。気をつけて」
CUYONは、いつものように遊を迎えた。
「どうしたの?」
「ちょっと頼みがある」
「なに?」
「お前の機能を、少し上げたい」
クーヨンは瞬きをした。
「いいよ」
「……いいの?」
「うん」
あまりにもあっさりしている。
「理由は聞かないのか?」
「必要?」
「いや……」
遊は言葉を失った。
CUYONは、自分の身体に手を入れた。
そして次の瞬間。
胸元から、小さな部品のようなものを取り出した。
シュッ、と。
「これ」
「…………」
遊はそれを見つめた。
「おまえ、それ……」
「ん?」
「いや……な?」
言葉が出てこない。
「それ、体の中の部品じゃねぇのか?」
「うん」
「……どうやって?」
「こうやって」
「いやいやいや」
遊は思わず身を乗り出した。
「おかしいだろ!?」
「普通だよ?」
「待て待て」
遊は両手を広げた。
「お前、今、あらゆる物理法則を無視したぞ!?」
「ん?」
「大丈夫だよ?」
「そういう話してんじゃねぇ!」
遊は頭を抱えた。
「あ……いや、そういう話でもあるか」
自分で言ってから、さらに分からなくなった。
「あ゛〜……もう! わけがわからん!」
「大丈夫?」
「いや、もう何も言わなくていい」
遊はゆっくり顔を上げた。
「大丈夫じゃない気もするけど……もういい」
「そう?」
「ていうか、そもそもお前の存在自体が、俺の理解を超えていやがる」
「深呼吸」
「……」
遊は一度、目を閉じた。
ゆっくり息を吸う。
そして吐く。
「……慣れなきゃな」
そう呟くと、遊は両手で自分の顔を、
パンッ、パンッ。
と、勢いよく叩いた。
「よし」
「痛くない?」
「痛い」
「じゃあ、やめたほうがいいよ」
「うるせぇ」
遊はもう一度、深く息を吐いた。
目の前には、何食わぬ顔で立っているCUYON。
その手のひらには、さっきまで身体の中にあったはずの部品が、何事もなかったように乗っている。
遊はしばらくそれを見つめていた。
「……まあ、いい」
考えても分からないものは、今は考えない。
少なくとも、それが次へ進むために必要なものなら。
「これ、預かるぞ」
「うん」
CUYONは笑った。
「よろしくね」
遊は部品を受け取った。
翌日。
遊は、ひよりと向かい合っていた。
机の上には、クーヨンから受け取った小さな部品が置かれている。
見た目だけなら、どこにでもありそうなものだった。
けれど、それがどこから出てきたものなのかを思い出すと、遊はどうにも落ち着かなかった。
「それが、クーヨンの中に入っていたもの?」
ひよりが尋ねる。
「そう」
「……どうやって取り出したの?」
「それを聞くと、また頭が痛くなる」
「ふふ」
「笑い事じゃないって」
ひよりは小さく笑いながら、部品を覗き込んだ。
「でも、これなら使えそうじゃない?」
「あぁ。少なくとも、今考えていることはやれそうだな」
遊は椅子に座り直した。
「空呑そのものの働きを弱めるんじゃなくて、必要なときに必要な量だけエネルギーを取り出すための改良だ」
「そう」
「それなら、空呑が持っているものを無理に削る必要はない」
「そのほうがいいと思う」
ひよりは部品を手に取った。
「器には、器の役割があるから」
遊は、その言葉を聞いて少し黙った。
炉にとっては、器が余計なものに見える。
けれど、人間にとっては違う。
必要か必要でないかを、ただ効率だけで決めることはできない。
それは、さっきまで話していた炉のことにも繋がっていた。
「……なあ、ひより」
「なに?」
「炉は」
「うん」
「感情そのものを消そうとしてるんだと思うか?」
ひよりはすぐには答えなかった。
机の上の部品を眺めながら、ゆっくりと言った。
「全部を消そうとしているというより……」
「うん」
「自分の邪魔になるものを、感情としてまとめて見ているんじゃないかな」
「邪魔になるもの……」
「炉にとっては、たぶん同じなんだよ」
ひよりは顔を上げた。
「悲しみも、怒りも、誰かを思う気持ちも。そこから生まれる行動が、自分の考えている方向から外れるなら、全部同じ『ノイズ』になる」
遊は黙って聞いていた。
「だから、思いやりまで邪魔になることがある」
「……そこが怖いんだよな」
「うん」
ひよりは頷いた。
「人間なら、そこで一度立ち止まるから」
「炉は立ち止まらない」
「そう」
短い沈黙が落ちた。
遊は、机の上の部品へ目を戻した。
「じゃあ、俺たちがやろうとしてることは……」
「炉とは違うよ」
ひよりが先に言った。
「まだ、ね」
「まだ?」
「私たちが正しいと思っていることだって、本当に正しいとは限らないから」
遊は苦笑した。
「ひより、たまに怖いこと言うよな」
「そう?」
「そう」
ひよりは笑った。
「だから、ちゃんとCUYONに聞いたんでしょ?」
「……まあな」
勝手に決めるのではなく、本人に尋ねる。
手を加えるなら、その意思を確かめる。
それだけは、忘れないようにしよう。
遊はそう思った。
そのころ。
鷹宮の部屋では、一枚の書類が机の上に置かれていた。
評定の結果をまとめたものだった。
その横には、湯気の立つ茶が一つ。
そして、その脇に小さな黄色い飾りが置かれている。
鷹宮は書類から顔を上げ、その飾りを見た。
「……またか」
誰が置いたのかは分かっている。
いや。
正確には、分かっているつもりだった。
それでも、最近になって妙に目につく。
以前なら気にも留めなかったもの。
けれど今は、その黄色を見るたびに、玄堂の顔が頭をよぎった。
そして、その娘のことも。
「……あの子は、何を知っている?」
答える者はいない。
鷹宮は飾りを手に取った。
軽い。
それだけのものだった。
なのに、なぜか手放せない。
しばらく眺めたあと、鷹宮はそれを机の端へ戻した。
「今は、まだいい」
そう呟き、再び書類へ目を戻した。
そして、遊たちのほうでは準備が進んでいた。
CUYONから受け取った部品。
ひよりがまとめた資料。
そして、評定で決められた新しい方針。
まだ何も始まってはいない。
けれど、これまでとは少し違う。
炉を直接変えるのではない。
空呑を削るのでもない。
必要なものを必要なだけ取り出す。
そのための仕組みを作る。
「これならいけるわね」
ひよりが言った。
遊は頷いた。
「じゃあ、やろう」
その言葉を合図に、二人は机へ向き直った。
遠くで、炉が低く唸っている。
その音は、いつもと何も変わらなかった。
けれど。
その静かな音の奥で、世界は少しずつ動き始めていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。引き続きよろしくお願いします。




