第七十一章 骨の記憶
異物が研究院へ運び込まれてから、数日が過ぎていた。
切り出した土塊は崩されることなく、解析室の中央へ据えられている。
遊たちは、昼夜を問わず検証を続けていた。
土を一層ずつ取り除き、色の変化を記し、成分を調べる。
わずかな違和感も見逃さぬよう、誰もが息を潜めて作業を進めていた。
ひよりは記録板へ筆を走らせる。
院士たちは交代で測定を繰り返す。
遊だけは、ほとんどその場を離れなかった。
「遊。」
ひよりが湯呑みを差し出す。
「少し休んで。」
遊は苦笑しながら受け取る。
「ああ……。」
口へ運んではみたものの、味などほとんど分からなかった。
視線は、ずっと異物へ向けられている。
やがて一人の院士が、小さく声を上げた。
「……遊さん。」
室内の空気が止まる。
「何か分かったのか。」
遊が歩み寄る。
院士は静かに頷き、磨き上げた断面を示した。
「こちらをご覧ください。」
灯りの下へ置かれた小さな欠片。
土だと思われていたその内側には、白く硬い層が幾重にも重なっていた。
遊は黙って覗き込む。
その瞬間だった。
「……骨か。」
院士は静かに答えた。
「はい。」
「人骨です。」
部屋から音が消えた。
誰も言葉を発しない。
ひよりも息を呑み、その小さな欠片を見つめていた。
遊はしばらく目を閉じる。
「先の大戦……。」
その言葉だけが静かに漏れた。
この国は、数年前の大戦で滅びかけた。
山野には、今なお回収されぬ遺骨が眠る場所も少なくない。
だから、人骨そのものが見つかることは、不思議ではなかった。
まして、あの林は白嶺の防衛線の跡だ。
燃料が途絶えた冬。
凍えた兵たちが、雪の下に取り残された場所。
回収されないまま眠っている者がいても、何もおかしくはない。
異常だったのは、その状態だった。
院士が断面を指差す。
「こちらです。」
骨の縁だけが、わずかに溶けていた。
焼け焦げとも違う。
刃物で削られた跡でもない。
まるで骨そのものが、一瞬だけ柔らかくなったかのようだった。
遊は目を細める。
「……熱だけじゃあ説明できねぇな。」
「はい。」
院士も頷く。
「周囲の土には、そのような変化はありません。」
「骨だけです。」
遊は腕を組み、考え込む。
その時、別の院士が声を上げた。
「こちらも……見てください。」
全員がそちらへ集まる。
骨の内部。
本来なら何も残っていないはずの細い空洞に、黒い粒子が入り込んでいた。
煤にも似た、細かな黒い粉。
ひよりが小さく呟く。
「……中まで。」
「入り込んでる。」
院士が首を横へ振る。
「表面へ付着したものではありません。」
「内部へ入り込んでいます。」
遊は無言でその黒い粒子を見つめ続けた。
その時、土塊の奥を削っていた院士が、竹べらを止めた。
「……もう一つ、出てきました」
小さな金属の札だった。
指先ほどの大きさ。
紐を通す穴が、一つ開いている。
表面は赤く錆び、刻まれた文字は半分ほど潰れていた。
「認識札ですね。兵が首から下げていたものです」
遊は灯りの下で、札をゆっくりと傾けた。
かろうじて読める。
部隊の印。
その下に、『真壁隊』。
名前の部分だけが、削れて読めなかった。
遊は札の縁を指でなぞる。
錆びてはいる。
だが、溶けてはいない。
同じ土の中で、同じ年月を過ごしてきたはずなのに。
変わっていたのは、骨だけだった。
柏木のことが、ふと頭をよぎる。
あの日も、説明のつかない現象だけが残されていた。
拳を静かに握る。
「……そういうことか。」
誰に向けた言葉でもなかった。
ひよりが顔を上げる。
「遊?」
遊はゆっくりと骨へ視線を戻した。
「まだ断定はできねぇ。」
「だが、一つだけ言える。」
室内の誰もが耳を傾ける。
「影は……何でも飲み込むわけじゃねぇ。」
静かな沈黙。
遊は続ける。
「人に反応している。」
「そして、その痕跡だけが、ここに残った。」
誰も反論できなかった。
証拠はまだ足りない。
だが、この小さな人骨は、一つの事実を語り始めていた。
影とは何なのか。
なぜ、人だけを取り込むのか。
そして、その内部へ残された黒い煤のような物質は、いったい何なのか。
解析室には、再び静かな緊張が満ちていく。
遊は骨片を見つめたまま、小さく息を吐いた。
「……ここからだ。」
「全部、調べる。」
その言葉に応えるように、院士たちは静かに持ち場へ戻っていった。
世界の真実は、まだ誰も知らない。
だが、その扉は今、確かに開き始めていた。
◇
数日後。
武備方の詰所。
身元の照会に回された認識札の写しが、一人の男の机に置かれた。
真壁陣は、長いあいだ、その紙を見つめていた。
白嶺。
真壁隊。
あの冬、あの林まで進んだのは、一通の報せを信じたからだった。
削れて読めない名前。
やがて真壁は、机の引き出しを開けた。
布に包まれた束を取り出し、結び目を解く。
小さな金属の札が、いくつも重なっていた。
どれにも、同じ部隊の印が刻まれている。
あの冬、持ち帰ることのできた分だけ。
真壁は一枚ずつ、指で数えた。
数は、ずっと前から知っている。
それでも、数えた。
最後の一枚を置いたあと、小さく呟く。
「……まだ、あそこにいたのか」
返事はない。
窓の外では、町の灯りが静かに揺れていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。引き続き『器』の世界をお楽しみください。




