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器 -UTSUWA- 零  作者: 猿吉


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第六十八章 手がかり

 翌朝。


 研究院の支度部屋では、白衣を脱ぐ音が静かに響いていた。


 遊は袖を通していた白衣を畳み、棚へ置く。


 代わりに身につけたのは、ごくありふれた町人の着物だった。


 ひよりも髪をまとめ直し、町娘と変わらぬ装いへと着替える。


 同行する院士たちも同様だった。


「院士と分かれば、余計な不安を広げる。」


 鷹宮は身支度を整えながら言う。


「町は、まだ何も知らない。騒ぎは最小限に抑えたい。」


 遊は静かに頷いた。


「俺たちは犯人探しに行くんじゃねぇってことだ。」


「何が起きたのかを知りに行く。それが目的だ。」


 その言葉に、ひよりも小さく頷く。


 支度を終えた一行は、町外れへ向かった。



 現場には、武備方(国の守りと兵を預かる役所)の者たちが立っていた。


 縄が張られ、人払いがされている。


 鷹宮が身分札を示すと、武備方の男は深く一礼した。


「現場は、そのまま残しております。」


「ご苦労。」


 遊たちは縄をくぐり、中へ入る。


 そこには、老人の近親者と思われる若い女性が座り込んでいた。


 目元は赤く腫れ、眠れていないことが一目で分かる。


 ひよりが静かに寄り添い、柔らかな声で話しかけた。


「つらい中、お時間をいただいてありがとうございます。」


 女性は小さく頭を下げる。


 遊は周囲を見回してから、ゆっくりと尋ねた。


「その時のことを、覚えている範囲で教えてくれ。」


 女性は唇を噛み、ゆっくりと話し始めた。


「……私は、その場を見ていないんです。」


「少し目を離していて……戻ったら、おじいちゃんがいなくなっていました。」


 震える声だった。


「何が起きたのか、本当に分からないんです。」


 遊は黙って耳を傾ける。


「あとから……町の人たちが言っていました。」


「黒い影を見たって。」


 一度言葉を切る。


「でも、その話も人によって違うんです。」


「六尺くらいあったって人もいれば、小さな子どもくらいだったって人もいて……。」


 困ったように首を振る。


「私は……そんなもの、見ていません。」


 遊は短く頷いた。


「分かった。」


 それ以上、その話を掘り下げることはしなかった。


 目撃証言は大切だ。


 だが、人の記憶は混乱の中で容易に揺らぐ。


 今、信じるべきものは、現場に残された事実だけだった。


 遊はしゃがみ込み、地面へ目を落とす。


 草をかき分け、土を指先ですくう。


 ひよりは記録を書き留め、同行した院士たちは周囲の空気や土を採取していく。


 武備方は周囲へ目を配り、静かに警戒を続けていた。


 時間だけが過ぎていく。


 しかし、何も見つからない。


 土も。


 草も。


 空気も。


 異変らしい異変は、一つとして存在しなかった。


「……何もねぇ。」


 遊が小さく呟く。


「無さすぎる。」


 ひよりも静かに答えた。


 遊は土を払いながら立ち上がる。


「ああ。」


「それが、気持ち悪ぃ。」


 誰も言葉を返せなかった。


 調べれば調べるほど、この現場は”きれいすぎる”。


 まるで、何も起きていなかったかのように。


 だが、人は一人、確かに消えている。


 その矛盾だけが、遊の胸に重く残っていた。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。引き続き器の世界をお楽しみください。

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