第六十七章 検証の始まり
評定は、結論を出さぬまま閉じられた。
それは誰かが責任を避けたからではない。
断じるには、あまりにも事実が足りなかった。
目撃証言はある。
行方知れずになった者もいる。
だが、それだけだった。
黒い人影を見たという話も、現時点では一つの証言に過ぎない。
それをもって影と断定することは、誰にもできなかった。
評定の間を出る者たちは、それぞれの役目を胸に静かに歩き出す。
武備方(国の守りと兵を預かる役所)は周辺の警戒を強める手配を進める。
町政方(町々の暮らしを預かる役所)は現場を保ち、余計な人が近づかぬよう動き始める。
勘定方(国の財や税を司る役所)は、研究院が必要とする人員や資材を優先して回すよう指示を出した。
産業方(工房や商い、炉を用いた産業を担う役所)は、民の暮らしに混乱が広がらぬよう、情報の扱いを慎重に進めることとなった。
誰一人として、怠けている者はいない。
誰もが、自らの責務を果たそうとしていた。
だからこそ、遊は胸の内に重いものを抱えていた。
研究院の回廊を歩きながら、窓の向こうに見える巨大な炉へ目を向ける。
今日も炉は、静かに鼓動を刻んでいる。
観測記録にも異常はない。
CUYONも、いつもと変わらない。
炉とCUYONは、設計通りに働いている。
ならば、なぜ。
「わかんねぇなぁ。何かが……おかしい。」
思わず言葉が漏れた。
隣を歩くひよりが振り向く。
「何が?」
「全部だ。おかしいと思わねぇか?」
遊は小さく首を振った。
「炉も正常。CUYONも正常。観測値にも乱れはねぇ。」
「なのに、影が出た。と、思われるって話だ。」
ひよりも静かに考え込む。
「まだ、本当に影だったとは……。」
「分かってらぁ。」
遊はすぐに言葉を返した。
「証拠はねぇ。」
少し間を置いて続ける。
「でもな。」
「状況がな。いろんなものが、揃いすぎてると思わねぇか?」
遊は今まで辿ってきた道のりを思い出す。
器を造った理由。
空呑の完成。
CUYONとの接続。
そして、町で起きた不可解な出来事。
一つひとつは偶然と片付けられるかもしれない。
だが、それらが一つの線として繋がるなら。
遊の胸に浮かぶ答えは、一つしかなかった。
その時、後ろから落ち着いた足音が聞こえた。
鷹宮だった。
「遊。」
遊は足を止める。
「お前の考えは理解できる。」
「だが、評定でも言った通りだ。」
「今のお前には確証がない。」
遊は静かに頷く。
「……ああ。」
「だからこそ、確かめてこい。」
鷹宮の声は穏やかだった。
「現場へ行け。」
「残された痕跡を見ろ。」
「影だったのか。」
「そうでなかったのか。」
「まずは事実を持ち帰れ。」
「答えを急ぐな。」
「事実が、お前を答えまで連れていく。」
遊はゆっくり息を吐いた。
その言葉は、研究者としての自分に向けられたものだと分かっていた。
「……分かった。」
ひよりも静かに頷く。
二人は顔を見合わせ、小さくうなずき合った。
まずは現場を見る。
残された物的証拠はないか。
影の痕跡は残っていないか。
そして、この出来事と炉を結ぶ何かがないか。
すべては、そこから始まる。
研究院の大きな門が静かに開く。
遊とひよりは、巨大な炉を背に、町へ向かって歩き始めた。
まだ誰も気づいていない。
この一歩が、やがて世界の在り方そのものを問い直す旅の始まりになることを。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。引き続き、器の世界をお楽しみください。




