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器 -UTSUWA- 零  作者: 猿吉


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第四十八章 意志はどこに

朝の光が、研究棟の窓から静かに差し込んでいた。


昨夜遅くまで開かれていた資料は、そのまま机いっぱいに広げられている。


遊はコーヒーを一口飲み、澪のノートへ視線を落とした。


紙は黄ばんでいる。


インクも少し滲み始めていた。


それでも。


澪の文字だけは、不思議なくらい生きていた。


まるで今も、この机の向こうで書き続けているようだった。


「また朝まで読んでたの?」


ひよりが眠そうに髪をかき上げながら部屋へ入ってくる。


遊は苦笑する。


「悪ぃ」


「止まんなくなっちまってよ」


ひよりは呆れたように笑うと、遊の隣へ腰を下ろした。


机いっぱいに広げられた資料を眺める。


「すごい量……」


「これ全部、澪さんが?」


「ああ」


遊は静かに頷く。


「研究記録だけじゃねぇ」


「途中から、自分の考えを書き始めてる」


ひよりは一枚ずつページをめくる。


設計図。


数式。


シミュレーション結果。


その途中に、ぽつりぽつりと残された文章。


まるで、自分自身へ問い掛けるような言葉だった。


『人間はなぜ迷う。』


『迷うことは欠陥なのか。』


『もし迷いを失えば、人は幸せなのか。』


ひよりの手が止まる。


「これ」


「研究じゃなくない?」


遊もその文字を見る。


「そうなんだよ」


「途中から全部こうなんだ」


「機械の話じゃねぇ」


「人間の話になってる」


部屋に静かな沈黙が落ちた。


遠くで換気装置の低い音だけが響いている。


遊は腕を組み、天井を見上げた。


「俺さ」


「ずっと炉を完成させることばっか考えてた」


「もっと効率良く」


「もっと安全に」


「もっと人の役に立つようにってな」


ゆっくり息を吐く。


「でも澪は違った」


「炉を作る先を見てた」


「俺は見えてなかった」


その声には、自分を責める響きが混じっていた。


ひよりは何も否定しない。


代わりに、遊の拳へそっと手を重ねる。


固く握られていた拳が、少しだけ緩んだ。


「遊」


「責めるために残したんじゃないと思う」


「澪さん」


遊は視線を落とす。


「そうだろうな」


「責めるようなやつじゃねぇ」


「じゃあ、何を残したかったんだろ」


遊はノートを閉じる。


その表紙を指先で静かになぞった。


「そこなんだ」


「そこが、まだ分かんねぇ」


ひよりは別の束を開く。


その中には、未来予測のシミュレーションが並んでいた。


炉の出力推移。


人口変動。


エネルギー需要。


そして、ある地点から先だけ赤い文字で埋め尽くされている。


『影 発生率上昇』


『器による浄化能力 限界』


『文明維持 不可能』


ひよりの息が止まる。


「遊」


「これ」


遊も隣から覗き込む。


表情が変わる。


「やっぱり、そうか」


「澪は全部知ってた」


ひよりはページをめくる。


さらに続いていた。


『炉の暴走』


『回避不可』


『停止不能』


その下には、一文だけ。


『止めることはできない。』


遊は長く息を吐いた。


椅子にもたれ、天井を見上げる。


「だからか……」


「最近になって、やっと分かってきた」


「俺が作った炉は、人を救うだけじゃ終わらねぇ」


「その先まで全部繋がってた」


ひよりは静かに遊を見る。


「でも」


「澪さん、防ごうとはしてない」


遊も頷く。


「そこなんだ」


「未来を変える方法じゃねぇ」


「未来への残し方を考えてる」


二人は顔を見合わせる。


同じ答えへ近づいていることが分かった。


ひよりは最後の束を開く。


そこには短い文章だけが残されていた。


『人は必ず選ぶ。』


『だから私は』


『選択肢だけを残す。』


遊はその一文を何度も読み返した。


「選択肢」


「昨日、鷹宮も同じこと言ってた」


ひよりはゆっくり頷く。


「遊」


「この”選択肢”って」


「もしかして……」


遊は視線を落とす。


机の上には二枚の図面。


一枚は炉。


もう一枚はCUYON。


二つの設計図が並んでいた。


遊が引いたものだ。


遊の瞳がゆっくり見開かれる。


「そういうことか……」


「澪」


「お前」


「最初から二つ残すつもりだったのか」


ひよりが息を呑む。


「二つ?」


遊は炉の図面を指先で押さえる。


「人を導こうとする意思」


続いてCUYONの図面へ触れる。


「人に寄り添う意思」


「どっちも澪なんだ」


「人間の中にある二つの考え方を…そのまま残した」


「どうやってCUYONの事までわかったってんだ?」


部屋の空気が静まり返る。


誰も言葉を続けられなかった。


窓の外では風が吹き、小さな畑の芽がゆっくりと揺れている。


遊は目を閉じた。


胸の奥で、一つの違和感が静かに形になり始める。


「あの時も……」


「何か感じたんだ」


「炉を繋いだ瞬間」


「俺、何か見落としてる」


ひよりは遊の横顔を見つめる。


「思い出せそう?」


遊は首を横に振った。


「いや」


「まだ霧の中だ」


「でも」


「確かにあった」


「澪が残した何か」


その言葉は、小さく部屋へ溶けていった。


まだ答えには届かない。


だが確かに、二人は同じ方向を向いて歩き始めていた。


そしてその「接続の日」の記憶こそが、やがてすべての答えへ繋がることを、この時の遊はまだ知らなかった。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

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