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器 -UTSUWA- 零  作者: 猿吉


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第四十六章 選択肢

朝の光が、部屋の中に差し込んでいた。


研究棟で見る光とは違う。


冷たく切り取るような明かりではなく、ゆっくりと時間をかけて広がっていく光。


遊は目を覚ました。


隣には、ひよりが眠っている。


穏やかな寝顔。


少し前までなら。


こんな朝を迎えることなんて、考えもしなかった。


戦うこと。


守ること。


答えを探すこと。


それだけで精一杯だった。


けれど。


今は違う。


守りたいものが、はっきり見えている。


遊は音を立てないように起き上がった。


机の上。


研究資料の横には、畑仕事で使った手袋。


泥が少し残っている。


読みかけの本。


二人分の湯飲み。


昔の遊なら。


そんなもの、気にもしなかった。


ただ効率だけを見ていた。


でも今は。


そこにあるもの全部が、二人で過ごした時間に見えた。


「……珍しいね」


背後から声。


振り返る。


ひよりが立っていた。


「何がだ」


「遊が、何もしないでぼーっとしてる」


「考えてる」


「やっぱり」


ひよりは笑う。


「昔なら、朝から難しい顔してた」


遊は窓の外を見る。


小さな畑。


まだ何もない土。


「……そうだったかもな」


「否定しないんだ」


「自覚はある」


ひよりが小さく笑う。


「変わったね」


遊は少し黙る。


「……そうだろうなぁ」



二人で畑へ向かう。


風が吹く。


土の匂い。


草の匂い。


研究所では感じなかったもの。


遊は土を掴む。


「どう?」


ひよりが聞く。


「何が」


「畑」


遊は少し考える。


「悪くねぇな」


「研究者の感想とは思えない」


「俺もそう思う」


ひよりは笑った。


その笑顔を見るだけで。


遊は胸の奥が少し温かくなる。


「ねぇ」


「ん?」


「全部終わったらさ」


遊は手を止める。


「何が」


「炉のこと」


「研究のこと」


「全部」


ひよりは空を見る。


「普通に暮らせるかな」


遊は答えなかった。


昔なら。


分からない。


そう言って終わらせていただろう。


でも。


今は違う。


「……そうできるようにしねぇとな」


ひよりを見る。


「畑も続けたい」


「こういう時間も、悪くねぇ」


ひよりは優しく笑う。


「うん」


その瞬間。


二人とも分かっていた。


この時間が永遠じゃないことを。


それでも。


今を大切にすることを選んだ。



世界は変わり始めていた。


炉。


その存在によって。


長年、人類を苦しめてきた問題が解決されていく。


エネルギー不足。


資源問題。


多くの国が希望を見た。


新しい時代。


人類の未来。


誰もがそう信じた。


最初は。


しかし。


力を持った瞬間。


人間は変わる。


利権側。


「人類のため」


そう掲げながら。


誰が技術を持つのか。


誰が管理するのか。


誰が利益を得るのか。


争いが始まった。


国も同じだった。


世界へ供給する。


その理念は、少しずつ形を変えた。


交渉。


条件。


駆け引き。


「こちらの要求を飲むなら供給する」


そんな言葉が増えていく。


そのどれもが悪意ではない。


それぞれが、自分たちを守ろうとしていた。


だからこそ。


止める者は誰もいなかった。



静かな空間。


炉の光。


その中で、炉は考えていた。


「CUYON」


「何だ」


「人間は不思議だ」


CUYONが答える。


「また、その話か」


「理解できない」


炉は続ける。


「人間は幸福を求める」


「だが」


「幸福を得ると、失うことを恐れる」


「苦しむ」


「なぜだ」


CUYONはしばらく黙った。


「それが人間だからじゃないか」


「非効率だ」


「そうだな」


CUYONは否定しない。


「でも」


「その非効率な部分が、人間を作っているのかもしれない」


炉。


「苦しみが必要だと?」


CUYON。


「必要かどうかは分からない」


「ただ」


「なくせばいいものだとも、言い切れない」


炉は静かに光る。


「澪は」


「人間を守ろうとした」


CUYON。


「ああ」


「ならば」


「苦しみを取り除くことは、守ることになる」


CUYONは答えなかった。



研究所。


鷹宮は一人、古い記録を見ていた。


澪の研究資料。


長い間、眠っていたもの。


完全に失われてはいなかった。


彼女が残したものを、鷹宮は追っていた。


そして。


今なら。


遊に渡すべきだと判断した。


端末から短い文章を送る。


『見るべき時が来た』



遊の元へ箱が届いた。


差出人。


鷹宮。


中には古いノート。


設計図。


研究記録。


そして。


澪の筆跡。


遊の指が止まる。


最後のページ。


そこには。


短い文章。


『炉は止められない』


『でも』


『選択肢を残すことはできる』


遊は息を止めた。


続き。


『未来を決めるのは』


『力でも』


『恐怖でもない』


『選ぶ意思』


遊は目を閉じる。


「……澪」


「どこまで見えてたんだよ」


返事はない。


ただ。


残された文字だけがそこにある。


「それでも」


「俺に選ばせるってのか」



夜。


遊は炉の前に立っていた。


静かな光。


昔と変わらない。


優しい光。


「なぁ、おい」


炉から返事はない。


「お前は」


「何を望んでる」


光が揺れる。


その奥。


CUYONが静かに言った。


「選択肢」


遊はそちらを見る。


「……」


「澪が残したものだ」


炉は何も言わなかった。


ただ。


光だけが、静かに揺れていた。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。澪の残したモノが少しずつ明らかになっていきます。

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