第三十八章 残された意志
空呑単体試験。
稼働まで、十一週間。
研究棟の一室。
机ほどの大きさの台の上に、小さな機械が置かれていた。
空呑。
見た目だけなら、特別大きな装置ではない。
しかし、その内部に組み込まれた処理機構は、炉へ流れ込むものを扱うために作られていた。
炉との間には、流れを調整する接続フィルターがある。
その前段階。
受け取ったものを処理し、変化させる役割。
器と同じく、小さな存在。
だが、担うものは大きい。
「起動準備完了」
研究員の声。
遊は観測席から空呑を見る。
「開始」
小さな駆動音。
内部の機構が静かに動き始める。
温度上昇。
内部圧力。
処理流量。
次々と数字が表示される。
「温度、安定」
「処理値、正常範囲」
「制御系統、問題ありません」
報告が続く。
順調だった。
しかし。
遊の視線が止まる。
波形。
わずかな乱れ。
本来なら一定になるはずの流れが、ほんの少しだけ変化している。
「……」
研究員が気づく。
「誤差でしょうか?」
遊は画面を見たまま答えた。
「違うなぁ」
「では?」
少し間があった。
「何かに反応してるみてぇだ」
研究員たちは黙った。
機械が反応する。
その言葉の意味を、誰も簡単には受け入れられない。
しかし、数字は確かに動いていた。
空呑は、何かを処理している。
まだ炉とは接続していない。
外部から流れ込むものもない。
それなのに。
まるで、何かを感じ取っているように。
◇
試験終了後。
研究員たちは解析に入った。
異常ではない。
故障でもない。
けれど、予定された動きだった。
遊は記録を確認する。
理論値。
想定範囲。
設計時に考えられていた流れ。
そして、今起きた現象。
空呑は、まだ本来の役割を果たしていない。
それでも反応した。
「……何を受け取った?」
答えはない。それもそうか。
炉はここ最近は大人しくしている。全く反応がないのも不気味だが。
一つ言えることは、供給量が増えるということを炉も望んでいるということだ。
◇
夕方。
廊下。
遊が歩いていると、ひよりがいた。
「遊」
いつもの呼び方。
いつもの声。
けれど、少しだけ違う。
「終わった?」
「ああ」
「どうだった?」
「問題ないね」
ひよりは少し眉を寄せた。
「その顔で言われても、安心できないんだけど」
遊は黙る。
「また一人で考えてる?」
「考える必要があるんだよ」
「ほら、そういうところ」
ひよりは呆れたように笑う。
その笑顔を見て、遊は一瞬言葉を失った。
以前なら気にならなかった。
でも今は違う。
近い。
その距離が、妙に意識される。
自分が心を許していることに気づく。
だからこそ、怖かった。
「ひより」
「なに?」
「無理をするな」
「……え?」
「これから先、何が起こるか分からない」
遊は真剣だった。
「危険だと思ったら離れろ」
ひよりはしばらく遊を見る。
そして。
「……それって」
「?」
「私のこと、心配してるってこと?」
遊は少し考えた。
「そうだ」
ひよりの顔が少し変わる。
期待したような。
でも違うような。
「いや」
「?」
「なんか違う」
遊は困る。
「何がだ」
ひよりは言葉に詰まる。
「だって……」
「?」
「遊って、そういう言い方するから分かんないんだよ」
「?」
「普通に言えばいいじゃん」
遊は黙った。
言っているつもりだった。
十分伝えていると思っていた。
しかし、ひよりには届いていなかった。
そのズレがおかしくて。
少しだけ寂しくて。
ひよりはため息をつく。
「ほんと、難しいね」
◇
その頃。
研究棟の奥。
CUYONは静かにしていた。
いつもなら、小さな身体を動かしている。
しかし今日は違った。
空呑が動いた瞬間から、何かが引っかかっている。
理由は分からない。
危険なのか。
懐かしいのか。
それすら判断できない。
ただ。
胸の奥に残されたものが、わずかに揺れた。
古い記録。
失われた情報。
触れた瞬間。
断片が流れ込む。
文字。
声。
感情。
そして、一つの想い。
「未来で、選べるように」
誰の言葉か。
なぜ自分がそれを感じるのか。
分からない。
でも、CUYONは初めて思った。
自分は、ただ影を処理するためだけに存在しているのではない。
この力も。
この身体も。
偶然ではない。
誰かが、未来へ残したもの。
それだけは分かった。
◇
空呑が動いた。
遊の心も動いた。
CUYONの中に残された意志も、わずかに目を覚ました。
まだ三つが交わることはない。
しかし、それぞれが同じ未来へ向かって進み始めていた。
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