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器 -UTSUWA- 零  作者: 猿吉


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第二十七章『止められない段階』

炉の建設が進むにつれ、

研究所以外の人間たちの動きも、目に見えて増え始めていた。


資金提供側。

国家機関。

視察名目の役人。

軍部。

企業。


それぞれが、

それぞれの思惑で動いている。


現場の作業員からすれば、

「なんかお偉いさんが増えたな」

程度の話だった。


だが、

玄堂や鷹宮のような立場の人間からすれば、

そう単純な話ではない。


地下研究区画。


静かな会議室の中で、

複数のモニターが淡く光を放っていた。


そこには、

事故当時の炉内部データが映し出されている。


まだ稼働していないはずの炉が、

一瞬だけ出力を上昇させていた。


通常ではあり得ない現象。


しかもその直前、

現場作業員の精神波形に異常な乱れが確認されている。


「感情波形との同期反応……ですか」


鷹宮が静かに資料を閉じた。


声音に動揺はない。


しかし、思考だけが深く沈んでいる。


玄堂は椅子に腰掛けたまま、

しばらくモニターを見つめていた。


「可能性としては?」


「現段階では断定できません。ただ……」


鷹宮は一度言葉を切る。


「炉が周囲の感情に反応した。そう考えるのが自然かと」


沈黙。


部屋の空調音だけが響く。


やがて玄堂が口を開いた。


「面白い」


その一言に、

鷹宮がわずかに視線を動かす。


「世界の構造を変える技術というのは、往々にして、人間の理解より先に進むものだ」


玄堂は淡々としていた。


恐怖も興奮もない。


ただ、

先を見ている目だった。


「すでに上は気付き始めています」


鷹宮が続ける。


「各省庁、軍需、民間資本。炉の運用権や管理権を巡る動きが出始めています」


「当然だろう」


玄堂は短く答える。


「これほどの技術だ。誰も手放したがらん」


「ですが、制御不能となれば話は別です」


「いいや、制御する」


即答だった。


その言葉には、

妙な重みがあった。


鷹宮は黙ったまま、

再びデータへ目を落とす。


感情反応。


出力上昇。


記憶欠損。


偶然にしては、

出来すぎていた。


「……早急にCUYONを組み込む必要があります」


「制御機構としてか」


「はい。現状、あれだけが炉へ干渉できる可能性を持っています」


玄堂は静かに目を閉じた。


「急げ」


その一言だけだった。


だが。


鷹宮には分かっていた。


もう、

誰にも止められない段階へ入り始めている。


その頃。


遊は、さっきの出来事を思い返していた。


怒鳴っていたはずの若い作業員。

なのに次の瞬間には、自分が何に腹を立てていたのかさえ忘れていた男。


疲労。

寝不足。

現場の空気。


理由なんて、

いくらでも説明はつく。


だが。


あの目だけは、

どうしても引っかかる。


感情だけが抜け落ちたみたいな、

空っぽの目。


遊は研究区画の薄暗い通路を歩きながら、無意識に煙草を探していた。


持っていない。


禁煙中だったことを思い出し、舌打ちする。


「……ったく」


視線の先では、

巨大な炉が静かに組み上げられていた。


何百人もの人間が動き、

膨大な資材が運び込まれ、

骨組みだったものが、

日に日に形を持ち始めている。


この研究が、

ここまで来た。


本来なら、

もっと喜ぶべきなのかもしれない。


なのに。


遊は時々、

この炉を見ていると、

昔の自分を思い出した。


正しいと思っていた。


人の役に立つと信じていた。


だから、

周りが見えなくなっていた。


由真の小さな手を、

振り払ってしまうくらいには。


ふいに、

記憶がよみがえる。


忙しかった夜。


何かを話しかけていた由真。


だが、自分は資料を見たまま、

生返事しか返していなかった。


あの時、

由真は何を伝えたかったんだろう。


今になって、

そんなことばかり思い出す。


『……あんたのそのままの気持ち、ちゃんとぶつけなさいよ』


ひよりの声まで頭に浮かび、

遊は顔をしかめた。


「……分あってるっつーの」


独り言だった。


その時だった。


遠くの作業区画から、

短い悲鳴が聞こえた。


「うわっ……!?」


遊が顔を上げる。


数人の作業員が、

炉の外壁付近を指差していた。


「な、なんだアレ……!」


遊は駆け寄る。


配管の継ぎ目から、

黒い液体が垂れていた。


ぽたり。


ぽたり。


油にしか見えない。


現場ではよくある光景だった。


「漏れてんのか……?」


誰かが近づこうとする。


その瞬間。


黒い液体が、

ずるりと動いた。


空気が止まる。


液体は、

まるで意思を持っているみたいに、

床を這った。


ずずずずず……。


暗がりへ。


光の届かない、

配管の隙間へ向かって。


「ひっ……!」


若い作業員が悲鳴を上げ、

後ずさる。


誰かが工具を落とした。


乾いた音が響く。


だが、

黒い液体は、

何事もなかったように暗闇へ消えていった。


沈黙。


現場の誰も動けない。


遊だけが、

じっとその暗がりを見ていた。


柏木を思い出していた。


その頃。


研究室の端に置かれた透明ケースの中で。


CUYONの青白い光が、

かすかに揺れていた。


小さく。


呼吸するみたいに。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

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