第二十六章 笑えねぇな
研究所の奥では、今日も炉の建設が続いていた。
巨大な鉄骨が幾重にも組み上がり、天井近くを走る搬送レールの音が低く響く。白い蒸気が時折吹き上がり、油と金属の匂いが空気に混じっていた。
未完成の炉は、まるで街そのものを飲み込むような大きさになりつつある。
少し前まで、遊とひよりが手探りで組み上げていた研究だった。それが今では、大勢の作業員、技師、企業関係者まで出入りする巨大計画になっている。
「そっち搬入遅れてるぞ!」
「三番ライン開けろ!」
「クレーン通る、下がれ!」
怒号と工具音。火花。振動。
忙しなさの中に、熱気があった。
「終わったら飲み行くか?」
資材を運んでいた若い作業員が笑う。
「行ける金があるならな!」
「ねぇよ!」
周囲から笑いが起きた。
研究室の入口付近で、その様子を眺めていたひよりが肩をすくめる。
「元気だよねぇ、みんな」
遊は紙コップのコーヒーを片手に、苦い顔をした。
「いや、寝不足で頭が飛んでんだ」
「あんたも大概だけどね」
「るせぇな。いつもと変わんねぇよ」
そう返しながらも、遊の視線は炉へ向いていた。
巨大な外壁。むき出しの配線。複雑に絡み合う冷却管。その中心部はまだ封鎖され、完全稼働には程遠い。
だが、時折、妙な気配を感じることがある。
そんな時は決まって、研究室の隅の方の透明ケースの中で、CUYONが静かに灯っていた。
ドッジボールほどの丸い機体。淡い光が、呼吸するみたいにゆっくり明滅している。
訳がわからないと、遊はケースを指先で軽く叩く。
「お前まで働きすぎで壊れんなよ」
ぴ。
短い電子音。
「……返事だけはいっちょ前か」
ひよりが吹き出した。
「なにそれ。完全にペット扱いじゃん」
「犬より金食うぞ、こいつ」
「最低」
くだらないやり取り。だが、その時間だけは少し空気が軽くなる。
その時だった。
「だからお前、何回言わせんだよ!」
怒鳴り声。
現場の空気が変わる。
若い作業員が、別の男の胸ぐらを掴んでいた。周囲が慌てて止めに入る。
「やめろって!」
「今はそんなことで揉めてる場合じゃねぇだろ!」
疲労が溜まっている。皆、余裕がない。
「……っざけんな、こっちは朝から...」
その瞬間。
炉の中心部。まだ機動していないはずの深層部が、わずかに脈打った。
誰も見ていない。
いや。
正確には、一つだけ反応していた。
ケースの中のCUYONが、小さく震える。
ぴ……。
淡い光が、不規則に揺れた。
遊だけが顔を上げる。
「……ん?」
CUYONは炉の方向を向いていた。
普段の安定した明滅とは違う。どこか落ち着かない。警戒しているようにも見える。
「おい、どうした」
遊はケースを上げて、炉の方へ視線を向けた。
「……拒絶してんのか?」
当然、返事はない。
だが、そう見えた。
次の瞬間。
「……あれ?」
さっきまで怒鳴っていた若い作業員が、急に力を抜いた。
胸ぐらを掴んでいた手が落ちる。
「お、おい?」
相手の男が戸惑う。
若い作業員は、ぼうっと炉の方を見ていた。焦点が合っていない。
「……なんだ?」
「お前、大丈夫か?」
男は自分の頭に手を当てる。
「いや……」
妙な感じだ。
ついさっきまで何に怒っていたのか。なぜ腹を立てていたのか。その感情だけが、綺麗に抜け落ちていた。
「……俺、何にキレてたんだっけ?」
数秒の沈黙。
そのあと、別の作業員が吹き出した。
「おいおい、鼻からオメェの頭ん中にゃあ何もねぇんだよ!」
どっと笑いが起きる。
「違ぇねぇ!」
「お前らしいわ!」
現場の空気が少し緩む。
誰も深刻には受け取らない。
だが。
遊だけは、炉を見ていた。
巨大な鋼材の集合体。未完成の怪物。
その奥。
暗い深層部。
ほんの一瞬だけ。
何かが、“こちらを見返した”。
そんな気がした。
「……おいおい」
遊は小さく息を吐く。
「こいつぁ、笑えねえな」
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