第二十三章 指先に残る温もり
夜は、研究所の輪郭を曖昧にする。
昼間は整然としていた配線や機器の影が、重なり合い、別の形を作る。光は一定のはずなのに、どこか揺れて見えた。
ひよりは、一人で研究所にいた。
モニターの前に座り、頬杖をつく。
画面には、感情の波形か一定の間隔で揺れている。
ふと、規則正しいはずの線が、わずかに乱れる。
「……ん?」
表示を拡大する。
数値は正常だ。
誤差の範囲。
それでも、何か引っかかる。
「気のせい、だよねー?」
わざと軽く言う。
誰もいないのに。
「こういうのってさ、“やばい前兆でした”って後から言うやつでしょ。やめてほしいよね、ほんと」
自分で言って、少しだけ笑う。まるでお化けを怖がる、小学生男子だ。
笑い方が、少しだけ作ってある。つまり、強がっているのだ。
背後で、かすかな音。
ビクッと振り返る。
当然だが、何もない。
「……うん、今、なんか絶対聞こえた」
変な汗をかきながらも、腕を組む。
少し考える。
「聞こえなかったことにしよ」
即決だ。
CUYONが、そこにある。
白く、丸い体。
ひよりは立ち上がり、近づいた。
「ねえ、あんたさ」
指で、つつく。
軽く。
もう一回。
「返事くらいしてよ。こういう時、ピコって光るとかさ」
…沈黙。
「……あ、これ私がやばい人みたいじゃん」
おでこをペシっと叩きながら、自分で突っ込む。
そっと触れる。
ひんやりとした感触。
のはずが。
「……あれ?」
ほんのわずかに、ぬくもりがある。
「え、なに。風邪引いた?それとも……」
一瞬だけ言葉が止まる。
「……いやいやいや、ないない」
首を振る。
強めに。
◇◆◇◆
モニターの波形が跳ねる。
鋭く。
しかし、すぐ戻る。
「今の見た!?」
振り返る。
誰もいるはずがない。
「……うん、知ってた」
ログを確認する。
何も残っていない。
「やだなあ、ほんと……こういうのがヤダ!」
苦笑。
少し乾いた音。
ドアが開く。
「……なんだか騒がしいヤツがいるみてぇだな」
遊だった。
ひよりが振り向く。
「ちょっと聞いてよ、今絶対何か変だったんだって!」
「変て、…何が?」
「えっとね、音がして、で、これちょっと温かくて、それで波形がビャッてなって」
「ちょっと何を言ってんのかわかんねぇな。それは同時に起こったのか?」
「いや、わかるでしょ!?でもね、起こったのは別々だったわ」
「なら別々の現象だな」
「ちょっと、まとめて怖がらせないでくれる!?」
遊はCUYONを見る。
無言で近づき、触れる。
ひよりがじっと見つめる。
「……どう?」
「平常だな」
「えーほんとに?」
「少なくとも、今は」
「“今は”って言ったよね今」
「言ったな」
「やめてよね、そういうの!」
◇◆◇◆
ひよりは頬杖をつく。
CUYONを見つめる。
「ねえ、ちゃんとやってる?」
ぽつり。
「サボってない?」
少しだけ笑う。
CUYONの光が、わずかに揺れる。
気のせいと呼べる程度。
それでも、視線が止まる。
遠くで、何かが作動する。
すぐ止まる。
静寂。
「……ねえ」
小さく言う。
「今のも、別々?」
遊は少しだけ間をおく。
「質問に答えて」
「んー。分かんねぇな」
ひよりは息を吐く。
「何それ?もっと分かんない」
苦笑。
けれど、少しだけ安心した顔。
◇◆◇◆
静かな時間。
何も起きていないはずの時間。
その奥で。
何かが触れている。
まだ形を持たないまま。
誰も、気づかない。
ただ。
指先に残る温度だけが、
消えずに残っていた。
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