第二十ニ章 灯るはずのないあかり
音が、ひとつ足りなかった。
建設途中の施設は、昼も夜も関係なく動き続けている。鉄骨を打つ音、重機の低い振動、遠くで鳴る警告音。それらが混ざり合い、一つの流れを作っていた。
だが、その夜。
その流れに、わずかな“空白”があった。
誰も気づかないほどの、ほんの一瞬。
そして。
灯るはずのないあかりが、点いた。
高所に取り付けられた仮設の電灯。まだ電源は通っていない。配線も途中のまま。
それが、淡く光る。
すぐに消える。
誰も見ていない。
見ていたとしても、気のせいだと思う程度の出来事。
だが、その瞬間。
炉の内部では、確かに何かが“揺れた”。
◇◆◇◆
静かな執務室。
久我玄堂は、書類に目を落としていた。
ペンを持つ手は止まらない。流れるように文字を追い、必要な箇所だけに印をつけていく。
無駄がない。
だが、それは最初からそうだったわけではない。
◆◇◆◇
若い頃の彼は、遅かった。
判断も、言葉も。
「勘が悪いな」
そう言われたことは、一度や二度ではないし、反論をしようとも思わなかった。それが事実だったからだ。
できなかったのではなく、意味がないと分かっていたのだ。
理解が遅いのではない。
考えすぎている。
だが、「その違いを説明することに価値はない」そう思っていたのだ。
結果だけが求められる世界だった。
◇◆◇◆
視線が目の前の資料へと戻る。
玄堂の指先が、一枚の資料で止まる。
炉の建設進捗報告書だ。
進捗状況に問題はない。
むしろ順調だ。
だからこそ、違和がある。
「……揃いすぎている」
誰に向けたわけでもない言葉。
だが、それは確かな引っかかりだった。
◇◆◇◆
現場では、再び小さな異常が起きていた。
作動していないはずの機器が、わずかに振動する。
記録には残らない程度の、微細な動き。
計測値にも出ない様な小さな誤作動。
誰も見ていない。
それは、存在しないのと同じだった。
◇◆◇◆
玄堂は、ペンを置いた。
椅子にもたれる。
目を閉じる。
過去が、ゆっくりと浮かび上がる。
◆◇◆◇
転機は、突然だった。
ひとつの報告書。
名前も知らない研究者の記録。
数式でも理論でもない。
そこにあったのは、「方向」だった。
それを読んだとき。
初めて、自分の中で何かが“繋がった”。
「……未来か」
その言葉は、独り言だった。
だが、その瞬間から。
久我玄堂という人間は、変わり始めた。
◆◇◆◇
彼は、会いに行かなかった。
必要がないと判断したからだ。
代わりに、その周囲を調べた。
誰が関わっているのか。
何が足りていないのか。
どこに脆さがあるのか。
すべてを、外側から組み上げていく。
気づけば。
彼は“環境を整える側”に立っていた。
◆◇◆◇
研究所からの排除。
既得の構造による圧力。
それらは予想の範囲内だった。
むしろ、当然の流れ。
だが。
「関係ない」
玄堂は、そう切り捨てた。
評価でも、正義でもない。
ただ一つ。
その研究が「未来を持つかどうか」。
それだけだった。
◇◆◇◆
現場。
また一つ、灯りが点く。
今度は、少し長く。
誰もいない通路。
白い光が、壁をなぞる。
そして、消える。
何事もなかったかのように。
◇◆◇◆
玄堂は目を開く。
視線はまっすぐ前を向いている。
「……動いているようだな」
それが何を指すのか。
言葉にはしない。
だが、理解はしている。
◆◇◆◇
鷹宮と出会ったとき。
彼はすでに別人だった。
遅い男ではない。
むしろ、誰よりも先を見ている。
ただ、その視線は表に出ない。
だからこそ、読まれない。
◆◇◆◇
鷹宮は、その価値を見抜いた。
利用するために。
だが同時に。
信頼に値する存在として。
◇◆◇◆
現場では、何も起きていない。
記録上は。
だが。
確かに何かが“先に”揺れている。
完成していないはずのものが。
まだ形を持たないはずのものが。
◇◆◇◆
玄堂は、再びペンを取る。
迷いはない。
だが、確信も口にはしない。
ただ、線を引く。
未来に向かって。
灯らないはずの光が、また一つ。
誰にも知られずに、点いた。
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