第十六章 零の波形
装置の記録を閉じたあとも、遊の意識はそこに残っていた。
波形は明確だった。
揺れは偶然ではない。
だが、決定的な何かが一つだけ足りない。
遊は視線を落としたまま、先ほどのやり取りを思い返す。
言葉は曖昧だった。
はぐらかすようで、要点だけが残る言い方。
「……昔のこと、思い出しただけ」
その直前。
ほんの一瞬、口をつぐんだ間。
あのとき、何かを言いかけていた。
遊はゆっくりと息を吐く。
届かなかったもの。
残ったままのもの。
もし、そういう類の感情だとしたら。
遊の指が、無意識に机を叩いた。
煤は、それに反応しているのか。
満たされないまま留まり続けるもの。
行き場を失った感情。
それが、引き寄せているのか。
「……そうか?」
小さく、独り言のようにこぼれる。
まだ断定はできない。
だが、方向は見えた気がした。
測るだけでは足りない理由も、説明がつく。
それは流れているのではない。
留まっている。
だから、溜まる。
遊は顔を上げる。
装置の向こう側では、ひよりが何事もなかったように振る舞っている。
だが、ほんのわずかに、ぎこちない。
視線が合う前に、そっと逸らされた。
遊はそれ以上追わない。
必要なのは、そこではない。
今はまだ。
遊は端末を開く。
新しい記録欄を立ち上げる。
指が止まる。
そして、短く打ち込む。
反応条件 仮説 未達のまま持続する感情
その一行を見つめたまま、遊は思考を巡らせる。
もしこれが正しいなら。
扱い方は、根本から変わる。
外側から削るのでは足りない。
内側に、受け止める場所が必要になる。
遊は静かに画面を閉じた。
まだ形はない。
だが、次にやるべきことは決まった。
何を作るべきか。
何を確かめるべきか。
すでに、流れは動き出している。
気づいていないだけで。
その中心に、何があるのかも。
まだ誰も知らない。
ただ一つだけ確かなのは。
この先、誰もこの流れを止められないということだった。
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