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聖 絶 大 戦【第4章『士師記』連載中】  作者: 木村太郎
Vol.4 The Book of Judges/士師記

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140 断章/大いなる将軍

 肌の色が、変わっていた。

 

 運動や栄養の不足によって、くすんだ灰色がかっていた肌が、あでやかで深みのある色合いになっていたのだ。つやや潤いが出て、光を反射しかがやくさまは、磨かれた黒檀のようだった。最悪ワーストが、こうして陽のなかにいるすがたがしぜんに見えるということじたい、おどろきだった。

 いぜんは細工品のような華奢な線でかたどられていた骨格も、実用的な肉付きを得ていた。農作業や狩猟できたえられた筋肉は、いかにも敏捷そうで、若い野兎をおもわせた。全身からすこやかさと若さを発散しているさまが、最悪ワーストの魅力をいや増している。


「いいな、最悪ワースト」わたしは言う。「壮健のようだ」

「おかげさまで、マザー」


 頭を下げる所作も、堂に入っている。礼儀から鍛えなおす、という白い牙(ホワイトファング)のことばどおりだ。わたしが目をやると、白い牙(ホワイトファング)がほほえんでうなずく。


『やんだものが、なくなった。そうだろう、マザー』

「ああ。ずいぶん、毛並みがよくなったようだ」

「毛並みなら、さいしょからいいけどね」


 憎まれ口にも、嫌味ったらしさがない。自信のあるもののつかうユーモアへと、変わっている。これも、悪くなかった。

 そこに騒々しい雫(ノイジー・ドリップ)が来た。最悪ワーストはにっこりと笑い「お、姉さんも来たの」と騒々しい雫(ノイジー・ドリップ)を抱きとめる。きゃーと笑いながら最悪ワーストにあやされている幼児は、たしか二歳を迎えたばかりのはずだった。最悪ワーストへの信頼を見るかぎり、よい()()関係が築けているようだった。


「それで?」と最悪ワーストは言う。「その痩せすぎてるひとが、ぼくたちのあたらしい弟かな?」


 名指しされたジム・クロウが、わたしの後ろでびくっと身を跳ねさせる。こちらのほうが、騒々しい雫(ノイジー・ドリップ)よりもよほど幼児じみていた。


「あー、おめん!」

 ジム・クロウの面を見てとった騒々しい雫(ノイジー・ドリップ)が、()()を向けた。仮面の男の怒りが噴き上がるのを感じる──「笑うな」というちいさな声が、食いしばった歯のすきまから漏れている。


()()()()()

 制止の声は、最悪ワーストから上がっていた。

「怒るのはいいさ。けど、暴れることも、姉さんにそれをぶつけることも、許さないよ。きみが傷を負ってるのはなんとなくわかるけど、子供にまで腹を立てるってのは度を越してる。じぶんでも、そう思うだろう?」


 淡々と言って聞かせる声には、落ち着きがあった。落ち着いているゆえに、まるで隙がない──たとえじっさいに襲撃をされたとしても、おそらく、いっしゅんで制してみせただろう。プルートゥや白い牙(ホワイトファング)のように、武の気配をただよわせるほどではないが、護身ていどのものは、身につけているらしかった。そのことを、野生に近い感覚で察したのか、ジム・クロウの怒りも、萎縮したようにすぼまっていった。


「母さん、この男は、あずかるんだろう?」

『むろんだ』

「じゃあ、まずは挨拶だ。さ、姉さん」


 最悪ワーストがうながすと、騒々しい雫(ノイジー・ドリップ)が、ちいさな手のひらをつかった手話と声の両方とで、「はじめまして」とはきはきとした挨拶をする。ジム・クロウは困惑したように、見よう見まねで、目のまえの幼児に向かって頭を下げた。


「まずは、合格だ」最悪ワーストが言う。「いいか、ジム・クロウ。きみがどういう出自で、どういう過去をたどってきたのかは知らない。そもそも、何歳なのかもね。ここではそんなもの、すべて関係ない──全員が、ただの“家族”だからだ。いまのところ、ここにきた順に兄姉が決まっていく。プルートゥ兄さんが決めたんだ。だから、順序はこうだ。白い牙(ホワイト・ファング)母さん、夢みる熊(ドリーミング・ベア)兄さん、騒々しい雫(ノイジー・ドリップ)姉さん、プルートゥ兄さん、そしてぼく――最悪ワーストだ。きみは、末弟だよ。兄や姉のいうことは、きちんと聞く。いいね?」


 こくり、とジム・クロウはうなずく。


「わかりました兄さん、だ。そら」

「……わかりました、兄さん」

「ひとまずはオーケイ。だけどじきに手話もおぼえて、声と手とで同時に話せるようになってもらうぜ。それが我が家の習慣なんだ。ひとまずは……風呂だな。きみ、とんでもないにおいだ。それじゃ料理のにおいもかき消されちまう。こっち来な」

「……」

「はい兄さん、だ」

「はい、兄さん……」


 最悪ワーストに引き連れられ、ジム・クロウはおっかなびっくりといったようすで去っていった。そのまわりをぴょんぴょんと跳ねまわるようにして、騒々しい雫(ノイジー・ドリップ)がついていく。家族が増えたことがうれしいという心情が、“ノモ”を聞くまでもなくあふれ出ていた。


「……おどろいた。変われば変わるものだ」

『ああ。ワーストは、よくがんばっている』

「あの身のこなしや立ち方もそうだが……なにより、あんなに率直に、真正面からものを言えるようになるなんて。なんていうんだろう……すごく、健全だ」

『あの子のひねくれは、じぶんをまもるためのものだ』白い牙(ホワイトファング)が言う。『つよくなれば、すこやかになれば、しぜんとそうしたものはてばなせる。プルートゥの、おかげもおおきい』

「プルートゥは、どうだ?」


 白い牙(ホワイトファング)がうなずき、目のまえの床に並べていたベルをちりんと鳴らす。ひとりにひとつ、違う音色のものを置いているらしい。プルートゥが、あらわれた。


「……へえ」

 セイラが感嘆の声をあげた。


 プルートゥの身長は、さらに伸びていた。きれいに当たっていたひげは、無精ひげとなっていて、面差しに野生味をくわえている。どちらといえば細かったからだは、はっきりと筋肉の隆起を見せていた。それらの外見的変化よりも、印象の変化はさらにおおきい。

 柄が、おおきいのだ。

 これまでは一歩引いたところで実直に仕事をこなすといった感じで、鋭さを秘めたナイフを思わせる印象だったが、いま連想するのは、剣だ。天向けてさしあげられ、戦場のだれしもが注視し、戦意をかきたてられずにはおれぬ、きらびやかで、斬れ味すぐれた稀代の名剣だ。王の持つべき、世に名を馳せる宝剣だ。かつて黒猫の隊長として、必然のように身につけてしまっていた「隠れる」という意識がぬぐいさられ、代わりに「ひとの前に立つ」という責務を担えるだけの、大きさを、プルートゥは勝ち得ていた。


 将だ、とわたしは思う。

 軍をひきい、兵たちをその存在で鼓舞させるいっぱしの将が、目のまえに立っているのだ。


「お久しぶりです、マザー」

「プルートゥ」わたしは笑う。「まるで、変わらないな」

「そうですか」プルートゥはひげを撫でる。「すこし、むさくるしくなったかなとは思っておりましたが」

「いや、まるで変わらないよ。元のままのおまえだ──ただ、おまえという人間が、もっとまえに出てきた。悪くない。……白い牙(ホワイトファング)にあずけられるまえのおまえに、なにが足りなかったのかは、分かったか、プルートゥ?」

「けっきょく、分かりませんでしたよ、マザー」ごくへいぜんと、プルートゥは答えた。


 それからその場にどっかりと腰をおろした。


「母さんに許しをえて、日の大半はじぶんと対話して過ごしましたが──足りないものが多すぎるように思えて、ただ、じぶんが憎くなるばかりでした。すわってかんがえるのをやめ、棒を振りながらかんがえるようになりました。母さんに、そうせよと教わったのです。そうしていると、だんだんよけいなことをかんがえず、ただ深い深いところへ降りつづけていくようなきぶんになりました。ふしぎなことに……そうすると、こんどはじぶんがおおくを持ちすぎているように感じ出したのです。マザーからは、なにが足りないのかを見つめよと命じられていたのに、逆に、持っているものを削ぎ落としはじめてしまったのですよ。俺は、いろんなものを捨てました。役に立とうと思う心も、マザーがなにをおかんがえなのかさぐろうとする姿勢も、地下鉄道ザ・レイルロード洞人ドワーフたちのことも、すべてを、いったん忘れてしまったのです。それらのすべてが俺のなかにはたえずありつづけていたのに、すべて、捨てたのです。そうすると、俺と、棒だけになりました。俺がいて、棒がある。それだけになりました。朝、棒をかまえると、すべてがいちどなくなります。そのときかんがえていたこと──たとえば畠に肥やしをやらなくちゃとか、最悪ワーストがあやまって壊してしまった棚を直さねばとか、そういった思いがいちどきに消えうせ、凪が、おとずれるのです。無風の水面を、俺は思っていました。おちつく、というのではないのです。おちつきを感ずる俺さえも、そこにはいないのです。そうして気がつくと、日が傾いている。いちども棒を振らないまま、ずっと構えているんですよ。それが、日課になりました。ひと月ほどそういう日々をおくり、そのあと母さんに、『夢みる熊(ドリーミング・ベア)と向き合え』と命じられたのです。マザーはご存知でしたか……あの長兄は、おそろしく強いのです。ここにきたころ、棒を持って立ち合うと、俺は手もなくひねられていました。夢みる熊(ドリーミング・ベア)兄さんは、じぶんからはけして打ち込まないのに、こちらが打ちかかると、ものの二合もせずに棒を打ち落としてしまうのです。ものすごいですよ。母さんに言われ、夢みる熊(ドリーミング・ベア)兄さんは、朝から棒を持って、俺と向き合ってくれるようになりました。さいしょは、悔しいほどに乱されましたね。あの無風の水面はなくなり、俺ははりつめたものに堪えられなくなって、兄さんに打ち込んでしまうのです。そうして、棒をはたき落とされる。お仕置きに手首をしたたかに打たれた上でね。そんな毎日を過ごしているうち、だんだんと、打ち込まずに堪えていられる時間が延びていきました。といっても、へいきでいられるわけではないんです……兄さんと向き合っていると、全身に汗をかき、棒を持つ手がぬめるほどになるんですよ。それが、だんだんと時間が延びてゆくにつれ、汗もかかなくなり、こんどは兄さんの手から汗がしたたり落ちるようになり──気づけば、兄さんのほうから打ちこんでくるようになりました。二合、三合とはたき落とされるまでの回数が長く……ようやく、ここ三月ほどで、逆に棒をはたき落とせるようになったのです」

『ドリーミングベアは、じっさい、つよい。あれとて、せいちょうきでもある。プルートゥとそのようにむきあっているさなかにも、つよくなりつづけた。……そのそくどを、プルートゥはおいこしたのだ。あるいきに、プルートゥがたどりついたこともあかしだ。そのいきにいたるには、ドリーミングベアはまだ、としがたらない。そうなると、あのこでは、プルートゥのあいてはつとまらない』

「それで、そこからは母さんが相手をしてくださいました」


 おもわず、笑いがもれた。

 白い牙(ホワイトファング)の、まえに立つ。それほどおそろしいことを、よくもまあ、やったものだ。わたしなら、願い下げだった。


「意識を保てたか、プルートゥ?」

「二分。さいしょに向き合ったとき、俺が気をうしなうまでに保った時間です。母さんは()()()んですよ、マザー」

「だろうな」

『だが、いまではいちじかん、わたしとむきあっていられる』

「すごいな、打ち込まずにだろう? 一時間、白い牙(ホワイトファング)のまえに立つと? 常人ではとても生きていられまいな。……ああ、プルートゥ。わたしでは、もうおまえの相手にはならないな」

「どうでもいいものです、強さなど」


 プルートゥは、笑った。


「強いこと、なにかができるということ、なにかに長けているということ……それらは、本質ではないのだと、俺は思うようになりました。母さんと向き合っているときも、さいきんは、無風の水面を感じられるようになりました。あの心境においては、俺は、たんなる俺です。“黒猫”でも、“地下鉄道ザ・レイルロードの構成員”でも、“マザー・グレイスの腹心”でもない、ただのプルートゥなのです。棒が、それを教えてくれたような気がします」

「いいなあ、プルートゥ」わたしは感嘆する。「すばらしいよ。すばらしく、()()()そのものだ」


 うれしくてしかたがなかった。

 プルートゥの肩を、ばしばしと叩いた。わたしの感動を小ゆるぎもせずに受け止め、プルートゥはただ笑っていた。


『もうよい、とわたしはおもう』しずかに、白い牙(ホワイトファング)の手話が語る。『このプルートゥは、いつでも、ゆける。わたしのもとでみにつけられるものは、もはやないだろう。ここをでるころあいだ』

「……どうだ、プルートゥ。おまえの望みは?」

「すこしまえなら、マザーについてゆきたい、ずっとお供をしたい。そう、答えていたでしょう。でも、いまはなんでも結構です。マザーが思うところに、俺を送ってください。どこにいても、俺のままでいられるのだと、いまは思います」

「よし。なら、西部だ」わたしは言う。「ジョン・ヘンリーの元にゆけ。ひとを統べる方法を、あの男から学ぶんだ。いまのところ、たんじゅんな指導力では、ジョン・ヘンリーが抜きん出ている。すべてを盗みとれ。……ああ、それと、おまえはきょうから“士師ジャッジ”だ、プルートゥ」

「わかりました」


 頭を下げてから、プルートゥはセイラへと向き直った。


「すまないな、セイラ。三人組の再結成は、もうすこし先みたいだ」

「しょうがないな、我慢してやるよ。……でもそんかわり、西部に着いたらまともな服を仕立てろよ。あと、そのひげはだめ。すぐに剃ること」

「……ひげはだめか?」

「ひげはだめ」


 プルートゥが、わたしに向けて片眉をあげてみせる。

 ユーモアを身につけたのも、おおきな成長だ。わたしもほほえみを返した。


 *


 意外なことに、ぐずぐずと泣いたのは、最悪ワーストだった。

 

 プルートゥは太くなった二の腕で、がっしりと最悪ワーストを抱きしめ、エネルギーを注ぎ込んで残してゆくかのようだった。最悪ワーストは黙って、怒った顔のままに涙をぼろぼろと流し、「……怪我すんなよな、兄さん」とつぶやいた。


 騒々しい雫(ノイジー・ドリップ)はきゃっきゃと笑いながらプルートゥにまとわりついて、両足でプルートゥの手のひらに乗って天井へと差し上げられるという、お気に入りの遊びをしてもらってから、「砂糖を舐めすぎないでくださいね、姉さん」と別れの挨拶を受けた。夢みる熊(ドリーミング・ベア)──かなり筋肉と脂肪を身につけ、いにしえの洞人ドワーフらしい体格となった少年には、「稽古を、ありがとうございました。兄さん」と深々と頭を下げていた。少年はプルートゥに、「毎日、棒を振れよ。ぼくも、そうする。また弱くなってたら承知しないぞ」と声をかけていた。


「では、マザー」

「ああ」


 わたしのことばを、必要以上に待ちはしない。とくになにも言われないのだと悟ると、プルートゥはそのまま笑みを浮かべ、きびすを返した。


「……あいつ、なんかいい男になっちゃったなあ」

「つまらなそうだな、セイラ」

「からかう相手が、減っちゃったからなあ。しばらくはグレイスをからかって我慢するしかないや」

「言ったな、おい」


 *


 そして、またわたしは“ノモ”を追う。


    ──名は、まだなかった。


 つぎのノモは、ずいぶんと、とらえにくいものだった。



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