139 ジム・クロウ12/友と会ったときには
おまえは、眠る。
泥のように、夢を見ない深い睡眠を、むさぼる。ときおり目が覚めても、寝台から下りることはせず、またまどろみのなかへとかえってゆく。そしてふたたび睡眠がおまえをとらえると、一も二もなく、からだを投じていく。
呪人となりはてた洞人にとって、寿命などはなきにひとしい。彼らを動かすのは呪いであって、食物ではない。なにかを呪わしく思いつづけるかぎり、呪人が死をむかえることはない。死ぬことが、できない。
眠りは、それゆえ、数十年にわたる。
大陸のあらゆる動乱を無視して、おまえは、ジム・クロウは眠りつづける。おまえが眠っているうちに、北部と南部が対立し、連合国が生まれ、「内戦」が起き、休戦の合意がむすばれる。ミンストレル・ショーの禁止は忘れ去られ、かたちを変えた洞人喜劇が文化として定着し、“ジム・クロウ”の名が洞人の代名詞としてひろく用いられるようになる。旧い馬車による奴隷逃亡の支援活動はつづけられ、地下鉄道が立ち上がり、主要駅が襲撃される。
それでも、おまえは眠りつづける。
KKKと自称する組織が、おまえににじり寄ってきているのを、知らずに。
KKKは、知っている。
かつて起きた洞人反乱のほとんどを、知悉している。語られる伝説のうち少なからぬ部分が真実なのだと、“呪い”なる事象が実在するのだと、知っている。それゆえ、探索がつづけられる。大陸のなかのあらゆる言い伝え、あらゆる伝説、あらゆる目撃譚があつめられ、分析される。そしてある州の州とのはざまで、笑顔を戯画化したような仮面の男たちがあるいているさまが目撃されているという情報を、つかむ。アグロペルターなる獣人伝説とも類似するその目撃譚は、しかし、KKKが合衆国政府の古い記録から掘り出した「笑わぬ道化事件」との符合を指摘される。真述師の一団が、派遣される。
おまえの眠りは、こうして、破られる。
おのれをぐるりと囲繞する森が、すでに敵意に満ちていることを、察している。おまえは呆けたように寝台から上体を起こし、あたりを見わたしている。いくたりかの道化が、かたわらに控えている。
「行け」
みじかく命ずる。
あわただしく、道化たちが部屋を出ていった。
痛む頭を揉みながら、おまえは立ち上がり、みずからの手で樽のなかの水を汲む。仮面の口から突き出したくちびるで、ごくごくと杯を干した。
直感した。
杯を、取り落とした。
道化が、知覚から消え失せている。おのが手足をうごかすのとおなじていどの意志力であやつれる道化が、糸をぷつりと断ち切られたように、制御できなくなっている。道化を呼びもどそうとこころみる。命令に応えるものの感触がない。
ひとりぶんさえも、ない。
おまえは、知らない。
ここ数十年を眠りについやしてしまったがために、知らない。あの「内戦」を契機に、真述師の練度がさまがわりしたことを、とりわけKKKに籍をおくものどもの武力が、かつて道化たちの大群にうちたおされた連中とは比にならない水準に達している事実を、知らない。
だからおまえは困惑する。
恐怖する。
森のなかに嗅ぎとっていた敵意を、その数と位置とを見失い、ほとんど半狂乱にいたる。
──まずい。まずいまずいまずい。
──このままでは。
──このままでは?
──なにが起きる?
──なにを、おれは恐れている?
おまえの自問が、ひろがりはじめる。
対処をかんがえねばならないときだと理性が警鐘を鳴らしているのに、みずからのなかへと、思考は潜りはじめる。
──殺されることを、おれは恐れているのか?
──殺されることは、おそろしいか?
──なぜ、おそろしい?
──ほんとうに、おそろしいか?
──死にたくないと、おれは思っているのか?
──生きたいと、おれは思っていたか?
──生きていたと、言えるのか?
──ひとからはなれ、おのれひとりで充ち足りず、それでもひとが怖くて、もうなにもできなくなって、ただ眠りつづけていたのに?
──死んでいるのと、さして変わらなかったのに?
──ああ、だが。
眠りはいつしか、覚まされる。
──そうだな。それが、死とのちがいだ。いつか、目を覚ますときがくる。それを望んで、ひとは眠りにつくんだろう。それを望んで、おれは眠りについたんだろう。
死ぬのではなく。
──そう、死ぬのではなく。おれはあのとき、死ぬこともできたんだ。じぶんの手でポールを壊しちまったときに。すべてに絶望しきったときに。こんなからだで死ねるのかどうかは知らねえけれど、からだをぶち壊して、それから土のなかに埋めさせちまうことだって、できた。おれの道化なら、それができたんだ。
けれど、おまえは“それ”をしなかった。
──ああ、おれは“それ”をしなかった。代わりに、眠ることを選んだ。問題を先送りにするために。
あるいは、未来に希望をつなぐために。
──そういう言い方も、できるかもしれねえ。おれは夢みたんだ。いつか、おれを掘り起こし、おれをジム・クロウと呼び、この仮面をかっぱいで、おれのほんとうの顔を、まっすぐ見つめてくるだれかを。甘えてんじゃねえとおれを叱ってくれるだれかを。おれをひとのただなかに連れもどしてくれるだれかを。
虫のいい話だ。
──ああ、虫のいい話さ。おれはけっきょく、他人を、他人にすくわれることをもとめてるんだ。じぶんはただ笑われたくねえ、でも笑いかけてもらいてえと矛盾した願いをかかえこんでるだけで、そいつをどう為すかなんて、一インチだってかんがえちゃいないんだ。ただひとりで泣きわめいてる……生まれたての赤ん坊みてえに、だれかがこの不快をとりのぞいてくれるって信じてな。ゆりかごの周りに、おれを否定しない人形たちをどっさり並べてな。
ようやく、気づいたか。
ようやく、気づけたか。
おまえはいま、出発点に立った。
ひととして生きるための、生きはじめるための、出発点に立ったのだ。
じぶんが頼っていることを自覚し、頼ってはいられないことを自覚し、立ち上がる。
あとは、歩くだけだ。
歩きはじめ、歩きつづけるだけだ。
言祝ごう。おまえはいま、生まれなおしたのだから。
──待て。
──ちょって、待て。
──“これ”は、なんだ。“これ”は、自問じゃねえぞ。“これ”は、おれじゃねえぞ。いまおれはだれと話してるんだ。いまおれは、だれに話しかけられてるんだ。ひとさまの頭んなかでしゃべってやがるのは、どこのどいつだ。いったいなんなんだ、この“声”は。
声さ。
おまえは我にかえる。
おのれの王宮のなかで、我にかえる。
全身が汗をかいている。びっしょりと濡れ、不快な冷たさに変じつつある。まるで、まるっきり、生きもののようだ、とおまえは思う。
音がない。
静まり返っている。
耳がおかしくなったのか、と触ってみるが、聴覚に異常はない。ただ、森のなかから音が消え失せているのだ。すべてのいのちが、黙っているのだ。声をひそめ、身じろぎもせず、なにかをうかがっているのだ。
濃厚にかおっていた敵意の残り香が、きれいになくなっている。
やがて、
風切り音がする。
なにかがやってくる。猛烈ないきおいでやってくる。敵意ではない。殺意ではない。しかしまっしぐらに、じぶんを目がけて走ってきている。王宮の扉がひらかれ、足音に変じた気配が、廊下を駆けてくる。
室の、扉がひらく。
巨躯だった。
影をこごめたような黒色が、隆々たる筋骨の輪郭をかたちづくっている。天井すれすれの頭の位置は、優に十フィートを超えている。おまえは呆けたもののように、その狼じみた獰猛な面構えを、見上げる。
巨人が、こちらを向く。
「ああ、こりゃあ悪い。おれのまま来ちまった」
影が、ほどけてゆく。
巨人のからだを成していた黒色が、まるで糸をほどいて服がかたちをうしなってゆくように、くずれてゆく。またたくまにほどけきった影は、足元へと吸い込まれ、とぷんと波紋を立てて沈黙した。水たまりのようにさざなみを立てていた影は、じきに、波打つのをやめ、まるでさいしょから足元にくっついていたかのように、へいぜんとしていた。
おまえは驚愕を仮面の裏の顔にはりつけたまま、足元から目をあげる。
少年、だった。
凹凸のすくない異国的な顔立ちで、天人よりもすこし黄身がかった肌色をしている。両腕をひろげてみせる。
「や。これでぼくさ。よろしくね」
そして、
わたしが、“声”の正体だ。
耳の奥でひびいた音に、おまえがびくっと震える。そのまえへと、わたしは歩み出た。
セイラと並び、おまえを見る。
「あんた──あんたは、だれだ……?」
「わたしはグレイス。おまえとおなじ、洞人だ。おまえを迎えに来た」
「おれを……?」
「ああ。おまえの身柄はKKKに狙われている。“とびはねるジム・クロウ”の伝説が、たんなるおとぎばなしのたぐいではないのだと、連中は知っているんだ。なに、あせる必要はない。この森に迫っていた部隊はすでに無力化してある。ただ、第二陣もじきに着到するだろう。この王宮は、引きはらってしまえ。わたしについてこい」
に、とわたしは笑う。
おまえは硬直する。向けられた笑みに、からだが、自動的に拒絶反応を見せる。両手のひらで頭をつつみ、背を丸め、おまえは苦悶する。
「ジム・クロウ」
わたしの呼びかけに、おまえのふるえが止まる。
「おまえを笑うものは、いない。
おまえを笑うものは、もう、いないのだ。
笑いから、おまえは離れた。離れてしまったのだ。笑いは、おまえとは関わりのないところに存在している。そしてそれは、決してよろこんでいいことではないのだぞ。
ひとは、優劣をつけたがる。どちらが上でどちらが下かを、さだめて、固定化したがる。笑いはそのための道具として用いられる。おまえが怯えるのは、“そちら”だ。
だがいっぽうで、同列の笑いも存在する。ひととひととをつなげ、そこに親愛を持ち込む笑いも、あるのだ。おまえも知っているだろう。おまえももとめてきただろう。もとめながら、だが同時に、怯えてきたのだろう。
わたしが、笑ってやる。
わたしたちが、笑いかけてやる。
おまえが笑いを返せる日まで、何度でも」
「……あ」
「だが、これも覚えておけ。
赦す必要はない。
連中を、赦す必要はないのだ。おまえを笑ってきた連中を。おまえを笑いものに仕立て上げ、固定化してきた連中を。やつらはおまえを利用した。道具として、用いたのだ。自身の優越をたしかめるため、ある序列を確立するため。
つまり──天人が、洞人にまさるとしめすため。
洞人がおろかだという観念は、なにもおまえが生み出したものではない。“はねまわるジム・クロウ”以降に生まれたわけではないのだよ。固定観念は、すでに在った。差別は、すでに準備されていた。『おろか』という枠のなかに、われわれみなが押し込められてきたんだ。
抗わなければ、ならない。
くつがえさなければ、ならない。
おまえは、“赦す”必要などないぞ、ジム・クロウ。
“示す”必要があるだけだ。
固定観念が愚にもつかないものであると、それこそ一笑にふすべきものであると、示せばよい。おまえを笑おうとするものを、黙らせてやれ。人間のうちでもっとも尊い『笑い』をけがし、貶める連中に、思い知らせてやれ。
わたしたちとともに。
地下鉄道とともに」
おまえは、泣いていた。
うつむいた仮面の内側から、ぼろぼろと涙をこぼして。もはやひとりではないのだと、理解して。
「ばかものめ」
わたしはほほえむ。
「泣いてどうする。……笑うのだ。友に会ったときにはな」
仮面が、こちらを向いた。
いちど鼻がすすられ、もう一度、わたしへと向き直った。
表情は仮面にへだてられて見えなかったが──
おまえがどういう顔をしているのかは、分かった。




