136 ジム・クロウ9/見よ、この呪わしきありさまを
まず噂をかけめぐらせたのは、洞人たちだった。
天人には把握できないネットワークを、南部の奴隷たちは持っている。あらゆる機会をのがさず、情報は交換され、知の不均衡はしぜんと均されていく。このしくみのなかに、あるとき、ひとつの噂がくわわった。
”ジム・クロウ”が、呪われたらしい。
”ジム・クロウ”は、“呪い”となりおおせたらしい。
彼らのなかに、個人としての「ジム・クロウ」を知るものはほとんどいない。”ジム・クロウ”は、おろかな洞人をカリカチュアライズした虚構の存在だと思われている。一般名称だと思い込まれている。そういう共同幻想が、そのまま“呪い”として実体化することがありうると、洞人たちは知っている。だから噂は、そのままにのみこまれる。のみこまれたうえで、『黙っておくべきだ』との判断がくだされる。
――これは、ご主人さまがたには、黙っておくべきだ。
”ジム・クロウ”と一般の洞人の区別など、天人にはできない。”ジム・クロウ”的性質が、すべての洞人に共通する気質なのだと、かんちがいしている。ではこういう天人たちが、『”ジム・クロウ”が呪われた』という事実を知ったら、どうかんがえるか。『すべての洞人が呪われた』と、そう捉えるのではないか。そのことは、奴隷の立場を、危ぶませはしないか。
こうした推論が、ことばにされることもないまま各地の洞人のなかに生まれる。ゆえに、口はつぐまれる。
口がつぐまれたせいで、露見は遅れる。
危機感は共有されない。大陸全土で流行する、『はねまわるジム・クロウ』は規制されない。”ジム・クロウ”の数は、減らない。毎日、大陸のあちらこちらで、あらゆる巡業劇団が、たくさんの”ジム・クロウ”が、歌い踊りつづける。
そして――
そのなかを、竜巻が吹き抜ける。
おまえという暴風が、おとずれる。
すべての”ジム・クロウ”を、『ジム・クロウ』と騙る黒塗りの天人どもを、おまえという呪いは、つきしたがえることができる。観客は天幕のなかで笑い、そこに仮面の男があらわれたとたんに、笑顔を凍りつかせる。”ジム・クロウ”を見つめたまま恐怖する。黒塗りの道化は、かならずその場の笑いをうちくだく。暴力をもって。
恐慌のみちびくままにひとは逃げ去るが、その場にとどまり一部始終を見届けるものがもしいたとしたら、彼はきっと、”ジム・クロウ”が仮面の男のまえに膝をつくさまを、見ることになる。男につきしたがって天幕を歩み出て、待ち受けていた数十人もの”ジム・クロウ”の群れに合流してゆくさまを、彼らが一様に意志持たぬ人形となり、ただ仮面の男のあとを忠実にたどるさまを、見ることになる。
笑う仮面をつけた道化たちが、
ただひとり、笑わぬ仮面の道化に率いられてゆく、そのさまを。
通報を受けた保安官が駆けつけたときには、ひとつかふたつの死体と、もぬけの殻になった天幕を発見するのがせいぜいである。保安官が聞き込みをおこなっても、まだ恐怖をのこした観客たちから、とつぜん正気を欠いた道化について要領をえない目撃談を語られるだけだ。組織だったものも、盗みなど犯罪につながる要素も、そこにはない。保安官は首をかしげながら、調書を棚へとしまいこむ。おおかた犯人は、迷い込んだコヨーテかなにかではないかと思ったまま。そうしてしまわれた調書がふたたびめくられることはない。
おなじような調書が、大陸全土の保安官事務所へと溜め込まれていく。そのひとつひとつを、わざわざ繋ぎ合わせてみようとするものもいない。
だから、道化の群れはふくらみつづけた。
各地でぽつりぽつりと発生するこの奇怪な事件を、ただひとり、注目した天人がいた。ダイムノベルを書いて日銭を稼ぐ男だ。まっとうな本を出したこともなく、週刊の物語新聞を主戦場としている。愚にもつかないたわごとを並べ立てて、十語あたり一セントというおそろしく安い稿料を稼いでは、口を糊する三文作家のひとりだ。彼は、地方新聞でひっそりと報道される巡業劇団での殺人事件の記事をあつめ、かんたんな裏とりを済ませただけで、さっそく怪奇小説仕立ての報道記事として、このように書き飛ばした。
「恐怖! 呪われた”はねまわるジム・クロウ”!」
この物語新聞をたまたま小遣いで買った少年がおり、その父親がたまたま保安官であったとしても、おどろくにはあたらないだろう。少年が、仲間内で語り草となっている巡業劇団での殺人とこの記事をむすびつけ、父に真偽のほどを問うてみる気になったのも、特筆すべき出来事とは言えまい。だが、その保安官が息子から物語新聞をひったくって熟読し、その版元に「この書き手の連絡先を教えろ」と手紙を書いてみる気になったことが、事件を明るみに出す結果につながった。
いちど棚にしまわれた調書が、各地でひっぱりだされた。埃を吹き飛ばされ、連邦保安官のもとへと集められる。すべての調書がおなじ内容を語っていることが明るみに出た。
もはや、物語新聞にこの記事は載らない。
まっとうな報道新聞が、この凶悪犯についての記事を載せはじめたからだ。
すべての天人の善男善女は、おびえた。けだもののような道化たちを率いて、いまこのしゅんかんも大陸を歩き回る仮面の男――「笑わぬ道化」のすがたを思いえがいては、恐怖におののいた。「これは前代未聞の洞人反乱のひとつである」と主張する新聞もあった。かつて起きた”聖処女”ケティの聖餐隊事件や、”預言者”ナット・ターナーの乱との共通点を挙げるものも少なくはない。ただし、これらの良識的な高級新聞たちは、呪いの存在を否定するという点では共通の見解を持っていた。
「……笑わぬ道化がたしかに反社会主義者、稀代の凶悪殺人犯、カルト集団リーダーであることはうたがいようがない。だが、体系化された真述とことなる”超自然的な力”を持っているなどというのは、愚にもつかぬたわごと、根も葉もない噂話にすぎない。この男は、もともと仲間であったものを巡業劇団に潜入させ、衆人環視の場で凶行に出させることで、ある種の演出効果を狙っているにすぎない。そこに神秘などはないし、そのような主張は笑わぬ道化を神格化させる考え方であり、まさにこの詐欺師の狙いどおりなのだ……」
こうした社説が、ある大新聞に掲載されたことで、ひとびとはかんがえをあらためた。そのせいで、事態はより悪化の一途をたどった。
巡業劇団の興行主たちは、「なら、大丈夫だろう」と結論してしまったのだ。
新聞を下ろした興行主は、”ジム・クロウ”役の劇団員へと目をやる。この男が、例の「笑わぬ道化」の子分であるはずがない。洞人の雑用係を日々殴っている男が、えたいの知れぬ洞人に膝を屈しているだと? まさか、ありえない。だいたいこの男はもう三年もこの劇団で道化をつとめているのだ。つねにおれたちと寝起きをともにしているし、まともに字も書けないっていうのに、いったいどうやって凶悪犯どもと連絡をとりあってるってんだ? こいつに限っては、問題ない。
となれば――
興行をとりやめなければならない謂れが、どこにある?
こうした山師のごとき人種が、目先に転がっている小銭をあきらめられるはずがないのだ。ゆえに、ミンストレル・ショーはつづけられる。”ジム・クロウ”は、天幕のなかではねまわりつづける。
さあ 寄っとくれ 聞いとくれ
おいらの名前は ジム・クロウ
おいらはぴょんぴょん はねまわる
ふしぎなことに、興行は以前にもまして大入りとなる。
観客は、もしかしたら、という期待を寄せはじめているのだ。もしかしたら、例の「笑わぬ道化」が、近くに来ているかもしれない。もしかしたら、この”ジム・クロウ”は連中のひとりかもしれない。
もしかしたら――
きょう、目のまえで流血が見られるかもしれない。
じぶんたちの身にも危険がせまるかもしれないという発想は、スリリングな見世物を最前列で見られるかもしれないという期待に塗りつぶされ、一顧だにされない。
こうした期待をもとに、人びとは二十五セント貨をにぎりしめ、天幕をおとずれてきた。その硬貨はまたたくまに半ドル貨へと変わり、やがては一ドル銀貨へと変わっていく。人びとのしずかな熱狂、口に出せぬ欲望が、吊り上がってゆく値を払わせたのだ。その昂奮を、恐怖ではなくたんなる貪欲でもって受け止めた興行主たちも、おそらくすでに狂躁のうちにとらわれていたのだろう。
ほとんどの期待は、とうぜんながら裏切られる。
しかし、ごくまれに――
おまえが、その場にあらわれる。
もはや、観客のだれも逃げようとはしない。たんなる目玉そのものになりはててしまったかのように、食い入るように、”ジム・クロウ”の変異を見守る。泡を食って逃げ出そうとする興行主が、”ジム・クロウ”の仮面に食いちぎられ、絶命するさまを、見つめる。声ひとつ、漏れない。まるで、燔祭のささげものとなった仔羊が焼き尽くされるのを見守る、熱心な信者たちのように。そこには、流血によってめざめる野生も、昂揚も、期待をたがいに語らっていたときに交わされた下劣な冗談も、影ひとつない。
ただ、見る、という行為だけがそこにはある。
道化の群れは、あらわれると同時にすべての笑いをうばってゆく。人びとに沈黙を強い、あらゆる感情の表出をゆるさず、ただ見ることを、見ることだけを強要し、そうして去ってゆく。
呪い。




