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聖 絶 大 戦【第4章『士師記』連載中】  作者: 木村太郎
Vol.4 The Book of Judges/士師記

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135 ジム・クロウ8/笑わぬ道化

 翌朝の明けがたごろ。

 おまえは、その農場を後にした。


 与えられていた服の端を裂いてこしらえた布きれで、顔をまるごとおおいかくしていた。垢じみた布地のすきまから、目だけがのぞいている。


 顔をすっぽりとおおいかくすと、すこしだけ、安心できた。


 ――けれど、この布きれがはがれたら。


 こんどは、そういう思いがおまえをとらえた。

 もっと硬く、もっと重たく。

 切迫感につきうごかされ、おまえは農家で薪として積み上げられていた樫の木切れをひとつ、盗みとった。乾ききったその木切れは、持ち重りがした。


 日中、陽光を避けるように這いこんだ洞穴のなかで、すこしずつ、その木切れを彫っていった。たまたま身につけていたちいさなナイフ一本きりではとほうもない作業だったが……おまえには、時間と強迫観念とが味方していた。

 たんねんに、彫ってゆく。

 木切れの片面を、じぶんの顔にぴったりと添うように。

 やがて、吸いつくような感触を与えるようになり、木切れは仮面へと仕上がっていた。


 外に見せる面など、どうでもよい。

 顔をかくすことさえできれば、よい。


 とはいえ、角張った木片のままにしていては落ち着かなかった。あてもなく、外面を彫りすすめる。人の顔のかたちを、輪郭からかたちづくってゆく。表情のないのっぺらぼうの面ができる。そのまま、無心に手を動かした。

 そのうち、ふしぎなことが起きた。

 ひとつの顔が、そこに現れはじめたのだ。


 木片のうえに重ね合わされたように幻視されるその表情を、おまえは見たままに彫りつづけた。うっすらとして、印象がひとところにさだまらない表情だった。彫ることで、ようやく焦点が合うように細部が見えてくるのだった。つくりあげられていく表情を、おまえはこれまでの人生で見たことがない。見たことがないのに、どこかなつかしい顔であるようにさえ、思った。まるで生き別れた肉親のような、ひどくせつない、なつかしさだった。


 彫りすすめる。彫りすすめる。


 ときおり息を吹いてはちいさな削りかすを飛ばし、顔の肉が盛り上がったようすを、くっきりときざまれた皺を、そこにふくまれた感情を、描き出していった。細部へと、没入していった。ものをかんがえることをしなくなった。握りしめたナイフと仮面だけが、おまえのすべてになっていく。なにも思考せず、なにも判断せず、ただただ、手を動かしつづける。


 彫り終える。

 彫り終えた、とふいに気がついた。


 細部からはなれた。はじめて、全体をながめた。仮面がどんな顔を為していたのか、はじめておまえは知った。


 嘆き。

 怒り。

 どちらにも、見えた。

 歪めた目が、眉が、口が、頬が、全霊をもって負の感情をあらわしていた。子を殺された親にも見えたし、敵を殴り殺した戦士にも見えた。


 ――これは、”笑いの正反対”だ。 


 おまえは直感する。


 この顔、この表情のなかに、笑いはふくまれない。

 笑い以外のあらゆるものが押し込められていて、それゆえに、笑いの不在が浮き彫りになっている。見るものの心を逆なでせずにはおれぬ、ざらついた印象の仮面。


 おまえは、着ける。

 ようやく、安心した。


 ――仮面のこちらがわに、笑いは入ってこれないんだ。


 そう思えた。


 片時も、仮面を外さなくなった。

 森を走り、明け方ちかくに眠りに落ちるときにも、着けっぱなしにしていた。ときが経つほどに、だんだん、おまえは仮面の内側でじぶんがつくりかえられていくような気がしていた。まるでさなぎのなかで幼虫がからだを溶解させ、成虫のすがたをつくりあげていくように、仮面はおまえを組み替えていった。どのようなじぶんができあがりつつあるのかは、わからない。水面にすがたをうつしてみると、顔以外の部分は、異様な変化を遂げつつあるのが分かった。


 すべての肉が、そげ落ちている。

 洞人ドワーフの常識を超え、手足が触手めいた細さと長さを得ている。

 背がまるまり、まるで跳躍する寸前のましらのようである。

 逃亡生活のすえに、だんだんと身に着けていた服がちぎれていったせいで、いまでは腰にまきつけたわずかな布きれだけが身をおおうもののすべてとなっている。


 ――人間には、見えない。

 ――それで、いい。

 ――けだものなら、けだものでいい。

 ――人間は、きゅうくつだ。

 ――ひとはひとと結びつかずには生きてゆかれないのに、ひとを傷つけずにもいられない。

 ――どちらが上でどちらが下かを、決めずにはいられない。

 ――洞人ドワーフを、ひと以下と扱う天人ヒューマンがいる。

 ――洞人ドワーフは、人類よりも猿に近い種族なのだと語る連中がいる。

 ――猿なら、猿でいい。

 ――ひとでなければ、なんだってかまわない。

 ――こうしてだれも視線をも受けず、暮らしてゆけるなら、なんだって。


 そう、思いなした。

 はずであった。


 なのに、おまえの足はしぜんと人里へ向かおうとした。

 おだやかな森を抜け、ひとの声が聞こえる方角を、無意識にたどっていた。ひとを、もとめていた。生まれてこのかた、おまえがひとをもとめていなかったことなど、なかったのだ。ひとにまともに受け入れられた経験を持たないがゆえに、ひとをもとめる心は渇望に似た。理性は、これまでの経験から”ひとを避けろ”と命じていたのに、感情は、傷ついた子供が両親ふたおやのぬくもりをもとめるさまとほとんど同じだった。

 笑って、ほしかった。

 笑われたく、なかった。

 そのふたつが、おまえのなかにあった。矛盾せず、共存した。

 おまえがもとめたのは、笑い声ではない。

 おまえがもとめたのは、笑顔だった。

 じぶんに向けられる、ほほえみ。それだけで、よかったのだ。


 ある日――。

 渇望は、おまえの疲労へとつけこみ、おまえの足をついにひとつの集落へとみちびいた。理性が弱っていたせいで、おまえはしぜんと、なじみの騒々しさへと吸い寄せられていったのだ。


 はたして。

 そこには、巡業劇団がきていた。


 おまえはテントのまえに置かれた”ミンストレル・ショー”という看板に一瞥をもくれることなく、テントの幕内へと入っていった。


 とたん。

 おまえの耳を、()()()が殴りつけてくる。


   さあ 寄っとくれ 聞いとくれ

   おいらの名前は ジム・クロウ

   おいらはぴょんぴょん はねまわる


 高らかな笑い声が、おまえをとりかこむ。

 瞬時に、おまえは現実へと引き戻された。理性がおまえの背に脂汗を吹き出させた。


 舞台では、黒塗りの天人ヒューマンが踊っている。

 しかしそれは、アンダーソンではない。まるまると肥った輪郭が、まるで別人であることを告げている。これは、ウォルター・ケンドリック劇団ではない。


 ささやき声が、耳に届く。


「……また、ミンストレル・ショーですよ。このジム・クロウもの、どこの劇団でも演るようになりましたな」

「さいきんじゃ、南部じゅうの男児が顔を炭で塗ったくって、ジム・クロウごっこに興じてばかりですな。それを見て、いちばん笑っておるのが誰だと思います――うちで使っておる洞人ドワーフどもですよ!」

「はは。このショーよりもそちらの話のほうが、よほど面白いですな」


 ああ、とお前は思う。

 つまりは、これが現実だ。


 天人ヒューマンは、「洞人ドワーフはおろかだ」と笑い、

 洞人ドワーフは、「おろかな洞人ドワーフだ」と笑う。


 いずれにしても、もとめているものに違いなどありはしない。安心して見くだせる相手をこそ、もとめるのだ。


 ――これが、ひとだ。

 ――これが、ひとというものだ。


 いまとなってみれば、憎まれるほうが、洞人ドワーフがばかにされているのはおまえのせいだと指弾されているほうが、よほどましだった。すくなくとも、そこには同一視があった。『おなじ洞人ドワーフのくせに』という視線があった。しかし、嘲笑われているとき、そこには同一視はない。おまえは、どこよりも下に置かれる、異質な、ひと以下の存在へと仕立てあげられていた。


 ――ああ。ちくしょう。


 おまえは、思う。


 ――笑われたく、ねえな。

 ――笑われたく、ねえよ。


 生まれてはじめて、つよく、そう思う。

 言語化される。

 じぶんに向けられる、すべての笑いを耐えがたく思う。親しみをこめた笑顔さえ、ひとをつなぐ笑声さえ、すべてを認められなくなる。ひとしく、さいなまれる。つくりあげた仮面すら防壁の役割を果たさなくなる。笑い声が染み入った。おまえに、届いた。


 いやだ。

 いやだ。

 笑うな、

 笑うな、

 笑うな。

 おれを笑うな。

 もうこれ以上、おれを笑うんじゃない。

 おれに笑みを向けるな。

 おれに笑い声を向けるな。


 ()()()


 きいん、と音がひびいた。

 おまえは頭をかかえてうずくまり、まわりにいた観客の何人かが、その異様な闖入者をみとめてひそひそとささやきを交わす。

 そうしていると。


 舞台で、異変は起きた。


 ”ジム・クロウ”が、リズミカルなステップを止めたのだ。


 楽団の音楽がなおも鳴りひびくさなか、”ジム・クロウ”が踊りを止めて、棒立ちに立ち尽くしている。糸の切れたあやつり人形のように、がくんと首を落とした。全身がふるえはじめた。小刻みな痙攣が、”ジム・クロウ”のまるい全身を支配していった。異変に気がついた楽団が演奏をやめた。代わりに観客たちのざわめきがテント内に満ちた。


 "ジム・クロウ”は無表情だった。

 黒塗りの顔に浮かべていたはずの満面の笑みを、どこかに落としたかのように、動物的な無表情のままにうつむいている。真っ赤に塗られた化粧のなかの、ほんものの唇の端から、つう、と、よだれがひとすじ垂れた。


 おまえは、顔をあげる。

 仮面を、なでる。つるりと、なであげる。


 するとその動きと連動して、”ジム・クロウ”の顔が、どこからともなくあらわれたまっくろな”なにか”におおわれる。粘体のようにうごめきながら、黒塗りの顔をひと息におおいかくした。”なにか”がふるえ、かたちを変える。”ジム・クロウ”の顔を食らっているようにも、見えた。

 ふしぎに、悲鳴は起きない。

 観客のだれしもが、しわぶきひとつ出すこともできないまま、”ジム・クロウ”をながめている。発作患者のように全身を痙攣されつづける道化を、見つめている。ドラムロールさえあれば、まるで演し物のクライマックスを迎えた光景にさえ見えただろう。


 ”ジム・クロウ”の顔をつつんだ”なにか”が、波打つ湖面がやがて収まるように、動きを止めた。顔のかたちを、完成させていた。


 笑顔を戯画化したような、黒い仮面だ。

 弧をえがく曲線が三つ、両目と口とを模している。両眼にあたる曲線は、細めた目のようで、口は口角をあげて歯をむき出した笑みのかたちだ。まっくろな仮面のなかで、その三つだけがしらじらと浮かび上がっていた。仮面ぜんたいは磨き上げた大理石のようにつるりとしていて、呼吸をするための空気孔も、まえをうかがうための覗き孔も、設けられてはいない。仮面を固定するためのベルトもないのに、まるで吸い付いたように”ジム・クロウ”の顔へへばりついたままだ。

 観客のひとりが、気がついた。

 頭と仮面との境界が、まるで寄生されたかのように、仮面が肉に食い込むかたちになっているさまに。その観客が、悲鳴をあげた。


 それをきっかけに、あちらこちらで悲鳴が起きる。

 拡大しかけた混乱は、しかし、”ジム・クロウ”が身をくねらせはじめたとたんに、収束する。収束してしまう。みなは”ジム・クロウ”の奇妙な舞踏から目をはなせなくなったのだ。それを、ほんとうに舞踏とよぶのが適切であるかは、その場にいるだれにもわからない。ただ、身をよじらせるような、くるりくるりと腕を回すような、足を折り曲げては伸ばすような、意図の知れぬ動きを、舞踏以外のものとして認識することは、耐えがたかったのだ。ひとは、意味のわからないもの、ラベル付けのできないものを見つづけていることはできない。だからそれは、その場にいる人びとにとって、舞踏でなければならなかった。


 が。

 それは、舞踏などではない。


 たとえるならば、寄生虫に意志をのっとられ、水場に向かうかまきりの、あるいは捕食者にみずからをさしだそうとするかたつむりの、さいごの道行きである。


 ”ジム・クロウ”が、痙攣をとめた。

 なにかを見ている。

 そう、その場にいるだれもが理解する。正対している。正面から、向き合っている。ゆえに、”ジム・クロウ”の視線がたどられ、そこに、がりがりに痩せた奇妙な仮面の洞人ドワーフを、見いだす。


 おまえを、見いだす。


 おまえが、その場にいるすべての人間の目をあつめたまま、指を突き出す。おびえたようすで小きざみにふるえながら、しかし、確信とともに”ジム・クロウ”を指さした。


 棒立ちの”ジム・クロウ”が、指さされた先を目で追う。つい、と指先がうごいていくのに、追従する。さいごに指さされたのは、座長とおぼしき、着飾り肥った天人ヒューマンの中年男だ。中年男が、ひっと声を立てる。


 おまえの手が、紙をくしゃっと丸めるように、とつぜん拳を握りしめる。


 と同時に、”ジム・クロウ”が中年男へと駆け出す。


 中年男を押し倒し、その胴体と両腕とを太ももで押さえつけるようにしておいて、愛しいひとに口づけるまえのように、両手のひらで中年男の顔をひきよせる。仮面の口が――いっしゅんまえまでは模様でしかなかったはずのそれが、ばくり、と肉食獣のように開かれ、絵柄として描かれていた牙が唾液の糸を引きながら、かがやいた。

 男の脂っぽい頬肉が、かじりとられた。

 苦痛の悲鳴があがる。血しぶきが舞う。それにもかまわず、牙は相手のくちびるを、まぶたを、鼻の軟骨を、つぎつぎとちぎりとっていった。あまりの勢いに牙そのものさえ折れ、砕け、あぶくを立てる血だまりのなかに、その白い破片を浮かべる。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 ただ声帯をふるわせるだけのような、間の抜けた咆哮がひびいた。


 その声をきっかけに。

 ふたたび、混乱がまきおこる。すべての観客がとつぜん鎖から解き放たれたように叫びながら駆け出し、われさきにと天幕をとびだしてゆく。あるものは転び、あるものは転んだものを踏みにじり、怒号と悲鳴がかさなりあって交響曲をかなでた。


 その中心で、”ジム・クロウ”に向かい、おまえは歩み寄ってゆく。

 もつれる足で、よたよたと、近づいてゆく。


 ”ジム・クロウ”の顔をおおっていった黒い仮面は、なかばほどが剥がれおちていた。その内側で、ほんとうの唇が、真っ赤な鮮血に染まったまま、にい、と笑んでいるのが見える。

 おまえは”ジム・クロウ”を睨めつける。


()()()


 ”ジム・クロウ”が、顔を伏せる。

 うつむいた顔に、笑みはかけらも残っていない。そのまま膝をつき、まるで王の御前にひざまずく騎士のように、おまえに礼をささげる。だれもいなくなった天幕のなかで、ただ一組の主従が残っている。


 こうして、

 おまえは、君臨する。



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