チャレスフ領へ
チャレスフへ向かうにつれて湿度が高くなってくる。半端に舗装された道を歩く篤哉は、レイクから聞いいたチャレスフ領の情報を頭の中で反芻した。領内全域温暖湿潤で、北が不毛な岩と砂利のワーテルローと違い自然豊かな土地らしい。特に南は草木が生い茂り平時は隣国アンデルセンからの観光客でにぎわうという。大きな町が三つ。王領寄りの場所に交通街イラカ。北の大きな三領と王領が接する地域にあるため交渉の場としても用いられる。
南西にボゥ・ズルベシャ。アンデルセンとの交流が活発であるが、防壁の影響で絶えてしまい閑古鳥が鳴いているだろう。ヒルウィレムが滞在する館は町から五キロほど離れた場所にある。
そして、領主の居殿や政治の中枢が集まる首都のマケリア。中心から少し南東寄りの場所にあり、その周りを空堀や柵で守っている北方最大の都市である。
領主の名はキロスケル。ラカスほどではないが悪い噂が絶えない。ワーテルローでは何とか情報統制がとれていたようでラカスの悪行は王都まで届かなったが、チャレスフの行跡についてはカルテから聞き及んでいた。
ラカスの欲望の対象が幼女に対する嗜虐だったのに対しチャレスフ酒乱が因の暴力と度を超えた蒐集癖が問題なのだという。カルテが聞き及んだ話では、大枚叩いて購入した水差しを傷つけたとして下女が手酷い暴行を受けたらしい。更に修理のために呼ばれた職人が、この水差しは市場で売られているような安物だと告げられ逆上したチャレスフが下女を窓から突き落として殺したのだという。館は大騒ぎだった。チャレスフが兎のように目を血走らせて暴れまわり、それを止めに入った家臣が話を聞いて卒倒しそうになった。ガラクタ水差しに使った金は笑えない金額で、しかもそれは来る防壁工事のための蓄えであったのだ。どうにか売りつけた詐欺師を捕縛できたから金を取り返せたが、嘸かし肝が凍えただろう。これらの情報はカルテの密偵がその職人の口から聞き出したことだという。フウラではない。
「そういやフウラはもう到着してるかな」
現在篤哉の隣にはフウラがいない。今までの報告のために一度アータ・セラの鳩屋を使いカルテへ連絡しようと別行動になった。篤哉が進む道を進むと、ワーテルローとチャレスフの境関がある。そこで落ち合う約束だ。フウラの方が遠回りなので篤哉はしばらく待つことになるだろう。レイクの方から話は通してあり、宿泊の準備も整っているという。それほど長い付き合いでもないが、篤哉とレイクの間に淡白な友情があった。レイクも篤哉も心の底に硬い正義感を秘めながら、それを振りかざすことを良しとしない性質だ。こういえば聞こえはいいが、ずっと秘めたままにしているとやがて錆びて動かなくなってしまう。レイクも悶々とした日々を重ねながら、哀れな奴隷たちのために立ち上がる決心がつかずにいた。篤哉も、目に映る全てを正したいなんて思わない。働きアリの法則と同じで、この世から悪党が滅びたら善人の一部が悪意に呑まれて悪人になるだけの話だ。根源は悪人ではなく悪意。罪を憎んで人を憎まずとはよく言ったものだ。篤哉は正しい正義なんて信じない。何の因果かこんな世界に飛ばされて役目を与えられて、その宿命の中で刀を振るだけだ。
「何だ、一人で歩いてるとどうも思考が偏っていけないな。正義とか考えるだけ無駄だろう」
独り言も多い。フウラは王領、ラゼとミールは父親の葬儀をワーテルローで済ませた後エリックの下で働く予定だという。ウーデが相変わらずはふはふ空気の抜けた声で、任せろと強く胸を叩いた………篤哉の。物凄い力に肺の空気が全て吐き出された。
「任運自在……生きるも死ぬも運任せか」
強く行きたいと願い暴れれば、運も自然と着いてくるだろう。地獄の坑道から逃れた奴隷たちはその証明だ。オドルカ周辺と較べて格段に緑が多い周囲に篤哉の左目も忙しい。
「ん?ありゃ……」
道端に背の高い向日葵が咲いていた。ラゼとミールを助けたあの山中で見かけたぶりだ。周囲を見ても、向日葵はそれだけしか咲いていない。あの時はそっぽを向いてすましていた花が、今は篤哉を見上げるように顔を向けている。
「わざわざ見送りに来たのか?」
そんな訳もない。そもそもあの花は理不尽な手により毟られている。まぁ、それこそ知らぬが花というもの。篤哉は改めて関所を目指す。その姿を遠くから見つめる彼が、また「クキキ」と嗤った。




