モリア・バロスの最期
「おええぇ」
やはりというか、不味い。口に入れる前から吐きそうだったが、この生臭さと金属臭はどうしたものか。まぁ、蛇の、しかも魔物の血なんぞを飲めば吐きそうになるのも仕方あるまい。
モリア・バロスは片腕を失いながらも無草の硬泥まで馬を飛ばし続け、半ばまで進んだところで放り出された。馬がばてたのだ。まっすぐ進めばクリスト監町。だが人目につく場所を行くのは避けたい。レイク・アベンジャーがなぜ追手に差し向けられたのか知らないが、領主の名を口にした以上居場所が無いのは瞭らか。故に秘密の運搬路を抜けて魔鉱の保管所に出た。
「ここもやられたのか……おお、何が起きてる……」
篤哉たちが暴れたままの状況で放置されており、崩れた木箱、転がる魔鉱と乾いた血痕が目立つ。メルクライたちの遺体は領主の館の傍を流れる川の杭に引っかかっていた。あの白布の魔物が流したのだが、モリアは存在すら知らない。
仰天して岩壁に拳を突き立てる。逃げてから二日間の食事は酷いものだ。無草の硬泥は蛇足がいる。本当に蛇に足を付けた異形で案外すばしっこい。槍を置いてきてしまったモリアは奴らを素手で捕まえては引きちぎり、小骨が目立つ肉と臭くてかなわない血で腹と喉を満たしてきた。当然気分は良くない。
「おえぇ」
胸がむかむかして、壁に寄りかかって掻き毟る。背中を壁に委ね後頭部も着ける。向かいの岩壁の上に浮かぶ太陽の傾きから、まだ午前中だと知る。
「このまま……歩けば…」
ここからソルベまではそう遠くない。寄っていきたいが捕縛される危険も高い。街に立ち寄るのは領外へ出てからが賢明だが、あと何日も歩くのは無理だ。もっとも、魔物の血を口から垂らしてぼろぼろの衣服をまとった隻腕の男など街に入れてすらもらえないか。それこそ巷を騒がす人攫いの一味だと思われて投獄されるのがオチだ。目元の脂を拭って前方に視線を向ける。崩れた木箱が乱雑に積みあがっていた。地面には不揃いな石がごろごろしている。木箱の死角からぬっと誰かが現れたので、モリアは身構えた。
「おお、誰だ…」
「忘れたか。鳥頭め」
「鳥はお前でしょう」
「ばぁか、これでも俺は【畜生族】に認められたまごうことなき獣だ」
「はいはい」
「お前らは確か…」
間違いない。目の前で薄笑いを浮かべる二人に見覚えがある。何せモリア自身がその手を引いて坑道へ案内したのだから。個性的な犬顔や青い肌を忘れるはずもない。
「確か、オギュエとルーレット…」
ヘラに紹介された奴隷だ。奴隷の癖に妙に落ち着きがあったのを覚えている。しかし、こいつらはいったい何なのだ。その躰から放たれる、この気魄は……
そういえば坑道内で噂があった。最近来た奴隷二人が王都から派遣された密偵であったというのだ。眉唾物だと思って一顧だにしなかったが、今わかった。あの噂は半分|真実だったのだ。この二人は密偵、スパイ。ただ……
「おお、お前たちは……魔王軍の密偵だったのか」
二人がにやりと笑う。空気が歪み、瘴気が溢れ出て二人の体が変質し始めた。
通常の魔物はその気配、通常の生き物とは明らかに違うその質感を消すことができない。それができるのは、魔王軍でそれなりの地位を占めるような上級魔物だ。この二人は間違いなく……
「グウウゥゥ……俺たちをよくもあそこまで虚仮にしてくれたな、クソ人間が」
「野蛮ですよ、言い方。ですがまあ、あなた方は下劣な存在です。人間の中でも特段劣る。奴隷の方が必死に生きる分可愛げがあるというもの」
現れた姿は、やはり凶悪なものである。
オギュエは背中に生えた青い翼と短い後ろ足。顔は予想通りの犬顔で覗く犬歯から黄色い液体が垂れている。首には魔王への忠誠を示す印が刻まれた首輪をつけている。
ルーレットは太く曲がった鉤爪、光沢がある青肌に常時眩しそうに細めた眼。大きな手で器用に握るのは大鎌と見紛う巨大な鶴嘴。土竜の魔物だった。坑道での作業が素早かったのも頷ける。
「防壁工事の様子を探ろうと奴隷として潜り込んだらいつの間にかこの様ですよ……結局わかったのは、人間がどれだけ愚かかという事だけ。これはわかったというより再確認ですね」
「勿体つけやがって。さっさとやっちっていいか?」
「どうせ寄り道です。さくっとお願いします」
ガル、と唸って口を大きく開く。大量な魔力が集結、変換されて巨大な火球が形作られる。壁に寄りかかるモリアにできることなどない。急上昇する温度と異常を告げる汗腺が、燃塵も残さず消え去る自分の十秒後を予知した。
「おお、おおおおおぉぉ……お前は、何者……」
火球を放つ前に、二人が問いに答えた。
「第一象限【畜生族】が幹部、【青皮土竜】ルーレット」
「グウウウッ、同じく【犬面鳥】オギュエだ。グオッ、食らいやがれ」
炸裂。その衝撃はソルベまで轟いた。モリアどころかその場に存在した木箱も消え去り、地面は黒焦げ。運搬路の入り口も塞がった。ルーレットは地中に潜って行ってしまったらしい。オギュエは空から見降ろしながら不満げに呟いた。
「思ったほど火力が出なかったな。長いこと人間なんかの姿でいたからか……いや、青銀が転がってたから魔力を吸われただけだな」
とりあえず、気分は晴れた。人間なんぞと散々馬鹿にしてはいるが、それでも数日一緒に苦杯をなめれば情もわくというものだ。作業中にオギュエの目の前で嘔吐して、そのまま衰弱死した老人がいた。あそこでは戦場みたいに人の死なんて当たり前で、でも日常みたいに死は悍ましくて悲しくて。ルーレットには揶揄われたが、魔王のもとへ帰還する前にどうしてもやっておきたいといってモリアを殺した。そうなると最早この領内にとどまる理由も無い。オギュエは青色の翼を震わせて防壁の向こうへ向かった。防壁なんてこれっぽっちも役に立たないという証明でもあった。




