保つ命、投げ打つ命
篤哉、フウラ、レイクの三人は代官支配所の一室にいた。騒ぎから一夜明け、審らかな説明はまだ行われていない。篤哉もフウラも散々動き回って戦いが終わった瞬間に倒れるように眠ってしまった。レイクは二人をベッドに運び、血糊がべっとりこびりついた刀の手入れまで済ませてくれたのだから感謝しかない。たとえ硬い寝具に悪い寝相で寝たため首が痛くて仕方ないとしても、文句をいう筋合いはない。フウラは頬の火傷を気にしているようで人差し指で押したり引っかいたりしている。
「痕になってない?」
「多少はな」
「くすり塗らなきゃ」
「火傷の薬は持ってきてないんだよ。ちょっとどこに何があるかもわからなくて…」
代官所の中に入るのは初めてらしい。傷薬や最低限の医療用道具は持ってきたが、揃える暇がなかった。
何せ、人をかき集めるだけで精いっぱいだったのだから。
「ま、まずは一番大事なことから。……ラカス様は死んだぜ」
「え」
自殺、らしい。一応そういう扱いになっている。貴人の死の扱いは面倒で、民に公表する場合は単に病死と言う場合が多く、屋敷内では自殺という扱いになっている。死因は縊死。自室の換気口に結んだ白い布を首にかけて死んでいたという。篤哉はすぐに、木箱の山で聞いた、あの気味の悪い声を思い出した。クキキ、クキキ、腐海で木の枝を踏むような乾いた鳴き声。そして、強力な魔力。敵か味方か判然としないが、一番面倒な相手を片づけてくれたのはありがたい。
「それで、どうしてここへ?」
「腐っても重役の一人ではあるからな。セブリッツの使者に呼ばれて駆けつければ変態が変死だと。くくっ」
痛快だと犬歯を見せて笑う。セブリッツはレイクに最後の雑用を押し付けた。領主が死んでメルクライも惨殺されたとなればオドルカでの作業から手を引いた方がいいだろう。代官所へ出向いて全てカタをつけてくるように、と言われた。
全て水に流して坑道も埋めてしまえ、代官以下は一旦捕らえてソルベに護送せよと。当然それなりの軍勢が必要になったが、誰も行きたがらなかった。代官所には鬼より怖いモリア・バロスがいるからだ。セブリッツの子飼いであったイオが謎の死を遂げたこともあり、モリアの槍の錆にはなりたくないと尻ごみした。
「それであのあべこべ軍隊ってか」
「そうだ。……意外と様になってたろ」
レイクが率いていた軍隊、いや軍隊もどきは防壁工事に従事していたエリックの社員や奴隷たちだ。クリストで埃をかぶっていた鎧兜を着せて武器を持たせれば、そこは長い間重労働で鍛え上げた者共だ。筋骨隆々、精悍な顔つき、レイクの言う通り正規の軍と言われても違和感がないほどであった。彼らは今捕らえた兵士たちの見張りやソルベへ手紙を届ける役目を負っている。防壁工事は少しさぼることになるが、文句は言われないだろう。そもそもこの仕事は監督官たるヒルウィレムが行うべきだったのだ。もし後からいちゃもんをつけられたらそれを盾に剣突を食らわせてやるつもりだ。
それから、イオを篤哉にけしかけたのはセブリッツだった。といっても彼の意志ではなく、山中でこっぴどくやられた支配役のロベルト・フィレンツ配下の二人が奴をぶち殺せと声高に叫んだため動かしたのだ。この時セブリッツは篤哉の顔も名前も知らず、王都から密偵が来ていようとは思いもしていなかった。
そこまで話してレイクは保管されていた瓶から水を飲む。途端に噎せ返った。
「げふっ。酒じゃねえか」
「だいじょうぶ?」
「ちっ。この村には酒しかねえのかよ」
「西側に井戸があった気がするが」
「死にかけの兵士がひとり身を投げたせいで血の池になってる。とても飲めたもんじゃないぞ」
「まいったな」
篤哉も喉が渇いているのだが、水代わりに酒はいくらなんでも。レイクのしかめっ面を見ていると弱い酒でもないようだし、これからこっちの事情も説明しなければいけない。潤すのは後にした。
「俺の方は、ラゼ達の父親を探しながらオドルカにたどり着いたんだが…」
イオとの闘い、無草の硬泥、秘密の運搬路、木箱の山でメルクライを屠った事、白い布を操る謎の絞殺魔物、そしてオドルカでの潜伏、擾乱に至るまでを詳しく話した。フウラも口を添えていたが、話し終わるころには喉が水分を求めて収縮を繰り返していた。もう仕方ない、酒をぐびっと流し込む。強い酒精に一瞬目をまわしかけるが、すぐに視界がクリアになる。
「そうか…オドルカの水を使ってるから」
「水神の力」
思えば水に導かれるような旅だった。起こったこと全て水神の思し召しだったのかもしれない。
「何でもいいけど……神だろうがなんだろうがあれだけはいただけないよな…」
昨日、姉弟の泣き顔が浮かぶ。対面はかなうも、既に息はなかった。ラゼは文句を言おうにも帰ってくる言葉がないのを知った。父親……ゲヤシダは生きて娘に殴られるという夢を最後の最期で叶えることができなかった。ミールの命を守れたから本望か。いや、それでも悔しそうな死顔は未練を示して歎いていた。あれも水神の知るところなら恨まずいられない。
「……」
フウラは窓から入り込んできた蠅を射るように見ていた。羽音が煩いだけの虫けらも、踏みつぶされるしかない雑草も、泥水を吸って笑う花も、懸命に生きている。
(すごい。耐えて忍んで生きるって、すごい)
そして、耐え忍んで守り抜いてきた命を、大切なもののために投げ捨てる覚悟はもっとすごくて尊い。戦闘が怖くて村の中に潜んでいたとか、臆病だとかどうでもいい。大切な時に大切なものを身を投げうって助けたのだから。
(フウラには……できなかった)
蠅は壁の棚に入った。零れた酒の液でも啜る気だろう。逞しく生きるといい、余計な世話か。
篤哉とレイクはちびちびやりながら、事の次第をさらに詳しく説明していた。
棚の奥から聞こえる羽音に、弱弱しい風鈴の音が共鳴した。フウラは首を振ると、舐めるように透明な酒を含んだ。




