オドルカ麓の擾乱part1
「おい、一人足りなくないか?」
「そういえば……」
番所の兵士が出がらしの茶を啜りながら雑談している。流石に酒を飲むような気楽さはなく兵舎としてあるべき緊張感が存在した。殊に昨日から警戒兵が七人村から派遣されてきたが、これがどうも気の抜けた奴らでいけない。栓を開けて十日もした炭酸水のようで、早くも役立たず認定されていた。役立たずでも巡回くらいはできると信じて見回りに送ったはずの男が一人戻ってきていないのだ。
「全く若いモンときたら…坑道で迷っているわけではないだろうな」
無いと思いたいが、一応確認のため彼が担当した109坑を調べることにした。若い兵士二人が嫌そうな顔をしながら様子を見に行く。心配も無くはない。109は、最近不穏な噂が絶えないオギュエとルーレットが働く坑道なのだ。
「ああくそ、馬鹿モンが」
苦労多き番兵はずずっと苦い茶を啜って、粉の部分を地面に捨てた。
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「はぁ、はぁ、俺ら…」
「や、殺ったの、かぁ…?」
死んでいる。男は自分の右手が握る鶴嘴と倒れた兵士の頭を交互に見る。額には深々と杭が打ち込まれたような傷跡があり、流れる血を濁流が連れていく。それでも咽るような鉄の臭いは消せず、自分たちは反逆者になったのだと思い知らされた。壁にかかった松明が死人の瞳を妖しく照らす。
目を血走らせ肩で息をする男の肩を青い手がぽんと叩いた。
「後には退けません。……これからは、一歩も止まってはいけません」
神妙に頷き、歩を進める。彼らの足が止まるのは、逃げ切ったときか死に絶える時だ。並々ならぬ不退転の決意を、埋もれるように咲いた泥雲花が見ていた。
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オドルカ麓は荒涼地帯、疎らに草は生えても背の高い樹木は育たない。元はオドルカの水源の恵みで緑豊かな湿原だったらしいのだが、度重なる魔王軍の攻撃で岩と砂利の地となってしまった。南の無草の硬泥も魔族との諍いを水神が咎めて間歇泉を噴いたという逸話があるし、何にせよ茶色や黄土色、灰色の岩ばかり目につく殺風景な地帯だ。南西のソルベならば街らしい風情があるが。
そんな荒涼地帯に唯一残った樹がビーフォの中心部に立っている。岩の隙間に根を張り地中深くから水を吸い取って生きるその姿は毅然たる老将のようで、村の者は水神の象徴のように思っていた。外来の兵士や用心棒たちも感じる者があるらしく、時々拝んでいく者までいる。
「昨日落とした財布が見つかりますよーに」
それは失せ物担当の神にお願いします。水神が口を聞けたらそう言っただろう。
そんな緩慢でのんびりとした空気を吹き飛ばす暴風が、駆け込んできた伝令の叫びと共に吹き荒れた。
「伝令、伝令、でんれいにございまーす!お通しくだされぇぇ!」
「なにご」
何事、と聞く間もなく兵士と用心棒を突き飛ばして伝令は代官支配所へ駆け込んだ。突き飛ばされた男たちは尻もちをついてぽかんとしている。急な出来事に、後ろから近づく別の人間に気づく暇もなかった。
がつん。鈍い音がして兵士が気を失う。用心棒も同じく黒巻の柄頭で延髄を打たれて意識を手放した。
「これでいいのか…?用心棒って用心のためにいると思うんだが……これじゃ木偶の棒だ」
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「一大事、奴隷が一丸となって謀反にございます!」
「おお!」
扉を突き破って……正確には勢いで蝶番を破壊して入ってきた伝令兵が要領をえぬまま報告する。貴重な布張りのソファで雑談していたモリアが思わず叫ぶ。立てかけていた手槍を取って穂鞘を弾く。シュフーヴァは痛む腰を押さえて、伝令兵に村中の兵士をかき集めて舎前に集合させるように告げた。自身も剣を手に取りモリアに付き添われて外に出る。
喧々囂々、何が起こったのか分からぬままに兵士たちが喚いている。半数が酔っぱらっていて数名は既に泥酔している。非戦闘民の村人は避難小屋に集め終えたようだ。シュフーヴァは剣の柄を軽く握った。本身は入っているとは思えない軽さだ。還暦を超えた老人に鉄の剣は聊か重過ぎる。飾り剣だ。
「静粛に!」
老人がいくら声を上げても鎮まる様子はない。モリアに目配せすると、彼は躊躇なく手槍を人垣へ擲った。一瞬で時が止まる。
「おお、口を閉じる気になったかな。裁縫は不得手だから喉につっかえ棒を差し込むことになるぞぉ」
手槍は密集した人々のわずかな空白を裂いて地面に穂先を埋めている。あれが自分の体だったら……兵士たちは口を手で覆った。
精密な指示を飛ばす暇もなく、山の方角から轟音が聞こえた。兵が叫ぶ。
「大番屋だ!大番屋が、爆破された!」
「おい、まずいんじゃねえのか」
「聞いてねえぞ、くそ、うまく立てねえヒイック」
次は地鳴りだ。一瞬山が崩れたかと思うような揺れは、勢いづいた奴隷が暴嵐と化して荒原を駆け抜ける音だった。シュフーヴァは決断した。このまま捨ては措けん。
「砲撃準備!」
「ははぁ!」
「槍部隊、モリア・バロスを筆頭に鎮圧に向かえ!容赦はいらんぞ、殺せ!」
「おおっ!」
「馬を用意せよ!全身全霊をもって奴らを消す!」
シュフーヴァは、違法採掘も潮時と思うことにした。取れ高も減ってきているし、いい頃合いだろう。今までためた金でこの地を離れ王都で暮らせば魔王の恐怖におびえる必要もない。
狂奔する衆の砂埃が空に舞い上がる。山脈の頭を嬲る雲の流れも急き立てらるかのようだ。水の雨は降らずとも、血の雨が降ることになる。
「砲撃準備完了!」
「よぉおし、では……」
「そうは問屋が卸さない、と。りゃあぁぁ」
篤哉の剛剣が閃き、擾乱の狼煙が上がった。こちらも、もう後には退けない。




