ビーフォの村
篤哉が岩に座って、鑢のようになった表面で爪を削っていると偵察に行ったフウラが戻ってきた。
「どうだった」
「特に。変わった様子はない」
「…」
一日かけて周囲の立地や代官配下の頭数、腕の立つ人間はどのくらいいるのかなど隠密裏に調べていた。調べによるとビーフォの村に滞在しているのが代官のシュフーヴァ・エクストン以下三十数名、小者や用心棒の雇われ者を足すともう少し増える。各坑道の入り口には番所があり、出入りは厳しく制限される。更に、少し離れた場所に大番所があって見張り台から昼夜問わず監視兵が見下ろしている。そして、万が一集団で脱走を図り大番所まで突破された場合に登場するのが、村の高台に作られた砲台だ。オドルカで採れた青銀の中でもとびきり純度が高い物をメルクライが精錬してホロライズが一度王都に持ち込んで更に加工する。そしてそれをそれを核にわずかな反動で隷徒を吹き飛ばす大砲が完成したのだ。採掘は停止しても秘密だけはどこにも漏れない。
それだけ坑道の管理を徹底している一方、背後から探る篤哉たちの存在は疑ってもいないようで潜り込むことは意外なほど簡単だった。
「兵士の目は山しか見てない。警備の用心棒もおにく食べながらおさけ飲んでた」
心底恨めしそうに言うフウラ。話を聞くと奇襲自体は難しくなさそうだ。だが、成功するかどうかは別問題である。いくら不意を突いても相手の数が多すぎる。さっさとシュフーヴァを討ち取れればいいが、形勢を整えるのを許してしまえばさかしまに袋叩きに遭う。この時、篤哉の頭の中に勇者スキルを使うという選択肢はすっかり抜け落ちていた。理解していない謎の力より、大分血を吸った腰の刀の方が頼りになるはずだ。今度勇者スキルも密かに練習しておこうと思っている。
「一番いいのは兵士をどこかに追いやることなんだが」
「坑道で悶着があればいい」
「でも、そしたら」
ラゼが心配するのは坑道内で働く奴隷の事だ。シュフーヴァを討っても、彼らが酷い目に遭ったら可哀そうだ。父親もその中にいるかもしれない。
「そうだな…後一日程度様子を見よう。…ミールもいい加減やわらかい布団で寝たいだろうし」
「俺は平気だい!」
「ふぅん、そうか。俺はやわらかい枕が恋しいけどな」
石に枕し流れに漱ぐ…風流かもしれないが、石の枕は肩が凝っていけない。そういった暮らしは仙人に任せて自分たちはさっさと仕事を終わらせよう。
「風が強くなってきた」
「そうか?…確かに微妙に強いか」
「うん」
「雨が降るか」
フウラは首を横に振った。密偵として修得したスキルの中に天候を予知するものがある。残念ながら日本の天気予報よりもかなり精度は落ちるらしいが、フウラは降らないと断言した。篤哉も何となく明日は晴れるような気がした。山育ちの勘というやつだ。
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ビーフォの村は長閑で、野狐がきゅうんと鳴いたり鳥が用心棒の食べ残しを啄んだり、悪逆な空気は微塵も漂っていなかった。村の東部に建てられた三階建ての舎が代官支配所である。三階はシュフーヴァの居住域で二階が執務用、一階は来客の応接や書類雑貨管理と分けられている。シュフーヴァは布張りの赤いソファに座って腹心と話していた。建物も家具も石造りが多いワーテルローにおいて布張りは珍しい。シュフーヴァは齢六十七、篤哉の世界ならば定年を迎えて釣りや盆栽いじりでも始めている歳だ。足腰も衰弱し始め硬い石の上に長時間座っているのは辛いのだ。
「肩は凝る、ガタはくる。飛んでいく星を恨むべきか、人体の脆さを儚むべきか」
下らない洒落を気に入って事あるごとに零している。相手をするのはシュフーヴァの腹心と自他ともに認めるモリア・バロスだ。
「おお、おお、その通りです。全く、時とはえてして気まぐれなもの、ままならぬもの。ままにしようと考えるのも無駄でしょうな」
おお、と強迫的に繰り返す彼は、先日脱走者を槍一突きで仕留めて坑道に首を飾り付けた男だ。ワーテルロー随一の槍の名手で短めの手槍を遣う。その腕前はあのイオ・セルオライデと互角と称される。ただし二人の境遇には天地の差があり、剣一筋のイオが極貧生活にあえぐ傍らでモリアは虎視眈々と成り上がりの手段を講じていた。やがてその腕前と狷介さに目をつけたシュフーヴァがスカウトして代官所の兵士となり今では槍部長まで出世した。命令には忠実で、矢鱈めったら媚を振り撒くでもなく接するこの部下のことがシュフーヴァは好ましいと思っていた。
「しかしのう、奴隷に王府の密偵がいるとなると捨て置けんな」
「奴隷の刻印ははっきり確かめました……あのヘラに限って間違いがあるとも思えませんがね」
奴隷に限らず他人を見下さずにはいられない男だ。他人より上の立場にいるために自分の仕事には慎重だ。失敗を笑われるようなことがあれば笑った者もろとも死を選ぶだろう。歪んでねばねばした、夏場の飴細工のようなプライドの持ち主なのだ。進んで付き合いたくない性格だが少なくとも仕事の精度は信頼できる。勿論、こちらが裏切らなければの話だが。
「それはそうじゃ……だが間違いがあったときに困るのはワシらじゃ。念を入れて入れすぎることは……」
「おお、その通りです。オギュエとルーレット、見た目が少し異様ですが亜人の血を引いているようで」
犬のような面のオギュエは父方が【黒犬族】の血を引いている。黒犬は【黒妖犬】を先祖とする魔物であったが、次第に魔力が薄くなっていき今は亜人としてアグニス大陸の南や遠いハンスレット大陸に暮らしている。
ルーレットの出自は不明だが腰が太く背が低く、体力に優れた性質と青めの肌からアグニス中央部の【レイリー縹森】の者と予想される。縹の名が示すように青い肌や髪の種族が多く住んでいる大陸有数の観光名所である。樹木から亜人、岩土に至るまで稀少性から密漁密売が後を絶えず、ルーレットもその口だろう。
以上がヘラの口書きとモリアの調査を併せて得た二人の情報である。怪しいところも無くはないが、王都の密偵であるとも考えにくい。大体頭でっかちの王府の役人どもが亜人を雇って仕事をさせるほどのの器量があるとも思えない。もっともあのディアル・ラグランジュならばやりかねないが…
「とにかく坑道の番に兵をまわせ。なあに、ここは大陸の北の端、目の前の穴にだけ注意しておれば問題はない。まさか」
「おお、まさか今日明日に魔王軍が攻めてくるわけでもなし」
言葉を引き継いだモリアに、鼻を鳴らして答える。腰を支えてよいしょ、と立ち上がったシュフーヴァは何も填められていない窓を覗く。海岸の一点から二つの山脈が伸びる。海岸に平行に伸びるのがオドルカ、ほぼ垂直に伸びるのが名もなき防壁だ。石の破砕音や職人の掛け声がここまで届くようで、シュフーヴァはまた鼻を鳴らした。
「あれだけ多くの民草が壁を作っても、いざ魔王が侵攻すれば瞬く間に砂となるのじゃろうな…」
悲しそうに呟く老人の背中に、モリアもおお、と頷く。二人の顔は奴隷を踏みにじる悪魔の陰はなく、むしろ堪えがたい寂しさを感じていた。
「現れる魔物の数、種類、強さ、少しずつ変わってきている。当代魔王は魔物を異空間にまとめてそれぞれの世界を創っているというが…」
「なんにせよ、石の壁ごときで防げる相手ではないでしょうな」
「……」
魔王軍の侵略の際に北から攻められるのが通例だ。北の防壁は毎回微塵となっては再び造られる。つまるところ気休めにもならず、王都の何も知らない政治家が自己満足のために続けているだけのプロジェクトだ。ケリウィズという大山脈の向こうで最強の勇者に守られながら贅を貪っている奴らに文句を言っても始まらない。
「民草は所詮草でしかない。魔王軍に踏みにじられる草という点ではワシも奴隷も変わらんな」
「草にも格がありますぞ」
感傷に浸るシュフーヴァに、モリアが意見する。シュフーヴァはそんなことは知っている、と返した。
ワーテルローは魔王が攻めてくれば一番に蹂躙される土地。無駄な防壁を築くよりも金になる魔鉱を掘った方が建設的だ。自身は老い先短いしモリアはなんだかんだで切り抜けるだろう。人の命なんて、風に飛ばされる花びらみたいな物だ。
「働くがいい……」
苦々しく呟くその声には諦観が多量に混じっていた。モリアはおお、とも言わず黙ってその場を去った。
りぃん、と風鈴の音が鳴った。




