水神の力
「まだか…遅い!」
「しばらく、しばらくのご辛抱ですぞ、殿様」
天狗のように顔を赤く燃やして、領主様は側近に当たり散らした。側近、セブリッツ・サイバンゴはもう慣れた様子で飛んでくる壺や置物を避けている。壺は壁に当たって砕け、置物は鏡に罅をいれたが気にすることもない。乱暴者の領主様には高級家具も壺も縁がない。部屋にある全ては、それなりに見れるように工夫した安物で飾られている。ラカスが求めるのは無条件に頭を下げる下々の人間と泣き叫ぶ幼女の痴態だけだ。
「約束の時間はとっくに過ぎているではないか!おのれ、まさか騙されているのではないだろうな」
約束も何も、納入の期限は八日後である。ぎりぎりまで待たせるとラカスが発狂するのでいつも早めに納めているだけの話だ。セブリッツはため息を飲み込み、確認してまいりますと言い残して屋敷を出る準備をした。この狂人に理を説いて何が得られるというのだ。玄関近くの廊下で部下の執事に声をかけられた。
「お出かけですか」
「殿の件で少々」
「お大事に」
ラカスの横暴で働かされる時、この屋敷では同情をと励ましを込めてお大事にと声をかけるのが習慣になっている。先ほど飲み込んだため息を零して外に出た。庭の一角、目立たない場所にホーリュという花が咲いている。菫の一種で、淡い桃色の儚い花弁だ。庭はラカスが暴れ狂うせいで花どころか三味線草も生えない。目立たぬ場所で怯えた様に咲く花が、こちらの顔色を窺っているようで嫌な気持ちになる。前に供物として捧げた幼女の始末をした時も同じ気持ちになった。来たときはホーリュと同じ桃色をした唇が、再び見た時には殷く腫れあがっていた。吐き気がしたが、自分とて同罪なのだ。
「お前は散るなよ」
切ない願いを込めて言った。幼い声が「何をいまさら」と詰るように聞こえて、精錬所に行かずに行きつけのバーへと向かった。背後の屋敷の窓ガラスが割れる音が聞こえる。
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青銀照らす道を抜け、ただ足を動かし続けた。再び地上にたどり着いた時、四人は酷く疲弊していた。歩きなれているフウラすらふらふらしている。原因は単純、空腹だ。とにかく腹が減った。
「おにく」
「そうだな」
「おにく」
「ああ、そうだな」
フウラはおにく、と呟くことで意識を保っている状態のようだ。篤哉も軽口を叩く余裕がない。疲れ果てたミールを背負い、左手でラゼの体を支えている状態なのだ。ラゼの体温が、意識をつなぎとめる役に立っている。腕に力が入り、傍から見れば甘い恋人同士に見えるかもしれないが、実際は深刻な空腹に襲われている。謎の魔物に言われるがまま引き返したのはいいが、出口までの距離が意外なほど長かった。篤哉とフウラが急いで進めばもっと短時間で出られたが、ラゼにその速度を強要するのは鬼畜だ。
「横道に寄っておけばよかったな…多分食料や休憩地点があった」
無草の硬泥もそうだが、道中幾らか横道、横穴があった。あれはただの空気穴ではなかったのだ。転んだ後に杖を削っても意味はない。次に転んだ際に役立つかもしれないが、擦りむいた膝は癒えないのだ。
譫言のように、おにくおにくと呟くフウラ。それに混じって最近聞きなれた音が聞こえてきた。潺だ。近くを川が流れているのかもしれない。
「とりあえず喉だけでも潤しておくか」
「おにく」
「ほら、行こう。もしかしたらどんぶらこって肉の塊が流れてくるかもしれないし」
「どんぶらこ?」
「改めて考えると凄いオノマトペだよな」
音を辿ると、砂利の上を流れる小川を発見した。桃が流れてくるほど深くない。肉も期待できなさそうだが、掬ってみれば埃一つ浮いておらずそのまま飲んでも危険はなさそうだ。フウラも「にくじゅう…」と呟いて口に含む。篤哉は水が胃に落ちた瞬間体が引き締まるような不思議な感覚を覚えた。冷水でしめた刺身のように、筋肉がこりっと固まる。フウラも体の異変に気づいたようで手皿に残った水を不思議そうに眺めている。
「…水神の力?」
「馬鹿にしたもんでもないな」
ラゼも喉を鳴らして喉に落とすと力が満ちていく感覚に不思議そうな顔をしている。ミールは深く眠っていたため、瓶に組んで少しだけ口に含ませた。寝顔から幾分か辛苦の翳が消えた。
「あくまでファンタジーなんだなぁ」
人間の醜悪さとか、権力に憑かれた亡者とか、空に浮かぶ月とか、眩しい少女の笑顔とか、世界が違っても異変は感じなかった。確かに魔法や加護や、常識で測れない技術現象存在はたくさんあるが、それでも全く別の世界に来たと感じられなかった。クラスメイト達の戦いを目にすれば気も変わるだろうか。
力は湧いても空腹はそのままだ。
「ここからは全て敵地だと思ったほうがいい。フウラ、何とか食べられるものを調達できるか?」
「探してくる。あつやは二人を守ってて」
一瞬で遠くまで行ってしまった。岩と砂利の景色の中に三人が腰を下ろしている。いつの間にかラゼも眠りについていた。姉弟が肩を寄せ合って眠っている。顔も知らない父親に、この光景を見せてやりたいと思って、かなり近づいた岩山を見やった。




